第五十三話

 ガスッという鈍い音とともに、辻の石壁に矢が突き立つのを目撃した護衛は、すぐさま矢の飛んできた方向に身構えた。
 白昼堂々、王都で王族の暗殺を企てられるなど、サンファン王国の長い歴史を見ても一度もなかった異常事態である。
 その油断が護衛の騎士の反応を中途半端なものにした。
 敵に対して反撃することと、突然身をひるがえして駆け出したフランコを追うことのどちらを優先するか逡巡してしまったのである。
 ほんの一瞬でしかないその隙を見逃すほど襲撃者は甘くなかった。
 奇襲が失敗したならば強襲。
 定められていた計画の通り、変装していた男たちが騎士たちに襲いかかる。
 三人で一人の騎士を襲い、最低でも怪我をさせる。そしてフランコの後を追わせないという目的を襲撃者は見事に果たした。
 彼らの組織的な襲撃を粉砕するには、護衛としてつけられた騎士の数が少なすぎたのである。

 ――――――サンファン王国の騎士に限っては。

 見かけだけはどこにでもいる一般人の格好をした刺客にもっとも速く反応したのはバルドとブルックスであった。
 彼らがマウリシアから派遣された技術者であると信じていた刺客は、全く予想外の反撃にほとんど抵抗らしい抵抗も出来ずに次々となぎ倒されていった。

 「やれやれ、いったい誰が疫病神なのやら」
 「……聞いても落ち込まないなら教えてやってもいいぞ?」
 「認めたくないものなのだよ。若さゆえの過ちではないけれど」

 言葉とは裏腹にバルドは焦っている。
 フランコの行動が偶発的なものであったために、追跡するのが遅れた。
 まるで本能に突き動かされるようにテレサもついていったので、この程度の刺客におくれをとることもあるまいが………。

 (どうにも嫌な予感がする……)

 仮にも王族、しかも次期王太子の有力候補を暗殺する刺客がこの程度の技量であるはずがない。
 もちろん飛び道具ならばある程度の技量の差は埋められるが、こうして撤退ではなく強襲を選んだ以上彼らにはなんらかの奥の手があるはずだった。
 バルドは自分の勘、というか危機察知能力に一定の信頼をおいている。
 その彼の第六感が明らかな危険を訴えている以上テレサとフランコが危険であった。
 ましてその相手がバルドにも殺気と気配を掴ませないほどの実力を持っているのならなおさらである。

 「…………死ぬなよ、テレサ」

 バルドたちを騎士に勝る標的と捉えた刺客たちが殺到する。
 右手で剣を、左手でナイフを握ったバルドは無造作に二人の刺客を同時に突き殺した。
 明確に命を奪うことだけを目的にした戦い方が、何よりバルドの焦りを雄弁に物語っているのかもしれなかった。





 突然の不意打ちに思わず本音が零れたことにフランコは穴があったら入りたい羞恥にかられていた。
 花を髪に飾られて、似合うね、なんて甘い言葉に顔を赤らめながらありがとう?
 私は何をやってるんだ!やり直したい、なかったことにしたい、いっそ死んでしまいたい!
 それでも真顔で似合うと言ってくれたテレサの顔が脳裏にちらついてしまって、フランコは首筋まで赤く染まったままブンブンと首を振った。
 これ以上考えたら駄目になる!私が私でなくなってしまう!

 ―――――――ゾクリ

 背筋に氷柱を突き刺されたような悪寒を感じたのはフランコの生存本能のなせるわざであったろうか。
 何か冷たく鋭いものが、自分に襲いかかる感覚に無意識にフランコは首を竦めて後ろを振り向く。
 そこには嬉々として剣を振り下ろさんとする死神がいた。

 「いやあああああああああああああ!!」

 致死の斬撃を目の前にしてまるで幼子のようにフランコは頭を抱えて叫んだ。
 王族として恥ずかしくないだけの剣の稽古も積んできたはずだった。
 王子として恥ずかしくないだけの教養と覚悟を備えたつもりであった。
 しかしあまりにも絶対的な現実として死を眼前に見せつけられたフランコには抵抗するすべが思い浮かばなかった。

 「――――させない!」
 
 澄んだ金属音とともに刺客の斬撃は弾き返された。
 荒い息を吐きながら少女は刺客を全身全霊の力を込めて睨みつける。
 いかに身体強化しているとはいえ、この化け物を相手にするためには腹の底から気力を振るい絞る必要があったからだ。
 
 「くっくっくっ……命がいらぬか、餓鬼め」
 「僕の可愛い姫君に手を出させるわけにはいかないな!」

 ――――――ドクン

 凛としたテレサの宣言に再びフランコの胸は高鳴ってしまう。
 私は王子なのに……剣をとって彼女を守らなければならないのは私のほうなのに!
 どうしてこんなに胸が熱いのか。
 自分の命が危ういこの修羅場にあって。

 楽しくて楽しくてたまらぬ、とバルトロメオは嗤った。
 とてもいい目だ。挫折を知らぬ自分の正義のために何のためらいもなく命を投げ出せる若者の目だ。
 ―――――だからこそ、どんな決意があろうと、どんな正義があろうと、どれほど大切に守りたい者がいたとしても、理不尽な暴力の前に全てが奪われていく絶望を味あわせることには意義がある。
 所詮この世は力なきものは奪われる理に出来ているのだから。

 テレサも態度ほどに余裕があったわけではなかった。
 腕には自信があるものの、目の前の男の技量は間違いなく自分の上を行くであろう。
 フランコの身を守るためにはどうやら命を捨てる覚悟が必要なようであった。

 「楽には死なせん。お前の命のあるうちに王子の命を刈り取ってやるぞ」
 「姫君を襲う暴漢は正義の騎士に倒されるものだろう?」
 「劇場の役者であればそうかもしれんな」
 「人生は神の作った劇場という言葉を知らないのか?」

 皮肉を応酬する間にも激しい剣戟が交わされた。
 明らかに技量がうえのバルトロメオの剣を完全に防ぎきることは不可能である。
 たちまち皮膚を切り裂かれテレサの白い肌が鮮血に染まった。
 かろうじて致命傷だけは防ぐものの、バルトロメオが本気であれば簡単に深手を負わせることが出来ることをテレサは肌で感じ取った。

 (甘いな、それで僕の心が折れると思ったか)

 絶望的な実力の差、そして増えていく負傷にジリジリと命を削られていく状態でなお戦意を保つことは難しい。
 だがテレサは知っている。
 そんな絶望的な状況をひっくり返すだけの鬼札(ジョーカー)の存在を。
 自分はどれだけ醜くとも、見苦しくとも、その鬼札(ジョーカー)の到着までフランコさえ守り抜けばいい。

 「やめて!もうやめて!何が望みなの?お金ならいくらでも…………」
 
 泣き叫ぶフランコを見てバルトロメオは心地よさそうに舌で唇をなめた。
 そうだ。あがけ!死ぬそのときまで期待と絶望を抱いて逝け!

 「大丈夫……貴方は僕が守るから」

 血の気が引き始めた蒼白い顔で、それでもテレサは微笑む。
 少しでもフランコが不安にならずにすむように。

 「気に入らんな……」

 先ほどからもう一人の獲物がバルトロメオの期待を裏切り続けていた。
 もう十分に腕の差は理解しているはずだ。
 二人の力量の差がわからないほど、この若者の技量は安くはない。
 防御に徹していればバルトロメオほどの男でも多少てこずる程度には腕が立つと言ってもよい。
 にもかかわらず全く戦意を失っていないどころか希望すら抱いているということがバルトロメオには気に入らない。全く気に入らない。
 
 「貴様程度の腕でこの俺が止められるとでも思っているのか?それとも味方が駆けつけてくれるとでも?愚かな。すでにあの護衛は一人残らず殺されておるよ。異変を聞きつけて衛兵が駆けつけるまで優に半時はかかるであろう」

 この時のためにバルトロメオは王都で活動中の配下のほかに、殺しを生業とする腕利きを数人用意していた。
 彼の見るところあの護衛の騎士の腕なら、王都の貧民で構成された最下級の傀儡でも十分倒せるはずであった。
 
 「ならばあと半時僕の可愛い殿下をお守りするのが騎士の役割というものさ」
 「笑止!」

 完全に期待を裏切り続ける少年をもはやこのまま嬲る必要をバルトロメオは認めなかった。
 先ほどまでの消耗を狙った攻撃から、即座に致命傷となる致死的な攻撃へと戦い方を変えバルトロメオは猛然とテレサに襲いかかる。
 それでも悠然としたテレサの表情は変わらなかった。
 生死を超えたところを見つめているようなテレサの凛然とした顔にフランコは胸が締め付けられて涙が溢れるのを抑えることが出来なかった。

 「お願い!誰か……誰かテレサを助けて!」

 祈るように両手を握りしめて絞り出したフランコの言葉に、ほんのわずかバルトロメオの剣先が鈍った。

 「女……だと?」

 テレサの心臓を狙っていたその一撃は、あるかないかほどのバルトロメオの逡巡のためにテレサの鎖骨脇を貫くに留まったのである。
 糸の切れた操り人形のように仰向けに倒れるテレサを反射的にフランコは抱きかかえた。
 かろうじて急所をはずしているとはいえ、このままでは失血死は免れないのは一目瞭然であった。

 「……私の命は差し上げます。だからせめて彼女を治療する時間をください!」

 冗談ではない、とバルトロメオは鼻で嗤う。
 自分の想定とは違ったが、これはこれで楽しめる絶好のシチュエーションだ。
 たっぷりと後悔と絶望の涙にくれてもらおうではないか。

 「大丈夫……ご心配なさらず……間に合いました。もう大丈夫です、愛しい殿下」
 「テレサっ!私の騎士!」


 決して負け惜しみではない表情で、テレサは自分を抱きしめるフランコの胸にくたり、と体重を預けた。

 「…………あとは頼んだよ、バルド」

 同時に叩きつけるような圧倒的な剣気を背中に感じたバルトロメオは反射的に横っ飛びして背後を振り返った。
 全身から冷や汗が噴き出るほどの、間違いなく数え切れぬ命を奪ってきたものだけが持つ剣気であった。



 『ようけ気張ってんた。あとは任しね(よく頑張った。あとは任せろ)』



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