☆教義と真逆のプロセス.
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A2.
10月9日聖教新聞に先生の詩が掲載されていました。
「友情と信頼の懸け橋」と題される詩です。
幾つかの共感できる部分を抜粋し所感を述べたいと思います。
1.友情と信義に生き抜く人は、何倍も価値ある青春を築き、
何倍も価値ある青春人生を勝ち取っていくことができる。
友情は人生の宝であり、自身の勝利の証である。
2.人を尊敬する人は、人からも尊敬される。
人に慈愛をそそぐ人は、自分も人から守られる。
環境とは「自分の姿が映った」結果である。
3.一つの言葉で争いもすれば、仲直りもできる。
一つ一つの言葉が忘れ得ぬ希望の人生のきっかけになる。
一つの言葉は一つの心を持っている。
ゆえに言葉を大切にすることは心を大切にすることに通じる。
4.対話という懸け橋がなければ、人々の心は通じ合うことができない。
懸け橋を築いていくことは仏法者の使命である。
「友情」「尊敬」「言葉を大事にする」「対話をする」・・
以上、4点は創価学会員の生活のカタチですね。
およそ、人間同士、対話という懸け橋なくば友情も尊敬も生まれません。
家族、夫婦、親子、会社で取引先で、友人、知人、あらゆる人と人とを結ぶ対話・・それが仏法者(学会員)としての使命です。
今、ネットやメールは便利だし、とても素晴らしい道具ですが、コントロールするのは人。ネットは文字しか見えない。例えば電話では声と共に声の雰囲気から感情も分かる。しかし文字は雰囲気が分かりにくい。
会って話をすれば数時間で分かり合えるのに・・
これがネットの限界と思います。
私はネット上に積み重なる愚痴や批判が心から悲しいのです。
ネット誹謗心配さんがおっしゃるように文章は残るから。
世界中に怒りと愚痴が発信され人々に影響するから。
「どうして延々と、批判、不平不満ばかり言い続けるのだろう?」
怒りと愚痴ばかりのコメントを理解できない人は多いことでしょう。
こんなことを続けて、よい結果になる訳がない。
発言者が本当に学会員なのかどうかは知らないが、そんなことして何になる。悪しき宿業を積むだけなのだよ。
そんなことを言っても、彼らはやめない。
可哀そうだがやめない。
つづく
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