Jリーグでは主流も、日本代表ではなじみの薄い4-4-2。基礎的なアイデアを持ち込んだオフト【西部の4-4-2戦術アナライズ】
多くのJリーグクラブが採用してきたにもかかわらず、それほど日本代表では採用されてこなかった4-4-2システム。はじめて4-4-2が導入されたのはオフト時代にさかのぼるが、それは昨今アトレティコが復活させたフラットな4-4-2とは直系関係にない布陣だった。(文:西部謙司)
2016年07月20日(Wed)11時29分配信
「代表も4-4-2でいいのではないか」
長年Jリーグで指揮を執っているネルシーニョ監督にインタビューしたときに、こう話していたのを覚えている。
「Jリーグは多くのチームが4-4-2でプレーしてきたので馴染みも深い。代表も4-4-2でいいのではないか」
当時の代表は4-2-3-1だったと記憶している。4-2-3-1は4-4-2と同系統のシステムなので、ネルシーニョは4-4-2に変えろと言ったのではなく、べつに今のままでいいんじゃないかぐらいのニュアンスの回答だったと思う。ところが、Jリーグでは主流といってもいい4-4-2は、日本代表ではあまり使われていない。フラット型の4-4-2となるとファルカン監督と加茂監督の初期ぐらいしかないのだ。
日本代表に2トップが導入されたのは、石井義信監督の1987年からだった。それ以前は4-3-3が主流である。86年に就任した石井監督は森孝慈監督のチームを引き継いでいたが、87年の中国遠征で主力だった木村和司を外している。さらに4月に五輪予選(88年ソウル五輪)が始まると3-5-2にシフトしていった。ちなみに当時の日本代表の目標はワールドカップよりも五輪で、ほとんどがアマチュア選手。プロリーグ(Jリーグ)がスタートするのは6年後である。
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