貫洞沙織さんと交際していた思い出を本人の「記事を公開することもやぶさかではない」という意思を得て掲載しています(
「やぶさかではない」とは)。
貫洞沙織さんとの関係のはじまり
ケイ・ソリューションズ株式会社の社長で千葉県を中心に全国のauショップで接客業や人材派遣業をされている貫洞沙織さんと初めて知り合ったのは昨年12月の虫オフ会です(参加者は貫洞さんと私だけ)。
(第二回虫オフ会での私とかんどーさん)
auショップの店員さんは実際にはKDDI社員はあまりいなくて、幾つかの人材派遣会社がオペレーターとして派遣して接客業務を行っています。派遣会社とオペレーターとの契約も業務委託で外注契約であったりします。auショップで見た目の年齢の割には不慣れな店員さんがいたら研修まもない派遣会社の人かもしれません。
KDDIのauショップに人材派遣会社がオペレーターを派遣する場合には服務規定が存在して、共通の名札をつけなければいけない、契約者情報を不正に閲覧してはならない、服装は共通などの決まり事があります。見かけ上はauショップの店員として全員同じなんだけど、複数の人材派遣会社がいたりします。そのような仕組みで人材派遣を行ったり現場で接客されているのが貫洞さんのお仕事です。
auショップは各店舗ごとの契約や売上の情報をリスト化して、売上の悪い店舗にはKDDIのノルマがあったりします。そのため、そういう店舗には人材派遣会社もベテラン級の人材を派遣してテコ入れをはかったりします。家族で契約を勧めたり、タブレットを売ったり(ポイントがつく)、auひかりとか。月末になると、かんどーさんもベテランとして現場に行ってテコ入れをする機会も増えたりします。
後から聞いた話では第一回の虫食のオフ会で貫洞さんは「あの時にお持ち帰りされても断らなかった」と思っていたそうです。
しかし私が積極的に貫洞さんを誘うことはしなかったため、九州で彼女募集記事を書いたはてなブロガーに会いに行って、2回目からセックスをする関係になり、九州出張を口実に2人で逢瀬を重ねていたセフレ関係でした。
貫洞さんととつきあいだしたのは今年4月で、ブログでは彼女募集記事を書いたときです。
正確には「共依存の人が募集してくるように彼女募集記事を書こうと思います」とTwitterの4人のグループ(グループ名は「変態会」)に投稿したときに 深夜に貫洞さんから電話が掛かってきて、「共依存に惹かれた。彼女になりたい」と言ってくれて記事を出す前に告白を受けていたのでした。
その頃には貫洞さんには事実婚の夫(三田詒智郎さん。ケイ・ソリューションズの役員)と九州のセフレと、そして私がいました。貫洞さんと三田詒智郎さんは、三田さんの健康の関係でずっとセックスレス状態が続いているとのことでした。
貫道さんから「体の相性を確かめたい」ということで私と貫道さんは円山町でセックスをしました。そして三田詒智郎さんとどう離婚するかは今後考えるけれど、貫洞さんを三田詒智郎さんのところから連れ出す気持ちがない九州のセフレとは別れると言っていました。
貫洞沙織さんと渋谷の自宅(2人の通称:愛の巣)でセックスした後に撮影した写真
貫洞沙織さん用に買っていたおもちゃなど。
過去にSM系デリヘルでも働かれていらした貫洞さんはマゾだったので、SM系のおもちゃをいくつか購入しました。拘束具やムチやイチジク浣腸などです。貫洞さんは電マでオナニーをするのが好きと言っていたので、電マも購入しました。
あと媚薬も試したいとのことで、オオサカ堂で売っている媚薬も個人輸入で購入しました。
貫洞沙織さんと京成バラ園
ケイソリューションズの代表取締役の貫洞沙織さんと一緒に京成バラ園でデートした時の写真です。
一緒に宿泊したのは八千代緑が丘のアパホテルです。夜はヤリまくりで、野外フェラもしてもらいました。
「離婚してきたよ」
ある時期、自分がすごく落ち込んでいたときがあったのですが、その時に貫洞さんが家まで駆け付けてくれて、「旦那と離婚してきたよ。これから一緒に住もう」と言ってくれました。
事実婚だったので、その話が成立した時点で離婚が成立したと思っていました。ただ、荷物や車などの名義や整理のために朝霞に何度か戻りたいと言っていました。
週3ペースでセックス・種付け・野外フェラ
貫洞さんは朝霞の家にはあまり戻らなくなり、渋谷・円山町の私のマンションに泊まって、そこから出勤する日が増えました。だいたい週3〜4日は一緒に過ごして毎晩ビールを一緒に飲んでいました。
それ以外にも貫洞さんが八千代緑が丘などのauショップに出張する時は、私も移動して一緒にアパホテルなどのホテルに泊まってセックスをしました。貫道さんはピルを飲んでいるので、毎回生で中出しをしました。
実際に子供ができるわけではないけど、貫洞さんは「種付けしてほしい」と懇願していました。
虫オフの前にも会ってセックスしていたため、私が中出ししたままの状態で虫会に参加したりしていました。
後から聞いた話ですが、三田詒智郎さんは家事全般を引き受けていたため、貫洞さんの下着に精液がついているのを見つけるなどして私の存在に気づいていたそうです。
八千代緑が丘では近くのマンションの駐輪場で貫洞さんに野外フェラをしてもらいました。野外撮影の経験はあるけど、野外フェラは初めてとのことで、「不思議な一体感があった」と言っていました。
貫洞さんからのお願いで、渋谷の愛の巣の合鍵もつくって渡しました。
性欲に溢れたかんどーさんの記事:
貫洞沙織さんと台湾旅行
貫洞沙織さんと5月15日のJetStarのGK11 Jetstar Japan Airbus A320で台北に行き、台南のゲストハウスとエバーグリーンホテルの同じ部屋に泊まりました。帰りは新幹線。5月20日のGK12 Jetstar Japan Airbus A320で日本に帰国しました。
帰りの空港でケンカしてその時に、私の写真は大部分捨ててしまいました。
以下は私が撮影した写真です。

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その時に台南から間違えて持って帰ってきてしまった足つぼマッサージの服。
台湾旅行でのおしっこ掛け合いの誓い
台南の最終日に三田詒智郎さんさんから彼女名義のクレジットカードの明細送付先変更とメールが送られてきました。貫道さんのクレジットカードは全て三田詒智郎さんが管理しています。
その時のメールは読んでいませんが、貫道さんから「私を幸せにしてね」と泣きながらお願いされて、「幸せにする」と約束しました。貫洞さんも私との子供がほしいと言っていました。
2人の愛の誓いの証として、エバーグリーンホテルでの最終日にお風呂場で2人でおしっこを掛け合いました。アンモニア臭以外に台湾味噌の香りがして2人で笑いました。貫洞さんは私のおしっこを浴びる時に少し飲んでくれました。
また「私の排便姿を見てほしい」と申し出てくれて、貫道さんがトイレで排便するのを見せてくれました。
新しい愛の巣の物件探し
日本に帰宅してから、貫洞さんは離婚してマンションを出て行く話を正式に三田詒智郎さんから了解を得たと言っていました。
それと同時に2人で一緒に暮らす物件探しも始めて、貫洞さんの仕事への通いやすさから日暮里、または貫洞さんが気に入ってくれた円山町の物件などを不動産会社をあちこち一緒に見て回りました。
いったん日暮里・西日暮里の近くを2人で見て回った時に良さそうな物件が見つかり、貫洞さんが社宅名義にするため仮申込みを行いました。
しかし、その物件は隣が新聞配達所で朝がうるさそうなのと、1階のゴミ置き場に難があって、貫洞さんの方で解約しました。
そんな中、貫洞さんの友人が池袋のマンションをしばらく空けるというので、そこに7月から2ヶ月間は貫洞さんが住んで、そこから私の部屋に通うということで話がまとまりました。
それで2人暮らしの様子を見て一緒に暮らす物件を落ち着いて改めて探そうと。
7月にもう一度台湾に行きたいと貫洞さんが言っていて、台湾に行く約束もして航空機の予約も一緒に取りました。
貫洞さんのスマホとタブレットの没収
三田詒智郎さんとは離婚する前に最後の思い出に貫洞さんと椿山荘に行く約束になっていました。それが最後のイベントだと貫洞さんは言っていました。
三田詒智郎さんと行くのは嫌だけれど、そこに行けば円満な離婚ができるようになると言っていました。椿山荘では今後に関しては前向きな話し合いが出来たそうです。
その後、貫洞さんは八千代緑が丘に出張で、私はリモートワークができるので、貫洞さんからの提案で八千代緑が丘に3泊しようという話になっていました。
しかし一昨日になって、貫洞さんが寝る前の薬とアルコールを多く飲み過ぎたようで(彼女はメンヘラでいくつか鎮静系の薬を常備している)、記憶はないけれど今までの私とのTwitterのDMでのやり取りを三田詒智郎さんに全て見せてしまったようです。「『私のことを嫌いになって』と見せたのだと思う」とかんどーさんは言っていました。
朝になって目覚めたときには、貫洞さんのスマホとタブレットは没収されて初期化され、貫洞さんはガラケーだけになりました。また三田詒智郎さんが八千代緑が丘まで帰りに送り迎えに行くという話になりました。
「嫉妬が出てしまうのは彼なりに自分の正直な気持ちだと思うし、私の気持ちは何も変わっていないから今回は譲ってそれに応じることにする」と貫洞さんは言っていました。
私は嫌な予感がして、今後の計画は全てバレてしまったのだし、ここで貫洞さんが覚悟を決めなければ「譲る」という状態がいつまでも続いて別れられなくなるのではと思いました。
三田詒智郎さんからの電話と恫喝
私が「それは断固拒否してほしい。自分が八千代緑が丘まで行って三田詒智郎さんと話してもいい」と話しました。
貫洞さんは「クライアントの前で修羅場は避けたいから、齊藤さんの家に行くようにする。三田詒智郎さんからもそれで了解をもらう。三田詒智郎さんには来ないように言う。もし仮に三田詒智郎が来ても振り払って齊藤さんのところに行くよ!」と電話とSMSで話してくれました。
そして三田詒智郎さんからその了解をもらったと後から連絡がありました。
私は臨時でノートパソコンを渡す必要があると思い、「Windowsが良い?Macが良い?」とSMSでかんどーさんに聞きました。かんどーさんから「Macが良いかな」という答えが帰ってきたので、私のMacBook Airを初期化して、BootCampでWindowsとMacがどちらも起動できるようにして、それぞれにOfficeをインストールして初期設定を行いました。
しかし、三田詒智郎さんはその「クライアントの前で修羅場は避けたい」というかんどーさんの意向を無視して、八千代緑が丘のクライアントのauショップの前まで貫洞さんを車で迎えに行きました。「渋谷まで送っていくよ」と貫洞さんを車に載せたそうです。そこで「僕は死ぬよ」と自殺の意思を話して、貫洞さんはそれを防ぐために三田詒智郎さんの言うことを聞くことになり、自分の携帯を三田詒智郎さんに渡したそうです。
私は貫洞さんが仕事が終わる頃をみはからって東急本店の地下で寿司を買って待っていました。貫洞さんが無事に帰ってこられたお祝いとお仕事の慰労をしようと大トロの刺し身とビールもデパ地下で購入しました。
そうしたら貫洞さんの番号から電話が掛かってきました。取ってみたらかんどーさんではなく三田詒智郎さんからでした。
「これ以上、彼女に連絡を取らないように」「それは本人の意思ですか?」「いや、本人の意思と言うよりも常識で考えてそういうことだ。以降連絡を取らないように。そうすれば大きな話にはしない。貫洞にはこれから外出させずに内部で仕事をさせる」と恫喝されました。
それ以降、貫洞さんとは全く連絡が取れなくなりました。僕は彼女の携帯・メール・SMS・スタートページ(私が作成した貫洞さんパソコンの初期ページ)・ケイソリューションズ株式会社へ電話などあらゆる手段を使って「今すぐ逃げておいで」と伝えました。しかし、貫洞さんから連絡が返ってくることはありませんでした。
合鍵の返却
数日してから、「ごめんなさい、やはり私は夫から離れられません」というメールが着ました。そして合鍵を返却してもらうことになりました。
貫洞さんから合鍵の返却があったときの封筒
その後も貫洞さんと会っていました
その後もスポーツジムへ行くこと、イベントに参加すること(市川のコルトンプラザ)、ポケモンGOをやること(上野)などを三田詒智郎さんへの外出の口実に使って、貫洞さんは私と会ってセックスをしていました。
以前、匂いで私と会ったことが三田詒智郎さんにバレたそうで、帰るときには貫洞さんは消臭スプレーで匂いを消していました。
池袋北口でタバコ臭いラブホだった時は「取引先のauショップの店長とカラオケに行っている」と三田詒智郎さんに電話して、服がタバコ臭い理由をつくっていました。
貫洞さんは7月の台湾旅行に予定通り出発していたのですが、台湾の高雄の空港で私が来るのを待っていたそうです。私はキャンセルしたものと思っていて向かっておらず怒られたのですが、貫洞さんは台湾旅行中、毎晩facetimeで私と会話をしました。
貫洞さんの出張に同行する機会も増えて、日暮里、松戸などで会ってセックスをしていました。池袋北口や市川で会って心霊が出るという噂のホテルに2人で泊まったり。
以下はスポーツジムに行くと言って出てきてくれた貫洞さんと渋谷の坂内でラーメンを食べた時の写真です。
貫洞さんからは「できちゃった結婚で既成事実を作ったほうが離婚できるのもスムーズかなー?」と聞かれたりしていました。
アナルセックス・排便鑑賞
貫洞さんは私への愛情の証に今まで経験したことのないことをしたいと言っていました。それは具体的にはアナルセックスでした。
アナルセックスの場合は浣腸などで腸内を洗浄したほうが良いのですが、イチジク浣腸を入れたら貫洞さんが「私が排便するのを見ていてほしい」と言ってくれたので、トイレで排便するのを一緒に見ました。
私は彼女のアナルにローションを塗り、アナルディルドーで優しくアナルを拡張しながら、最後には自分のものをアナルに挿入しました。
彼女のアナルを初めて奪った瞬間でした。
「齊藤さんの出したものも頑張れば食べられるかも」と言われていたのですが、初心者には難度が高い行為なので行っていません。
旦那さんと別れ話が成立した&再度の物件探し
貫洞さんは八千代緑が丘の一件以降、三田詒智郎さんと離婚が成立するように冷たく接していました。
私が色々あって8月10日に実家に帰ることになった時も、8月8日と9日に渋谷で会ってセックスをしていたのですが、「お願い、いかないで!」と言われ、「もう少しで夫との別居の準備が整うから。そうしたら必ず迎えに行く!」という話も聞きました。
私のクライアントとの対応の都合で8月末に実家への引っ越しが伸びたのですが、8月半ばになって貫洞さんから三田詒智郎さんとの別れ話が成立したとの連絡がありました。
ただ、三田詒智郎さんから「離婚して別々に暮らすまで整理に専念すること」という話があって、貫洞さんはそれを「最後まで夫婦らしく、浮気相手に会ったりするなよという意味だと思う。円満な離婚のためにそれは従っておきたい。たった1ヶ月の辛抱だから」と僕と会うのは八千代緑が丘か物件探しのときだけに減らしました。
そこで二人の生活を開始するべく、貫洞さんの現場に近い青砥で物件探しをして、タウンハウジング青砥店で気に入った物件が見つかったので仮申込みを行いました。駅から徒歩1分で、現在かんどーさんが通っているスポーツジムの系列店も近くに隣接しているため、2人で中を見学させてもらいました。そして「ここに住んで2人で家族になろう」と決めました。
貫洞さんからは社内で社宅として借り上げる手順が整ったこと、貫洞さんと三田さんがケイソリューションズの役員達の前で離婚を説明したことを聞きました。
かんどーさんいわく、「役員たちの前で二人ならんで、離婚の事実を伝え、今後も仕事は今まで通りやるから、心配しないでと伝えたんだけど、それを見ていた税理士が、「仕事の面では協力する、というのは会社にとって最善の選択だったと思います。どんな経緯かはわかりませんが、二人とも立派ですよ」と言ってくれた。 今回、齊藤さんを待たせてしまった理由がこれで、会社がぐちゃぐちゃになるのとかは嫌だった。ああ、思ったように生きていけるかもって思ったよ」と聞いて安心していました。
私の相馬の実家にも2人で一緒に住む挨拶をしに行くことになりました。貫道さんの車で当初は9月5日〜6日を予定していたのですが、貫道さんが8月30日に茨城へ出張のため、それに合わせて私が水戸まで移動して一緒にホテルに泊まり、翌日に実家に挨拶に行く話になっていました。
私の実家へ挨拶に行くことは三田詒智郎さんも了承済みと聞きました。かんどーさんから相馬のホテルは知らないから、私の方で押さえていおいてほしいと言われて予約を入れました。
ただ、やはり6年間つきそってきた三田詒智郎さんとの別れは辛い・日増しに三田さんの具合が悪くなっているという話を聞きました。私も一度離婚を経験しているので、その辛さや重苦しさは理解できるので、出勤で最低限必要なものを持って渋谷から通勤することを提案したのですが、「それよりは新居に住む準備を優先したい」と貫洞さんは言っていました。あと、「いまは夫婦生活を続けている方が円満に離婚できると思う」と。
私も貫洞さんの恩人の三田さんを大事にしたほうがいいと思って、「一緒に暮らし始めるまでは三田さん優先でいいよ」「一緒に暮らし始めても、もし看病が必要な時はいつでも朝霞に駆けつけてかまわない」と話していました。
「あと1か月で一緒に家族になれるよ」と家族になるにあたっての決まり事も2人で話していました。
突然の新居のキャンセル
引越し日も確定して、9月10日に私がまず青砥に引っ越して、9月12日に貫洞さんが赤帽で引っ越しすることに決まりました。9月11日は私の誕生日なので、1日遅れですが、誕生日と新生活のお祝いを兼ねて2人でケーキを食べようと話していました。
結婚してから最初の1年はお互いに愛し合って、2年目から妊活・子作りに挑戦したいと貫洞さんが言っていて、僕もそれで良いと答えました。子供の名前の案も2人で出し合っていました。
また、かんどーさんから「私が毎晩夜伽をするから、齊藤さんの世界のお話を沢山聞かせてほしい」と『千夜一夜物語』のシェヘラザードのようなお話もありました。また、「体調が悪いなら私の方で稼いでくるから、一緒に暮らし始めたらしばらく休んでいてもいいのよ」と言ってくれました。
かんどーさんは手料理にも挑戦したいと言っていて、色々な料理のリストを出しながら、何を作ってほしいか私に聞いたりしました。
そんなある日、その日も私と貫洞さんは誕生日のお祝いのケーキの話をしたり(巣鴨のケーキ屋さんでメロンケーキがいいかイチゴケーキがいいか聞かれました)、貫洞さんの友人に私達が付き合っていることを話したと聞いて、私も「ネットで一緒に暮らすことを書いていいよ」と言われました。
でも、その数時間後に貫洞さんから電話がかかってきて、「やはり夫のそばを離れられない。今回のことは白紙にする」とのお話がありました。
貫洞さんから「何か問題があったら事前にお互い相談しようね」と言われていたけど、最初に結論ありきのお話でビックリしました。
後になってから、「あの時は2人で生活することでスポーツジムにも一緒に行かなければならないとか2人の時間が長くなることの不安でパニック状態だった」という話を聞いたのですが、「一緒にジムに行こう」と話していたのは貫洞さんの方です。
お互いの生活時間帯が違うからスポーツジムに一緒の時間に行く必要はないし、一時的なパニック状態ならばキャンセルを止める機会は幾らでもあったはず。そうならなかったのは、そういう意味だと理解しました。
ここでもかんどーさんに裏切られてしまい、青砥で一緒に生活をするという夢は全て消え去りました。私は既に渋谷の愛の巣の退去日を不動産会社に連絡していたため、 9月10日に相馬の実家に帰ることになってしまいました。
何となくの結論
九州のセフレは貫洞さんを連れ出す意思がないから貫洞さんから切られ、私は貫洞さんを連れ出そうとしたから貫洞さんから切られました。
でも9月に話した感じだと、心は三田さんのところにはないそうです。
9月になっても…
そんな8月の修羅場が終わり、9月になっても、貫洞さんはこんな感じでTwitterのDMにハートマークをつけてくれたりするので、また誘えば何かあるかもですが、自分も誘う気力はないです。
9月8日に私の誕生日祝いも兼ねて三田詒智郎さんには内緒であって、巣鴨のケーキ屋さんで一緒にケーキを食べようという話になりましたが、貫洞さんから「泣かない?」と聞かれて泣いてしまいそうだったので私の方からキャンセルしました。巣鴨の反対側はラブホ街なのでやっちゃうだろうし。
そうしたら「渋谷の自宅でもいいよ」と言われたのですが、新居で暮らすはずだったのに貫洞さんが朝霞に帰っていく姿を見るのが辛いのでそれも断りました。
たぶん秘密を守れる既婚者の相手を見つけたほうが良いと思います。
最近はiPhone7やタブレットの販売でKDDI系列のauショップでの接客業がお忙しいと思いますが。
私はもう重大な約束を破るタイプの女性とはつきあう気にはなれないなと思いました。
事実婚の三田詒智郎さん
あとは事実婚の三田詒智郎さんが貫洞さんを幸せにしてくれるのかもしれません。
今まで何度も離婚が成立したと貫洞さんから聞いていたので、事実婚の境界が曖昧で離婚と再婚を繰り返していたことになると思いますが。
そういう曖昧な事実婚状態だと離婚に合意しても、いつまでも婚姻関係が続いていることになって、好きになった人に離婚を伝えて交際しても不貞関係に出来てしまいます。
実際にかんどーさんは何度も離婚や別居が成立したと話しており、離婚届を出す必要がない事実婚を悪用して「婚姻関係を継続にし直す」という手口を使用しています。
このように事実婚の定義や期間を曖昧にして何度離婚が成立しても婚姻継続であったことに出来る手口は、夫婦別姓やLGBTなどの理由で事実婚を選択している方々に対しても大変失礼なことだと思います。
愛が収まったのではなかった!性欲が収まった
かんどーさんはこの件に関して「愛が収まったのではない」「性欲が収まった」と書かれています。
「離婚してきたよ」を餌にしたヤリ捨ての女性バージョンなのかなと。貫洞さんは賢者タイムに入りました。
愛が消えたんじゃない。わたしの中から立ちのぼる性欲がおさまったんだと思う。わたしはあの頃の自分の精神状態を思い出すことはできても、同じ気持ちにはなれない。熱にうかされた恋に冷めたといわれてしまえばそれまでなんだけど、どうもそういうわけでもない。
やっぱり、あの時期のわたしは何かトクベツな状態になっていたと思う。それは繁殖期だったのかもしれない。オスのにおいを強烈に放っているあの人に近づいたのも、本能だったのかもしれない。
オスを求めているときは、オスらしければオスらしいほど、いい。
やさしさよりも強さを。気づかいよりもわがままさを愛しいと思う(気遣いも嬉しかったけど)。力強く、生命力に満ち、未来を感じさせてくれるオスにわたしは発情した。欲望のすべてが泡のように空間を満たし、はじけていった。
わたしはもう、あの時期を経験することはないのかもしれない。繁殖もしないだろう。だからといって生きるのをやめるわけではないし、考えることもやめない。わたしの生活を「守りに入っている」と言うのはちょっと違う。恋愛の面で攻めていなくとも、別の意味で攻めてる。一生守りになんて入れないだろう。停滞の一時休止時間は作ることがあるけど。
かんどーさんから以前受信したメールの引用
思い出はわたしが(つたないカメラの腕で申し訳ないけど)撮ってあるよ。
次回は喧嘩せずに帰国したいな。
たぶんだけど、一緒のおうちに帰ることになれば、もうちょっと違う気がするんだよね。うん。
優しい齋藤さん、大好きです。
打ち合わせがんばってね。
無理して一緒に来てくれてありがとう。
それじゃあ、月曜に会おうね。
焼き鳥、食べにいこっか。
だから、わたしはもうSNSやらない。LINEも嫌いだからやらない。
わたしは今日、夫と話をして、きちんと離婚すること、引っ越すことを了承してもらった。
いじけてSNS削除しただけじゃないんだよ(笑)
やることやってすっきりしたら、なんだかネガティブな感情をあの素敵な 物件に持ち込みたくなくなって。
美味しいお店いっぱい探そう。
楽しい場所いっぱい行こう。
自分にできる仕事を精一杯やろう。
わたしはわたしなりに、こうやって迷いながらも答えを出して、
ちゃんと前向いていくつもりだから、こんなんで良ければ一緒になってね!
じゃあ、またね!
その後、夕食をとりながら今後について話をした。
騙し騙し話をすすめても良かったのだけど、もう自分の気持ちを正直に話したよ。
まだ相手の承認は得られていない(相手に思いは伝えていない )けれど、
一緒に暮らしてみたい相手がいる、と。
それは理解してくれるとのことで、夫の体調が落ち着いたときに、
今後どうするか具体的に考えようという話でまとまった。
ちなみに、日暮里の物件、今日再訪してみたんだけど(入口に鍵がある物件は許可さえ取れば一人で再度内見可能)
入口のゴミ置き場がかなり乱れていたのと、1階が新聞屋であることの想像力を働かせてみた。
たぶん朝の3時頃からうるさくなって、5時、6時もうるさいと思う。
あと新聞屋で働く人ってガラが悪いことが多い。ゴミで入口が荒れているのも良くない気がした。
お部屋はとても綺麗だし残念だけど、この部屋は一旦キャンセルすることにしたよ。
わたしは決定するのは早い( 押さえに入るのは早い)けど、その後何回か一人で見に行って、
ほんとうに大丈夫か確認してから住むんだ。
だから今回もいつもと同じ流れだよ。
日暮里というエリア自体、多少下品というか、雑多なところなので、
物件探しは難しいかもしれない。
むしろ、千葉の八千代緑が丘なんかの方がきれいで駐車場もつくかも。
…なーんて考えていると、住むところが決まらないんだよねぇ。
ただ、引っ越しを2回するのは疲れるから、次に住むところは
一緒に住む前提で考えよう。
ただし、早すぎるとまずいから、夏は越さないとだめ。
それまでの間は、土曜と日曜の夜に泊まりに行く。あとは平日に会ったりしよう。
そんな感じでこれからしばらく付き合っていけ たらと思っています。
本格的に一緒になれるのはもう少し先になるけど、
気長に待ってくれますか?
お互いを縛りあうような付き合いにしたくないなって思った。
そうしないと、会社を大きくするのに弊害が出そう。
わたしたちが一緒になることで、幸せな人を増やしたいと思うから、
これからいろいろすりあわせていこう。
さいちゃん
さっき帰宅した。夫は横になったままだけどあいさつをして、シャワーを浴びて荷物を片付けていた。
部屋の掃除をして、それからおみやげを整理した。
会えるかわからないのに、齊藤さんに渡すおみやげをみつくろって、
何種類かを詰め合わせている自分に笑った。
今現在、夫と齊藤さんを選ばなければならない状況になっていて、
夫に対しては「最後まで看取らなければ」という気持ちと、今までの恩返しをしなければという気持ち。
人間らしい感謝や返報性の感情だよ。
周りから夫婦と見られている状況で固定されているので、安定しているというのもある。
対する齊藤さんは、わたしの人生に現れた、愛する人なんだよ。嫌いなところもたくさんあるし、嫌な面もあるんだけど、仲直りしてニコってさいちゃんが笑うと、
もうそれまでのケンカがどうでもよくなるくらいうれしいんだ。
こんなに嫉妬するのも珍しい。本来わたしは「病気もらってこなければ風俗も浮気もご自由にどうぞ」タイプだし、
相手から見下されていると感じたらイヤだからサッと離れる。
こんなに本音を言って分かり合おうとなんてしない。面倒だから。
どんな人生が幸せなんだろう。
齊藤さん
ごめん、言い過ぎた。
けど、こういう喧嘩も乗り越えたいよ。思ったことは言いたい。
また全部暴露してもいいけど、それだと何も変わらない。
ネットなんかのことより、これからのことを考えようよ
齊藤さん!
機嫌がコントロールできないんだよ。。
これで終わり?
嫌だよ! 電話に出てください。。
もう一回、話したいです。
齊藤さん
鳥貴族中にごめんね。
こんな感じのやり取りをしているよ。
齊藤さんの気になる物件も、当日見たいね。
駐車場も面倒見てくれそうだし、ライオンズマンション(めっちゃ綺麗で駅近い)で駐車場も借りて…の線がいいかもねー!
それではね!
青砥で暮らす話が進んでいた時の貫洞さんのTwitter DMより引用