「お加減はいかがですか?父上」
「…………大事ない」
はたしてこの息子はどこまで気がついているのか、そう思いつつも当然のようにカルロスは答えた。
現状一国の王が重病であるなどということを悟らせるわけにはいかなかった。
「今までほとんど寄りつきもしなかったお前が何用だ?」
家族が集まるような行事を別として、ここ数年フランコが一人で父のもとを訪れたことはない。むしろひっそりと忘れ去られることを望んでいるような風がフランコにはあった。
アブレーゴが健在であったころは万が一のスペアであることに甘んじ、王族の名を穢さないよう何事もそつなくこなすフランコに、アブレーゴを凌ぐ才気があるであろうことにカルロスは気づいていた。
だが同時に国王には向かない性格であろうとも思っている。
野心のない性格は家臣であれば美徳だが、国王にとしてはいささか問題があるからである。生まれた時から国王であることを義務づけられ、教育されてきた者でもないかぎり、国王という地位の重圧と孤独は野心や目標がないかぎり耐えうるものではないからだ。
あるいは、その野心がフランコにも芽生えたということなのか――――。
「正直申し上げて私にとって王族であることは重荷でした」
「ほう…………」
まるで懺悔のようなフランコの言葉にカルロスは冷たく目を細めた。
消極的なフランコは野心が芽生えるまでもなく、心が折れたのかもしれない。
そう考えると失望にも似た思いがカルロスの胸をかき乱す。内心ではフランコに継がせたくないと思っているのになんとも虫のいい話だ、と思うがそれでも失望は隠せなかった。
「次期国王はアブレーゴ兄上で確定していたというのに、いつまでもうるさく愚痴を聞かせる人がおりましたのでね。早くこんな身分からおさらばして、いっそ神殿で僧になろうかと思いましたよ」
そこにきな臭い匂いをカルロスは感じ取った。
まず第一に過去形で話しているということ。おそらくは現在の心境は真逆なものであろうということ。そして第二はフランコの拠って立つべきコルドバ公爵家の母エレーナに対する批判である。
もしフランコが王位を目指すのであれば決して敵に回してはいけない存在のはずであった。
「――――私としたことが、お前とエレーナがそれほど仲が悪いとは知らなかったぞ」
「逆らうだけ無駄でしたからね。適当に聞き流しておけば後は時間が解決してくれると思っていましたし……あれでも母親ですので話を聞くだけは聞いてあげても良かったんですが」
カルロスも長年連れ添った妻の性格は熟知している。
話すだけで満足するような女ではなかった。かといって行動するとしても小さな陰謀や嫌がらせ程度でしかない。要するに器が小さすぎるのだ。
「私を王位につけるために何を企むか知れないので実家で静養してもらうつもりでおります」
「なんだと?」
最大の味方であるコルドバ公爵家を敵に回しかねないフランコの暴挙にカルロスは目を剥いた。
「どうか陛下におかれては快く母上の静養を許可いただきたい。それが母上にとっても周囲の人々にとっても最も幸せなことなのですから」
「フランコ……お前自分が何を言っているのかわかっているのか?」
実の息子が母親を幽閉同然に追い払おうとしている。
確かにエレーナは欠点のほうが多い女だが、少なくとも息子であるフランコに愛情を注いでいるのは確かであった。
しかも政治的に重要な後ろ盾になるはずの母をそこまでして遠ざける理由がわからなかった。
「――――私が王位についた後もマリア義母様が王宮で健やかに生活されるためには必要なことでありましょう?」
「…………っっ!」
フランコの言葉は正鵠をついていた。
まさにカルロスが危惧していたのはその一点である。
自分が生きている間はいい。しかしカルロスの死後フランコが王位に就くことになれば必ずエレーナは増長し、マリアを迫害するばかりか下手をすれば暗殺するであろう。
残された唯一の心のよりどころであるマリアを守るためにこそ、カルロスはフランコの立太子を決断できなかったのである。
「……何故わかった?」
寵愛しているとはいえ、これまで一切女には権限を与えてこなかったカルロスである。
彼の逡巡がマリアに対する愛ゆえと見抜けた人間はこれまで誰一人としていなかった。
「私にも愛する女性が出来ましたゆえ」
「言いおるわ……しかし子爵家の娘では貴族どもが黙っておらぬぞ?」
「すでにテレサをマウリシア国王の養子として迎えてもらう段取りはついております。マウリシアから王妃を出すためなら安いものだそうですよ?」
身もふたもない言い方に思わずカルロスは噴き出した。
「ウェルキン王は随分と率直な御仁のようだな」
「ええ、本当に悪戯好きで正確の悪い王だとバルドも申しておりました」
「良き友……と言えるかはわからんが良き悪友ではあるようだな」
自分にそんな友はいなかった、とカルロスは思わず過去を振り返る。
父を失い、無我夢中で国のために奔走してきた。
戦の才がないとわかったときには絶望もした。しかし経世済民の才があると信じて愛する妻とともに新たなサンファン王国の土台を築きあげ、そして息子に譲り渡すつもりでいた。
受け継ぐべき長男には去られたが、どうやらこの二男は自分の想像を超えて優秀であるようであった。
「しかし軍はどうする?サンタクルズの奴は下手をすると自爆覚悟で内乱を起こすかもしれぬぞ?」
「海軍相のホセ殿を抱きこみましたので彼の手足を削ぐのはそう難しいことではありません。あとは暗殺犯との繋がりを押さえたうえで見逃してやると言えばすぐ引退するのではないでしょうか?」
「―――――いつの間に海軍を押さえおった?」
海洋国家であるサンファン王国で海軍の占める役割は大きい。
もちろん国土防衛隊である陸軍の重要性に変わりはないが、海軍は貿易と流通の国家経済にも責任を持っている組織なのである。
その海軍がフランコを支持した以上、それは軍全体がフランコを支持しているのとそう変わりはないのだった。
「まあ、少々裏技を。コルドバ公爵も娘の我儘には嫌気がさしていたそうで、引き続き私を支援してくれるそうです。ペードロは私が責任を持って右腕に育てますゆえお心置きなく」
「なんじゃ、もうお前を太子にするほか、わしに選択肢などないではないか」
軍と貴族双方の支持をフランコが取り付けている以上、いかに国王でもその裁定を覆すことは難しい。気力体力ともに既成勢力と戦うことが難しい現状では特にそうだ。
カルロスは呵呵と大いに笑った。
長く心につかえていたものが晴れたような気持ちのよい笑いであった。
「杯を取れ。わしの秘蔵の酒を開けてやる」
「よろしいので?」
「どうせ先のしれた命よ。こうしてたまには息子と杯を酌み交わすのも悪くはあるまい」
その日夜更けまで二人は酒を酌み交わし胸襟を開いて語り合った。
カルロスは楽しげに、初めて見せる国王ではない父親の顔になって、フランコと心行くまで人生を論じ合ったのである。
フランコ・コルドバ・デ・サンファンが王太子として正式に発表されたのはそれから三日後のことであった。
「良かったな。殿下が無事立太子出来て……ってなんでそんなにつらそうなんだお前?」
王宮の発表を聞いてほっと胸を撫で下ろしたバルドは、珍しく顔色を曇らせているテレサを見て訝しそうに尋ねた。
天真爛漫を絵に描いたようなこの幼馴染らしくもない反応であったからだ。
「いや、昨夜フランコから話は聞いていた。どうやらこちらの思惑通りに運んでくれたらしいな」
正直なところ無理を通せば道理が引っ込むのを地でいったような計画で、成功確率は決して高いものではないと思っていただけに危ない橋を勢いで渡りまくったバルドとしては喜びもひとしおである。
失敗したらこのまま国外脱出しようと考えていたほどで、若さに任せた暴走は恐ろしいとしみじみとバルドは思う。
「そんなわけで殿下のところにお祝いの挨拶にいくぞ」
「わ、わかっ…………あいつつっ!」
一歩足を踏み出しただけで痛みに顔を顰めるテレサに、ようやくバルドは昨夜二人の間で何が起きたのかを察した。
「昨夜はお楽しみでしたね?」
一足先に大人の階段を上ったらしい友人を茶化すようにバルドは笑う。
「フランコに絶世の美女の魂が眠っていることは知っていた。しかし……まさかあそこまで肉食系であったとは――――見抜けなかった……このテレサの目をもってしても!」
お前はどこぞの役に立たない軍師か!
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