善良なお父さんが警察官の服装という「ユニフォーム」をまとうと、威圧的に振る舞うことが許されているように錯覚する。ユニフォーム自体が社会的メッセージや機能を持っているので、後ろめたさがある人は彼を目撃しただけで身構えてしまうだろう。
文: 竹田茂
本稿はポスト資本主義時代の起業術を伝えるメディア『42/54』の提供記事です。
ユニフォーム効果を一言で乱暴に説明すると「服装がその人の態度と行動に影響を与える」ということになると思うが、行為の順序で若干ニュアンスが変わってくる。
ある特定の気持ちになるために主体的にその服装を身につける場合は、社会心理学的な意味合いが強い。ハロウインなどでのコスプレがその極端な例だろう。
一方、業務上の着用義務があり、結果としてその服装にふさわしい振る舞いに終始するという受動的な態度もある。これは労働経済学の領域だろうか。当然、中年起業を目指す人のためのメディア「42/54」がフォーカスするのは後者である。
前者は、ファッションで自分の気持ちを自発的に高揚させようという行動なので、着心地や肌触りなどの感性も重視される。後者は、大袈裟に言えば仕事を通じた社会関係資本のデザインになってくる。平たく言えば、ユニフォームは儲けるための道具として活用できる可能性があるかもね、ということだ。
服装がその人の態度を決定するということは、服装自体が「人格」を持っていることになり、それを身にまとう人間は「その服装に内在する命令セット」に従うロボットのように振る舞うことを余儀なくされる。
実際、どこにでもいるような善良なお父さんであっても、警察官の服装というユニフォームを身にまとってしまうと威圧的に振る舞うことが許されているかのような錯覚をする、という「効能」がある。彼を観測する私たちも、彼の(本来の)人格よりは服装が持つ記号性に着目してしまうので、悪事を働いているわけでなくとも身構えることになるだろう。ユニフォーム自体が社会的メッセージや機能を保有していることを知っているからだ。
ユニフォームが設定されている職種としては、警察官、消防士、自衛官、パイロット、客室乗務員、医者、看護婦、鉄道員、警備員、(デパートやコンビニなどの)店員、ホテル従業員、アスリート、駐車違反の監視員、などが思い浮かぶ(学校の制服はとりあえず除外しておく)。
ユニフォームは女性中心に最適化され、男性はネクタイ+スーツを事実上のユニフォームとして代用する、という職場も多いはずだ。