随筆・その他

リレー随筆

Ciguatera

西区・武岡支部
(田上記念病院)        松尾 敏明

体中の穴という穴から液体が出てくる経験をしたことがある先生方は果たして何人ぐらいいらっしゃるでしょうか?

 忘れもしない2008年9月9日(救急の日)深夜未明。当時加計呂麻島で働いていた私が救急艇で奄美大島本島の古仁屋へ救急搬送されたときが,正にその状態でした。無医村で働く医者は無医村にいるという全く忘れていた当たり前の事実を思い知らされた瞬間でもありました…。

 2008年9月7日,私が釣りの師匠であるS氏(78歳)と船で釣りに出かけたのは,日が傾きかけてからのことであった。夜釣りである。
 まずここで釣りの師匠であるS氏について少し触れなければならない。S氏は加計呂麻島在住の男性で,昔は九州電力で働いていたとのことであったが,集落内のいわゆるガラの悪い兄貴方からは一目置かれており,今でも骨肉の争いが繰り広げられている鹿児島2区の国政選挙を始め,町長選,町議会選とあらゆる選挙で暗躍している風であった。奄美の夏でも暑い最中に着ている黒っぽい長袖シャツの袖から,診察時にチラリと見えた意味ありげな数字と太い線のtatooがS氏の触れてはならぬ過去を物語っていることが節穴の目を持つといわれている私のような医者にも十二分に窺い知れた。そのS氏の釣りを私が目の当たりにしたのは,2003年のゴールデンウィークであった。阪神タイガース以外には特に趣味といった趣味がなかった私は,S氏に誘われて彼のボートで釣りに出かけた。魚釣りは小学生以来であったが,一発でS氏の釣りに魅せられてしまった。S氏は「今日の仕掛けはこれだよ。」と言ってポケットから茶封筒を取り出し,中からお手製のサビキ(数本の釣り針に魚の皮やビーズなどの疑似餌がついた仕掛けのこと)を私に見せた。サビキといっても鯵針に緑のスズランテープを結び付けただけのものであった。そして,魚群探知機もGPSもついていないS氏のボートで奄美の海に繰り出すと,S氏はポイントらしきところでボートを減速した。周りの景色を見回しながらボートの位置を微調整して,艇をポイントに固定し,私に仕掛け投入の合図を出した。S氏の合図で撒餌も使わず50号の錘をつけた例のスズランテープのサビキを投入すると,その日は手のひら大の赤い魚が釣れに釣れた。仕掛けを海底まで沈めただけである。これには驚いた。それからというもの私はS氏と親交を深め,釣りにのめり込み,日に日に幸せになっていった(それまで特に不幸であったというわけでもなかったのだが)。S氏は釣りで餌を使うことがほとんどなかった。奄美という自然に恵まれた環境で魚影が濃かったこともあったであろうが,お手製のサビキでウルメイワシを釣り,それを餌にハージン(スジアラ),ウブス(スマ),ソージ(カンパチ)といったたまらなく旨い大型魚を海に出るたびに釣ってきた。それも,竿やリールを一切使わない,いわゆるノウ(テグス)を使った手釣りなのである。S氏は今までに2度カジキを(もちろんいつもの手釣りで)釣ったことがあったそうだ。そのときは,あまりに魚とのやり取りに夢中になってしまったため,無事カジキを仕留めたときは隣の与路島に着いていたとのことであった。猛烈だが,呆れた師匠である。
 2008年9月7日,そんなS氏と夜釣りである。否応なしに私は興奮していた。夕方前に,その日はコブダイの鱗で作ったという特別なサビキで餌となるウルメイワシやソーダガツオを釣り,日没前には秘密のポイントへアンカーを降ろした。数回雑魚に餌のウルメイワシを掠め取られたが,日が沈んだあとは雑魚のちょんちょんというアタリは全くなくなってしまった。それからあとはもう,夜釣りを経験したことのある者だけが知る重くグーッと暗い海へ引き込まれる,釣り馬鹿にはたまらないアタリの連続であった。昼の魚と夜の魚は全く違うというのは本当である。夜の魚は正に馬鹿になっており,30号のハリス(針に結ぶ糸)を使おうが,餌は活き餌でなく小魚の切り身であろうが全く関係なかった。結局その日の晩は長さ75cmのクーラーに所狭しと良形で旨そうな魚が折れ重なるほどの大漁であった(写真)。実はそのときまだ私はバラハタという魚のことを知らなかったのである。

 2008年9月8日,S氏の裏庭に設置された特設流しで下ろしてもらった前の晩の獲物が我が家の夜の食卓に並んだ。ワケギを散らしたバラハタの味噌汁を一口飲んだ。「うまい。」当時小学5年生の娘と顔を見合わせて唸った。うまい。うまい。うまい。どれもこれもうまい。3歳の末っ子以外は我を忘れてそのご馳走を食べまくった。
 あまりの幸せにその日は夜9時には家族全員歯を磨いて床に着いた。そのとき舌から喉の奥にかけて,ほうれん草を鱈腹食べたときのようなザラっとした嫌な感じがしたが,みな食後に食べたパイナップルのせいだと思っていた。「お休みぃ〜。」
 消灯して2時間後,たびたびトイレに行く家内の足音に目を覚まされていたが,突然大きな音を立てて家内が床に倒れこんだ。「おい。酔っ払ってんのかよ。いい加減にしろ。うるせえぞ。」と小声で言ったそのとき私の携帯電話が鳴った。S氏からであった。「下痢がひどくて動けんがよ。先生ごめん点滴しに来てくれん?」往診依頼の電話であった。当時,3日に2回のペースで夜間往診をしていたので,いつものごとく「待ってて今から行くから。」と二つ返事で白衣に着替え点滴の準備を始めた。
 すると突然,四肢が痺れだし大量の嘔吐と全身の発汗が出現。私は外来のベットに倒れ込んだまま動けなくなった。かろうじて脱糞しそうなのを堪えながら瀬戸内消防分署と看護師宅へ携帯から電話した。S氏を診療所へ搬送してもらい,状態が悪いようなら隣の奄美大島本島古仁屋へ搬送することにしたのである。ところが,S氏を運んできた救急隊と看護師が,診療所のベットで体中の穴という穴から液体を垂れ流して動けなくなっていた私を見るに見かねて,S氏とともに古仁屋へ搬送することにしたのである。前の日の朝,「こんなの釣れたよ。」と釣った魚を持っていって自慢した救急隊員たちに,18時間後,私は瀬戸内徳洲会病院へ搬送されることとなった。2008年9月9日(救急の日)午前2時ごろであった。搬送中,私の血圧は84/48,脈拍は36回/分であったとあとで知らされた。加計呂麻の診療所で倒れてから意識は朦朧としていたが,搬送先に到着するや否や開口一番私は当直医に言った。
 「シガテラだよ。きっと。」

 ……果たして原因はシガテラであった。シガテラ(ciguatera)。シガテラとは,熱帯の海洋に生息するプランクトンが産生する毒素に汚染された魚介類を摂取することで発生する食中毒のことである。この一度聞いたらなんともいえない危険で妖しい香りのする 『シガテラ』 という呼び名は,キューバに移住したスペイン人が,この地方で「シガ」(cigua)と呼ばれる巻貝のチャウダーガイ(Cittarium pica)による食中毒のことを“ciguatera”と称したことに由来しているといわれている。
 長い間,魚介類の毒化機構は不明であったが,1977年東北大学などの研究チームが,渦鞭毛藻類によるGambierdiscus toxicusが原因物質であることを確認し1),生体濃縮で毒素を蓄積した魚介類の摂食が原因であることを明らかにした。シガテラを引き起こす毒素はシガテラ毒と呼ばれ,シガトキシン,スカリトキシン,マイトトキシン,シガテリンなどが知られており,類縁体を含めると20種以上が確認されている。ナトリウムチャンネルに特異的に作用し神経伝達に異常をきたす。シガトキシンは熱に対して安定であるため,一般的な調理では毒素を熱分解できず,従ってシガテラ中毒を防ぐことはできない。またこれらの毒素は魚の味に影響を与えず2)煮汁にも溶け出す。毒素は母乳経由で,乳幼児に移行する可能性があることも報告されている3)
 シガテラ毒の主な保有生物はバラフエダイ,バラハタ,ウツボ,カマス,サザナミハギ,ギンガメアジ,オニカマス,イシガキダイ,ヒラマサ,ブリ,ネムリブカなど,400種類以上にのぼる。食物連鎖によるシガテラ毒の生物濃縮が原因であるため,バラフエダイ,バラハタ,ウツボ,カマスやブリなど食物連鎖の上位に位置する魚類(特に,6ポンド=2,722グラム以上の重量の肉食魚)が危険である。なお,毒の有無については,同一魚種でも地域差や個体差があるとされている。つまり,食物連鎖の上位に位置する魚類のうちのすべての魚種や個体が必ずしもシガテラ毒を持っているわけでなく,また連鎖の低位にある魚種にも危険な個体が含まれている。このため,毒をもつ魚の個体を外見から見分けることはできない。ただ,さまざまな言い伝えはあり,シガテラ毒を持つ魚はシガテラになった人が舐めれば舌が痺れてその毒の有無が分かるのだそうで,私はその後文字通りの“毒見”を何度かさせられることとなった。その他にも「冷凍すると毒がなくなる」「塩漬けにすると毒がなくなる」などの言い伝えがあったが科学的な信憑性は疑わしいようであった。
 シガテラ毒を生成する渦鞭毛藻は生息範囲が限られるため,シガテラは特にカリブ海,インド洋,太平洋などの熱帯域,日本では主に沖縄地方で見られる。有毒渦鞭毛藻が多く分布するサンゴ礁で捕獲された魚が特に危険である。高リスク海域での,シガテラ中毒発生率は1年間で1万人当たり300人と推定されている。日本国内での死亡例はないが,海外では数例が報告されている。しかし,軽微の中毒の場合は受診や報告などをしない場合が多く,実際には中毒患者の実数はもっと多いと見られている。日本では沖縄地方が主な発症地であったが,その後の私たちの調査で加計呂麻島におけるシガテラ罹患率(21.5人/1万人/年)は,沖縄で届出のあったシガテラ罹患率(0.075人/1万人/年)よりも非常に高値であることが分かった4)。近年では発生域が北上しており5),茨城県までの太平洋沿岸において症例が報告されている。これは温暖化に伴う原因プランクトンの生息域拡大によるものと考えられている。千葉県では勝浦市近辺において水揚げされたイシガキダイの料理によるシガテラ中毒について,製造物責任法に基づき料亭に損害賠償責任を認めた事例が起きている6)
 一般に中毒症状は1-8時間ほどで発症するが2日以上の例もあるとのことである。具体的な中毒症状としては,
 消化器系の症状:吐き気,下痢,腹痛が数日から数週間。
 循環器系の症状:血圧異常(80mmHg以下),心拍数異常。
 神経系の症状:めまい,頭痛や筋肉の痛み,麻痺,感覚異常。
などがある。その中でも特にシガテラに特徴的なものとして“ドライアイスセンセーション”というものがある。水など常温以下の液体に触れたとき,あたかもドライアイスに触れたときのような温度感覚異常をきたすというものである。食べた魚の種類とこのドライアイスセンセーションの有無でシガテラは診断できると考えている。実際私が体験したドライアイスセンセーションは,水や冷たい飲み物を口に含んだ際に,強い炭酸を飲んだときのように口から喉がシュワシュワ,ピリピリしたり,手を洗った際には,水に触れているところだけがヒリヒリ,ビリビリするというもので,どちらかというと“痛み”であった。その代わり温かいお茶や風呂はどうもなかった。冬に静電気が嫌でドアノブに触りたくないのと同じで水に触れたくなかった。そのドライアイスセンセーションが1カ月も続くのである。ビールいらずの日々は続いたが,手を洗う度にビリビリするのには家族全員辟易した。私の家族とS氏の実際の症状に関しては表の通りであった4)
 治療法であるが,効果的な治療法は未だ確立されておらず,後遺症の回復は軽症で1週間程度,重症例では半年から数年程度を要する。私は自分だけこっそりステロイドを内服した。家族は1週間寝込み,S氏は数日入院していたにもかかわらず,救急搬送された翌日から私は加計呂麻島で(家族の治療も含め)いつもの通り一人診療所長をしていたことを考えると,もしかしたらステロイドは効果があるかもしれない。


 深夜未明に古仁屋へ救急搬送された私は,大量輸液で意識がはっきりしたところで,その日の午前10時にはフェリーかけろまで加計呂麻島へ帰った。体が元の状態に戻るのに1カ月かかった。私はすぐに釣り三昧の日々に戻ったが,家族全員しばらくは魚が食べられなかった。沖縄衛生研究所で残った魚を調べてもらった。我が家が食べたバラハタの個体は刺身4切れにヒトの中毒量のシガテラ毒が含まれており,S氏の食したイッテンフエダイには刺身1切れにヒトの中毒量のシガテラ毒が含まれていたとのことであった4)
 2010年,鹿児島市に帰ってきた。水族館で毒魚展をやっていた。シガテラの解説があり,そこにはバラハタに酷似したオジロハタがいた。その魚を見た瞬間,吐き気と動悸と便意を催した。そして私はシガテラの研究で面白いことを思いつき,東北大学の平間正博教授に会いに行った。震災の3カ月ほど前のことであった。

 誕生日に家族から贈られた本7)に興味深い中国の古諺(こげん)が紹介されていた。こんなにも簡潔にわかりやすく“幸せ”を述べた文を私は知らなかった。あれこれ釣りを指南していただいたS氏に感謝するとともに,私はこれからも幸せであり続けられる気がした。

一時間,幸せになりたかったら
酒を飲みなさい。

三日間,幸せになりたかったら
結婚しなさい。

八日間,幸せになりたかったら
豚を殺して食べなさい。

永遠に,幸せになりたかったら
釣りを覚えなさい。

【参考文献】
1)シガテラと底生渦鞭毛藻,阿嘉島臨海研究所(AMSL)
2)シガテラ中毒 - メルクマニュアル家庭版
3)Blythe D, de Sylva D:Mother's milk turns toxic following fish feast. JAMA 264:2074,1990
4)大城直正,松尾敏明ほか:加計呂麻島における魚類食中毒シガテラの発生. Tropical Medicine and Health 39:53-57, 2011
5)谷山茂人:本州で発生したパリトキシン様中毒とシガテラ. 日本水産学会誌74:917-918,2008
6)東京地判平成14年12月13日,イシガキダイによる食中毒と製造物責任,判例時報1805号14頁,東京高判平成17年1月26日
7)開高 健:『オーパ!』,集英社文庫,1981

次号は,今村小児科アレルギー科の今村直人先生のご執筆です。(編集委員会)




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