わたしには大好きな彼氏がいました。
お互いに結婚を考えていました。
彼氏はわたしの抱えるハンデ(鬱など)を全て知った上で、2人で乗り越えよう、幸せにすると言ってくれました。
できない分は僕に頼ればいいといつも言ってくれました。元気にならないでいいとまで言ってくれました。病気とは付き合いながら生きていけば良いと。
その言葉にいつも励まされてきました。
でも、無理でした。彼は不満を溜め込んでいたのです。
うつ病と、それによって起こる日常の失敗の数々、そしてそれに対するわたしの考え方や対応に彼は違和感を覚えていて、彼に限界がきてしまいました。
健常者の彼は、うつ病を理解できませんでした。
わたしは、まだうつ病をすぐに寛解に持っていけるほど良くなっていませんでした。
今回はそんな、うつ病患者と健常者の恋愛のお話。
目次
- 目次
- わたしは、うつ病の寛解に向けて就労にチャレンジしています
- 一生懸命理解してくれようとしてくれた。だから、別れるしかなかった
- わたしは変われなかった
- わたしが彼のために変わろうとするのは、彼にとっては負担だった
- これからはまたゆっくり治します
わたしは、うつ病の寛解に向けて就労にチャレンジしています
わたしは現在フリーライター(主要取引先にはうつ病オープン)として働いています。
また、週に2回ほどアルバイトもしています(うつ病オープン)。
これでも、鬱が酷くて動けなかったわたしにとっては大きな進歩なのです。
実際に体調がよくなっている体感もあります。
現在の月収はせいぜい学生のアルバイトレベルですが、一応お金を自分で稼ぎ、一応ひとりぐらし生活を成り立たせています。
でも、だからたまに失敗する
チャレンジしていると、失敗することもあります。
結果だけを出し続けられないこともあります。
元気になってきていると言っても、どうしても、どうしても、鬱の波に飲み込まれてどうしようもなくなることがあります。
また、最近は過眠の症状にも悩んでいました。
鬱と過眠、このふたつによって、原稿の締切を守ることができなかったり、アルバイトを当日欠勤してしまうことがあります(頻度は少ないですが)。
これらの失敗が、彼には許せないことのようでした。
罪悪感を吐露したことが負担になってしまった
鬱がひどくパニック状態になって欠勤した日の話をします。
わたしのアルバイト先は、当日欠勤でも病欠であり、病院の領収証を提出すればお咎めなしの決まりがあります。
わたしも翌日精神科に駆け込み、医師に相談をして領収証を提出しました。
しかし、店に穴を開けたことには変わりありません。ただでさえ鬱状態で自分が苦しくて仕方ないのに、欠勤したことについて、わたしの罪悪感はMAXになってしまいます。
罪悪感を1人で抱え込むのが厳しく、彼にアルバイトを休んでしまったことをメールで伝えてしまいました。
彼はやさしく対応してくれました。
でも、正社員で残業も多く、わたしの何倍も働いている彼です。
わたしの特別な事情に対する複雑な感情、一般常識との食い違いへの違和感、それでもわたしを好きな気持ち、将来への不安などを抱えて、無理をしていたんだと思います。
辛い時には相談してほしい、弱いわたしに対して、強い自分に頼ってきてほしい。
でもいざフタを開けてみたら、彼も思っていたより弱くて、わたしを受け入れきれなかった。頼られると辛い。
その自己矛盾が、彼はすごく辛くて。
更には、
わたしにとっては「すごく頑張った」彼にとっては「あたりまえの」成功、
わたしにとっては「辛いけど、病気だから仕方ない(とやっと思えるようになってきた)」彼にとっては「有り得ない」失敗。
わたしにとっては「説明」彼にとっては「言い訳」。
そのギャップが、彼にはひどく負担になっていたのです。
一生懸命理解してくれようとしてくれた。だから、別れるしかなかった
彼は一生懸命、本当に一生懸命、わたしという人間を理解してくれようとしました。
うつ病ですぐ落ち込み、物事を悪い方向に考え、不安に苛まれ、泣いてしまうわたし。
それを改善させようと、ほんの少しずつでもできたことを認めてあげようとするわたし。
できなかったときに、自分のできなかったことを許そうとするわたし。
それがわたしなんだと理解しようと、彼はずっとずっと頑張ってくれました。
それがわたしだから、無理だった
彼にも、限界がありました。
病気だろうが性格だろうが、この状態の人間と一緒に生きていくことが辛いと思ってしまいました。
僕が病気への理解がなかったと言いました。
わたしのうつ病の回復を一緒に見守ることができないというようなことを言いました。
わたしが病気でごめんなさい、元気が出なくてごめんなさい、できないことや苦手なことが多くてごめんなさい、辛い思いをさせてごめんなさいと言うと、彼は謝らないでと言います。
わたしが悪いわけではない、僕が悪いんだと言います。
僕が受け入れる器を持っていなかったんだと。
だから別れよう、と言われました。
わたしは変われなかった
わたしは彼と別れたくなかったので、彼の負担を減らすべく、無茶をしてでもうつ病を1秒でも早く寛解に持っていくために色々なことをすることにしました。
休養や娯楽の時間を削って、仕事やバイトや家事に勤しみました。
医療費をケチるのをやめて、たくさん病院に行って、様々な面から身体をメンテナンスしていきました。
もっと魅力的になりたくて、ダイエットも始めました。
とにかく今までにないくらい頑張りました。
彼が遠距離恋愛が嫌だと言っていたので、年度末で東京の家を引き払い、彼の住む大阪に住む計画も立てました。
泣きながら彼と幸せになってみせるんだ、わたしの愛が鬱に負けてたまるか、と、無茶に無茶を重ねて頑張っていました。
身体に異変が現れた
ある日、突然物凄い胃痛がわたしを襲いました。胃腸科を受診して薬を処方されても治らず、三度嘔吐して、その日の夜には救急搬送されました。
診断名は神経性胃炎。つまり、胃潰瘍など胃自体に損傷はないものの、ストレスで胃の状態が悪くなっているということでした。
痛みで気を失いそうになり、死ぬほど謝って取材の同行を休みました。バイトも胃腸科の領収証を提出して休みました。
心配した母が家にやってきてくれて、わたしはベッドから母に抱きついて「さみしい、さみしい」と泣きました。
わたしは、別れ話をされて、彼の本音を聞いてから、すごくすごく頑張りました。
でも、変われませんでした。身体が悲鳴を上げるのが先でした。
わたしが彼のために変わろうとするのは、彼にとっては負担だった
彼は別れ話の最中、僕のために頑張るのはやめてくれと何度も言いました。
もうすっかりわたしへの気持ちはなくなっていて、ひとつひとつ自分と合わないところを頑張って合わせようとしてくれても、その頑張りや善意が重荷なのだと。
力が、抜けました。
わたしの頑張りは、状態を好転させるどころか、何もかもに逆効果でしかなかったのです。
寂しさや苦しさというよりも、なんだか悲しくて悲しくて仕方ありませんでした。
わたしも、別れることに了承しました。
これからはまたゆっくり治します
色々と書きましたが、今回のことを通じて分かったことを連ねると、こんな感じになります。
- わたしは、まだうつ病の最中にいて、回復傾向にあれど寛解には遠い状態だった。
- 彼は、うつ病とそれに付随する日常のできないことを理解することができなかった。
- それらはきっとどちらが悪いでもなく、仕方のないことだった。
- 少なくともわたしは本当に幸せだった。
- うつ病って本当にしぶとい。
これからは、わたしは「彼のために」と急いでいたのをやめて、またマイペースにうつ病と向き合います。
休むべきところでは休んで、無理をしすぎないで、負荷をかけるのは少しずつ。
思い切って母に泣きついたことで、母との間に形成されていた心の壁も1枚取り払われた気がします。
ちなみに、彼はわたしと友達ではいてくれると言ってくれているので、たまに素敵な友達の近況報告が聞けたらいいなと思っています。
わたしはいわゆるメンヘラですが、メンヘラの恋愛にありがちな束縛や試し行動、「死にたい」という連絡、会うことの強要、寂しさからの浮気などは何もしませんでした。
彼がじゅうぶんにわたしを愛してくれて、わたしも主体的に彼を愛していたから、そんなことをする必要がなかったのです。
彼と付き合っていたのは短い期間でしたが、わたしは本当に沢山愛情を注がれて、わたしも沢山愛して、幸せで幸せでしょうがなかったのです。
良い恋愛をしました。24年間で1番幸せでした。
今までありがとう。
疲れたので、少し休みます。
Cyndi.