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我が家の氷が溶けた 〜私と兄の物語〜

思ったこと

「今、公務員試験受けてる。あと、、俺、フラれたわ」

 

夜に兄から一本の電話が入った。兄は30歳、私は今年27になる年なので3つ離れている。普通の電話だ。でも、私にとっては青天の霹靂、兄からこんな連絡がくる日が来るとは思いもよらなかった。なぜなら、私たちはこの13年間ほとんど連絡も取らず、冷え切っていたからだ。

 

幼少期はよく遊んでもらっていた。家で決闘をしたり、兄の友達と草野球したり鬼ごっこしたり。冬にはたくさん雪が降る地域だったので、雪合戦をしたり。その中で格好いいと思っていた兄の友達の前で思いっきり滑って転んで恥ずかしい思いをしたのを今でも覚えている。

 

小学生に上がると一緒に登校した。家では兄はよくゲームをやっていたが、貸してもらえなかった。友達とゲームしているところに行くと来んなよ、と怒られた。私は見てるだけでも楽しかったのだが。部屋に入れてもらえなかった。今考えると、部屋に入れてくれるくらいしても良かったと思う。

 

小学校高学年になると兄は中学に上がった。私は4年生の頃から管弦楽部に入って小学生ながらに忙しくしており、兄も野球部に入って忙しくあまり会話しなくなった。兄は野球が大好きだったのだけど、身長が低くて運動神経も微妙だったので大好きなのに万年スコアラーだった。私は運動神経が良かったのでかわいそうにと思っていた。なぜか私も悲しかった。兄には輝いていて欲しかったのかもしれない。

 

「小学校を卒業したらお母さんの実家に引っ越すよ」と母に言われた。私は何の疑いも持っていなかった。「へえ〜そうなんだ!わかった!」という感じで返事したと思う。私が中学に上がり兄が高校に上がると同時に、両親が離婚した。私は泣きじゃくったけど兄は無表情のままだった。

 

私は分かってなかったけど、兄はわかっていたのかもしれない。私は受験しなくても良かったが、兄は受験しなきゃいけない年で、わざわざ地元でなく引っ越す地域の高校を受験しなければならなかったからだ。

 

生まれてから15年間もいた町を兄は大好きだった。私たちのいた町は小さい町だったから、小さい頃から中学までずっと一緒で仲良くしていた友達がたくさんいた。その町を離れる事など兄には考えられなく、ずっと反対していたらしい。だから兄は知っていて、聞いても無表情だったのかもしれない。

 

両親が別れ、兄が大学に合格して家を出て行くまでの3年間、ほとんど兄と話さなかった。兄は私とも母ともほとんど話さなかった。家は冷え切っていた。兄は家にいるのが嫌だったからか、母に家の庭にプレハブの部屋を作らせて、そこを自分の部屋としていた。

 

高校生活は楽しく送っていたようだった。帰宅部だった気がしたけど、友達もいて海沿いだったから初日の出を一緒に見に行っていたし、勉強はしっかりやっていて成績優秀で生徒会長とかもやってた気がする。高校生活を終えて、兄は東京の名門私立に合格し、家を出た。学部はやりたいことができる学部に行ったようだ。

 

私も地元の進学校に合格し、楽しく高校生活を送った。兄が出て行っても相変わらず家庭は冷え切っていたが、学校に行けば友達と会え、バカなことでおしゃべりし好きな人もできて高校生活は本当に楽しかった。兄もこんな気持ちだったのかもしれない。

 

高校時代に一度母と大喧嘩した。私はずっと気になっていた。なぜ離婚することになったのか。まったく説明してもらえていなかったことだ。子供だから分からないと思われていたらたまったものじゃない。子供にも知る権利はある。それに私はお父さんが大好きだった。なぜいきなり引き剥がされたのか、理由が知りたかった。このままでは納得できない。

 

母も話したくなかったのかもしれない。新しい人生を踏み出したかったのかもしれない。また、過去を忘れたかったのかもしれない。しかしこれほどまでに兄と私の心を傷つけたであろう理由を私は知りたかったのだ。

 

私も母も気性が荒い方ではないのに、その時ばかりは怒鳴りあい、叫び合い。「何で教えてくれないの!!」「あんたは私と似て気持ち悪いのよ!!」とかそういう感じだ。結局、理由は当時一緒に住んでいた父方のおばあちゃんが多額の借金を抱えてしまい、許せなかったということだった。全て肩代わりしていたそう。私は両親共働きでよくおばあちゃんに世話をしてもらっていたし、おばあちゃんが大好きだったのでそれを聞いた時の絶望は計り知れない。

 

この時の話で、私はかなり納得した。「貯蓄が趣味」とか言ってる堅実な母には耐えられなかったのだろう。仕方ないと思った。ここから、なんとなく母の気持ちがわかるようになり、相変わらず家は嫌だったけどなんとなく母に優しくしようと思ったりできるようになった。でも兄はまだこのことを知らない。

 

やがて私も大学に合格し一人暮らしを始めるようになった。兄とはもう長い間一切連絡を取っていない。一人暮らしを始めると親のありがたみもわかってきた。兄もそうだったのではないか。正月に帰った時に母とよく温泉に行っていたのだが、大学3年の正月、なんと兄も行くと言いだした。衝撃だった。

 

旅館でご飯を食べていると「結局何で別れることになったの?」といきなりの兄からの突撃。ああ来た。聞かずにはいられなかったのだろうと思った。これを聞くために、今日来たのだと思った。私は兄の気持ちが痛いほどわかった。とにかく知りたいのだ。納得したいのだ。不信感を持たずに気持ち良く家族で過ごしたいのだ。

 

いつも陽気な母も、正月なのになんてことを聞くのだと言わんばかりにモゴモゴと喋り、説明。話を聞き「絶対女関係だと思ってた」と悪態をつく兄。「私もお兄ちゃんもずっと真相を気になってたんだよ、それで家にいたくなかったんだよ」と私。こういうことを言うことで家を作ってきた母を傷つけるのはわかっていた。

 

「そんな風に思われていたなんて思いもしなくて」泣き始める母。それもそうだ、母は働いて私たちを食べさせることに精一杯だったのだから。でも私たちの思いを置き去りにして欲しくなかった。私たちの母親だから。「なんで別れたの?」「なんで傷つけたの?」「なんで答えてくれないの?」「なんでなんで?」そんな子供みたいな気持ちに応えて欲しかった。

 

その夜、温泉に入り母は泣き疲れて就寝。私と兄は部屋の窓際でお酒を飲んでいた。お酒も入って、幼少期ぶりに兄の前で泣いた。次の日からは張り詰めた空気はなくなったと思う。

 

この件があっても相変わらず私は兄とは連絡を取っていなかった。ただ母と兄の連絡を取る頻度は高くなった気がする。大学の兄弟を持つ友達はみんな兄弟と仲が良く、羨ましかった。それを母に言うと「普通でいいんだよ。仲良くあろうとする必要はないと思うよ、普通でいいよ」と言ってくれた。なんかこの言葉が嬉しく、まあこのままでもいいかと思えた。

 

何年か経ち、いつの間にか正月の一泊温泉旅行も毎年恒例の行事になっていた。大学も卒業し、社会人になる頃、兄が旅館で「彼女ができた」と報告。兄にとっては初めての彼女である。「クリスマスもどこどこに行って、これをあげて〜」と十何年かぶりに柔らかい表情の兄を見た。兄をこんな表情にさせる女性がいるのかと母も思ったに違いない。兄に恋人ができて心から嬉しかった。家庭が冷えていた人間には、他の場所での癒しが必要なのだ。

 

母と兄は、私と兄よりは連絡の頻度が高く、仕事などのことでたまに連絡を取っていて、この辺りから兄の近況を母から聞くということが増えていた。私はそれまで兄が何をやっているかあまり知らなかった。正月に一回会うだけだから当たり前である。私からも特に連絡していなかった。

 

兄は何やら学部卒業後、大学院へと進み修士号を取り、更に博士課程へと進んでいたらしい。アカデミックの道を進んでいるようだった。そして修士を終えた辺りから大学などで非正規だがフルタイムで働くようになっていたようだ。そして働きながらフィールドワークをやり、論文や共著を執筆していると。

 

大学院で研究しながら働いている、の内容がよくわからなかったので全部母に詳しく聞いた。で、たまに展覧会的なやつがあったので母と見に行ったりして理解を深めた(ただやはり内容が専門的すぎてよくわからなかったが)。

 

私は一つのことを続けられない性格なので、一つのことに興味を持ってずっと続けている兄が心からすごいと思った。またフルで働きながら論文を何本か書いているとかいうのも信じられなかった。どうやって?この時あたりから、自分にはできないことをやっている兄を尊敬するようになった。伝えはしなかったが。国際学会などにも出ているらしく、中学時代の野球では万年スコアラーでもこっちの分野ではエースではないか?と感心。

 

そうやって母からいろいろ聞いたりしているうちに、自分でも調べるようになった。どうやら兄の状況は「ポスドク」というやつらしい。ポスドクとは、博士課程後非正規で研究をしている人のことで、論文を書けば教授になれて食べていけるわけではなく、高学歴ニートを量産してしまう、危険な領域なのだとか。アカデミックは厳しい分野なのだ。ということで妹ながらに心配になった。兄は大学の教授になるのは結構厳しいので、「いろいろ道を残すようにしている」らしかったのだが。

 

兄のことをそうやって心配していた私であったが、新卒1年めで鬱状態になってしまい、新卒で入った会社を辞めることになった。私は母にだけ言ったのだが、もちろん母が兄に言ったらしく「お兄ちゃんも心配してたよ」と言われた。私を心配するなんて現象は十何年ぶりなのか、と思った。正月にあっても私の話は「ああそう」くらいに聞いていたと記憶していたが。それでも心配されるのはやはり嬉しいものだ。

 

私は療養期間に入り、しばらくしてバイトに復帰。正月には毎年恒例の一泊温泉旅行。私もまあまあ元気になり、兄の彼女の話題や私の結婚の話題なんかで盛り上がり、家族水入らずの時を過ごした。何となく和やかムード。

 

「今度彼女とお前の彼氏と4人で飯でも行くか」なんて言い始める兄。うまくいっているようで何より。兄は今年30だから彼女が兄をもらってくれるといいのだが。あとは、兄の契約が来年度で終わりなんで就活せねばならず、勝負の年だね〜なんて話していた。30歳、文系ポスドク研究者が入れる会社なんてあるのか?と一人で真剣に考える。

 

年に一回だがいろいろここで話すのが年々楽しくなってきていた。その背景には母の「仲良くなくていい、普通でいい」という言葉がいつもあったからとも思う。年に一回でもいい。普通に近況を時々笑いながら話せれば。少しずつ、氷が溶けていくのがわかった。

 

私も結婚し、日々楽しく過ごしていたが、兄の就活のことが気になっていた。相変わらず連絡はない。すると母から連絡が入った。「お兄ちゃんの高校の同級生の○○くんが亡くなりました。一緒に日の出も見に行った仲でした。通夜でこちらに帰ってくるそうです」と。大切な人を失った悲しみは想像できない。心配したものの、母に返信するだけで、私から兄に連絡は特にしなかった。

 

そしてまた一ヶ月後くらいに母から連絡が入った。「悲報。お兄ちゃんが○○ちゃんと別れました。LINEで言われたって。なんかそういうのヤダなあ。」という内容。まず衝撃だったのは、別れたことではなくて、兄から恋愛の内容で母に連絡がいったことだった。あの兄が!?高校時代から母を無視ばっかりして悪態つきまくり、ろくに連絡もしていないあの兄がなんと母に彼女と別れたメールである。こんなに驚くこと他にない!

 

とりあえず「それは残念だったね。私も悲しい。LINEでって誠意が感じられないね。でもまずは就職じゃない?」と冷静に母に返信。すると「それはそうだよ。今、公務員試験受けているらしいよ」と返信。あ、公務員試験受けてんの!?なんかちょっと安心する妹。公務員になればクビはないから安心。もちろん受かるかわからないけど。

 

ちょっといろいろ兄の話題が最近てんこ盛りだったので、母に電話することに。最近兄に起こったニュースを話す。別れた事件に関しては、兄からいきなり電話がかかってきて小一時間話したらしい。女子か。なんでも、こういう経験が初めてだったから自分では処理しきれなかったとか。女子か!で、お兄ちゃんの就職とりあえず決まるといいねと話して切った。

 

そしたらまさかの人生初の兄からの着信。最初びっくりしすぎて出れずに放置(おい。その後気持ちを整えて折り返し。

 

私「もしもし、さっきなんか着信入ってたから掛け直したけど」

兄「ああうん、まず就職関連だけど、今、公務員試験受けてる。あと、、俺、フラれたわ」 

私「ああ、知ってるよ。お母さんから聞いた」 

 

お母さんに電話したんだってぇ!?とか茶化すのもかわいそうなのでそこはスルーした。

 

兄「お母さんは年代が違うからわかんないこともあると思って、お前にも聞きたいんだけど、、、」 

 

と、何やらメインはフラれた話のようだ。妹に初めて電話かけるくらい兄にとってはビックイベントらしい。LINEで言われたことの意味がわからんそうで、これは嫌いになったのか、そうじゃないのか。ということが気になるらしい。

 

確かに女はめんどくさくなるとはっきり言わずに適当に濁して逃げる習性があるので、女性と初めて付き合った兄には難易度が高いだろうと思った。で、私の経験から彼女がどう思っているのかを述べさせていただいた。兄はがっくしきたようだ。

 

兄「そうかあ〜。最近ツイてないわ、同級生は死んじゃうしフラれるし、これで公務員試験落ちたら俺、完全に呪われてるわ。受からなかったら高学歴ニートになっちまう!」

私「そうだね。そうじゃないことを願うよ。」

 

と言いながら私は笑っていた。私は兄がツイてないことなんか正直どうでもよかった。むしろ兄がツイてないことで母と私に連絡が行き、これだけプライベートの込み入った話ができたことが衝撃で、とても嬉しかった。兄には怒られそうだが。我が家を冷え切らせていた氷は溶けたのだと、この時思った。こんななんのことはない話(兄にとっては大事件だが)を兄と電話で話す時が来るとは。

 

言うまでもなく、 この氷を溶かしていったのは、母である。母が、兄とも私ともつかず離れずの距離で連絡を取り、兄弟の近況を私たちに話して共有し、一押ししたら崩れそうな家を柱となって、紐でつないで支えてくれた。それがなかったら、どうやってここまで来れただろう。

 

私は諦めていた。母の葬式でくらいしか、もう兄とまともなコミュニケーションを取れないと思っていた。でも、なんか、こういうこともあるんだなと思った。わけがわからない感情。でも暖かい感情。あんなに、お互いのことに興味も持たずに過ごしてきたのに。なんでこんなに涙が出てくるのだろう。本当は、知りたかった?お兄ちゃんがどんな勉強をしているのか。どんな生活をしているのか。どんなことを考えて生きているのか。あの頃どう思っていたのか。

 

知りたかったさ。ずっと。

やっとこうやって、母を通さずして一対一で会話できるようになった。

ここまでくるのに何年かかったと思ってる。

涙も出るさ。

 

公務員試験頑張れと言って、電話を切った。間違いなく、この日は私にとって意味のある記念すべき一日となった。

 

 

ー 後日談 ー

兄が公務員に内定したらしい。

今年の正月は大いに盛り上がりそうな予感。

アカデミックの分野の研究も続けていくらしい。

やっぱそっちがやりたいとか。

よかったね。

生活が安定するし教授も夢じゃないかもよ。

彼女もまたできるよきっと。

お祝いに妹目線でなんかプレゼントでもしてあげようかと考え中!