いいだろう、確かに米国には南北戦争があった。戦争の殺りくの真っただ中にあって、北軍はなお1862年と1864年の選挙を予定通り実施した。当時を除くと、この11月8日にかかっている利害に匹敵するものは、米国の歴史上ほとんど存在しない。
次の大統領になり得るドナルド・トランプ氏は、選挙は不正操作されると予想している。同氏の勝利はまだ実現する可能性が残っているだけに、実際に負ける前から往生際の悪い敗者の役を演じているのは、ひどく奇妙だ。もう一人の候補であるヒラリー・クリントン氏は、トランプ氏がもたらす脅威を除けば、米国の制度はうまく機能していると考えている。クリントン氏の見方は見方で、対抗馬のそれとほとんど同じくらいゆがんでいる。トランプ氏が勝つかどうかにかかわらず、米国の民主主義制度は大きく揺らいでいる。
■「トランプ大統領」側近に不安
2種類の脅威を想像してほしい。クマが自分の山小屋に侵入してくる脅威と、シロアリが内側から小屋をむしばむ脅威だ。トランプ氏はクマだ。同氏の勝利がもたらす利点は、彼が「選挙は不正で盗まれた」と主張できなくなることだ。それどころではない。2016年の票の集計は、世界の歴史上、最もクリーンなものになるだろう。米国はグレート・アゲイン、再び偉大になるのだ! これを別にすれば、トランプ氏の勝利は大惨事となる。
多くの人は落ち着き払って、トランプ氏が大統領になっても米民主主義は無傷で乗り切れると予想している。彼らの言質は2つの部分から成る。1つ目は、トランプ氏は彼の最悪の習性を抑え込む経験豊富なアドバイザーで周囲を固める、というもの。2つ目は、たとえそのチームが愚か者の集まりであっても、行き過ぎがあれば米国の憲法が是正してくれる、というものだ。
彼らは慢心し過ぎだ。トランプ氏の助言者のほとんどは、本人と同じくらい不安を招く人々だ。筆頭格はトランプ氏である。「私の一番の外交政策アドバイザーは私自身であり、私はこの手のことについて優れた直感を持っている」と本人は言う。トランプ氏が「もし核兵器を使わないのなら、持つ意味は何なのか」と疑問を呈したことを忘れないでほしい。また、中国の近隣諸国に自前の核兵器を持つよう推奨している。核の切り札を使う決断は、大統領だけの専権事項だ。米国防総省は助言することしかできない。国家安全保障に携わった経験を持つ事実上すべての共和党員が8月に、トランプ氏は「史上最も無謀な大統領になる」と警告する書簡に署名している。
そして、トランプ氏の政治チームの存在がある。これについては、極右ウェブサイト「ブライトバート・ニュース」の元トップでトランプ氏の選挙対策会長を務めるスティーブン・バノン氏を見れば、それで事足りる。言論の自由などを保障する米国憲法修正第1条の権利を大切にする誰もが、心から心配すべきだ。トランプ氏が大統領になれば、バノン氏がホワイトハウスの思想上の指南役になる公算が大きいからだ。
■チェック・アンド・バランスが機能しない?
次に、米国のチェック・アンド・バランスの仕組みは、その機能を支える人に依存する。性格を別としても、トランプ氏は憲法が定める境界線に対して何の敬意も抱いていない。
憲法の制約を破った最後の大統領はリチャード・ニクソンだ。ニクソンは民主党全国委員会の本部ビル侵入事件への政権の加担をもみ消したことで、1974年に大統領辞任に追い込まれた。チェック・アンド・バランスの仕組みは機能したが、2年の歳月がかかった。