そのまま王宮に担ぎ込まれたテレサからフランコは決して離れようとはしなかった。
せっかく想いが通じた相手を決して逃してなるものか、という鬼気迫るフランコの様子に、本来彼を止めるべき家臣たちも強く止めることが出来ずにいたのである。
幸い、出血量こそ多かったものの止血して傷さえ塞いでしまえばテレサの回復は早かった。もともと体力には自信のあるテレサである。
むしろこれ幸いとフランコとの逢瀬を楽しむ余裕すらあるほどであった。
「テレサ、はい、あ~~~ん」
「あ~~~ん。……美味しいよ、フランコ」
侍医が退室し、王国の監視が緩んだと見てはバカップルぶりを見せつけるこの友人にバルドの胃袋は崩壊の瀬戸際に追い込まれている。
確かにテレサは親友であり、テレサの伴侶としてフランコ以上の男性は大陸中を探しても見つからないだろう。
おめでとう、お幸せにといくら祝福しても飽き足らない。ただし自分がマウリシア王国を代表する大使として赴いている時でなければ。
この二人が無事に結ばれるために超えなくてはならない政治的障害の数を考えただけで、バルドはいっそ母のように暴力で片を付けるという誘惑に身を委ねたくなるのだった。
「早く君のドレス姿が見たいな、フランコ」
「私もおしゃれした最高の私の姿を見せてあげたいよ、テレサ」
「なんたるバカップル!少しは人目を気にしろ!」
「いや、バルド、お前も人のことは言えない」
ブルックス、冷静な突込みをありがとう。
まったく、言っていることはカップルとして少しも間違ってはいないはずなのだが……なぜだろう、激しく頭が痛い。
現状がどれだけ危険か、はたしてこの二人に自覚はあるのだろうか。
少なくともテレサにはあるまい、とバルドは思う。
この女がそんな殊勝な感覚を持っていたら、そもそもこんなところまで同行していないはずであった。
年齢的にも立場的にも、テレサの――――ひいてはバルドたちの命運はフランコ王子の手腕にかかっていると言っても過言ではないのだが……。
テレサに頬を摺り寄せて甘えまくっているフランコの姿を一瞥したバルドは全身の力が抜けたかのようにがっくりと肩を落とすのだった。
王子が暗殺されかかったという事実はサンファン王国内に深刻な動揺を引き起こさずにはおかなかった。
次期王太子をめぐる争いが、ここまで深刻化しているのだという現実を、国王も貴族たちも悟らざるを得なかったからである。
しかしだからといって簡単に争いが沈静化できるほどことは単純なものではない。
二人の王子にはそれぞれの利害によって強力な派閥があり、その対応いかんによってはサンファン王国は隣国のトリストヴィー公国と同様に内乱に陥る可能性すらあったのである。
「もうこれ以上あの汚らわしい雌犬をのさばらせておくわけには参りません!」
フランコ暗殺未遂を第三王子の仕業を決めつけ、もっとも激烈に弾劾したのは第二王妃のエレーナである。
己の持つ唯一の切り札である息子を失いかけたのだからその焦りようも当然であるかもしれない。
事実フランコ王子が亡き者となった場合、彼女には将来にわたって何の権限もない第二王妃という地位のみとなるからであった。
ともすれば第三王子を実力で排除しようと暴走するエレーナをかろうじて押しとどめているのは彼女の父ステファン・デ・コルドバ公爵である。
王国の重鎮でもある彼はここで娘が暴走し、第三王子の殺害に失敗などした日には王国はすぐにも内戦に突入することがわかっていた。
現に軍の陸戦部隊が一個連隊ほど臨戦態勢に入ったという情報が彼のもとにはもたらされていた。
全くままならぬものだ、とステファンは思う。
第一王子が病死したときには、あるいは王国摂政として権力を振るう自分を夢想したこともあったが、現実にはあまりにも問題が山積みすぎる。
そんな危険を犯してまで破滅の危機を容認するつもりはステファンにはない。
出来ればことを荒立てずに地道な多数派工作によって、平穏にフランコを次代の王位に就けたいというのが本音であった。
「なんと不甲斐ないこと!王国を憂う本当の騎士はいないのですか!」
煮え切らない父の態度にますますエレーナは激昂したが、そんな彼女の怒りを一気に吹き飛ばす事態が勃発した。
彼女の息子である第二王子フランコが、なんとマウリシア王国子爵令嬢テレサとの婚約を電撃的に発表したのである。
「私たち、結婚します!」
「えっ?」
「えっ?」
満面の笑みを浮かべた二人を挟んで、国王カルロスとバルドは異口同音に驚きの呟きを漏らしていた。
突然何言ってんのこいつ?と思ったのがカルロスであったのかバルドであったのか、はたまた両方であったのかはさておき、宰相や閣僚たちが見守るなかで宣言した二人は完全に本気だった。
「―――――私の伴侶はテレサ以外には考えられません。どうか結婚のお許しを、陛下」
「お待ちください殿下、これほどの大事、今すぐに決めろというのは無理でございますぞ!」
慌てて宰相が口を挟むがフランコはどこ吹く風とばかりに悠然と笑った。
最初から横紙破りは承知の上のことだ。
「もとより無理は承知。それでも宰相殿、私はテレサへの愛を止めることは出来ぬ。この結婚に反対するならばそれもよし。しかしそれは私に敵対することであることを覚悟しておいて欲しい」
決然と言い放ったフランコの一言は王宮に収拾のつかない混乱を解き放った。
何と言ってもフランコの支持基盤は国内貴族なのである。
マジョルカ王国という他国の血統を排し、さらに著しく拡大した軍部の影響力を削ぐために手を組んだというのに、今さらマウリシア王国の、しかも子爵家の娘を王妃として仰がなければならないとなればいったい何のためにフランコを支持するのか、という話になるであろう。
政治的自殺同然のフランコの宣言に口からエクトプラズムを吐き出して呆然と宙を見つめるバルドがいたという……。
「――――一言くらい相談して欲しいというのは贅沢な望みかな?テレサ」
「すまない。景気づけというか、宣戦布告というか……思い切るためには必要な儀式と思ったんでね」
こめかみに青筋を浮かべたバルドにさすがに悪いと思ったらしく、テレサは素直に頭を下げた。
「テレサを責めないでやってくれ。これはほとんど私の我儘なのだから」
すかさずフランコがフォローに入ると、再びテレサとフランコの間でラブコメな空気が流れ始める。恋は盲目とはよくも言ったものだ。
「僕としてはテレサの引き取り手が見つかったということは歓迎しているんですよ。しかしマウリシアの人間であるテレサと繋がるのであれば、次代サンファン国王はフランコでなければ困るわけでして……」
テレサを后とするフランコがペードロに冷遇され、敵対するようなことがあればマウリシアは政治的にも軍事的にも莫大な負担を強いられるであろう。
マウリシア王国大使として派遣されてきたバルドにとっては、到底無関係とは言えぬ重大事である。
「もちろん君の立場は理解しているよ。しかし私がテレサを王妃として娶るためには即位のために借りを作るのは得策ではないんだ。つまり国内貴族が私を後押しして軍部を押さえつける形で即位―――というのは望ましくない。彼らにテレサを王妃として迎えることを反対するだけの力を与えてしまうからね」
「…………ほう」
思ったよりこの王子先のことを考えているようだ。
バルドはフランコに対する見方を改めなければならないことを悟った。
さすがに幼いころから教えこまれてきた帝王学は王子の血肉となって成長していたということか。
「私も勝算なしにこんな暴挙には出ないよ……ついてはバルド、君に頼みたいことがあるんだが……」
そう言いかけたフランコの背後で、荒々しく扉が開かれ般若もかくや、という怒りに歪んだ形相の女が現れた。
「――――私の可愛いフランコをたぶらかした泥棒猫はどこっっ?」
髪を振り乱し、ギョロリと目を剥いたあまりの恐ろしい形相にバルドは一瞬現実逃避しかけたが、立場上無視することも、問答無用で撃退することも不可能であった。
彼女がサンファン王国第二王妃エレーナであることを、認めたくはないが認めざるを得なかったからである。
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