2016-11-09
■[ラノベ]「ラノベ」と「小説」と「純文学」とYシャツと心強さと
少し前の話になりますけど、
公立小学校司書「今年度から ラノベが禁止になった」 - Togetterまとめ
元ツイートの大半が消えていて後から見ると何が何やら分からなくなってしまっていますが、とある学校(発言者のプロフィールによると小学校か中学校)の図書室で、性的な雰囲気の表紙イラストの作品が含まれているという理由により?ライトノベル全般が棚から撤去された、という話でした。
これ自体もたいへん興味深い話題ですが、ここでの本題は、このまとめへの反応で用いられている様々な言葉の方です。
「いつまでもラノベばかりではなく純文学も読むようになってほしい」
「こんなこと言うと怒る人いるけど、私はライトノベルは読書の入り口としても認めてない。入り口は江戸川乱歩とかルブランの推理小説で良い。まずラノベ読んで読書した気になってるのが腹立つ。ラノベの中に後世残る作品がいくつある?時間が勿体無い。この事だけは理屈とかじゃなく認めない。」
などなど。どこか違和感を覚える言い回しが複数見られました。これはこの件に限った話ではなく、ラノベ関係の話題を追っていると、同じような発言に日常的に出くわします。
このような用語の混乱について、ここで簡単に整理してみます。Google先生に全面的に頼りつつ。また、ここでは「ライトノベル(ラノベ)」の定義については深入りしません。これに関わるとそれだけで泥沼に沈む覚悟が必要なので。「スニーカー文庫とか電撃文庫とかファンタジア文庫とかMFブックスとかみたいなやつ」ぐらいに思っておいてください(これだけでもかなりギリギリ)
●「小説」
語源的には色々あるようですが、現代日本における定義としては「散文で書かれた物語」です。これだけでは、たとえば絵本などを排除できない*1ので、作品全体における文章の占める割合なども条件に加えるべきなのかもしれませんが、その場合でも、基本的には総ページ数の十分の一以下程度のイラスト枚数に留まるライトノベルは、「小説」に含めていいのではないでしょうか。
ついでに片付けておきますが、散文的というやや否定的な言葉に引きずられてか、あるいは「乱文」との混同か、「最近のラノベは散文過ぎる」といった批判が稀に見られます。そもそも定義に散文であることが含まれている以上、ラノベに限らず小説にも限らず「普通の文章」は散文で書かれたものです。言うまでもありませんが、散文の対義語は韻文(俳句、和歌、漢詩など)です。
●「文学」
辞書的な意味だけで複数ありますが、そのうち日常的な用法として問題になるのは、「言語表現による芸術作品」と、「言語表現による芸術作品を研究する学問」そしてそれを含む「自然科学・社会科学以外の学問」の三つぐらいでしょう。ここで扱うのはもちろん一つ目です。しばしば、芸術作品としての「文学」について語りつつ「仮にも学問なのだから〜」といったことが言われている場合もありますが、これは「文学」の複数の意味を(「学」の字に引きずられて)混同したものと思われます。
芸術作品、と聞くと身構えてしまいますが、この場合は単純に、小説はもちろん詩歌・戯曲などの言語による創作の総称と考えてよいだろう、と思われます。この意味で考えた場合、文学の一種である小説の一種であるラノベは当然、文学に含まれることになるでしょう。
辞書から外れた用法になると、芸術作品としての「文学」のうち、次に述べる「純文学」のみを指すこともあります。もしもこの用法であれば、基本的には「ラノベは文学じゃない」は成立するでしょう。しかし、「純文学」もまた誤用が非常に多い用語であり……
●「純文学」
小説のうち特に芸術性を重視したもの、とされています。芸術性、という曖昧な基準を持ち出されるとよく分からなくなりますが、現代日本の作品についてはその内容よりもいっそ、特定の雑誌に掲載されたもの、特定の賞を受賞した又は候補になったもの、などといった外側から考えた方が、いわゆる純文学に属する作品をあまり読まない自分のような人間にとっては把握しやすいかもしれません。このあたりの事情はライトノベルに似ていますね(ほんとかよ)
純文学というのは、「小説」を大雑把に二つに分けたうちの一つであり、もう一方は大衆文学、大衆小説、娯楽小説、通俗小説、エンターテイメント小説、などと呼ばれるものです。あくまで大雑把な区分であり明確な境界線があるわけではないので、どちらとも言い難い小説、あるいはどちらの要素も併せ持つ小説という存在も当然あり得ます。が、基本的には、ライトノベルは大衆文学(大衆小説、娯楽小説、通俗小説、エンターテイメント小説)の一種と考えてよいでしょう*2。
では「純文学」にあたる作品には具体的に何があるのか、といった話は今回は関係がない(そして自分が純文学を殆ど読んでいない)ので省略します。ここでは、その逆の実例を挙げることにしましょう。
「逃避する場所」ラノベに価値見出しJC2(@srpglove)/「純文学」の検索結果 - Twilog
以下は全て、自分がTwitter上で「○○は『純文学』である」という主張・前提を含む発言の中で名前を目にした作家なり作品なりですが、
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一般的には、「純文学」と呼ばれることはあまりありません。「大衆文学、大衆小説、娯楽小説、通俗小説、エンターテイメント小説」です。
繰り返しますが、純文学と大衆文学の境界はそこまで明確ではないし、特に作家単位では、ハヤカワでSFを書きつつ芥川賞を受賞している円城塔のような多分野に渡って活躍する人もいるので一概には言えませんが、それでも、上に挙げたような作家・作品は概ね、純文学ではない、としてもいいんじゃないでしょうか。
なんといっても直木賞作家が二人も含まれているわけですからね。それの何が問題なのかは、説明する必要もないでしょう。と思いましたが、
うーん、一応直木賞だしなぁ・・・業界が認めた純文学ではあるんだけど。 URL
直木賞は純文学ではなく、大衆小説を対象とした文学賞です。一方、よくセットで名前を聞く芥川賞は純文学を対象としています。
ここまで説明すればもはや言うまでもありませんが、
「純文学」という言葉には、ラノベ以外の「普通の小説」全般という意味はありません。
なぜこんなに大げさに強調するのかというと、「『小説』全体−『ラノベ』=『純文学』」というような認識に基づいた誤用が、「ラノベ 純文学」で検索をかければすぐ見つかる程度には目立つからですね。ここは本当にこの文章の中で最も重要な箇所だと思っているので、どうかこれだけでも覚えていってください。
併せて、これもぜひ覚えてもらいたいのですが、「ラノベ以外の『普通の小説』全般」を指す言葉として一般的なものには、「一般文芸」があります。not「純文学」but「一般文芸」です。よろしくお願いします。
ここで注意が必要なのは、「一般文芸」という言葉自体に「ラノベ以外の『普通の小説』」という意味が含まれているわけではなく、あくまでラノベとの関係の中で使用される場合においてはそのような意味になる、ということです。
ミステリ読みにとって「一般文芸」とは、ミステリとかSFとかファンタジーとかホラーとかのような特定のジャンルに属さない小説を指す。ラノベ読みにとっては、ライトノベルでない小説なら、ミステリでもSFでもファンタジーでもホラーでも皆「一般文芸」に含まれる。では、ミステリ読みとラノベ読みは「一般文芸」という言葉を別の意味で用いているということになるのかといえばさにあらず。それぞれの関心が向けられた特定の分野の小説以外の文芸作品を「一般文芸」と呼んでいるだけなのだ。
●「文庫」
書庫やひとまとまりの蔵書といった意味もありますが、現代では主に「文庫本」つまり文庫判=A6判の本*3、そしてその版型を採用した叢書(要は「〇〇文庫」というレーベル)のことを指します。
従来のライトノベルは、その点が一つの特徴と言ってよいほどに、(主に単行本で刊行される一般文芸と違い)文庫での書き下ろしが中心でした*4。つまりラノベの多くは文庫なわけですが、「ラノベじゃなく文庫を読んでいる」のように、「文庫」のみで「一般文芸の文庫」を指す用法を時々見かけます。言わんとするところはまあ分かりますが、正しい使い方とは言い難いでしょう。
●「活字」
活版印刷に用いられる字の型……といった意味で使われることは今では稀でしょう。活版印刷自体が出版においては既に第一線を退いた技術ですので。
現在では主に、字が印刷された物(紙媒体)、あるいは、電子書籍などのデジタル活字を意味する場合が多いと思われます。このいずれにしても、ライトノベルは間違いなく「活字」ですので、否定的な意味合いでの「最近のラノベはもはや活字じゃない」といった意見は、ライトノベルが一体どうなのだと主張しているのか、いまいち不明瞭です。文章が稚拙とかそんなところでしょうが。
●「口語体」
「最近のラノベは主人公の語りが地の文の口語体ばっかり」といった批判が稀によくあります。
国語か日本史で習った(……と思う)ように、日本では昔は、日常的な会話に使われる言葉と異なる言葉によって文章が書かれていました。このような文章を文語文、その文体を文語体と言います。自分の国語力では適当な例文をひねり出すのもちょっと無理なんですが、ほら、あの、ナントカで候みたいな……えーと、要は古典の授業で読んだようなやつのことですよ。
で、それが明治時代になると、言文一致運動(詳しく説明できないのでググってください)によって日常的な会話に使われる言葉と文章に使われる言葉が同じものになりました。この結果生まれた文体が「口語体」です。現在我々が書いたり読んだりしている文章の殆どは、多少硬めだろうが口語文です。もちろん、最近に限らずラノベに限らず小説も例外ではありません。
「最近のラノベは主人公の語りが地の文の口語体ばっかり」というのは恐らく、若者が話す言葉(口語表現)がそのまま使われているように感じられて見苦しい、というような意味のことを言いたいのでしょうが、それを「口語体」の問題にするのは単純に誤りです。また、どうも一部の人々の間では、「一人称」と「口語体」が混同され、尚且つ一人称小説はラノベに特有のものであると考えられているフシさえあります。
●「物書き/作家/小説家」
「Bio 小説家です!V(^-^)V」というプロフィールや「物書きとして最近のラノベの日本語の乱れは許せないわ〜(`ヘ´)」といった発言などを見てその著作を確認しようとしたところ、実際は趣味で小説を書いているアマチュアだった、ということがよくあります。
たとえば「なろう作家」「同人作家」といった言い方もしますのでやや微妙なところもありますが、基本的には「物書き/作家/小説家」を単体で肩書きとして自称する場合、それは「文章の執筆を仕事にしている人」「自分の書いた文章で報酬を得ている人」を指すのが自然なように感じます(自費出版やKindleダイレクト・パブリッシングなど(のみ)で活動している人はどう扱うべきか……)
「趣味で小説を書いているアマチュア」を意味する一般的な用語、というのはちょっと思い付かないし肩書きとしての必要性もよく分からないのですが、とりあえずは最近よく見かけるようになった「文字書き」でも名乗っておけば誤解を受ける心配はないんじゃないでしょうか。新しい言葉、というよりネットスラングみたいなものですので、身分詐称を批判されることだけはないはずです。
といった具合に、ラノベにまつわる用語の乱れを一通り眺めてきたわけですが、いかがでしたでしょうか。これらの言葉の用法が仮に間違っていたとして言いたいことはだいたい伝わってるんだから別にいいじゃないか、と楽観的に考える人もいるかもしれませんね。しかし自分にはこれらの誤用が、議論に無用の混乱を呼ぶばかりではなく、「最近のラノベ」に対する批判の何割かの原因になっているのではないか、とすら思えるのです。本来とは異なる意味を与えられた言葉に認識の方が引きずられ、「ラノベ」に対する見方も歪んでしまうのでは、と。
それはさすがに考え過ぎとしても、これらの間違いを何らかの意図をもって決然と行っている人もあまりいないだろうと思われますし、適切な表現に切り替えられるならそれに越したことはないはずです。適切な表現を選んだ上で「最近のラノベ」をもっともっと批判したいという人は、ネットのどこかでまたお会いしましょう。楽しみにしています。
また、自分の書いた内容にあんまり自信がないので、この文章自体の間違いの指摘も歓迎です。というより、多少内容が重複しても全く構わないので、文学や日本語に詳しい人に改めて同じような記事を書いてもらいたいとさえ思っています。なんでわたしが我慢しきれなくなる前に書いてくれなかったんですか(逆恨み)
(ほしいものリスト)