米大統領選の集計が進んでいた8日夜、筆者はヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏が勝利を祝うパーティーを開く予定になっていたニューヨークの会場2カ所を訪れた。クリントン陣営の会場となる内部の広いガラス張りのジャビッツ・センターと、トランプ陣営の会場となるヒルトン・ホテルは1マイルほどしか離れていないが、文化の対比において示唆に富む研究事例になった。
クリントン陣営のイベントは、優雅な超効率性をもって組織されていた。パーティーは明らかに勝利の前提に立って何カ月も前から計画されており、プロの手による舞台演出の匂いがプンプンしていた。だが、人間味を欠くとまで言わないにせよ、明らかに温かみがない感じがした。
対照的にトランプ陣営のイベントは、混沌としており、即席で用意されたように感じた。あまりに急に企画されたため、ホテルにはまだ観光客が滞在していた。ロビーでゲストを誘導する仕組みは不規則で、急ごしらえの案内板に頼っていた。夜が深まっていくと、あるバーはお酒が残り少なで、食べ物はほとんどない。だが、即興で用意された雰囲気のおかげで、熱狂的で、いかにも人間らしい感じがした。
■演出しないのが魅力的に映った
これらのイベントは選挙について多くを物語っており、米国が今後どこへ向かうのか知る手掛かりになる。歴史家は、2016年のまれに見る選挙の物語を書くとき、トランプ氏の勝利を説明する幾多の経済的理由を見つけるだろう。同氏の支持者は経済的な苦痛を感じ、グローバル化に腹を立て、変わる文化に不満を抱いていた、といったことだ。
だが、こうした具体的な経済的不平を別にすると、今回の戦いを違うふうに描ける。これは「洗練されたプロの政界エリート」と「非専門職ないし反プロフェッショナル階級」との戦いだったのだ。別の言い方をすれば、この争いの一方にいたのは、見事なスキルでイベントを演出することに慣れているだけでなく、巧妙なデータ分析でメッセージを操作し、世論をコントロールするエスタブリッシュメント(支配階級)だった。トランプ氏を支持した有権者の多くは、この世界に住んでいない。スマートフォンやタブレット端末のボタンを何回か押すだけで自分の人生をコントロールできるとは思っていないのだ。
こうした人は、自分たちをさまざまな出来事の犠牲者だと感じている。敵意に満ちた、理解しづらい世界にあって、絶えず行き当たりばったりの対応を迫られると感じている。だから、トランプ氏が一貫性のない混乱した行動を取ったとき――プロフェッショナルなエリートと異なり――ショックで身震いしたりしない。その代わり、単にトランプ氏が人間で、本物で、率直であることを示す兆候と見なす。トランプ氏は彼らと同じように、言葉で(そしてその他多くのことで)過ちを犯す、というわけだ。一部の有権者にとって同氏が魅力的なのは、演出されていないからであり、変化の必要性について語っているからだ。