ムラカミ、ダヨ!

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ムラカミ、ダヨ!

天才とバカは紙一重のバカ側が全世界に恥を晒しあげることでこの世に出来るだけ多くの無駄をクリエイトする

「牛丼を超えた牛丼」が孕む危険性

ネタ

聞いた時僕は耳を疑った。これまで人間しか疑ってこなかった僕が感覚器官を疑うなんてのは初めてでものすんごくエキサイティングだった。なんと有史以来日本人の胃袋を掴んで離さなかった牛丼に革命が起きたという。その革命とは「牛丼を超えた牛丼」の誕生だ。革命児の名は「くら寿司」。牛丼業界に寿司屋が殴り込みをかけた形。黒船の来航だ。

Apple社がiPhoneを引っさげ携帯業界に殴り込みをかけたことを彷彿とさせる。いよいよ日本人の携帯にも牛丼が搭載されるような時代になったと思うと感慨深い。

しかし事態はそんなありきたりではない。

名は「牛丼を超えた牛丼」。複雑怪奇なイディオム。何かがおかしい…その異変に気づいた時にはもう手遅れだった。

本来牛丼を超えたのであれば、分類上それは牛丼ではない。超えているのだから。牛丼とは別の名を名乗るべきである。電子書籍を本を超えた本と言わないように、対象Aの存在を超えてしまえばそれは対象Aではないのだから対象Aと名乗る事は許されない。しかしなぜか牛丼は許される。特別に。特権的に。

”牛丼集権国家”の誕生だ。

異様だ。奇妙だ。何かがおかしい。我々の関知しないところで権力、地位、金、女の全てが牛丼に一極集中している。

日本は黒船「くら寿司」の陰謀により牛丼中心の、牛丼の牛丼による牛丼のための国家に生まれ変わろうとしているのだ。人間は牛丼の奴隷として四六時中労働をし、税金を納める。牛丼はその税金を公共事業「汁だく」に費やす。牛丼列島改造論は時間の問題。人権など存在しない世界。あるのは牛丼権のみ。基本的牛丼権の尊重が声高に叫ばれる世界。PS4が発売されれば牛丼が行列をなす世界。風俗に行けば綺麗な牛丼から可愛い牛丼、巨乳な牛丼から貧乳な牛丼。バリエーション豊かな牛丼がパネルに並ぶ様は牛丼屋のよう。可愛い牛丼を指名し、気に入らなければチェンジをする。そんな世界。

国のトップには牛丼が就任し、閣僚には「ねぎ玉牛丼」「高菜明太マヨ牛丼」にとどまらず、「チーズ牛丼」「アボカド牛丼」が名を連ねる国家。外国人参政権の導入だ。欧州からの参政では終わらない。キムチ牛丼、麻婆茄子牛丼とアジアからも送り込まれてくる。

海に囲まれ、極東の小さな島国の単一民族国家の日本は、外国人参政権の導入により移住が加速し多牛丼国家へと変貌を遂げるのだ。

通貨は円から牛へと切り替わり、デフレ脱却へ向け牛(牛肉)の流通量を増やすことを急務とし、「牛肉を増やせ」と大号令をかけて家畜の大量殺戮を実行するという前代未聞の金融政策を取る。

外交では牛丼とオバマが熱い握手を交わし、核廃絶で歩調を合わせる。

防衛では牛丼軍を設置。

教育では1限牛丼2限牛丼3限牛丼給食牛丼4限牛丼5限牛丼と英才教育を施す。

経済、防衛、教育、停滞していた日本に光が差し込んだ気がする。かつての日本がそこにはある。高度牛丼成長期。一億総中盛り社会の実現だ。

牛丼中心の国家。まさにそこは全デブが理想とするユートピアのはずだった。が、実態は違う。そこに広がるのは上級国民の牛丼と奴隷の人間との格差社会。牛丼の奴隷となった人間に牛丼を食べることなど許されない。牛丼を食べるのは上級国民である牛丼に他ならない。牛丼が生きるために牛丼を食らう。時には親を喰らい、子を喰らう。そこに倫理観を持ち込んだところで聞く耳など持たない。耳などないのだから。あるのは肉と玉ねぎのみなのだから。

 そんな国家を取り纏めるのは「くら寿司」だ。「寿司屋が牛丼に参入する」一見するとただの経済ニュース。しかし違う。彼らは牛丼で儲けるつもりなどさらさらない。牛丼自身が儲かる社会を作ることが目的なのだ。そしてくら寿司が取り纏め、いつかは寿司で国家を牛丼から奪い取る。そういう算段だ。なぜ最初から寿司じゃないのか。知らん。

しかし、全てが牛丼に置き換わった人間にとって絶望の社会にも決定的な欠陥が存在する。

BSE問題だ。かつてアメリカでBSE感染疑惑牛が発見され、アメリカ産牛肉を使用していた牛丼チェーンは牛丼の販売を中止した。それによって日本国内から牛丼が消えたのだ。

牛丼国家にBSE問題が発覚したらどうなるか。学校は消え。食べものは消え。軍は消え。貨幣が消え。しまいには国民が消える。国民のみならず内閣も国のトップももちろん粛清だ。貨幣が消え、国民が消え、トップが消える。おぞましい。破滅だ。国家滅亡だ。生き残るのは人間のみ。人間社会の再興だ。

 

これから待っている牛丼中心の国家への移行に我々人間が付け入る隙があるとすればBSEのみだ。まずは黒船くら寿司の陰謀に歯止めをかけるべく、今日も僕はすき家に行く。