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〜2003年9月30日のJCO臨界事故4周年を前に〜
国家の犯罪
臨界事故の原因は如何に情報操作されたか!
2003.9.23
望月 彰(JCO臨界事故調査市民の会)
●「東海村「臨界」事故 国内最大の原子力事故・その責任は核燃機構だ」〈リンク〉(槌田敦+JCO臨界事故調査市民の会・編著、高文研・発行、1000円)がこの度発売となります。
●望月彰がJCO臨界事故について出前講座を行います。詳細は近日掲載いたします。
1999年9月30日、茨城県東海村で臨界事故が発生した。政府の危機管理能力が麻痺している中で、村上村長は350m圏内の退避を決断、被曝量の減少に貢献した。それでも2名の作業者が亡くなり、政府発表でも667名の被曝者が確認されている。水抜きの決死隊や救助にあたった消防士の被曝もあった。夕方雨の中を帰った小中学生、高校生の低線量被曝も心配されている。
事故を起こしたJCO東海事業所の転換試験棟と県道をはさんで反対側で働いていた大泉恵子さんは、その夜から下痢と嘔吐をくり返し、脱力、無気力感に苛まれ、入退院をくり返した。彼女は今、夫の昭一さんと共に、損害賠償と医療補償を求めて民事裁判をしている。風評被害には147億円を支払ったJCOは、健康被害には「因果関係の証明」を被害者側に要求し、0回答である。
写真家の金瀬ゆたかさんは、今年4月、JCO正門前の桜並木で、雄しべが花弁化した櫻を撮影し、週刊金曜日(5月23日号)に発表した。大泉さんの工場の櫻も異常であった。
日本の原子力史上最悪、最大の事故であった。その影響が村民や関係者に現れてくるのはいよいよこれからだろう。
さてこの事故は、被害の規模の大きさに加えて、この事故の原因と責任を欺くことにおいて、歴史的事件となった。
この事故はものづくりの中で発生した。だから、もし発注者(動燃)の注文が危険で違法なものであったなら、その注文を実現すべく作業したものの責任と、発注者の責任とはどちらが本質的責任であろうか。また原子力はすべてが許可制であるが、国の安全審査が無責任なデタラメであった場合、その許可どおりにものづくりした作業者・受注者と許可した行政当局とは、どちらに本質的責任があるのか。この二つの問いへの単純な結論が、当事者たちの情報操作によって完全に逆転しているのが、この臨界事故である。これは大規模な国家の犯罪と言わねばならない。
(1)動燃(現・核燃料サイクル開発機構)の危険な注文。
事故から3年を経た2002年10月21日、JCO弁護団は刑事裁判最終弁論で、動燃とJCOの契約の経緯を曝露した。1986年の最初の契約にあたって、JCOは「臨界安全管理を考慮して」「1ロット1バッチで生産したい」と申し入れたにもかかわらず、動燃がこれを拒否したので、1ロット40リットルになったというのである。
ここで「1ロット1バッチ」というのは以下のような意味である。動燃がJCOに発註したのは濃縮度18.8%のウランを硝酸に溶解したもの・硝酸ウラニル溶液であった。このウランは臨界安全管理のためには1回取扱量を安全係数をかけて2.4kgU以下としなければならないものであった。注文された硝酸ウラニル溶液の濃度は370gU/リットルだったので、この2.4kgUは硝酸ウラニル溶液の6.5リットルに相当するものである。そこで6.5リットルずつ作製し、6.5リットルずつ納入する、というのが1ロット1バッチである。これを逸脱すると臨界の危険があるということがアメリカの教科書に書いてあったので、政府も動燃もJCOも知っており、この条件を守って生産する事を「1バッチ縛り」と通称して、内閣総理大臣の許可条件としても、明記してあったのである。
だから動燃が1ロット40リットルを契約したのは、1バッチ縛り違反である。この違反は臨界の危険に関する違反なのである。この違反を3年間も隠していた。これが第1の情報操作であった。
動燃の危険な注文とはこのことに他ならない。動燃の意図は溶液の分析の効率化であって、福島瑞穂質問への政府回答に明瞭なので後に触れるが、この契約に関する経緯が3年間隠されている間に、事故の原因は、「JCOの杜撰な安全管理と作業者の逸脱行為」であるとして社会的に処理されてしまった。動燃や科技庁に責任転化するな、という判決まで出た。
(2)バケツのマインドコントロール
世論を誤って誘導する最初の言動は、有馬科技庁長官(事故当時)の第一声であった。「ウランをバケツで取り扱うとは、日本の作業者のなんたるモラルハザードか!」と記者会見した。バケツショックは、JCOの記者会見で「記者達の悲鳴が聞こえた」というほどの効果があったので、完璧なるマインドコントロールとなった。有馬明人氏は原子物理学者にして、元東大総長、理化学研究所長の経歴をもち、俳人でもあり、日本を代表する知識人である。その彼の発言に間違いのあろう筈がない!。
しかしながら前項で触れたように、一バッチ縛りを実施するためには6.5リットルずつ取り扱う(製造する)のが正しい臨界安全管理なのである。もし10リットルのバケツ(ステンレス容器)に6.5リットルつくれば、手で持ち運びしてもこぼれることはなく理想的容器なのである。科技庁・原子力安全委員会・内閣総理大臣の許可条件は「転換試験棟のウラン精製施設を流用して硝酸ウラニル溶液を作る」ということだったのであるが、この施設のバケツ以外の「容器」は小さくても35リットル、大きいのは95リットルもの大容量であって、1バッチ縛り(6.5リットル)をはるかにオーバーしている。有馬氏は「バケツ使用は自ら安全弁をはずすようなもの」とコメントしたのであるが、もし本心からそのように思っていたのであれば、目一杯恥ずかしいことだ。バケツ以外はすべて臨界安全管理を逸脱していた。バケツこそが安全だったのである。しかしながら、新聞記者も世の知識人も権威には弱い。有馬長官が正しいと思えば、悪いのは作業者やJCOの管理職達だということになる。日本中がバケツのマインドコントロールにひっかかってしまったというわけであった。
臨界とはウランの核分裂連鎖反応の始まる「量」の境界のことである。水素爆発は水素と酸素があるだけでは起きない。着火作用という第3の条件無しには何事も起きない。ウランの場合は着火作用は関係ない。一カ所に「量」が集まれば自動的に核分裂連鎖反応が始まるのである。したがって1バッチ縛りは原則中の原則なのであった。そしてバケツのみが1バッチ縛りを実施できる容器であった。槌田敦氏によれば、バケツこそが「臨界形状管理」であった。
(3)40リットル問題は棚上げして、沈殿槽問題のみにすり替える。
さらに決定的な情報操作は「なにを如何に作ろうとして事故になったのか」の問いを誤魔化したことである。臨界事故は横川、篠原、大内の3人の作業者が、沈殿槽に40リットル(約7バッチ)の硝酸ウラニル溶液を投入して発生した。何故彼らはこのような作業をしたのか。この問いを誤魔化すことに成功すれば、事故の原因を誤魔化すことに成功する。
問いは二つあったのである。第1に「何故40リットル投入したのか」。第2に「何故沈殿槽に投入したのか」。
バケツのマインドコントロールに成功した政府は、原子力安全委員会の事故調査委員会の「最終報告書」(1999.12.24)を「作業者の逸脱行為」論で締めくくることにした。このとき「何故40リットル投入したのか」の問いは棚上げし、「何故沈殿槽に投入したのか」のみを論ずることにしたのである。これが第2の情報操作であった。
曰く、裏マニュアルの「貯塔」で作業すれば、臨界安全管理のための形状管理がなされているのだから、事故にはならなかった筈である。作業者は直属の上司には無断で、隣のラインの竹村主任の「許可」を得て、沈殿槽を勝手に使ったので、臨界事故になった。悪いのは3人の作業者と竹村主任であると決めつけたのであった。このすり替えは大成功した。良心的識者たちでさえ、「作業者や主任の効率第1主義が沈殿槽使用に繋がった」とコメントしたのである。
が、既にみたように1バッチ縛りとは6.5リットルずつ作ることであるから、40リットルの投入は1バッチ縛り違反である。一方、沈殿槽の使用は正しかったわけではないが「内閣総理大臣の許可条件の範囲内」であった。なにしろ「精製施設を流用する」こと以外には如何なる条件も無かったからである。
40リットル問題が主で、沈殿槽問題が副であることは明らかだ。実際6バッチ(39リットル)までは何事も起きなかった。次の1バッチ(6.5リットル)投入で40リットルのハードルを越えて臨界になった。そしてなぜ40リットル投入したかといえば、1ロット40リットルの契約をしたからだ。契約したのは動燃とJCOである。水戸地裁はこのことを最終弁論の公判廷で確認していたにもかかわらず、無視して「国に責任転嫁するな」という判決を下した。白を黒といいくるめるとはこのことに他ならないであろう。
(4)福島瑞穂質問への政府回答
何故1ロット40リットルになったのか。昨年12月13日付けの福島瑞穂質問への政府回答(今年2月7日)には以下の如き説明があった。
動燃とJCOは、できあがった硝酸ウラニル溶液をJCOから動燃に輸送する際、原子炉等規制法に基づく分析をしなければならなかった。輸送車1台は4リットル容器(ミルク缶と通称)10ヶを輸送するように作られていた。勿論臨界安全管理のために40センチずつ間隔を空けて輸送するのである。このとき原子炉等規制法によれば、ミルク缶(4リットル)それぞれすべてについて、一つずつ、ウラン濃度などを実測した上で輸送するという許可条件であった。
動燃はミルク缶1本を分析すれば、残り9本は分析せず同じ数字を記入すればよいようにしたかったというのである。そのために40リットルの混合均一化を求めたのであった。だから効率第1主義は作業者ではなく動燃であった。
ものづくりの現場をイメージしてもらいたい。作業者はまずバケツ(ステンレス容器)に硝酸ウラニル溶液を作った。2.4kgのウランを溶かして6.5リットルにしたのである。これで製品は完成しているのである。そして勿論この作業こそ完全なる1バッチ縛りの作業であった。もしステンレス容器にフタをしてこぼれないようにすれば、そのまま輸送車に積み込んで50分ほど走って動燃に納入すればいいのである。ただし、分析はそれぞれ10本実施しなければならない。分析の手間は10倍であるが、臨界になることは絶対にない。
事故の原因は動燃の臨界安全管理を逸脱する注文であった。福島瑞穂質問への政府回答こそはその動かぬ証拠である。
(5)違法なクロスブレンディング!
福島瑞穂質問と政府回答には、実はこれに先だって7月25日質問、9月18日回答分があった。ここにおいて政府は、硝酸ウラニル溶液の混合均一化については、クロスブレンディング以外は「許可の範囲を逸脱している」と回答している。その理由として、加工の変更許可申請・審査をしていないからだ、という趣旨を述べている。
しかしながら40リットルを混合均一化するのは、1バッチ縛り違反である。1バッチ縛りに違反せずに「40リットルを混合均一化」する事はできない。このことを内心では「理解」している政府は、クロスブレンディングによる「混合均一化」だけは「許可の範囲」だと回答してきた。(付属質問への10月9日回答)
それによれば、貯蔵は許可されており、貯蔵の一環として「詰め替える」ことはありうるのだから、合法だというのであった。まことに苦しい弁解だ。濃度の均一化は作業ではなく、「貯蔵」だと言いくるめたいのであろうが、見え透いた詭弁だという他はない。
クロスブレンディングとは、「バケツ」で7バッチ(7杯)の硝酸ウラニル溶液をつくっておき、一方、空の4リットル容器(ミルク缶)を10ヶ並べておいて、500_リットルメスシリンダーでバケツから正確に等量ずつ計量した溶液を、順次ミルク缶に配っていくというものである。長谷証言によれば、「60回も70回も中腰で行ったり来たりせねばならず、きつかった。」臨界を避けるためにミルク缶は互いに40センチ以上間隔をとって配置されていなければならなかった。きわめて労働負荷の高い「作業」であった。もし作業者が「楽をしようとして」40センチ間隔を0にすれば、臨界の危険に繋がるのである。これが「許可の範囲」で合法だというのは、官僚の建前論ではあるが、実際のものづくりには何の役にもたちはしない。そして長谷証言によれば、苦労多くして「均一化できなかった」というのであった。
クロスブレンディングが40リットル(約7バッチ)の硝酸ウラニル溶液を同時に取り扱っていることは、否定しようがない。1バッチ縛り違反であり、臨界安全管理の逸脱であることは明白である。これを合法だとする政府の強弁は何年持つであろうか。
(6)事故原因究明の方法論
以上で東海村臨界事故の原因が、動燃の無理で危険な注文にあることを論証したのであるが、この調査と論証の方法はわれわれのよってたつ社会的立場に規定されていたものであることを指摘しておくことにする。
政府・原子力安全委員会・事故調査委員会の報告書、水戸地検の冒頭陳述、水戸地裁の判決、あるいは茨城県の報告書、さらには読売新聞社ほかのマスコミ関係者の書物など、これまで臨界事故を取り上げた文献はいずれも1984年頃からの具体的な歴史的事実を展開し、事故に至った経緯の全面展開をもって、その結論に1999年9月30日の作業者の行為を述べているのである。
われわれにこれと同じ全面展開を求められても、はじめから無理というものである。彼らは当事者達(動燃やJCO)と公式にも非公式にも近しい関係にあって、直接「調査」できる。尋問や証拠書類の押収もある。
事故直後、JCO臨界事故調査市民の会(槌田敦代表)は動燃に質問書を手交し、設備の見学を要請した。硝酸ウラニル溶液の混合均一化はJCOで行う前は、動燃が自ら行っていたと報道されているのは真実か、そうであれば如何なる設備でいかなる作業をしていたのか、これを明らかにするよう求めたのであった。動燃は「ちょっと待って欲しい」と言って、1年間の時を稼いだ後、「そのような設備はないので、見学はお断り」と言ってきた。「自主、民主、公開」という原子力基本法の精神はリップサービスに過ぎないのか。「お断り」は認められないからといって、強行調査するわけにもいかない。
それではわれわれには事故原因の調査は無理なのかといえば、そんなことはない。われわれは、彼らの報告書のなかの矛盾を突き止め、彼らの報告書の隠されている部分を明らかにする。彼らの言葉それ自身によって、原因を突き止めるのである。この際、事故に係わるすべてを知ろうとするのではなく、一点に絞って究明すれば、自ずと真実は見えてくる。その一点とは「何を如何に作ろうとしていたのか」である。
この立場から水戸地裁の越島所長証言と弁護団最終弁論にかかわって、福島瑞穂質問をお願いした。これに対する政府回答はすでに述べたとうりである。つまり、政府回答こそ「動燃が引き起こした臨界事故」であることを事実上白状するものだったのである。
(7)「無理なこと」とは「不可能なこと」
故高木仁三郎氏は次のように述べていた。「たとえば1ロット40リットルを均一にしろなどという要求は、かなり無理な要求で、4リットルの輸送容器を使い、しかも1バッチ6.5リットルを4リットルの容器に分取して、さらに全体としては40リットルのロットにするという、数字上も非常に無理のあるプロセスなんですね」(「証言」七つ森書館)
ということは彼は問題の所在に気が付いていたのである。もし彼が2002年10月21日の弁護団最終弁論を聴いたならば、それみたことかと言ったに違いない。
しかしながら、「ものづくり」の経験者であるならば、「無理なものづくり」とは「ものづくり不可能」と同義であることに言及して欲しかった。硝酸ウラニル溶液の混合均一化は「無理」である。むりを承知でごまかしごまかしやれば、2回3回は「可能」かも知れないが、それ以上は続かない。無理をすれば「事故」となる。それがものづくりである。第4次常陽で始まった硝酸ウラニル溶液製造は、なぜか第5次常陽は中断され、第6次常陽で再開されて第9次常陽で臨界事故となった。
「無理ならば止める」ことができればよかったのだが、それができなかった。越島所長の前任者である嶋内所長は「均一化をJCOで行うような注文は断ればよかった」と証言した。ものづくりもできない、断ることもできない、という常態が無くならなければ、事故は何回でも起きるであろう。
(8)何故、沈殿槽を使ったのか。<不純物均一化の隠蔽>
政府・原子力安全委員会の事故調査委員会は「沈殿槽に40リットル投入した目的は、ウラン濃度の均一化」だったとしている。これが第3の情報操作であった。JCO弁護団の最終弁論によれば、ウラン濃度、不純物、遊離硝酸の均一化であった。ここに不純物が有ると無いとでは、作業は全く違ってくる。もしウラン濃度の均一化だけであるならば、沈殿槽を使う理由はまったくなかった。それどころか、貯塔による均一化も必要なければ、クロスブレンディングによる均一化も必要ない。
動燃とJCOの技術契約によれば、ウラン濃度は4リットルずつ小分けした10本の濃度を均一化したとき、380gU/リットル以下で有ればよかった。そこで仮に370gU/リットルの濃度で10本を均一にする事にしよう。1480.0gのウランを正確に計量し、硝酸に溶かして4.0リットルにすれば、370gU/リットルの硝酸ウラニル溶液ができる。この作業を10回くり返せば、目的の濃度均一な40リットル(ミルク缶10本)ができる。
この際、ウラン濃度均一の許容範囲について技術契約書は明示していない。これを明示するよう福島瑞穂質問にも入っていたが、政府回答ははぐらかしている。よって、10本の4リットル溶液の許容範囲は370gプラス・マイナス0.00001gではなく、370gプラス・マイナス0.1g程度だと判断しよう。これならば、市販の計量器でまったく濃度均一化可能である。混合する必要は全くなかった。
ここからは、証拠はないのだか、以下のように推論可能であろう。
JCOにとっての均一化の眼目は不純物であった。技術契約書によれば、不純物はppmオーダー(Uベース)の管理を求められていた。これでは逆立ちしてもクロスブレンディングでは均一化できない。さらに裏マニュアルとして騒がれた貯塔による均一化も無理だったに違いない。たった40リットルの均一化に200分を要したと報告されているが、ものづくりとしてはこの200分は異常だったのである。貯塔は直径17センチ、高さ3.5メートルの筒であって、これの上下をもう1本のパイプで円管状に繋いで、チッソを吹き込んで循環させたというのであるが、とても混合にはむいていない。
一方、沈殿槽には攪拌機が付いていた。不純物を混合均一化できるとすれば、唯一のプラントが沈殿槽だった。
しかしながら、沈殿槽の使用は「作業者の逸脱行為」とするシナリオであった。だから不純物均一化の情報を隠蔽したのだ。亡くなった篠原さんが沈殿槽使用を提案したと、判決の日になって明らかにしたのだが、故人は反論しない。これが原子力の「真実」なのであろう。
(9)科技庁・原子力安全委員会の無責任な安全審査。
JCO東海事業所で硝酸ウラニル溶液をつくるという許認可は1984年であった。
本来は酸化ウラン粉末の加工変更の許認可であったところ、動燃から出向して安全審査にあたった吉田守氏が「わくどり」(利権の確保)として「硝酸ウラニル溶液も申請せよ」と指示して許可されたのであった。そのため、酸化ウラン粉末の申請書に、ひとこと「硝酸ウラニル溶液」もつくると挿入しただけの申請書になって、そのまま許可された。
その結果、酸化ウラン粉末の精製施設で硝酸ウラニル溶液をつくるという奇怪なものづくりが「合法」化された。「1バッチ縛り」は「精製施設を使って1バッチ縛りを実施する」というのが「合法」となった。44リットルの溶解塔、35リットルの抽出塔・逆抽出塔、80リットルの貯塔、そして95リットルの沈殿槽の連結されている中にわずか6.5リットルのみ入れて作業せよ、という「許可」を意味した。正気の沙汰ではない。
そればかりではない。より本質的誤りであるが、ウラン精製施設とは不純物を精製する施設なのである。上記の塔や槽を経て沈殿槽から出てくる製品は不純物のない精製された製品である。不純物は塔や槽に残っている。残っていればいるほどこのプラントの目的に適っているのである。だから、せっかく精製したウランを再び精製施設に戻したのでは、不純物の中に戻すことになる。これこそ正気の沙汰ではない。長谷証言によれば、溶解塔の洗浄に3日もかかったという。
許可申請しなかったから「違法」だとされる「バケツ」であれば、1バッチ縛りを完全に実施できただけではなく、不純物も全く入ることはなかった。精製施設を使ったから、不純物の均一化が重大事態となったのであろう。
(10)国家の犯罪
以上を集約すれば、臨界事故は動燃の危険な注文と科技庁の無責任な安全審査の相乗効果によって引き起こされたと言うことができる。最終報告書から水戸地裁の判決に至る一連の結論は、ただ国民を欺くための作文でしかなかった。動燃は特殊法人である。国の分身である。100%国家予算で成り立っている。かれらは政府の事故調査委員会に2名の委員を送りこみ、情報を管理し、水戸地検と水戸地裁とも以心伝心で「国に責任転嫁するな!」という判決に漕ぎ着けて、ほくそ笑んでいる。自分の罪を見事に下々に転化できた。もんじゅ事故や再処理工場爆発のときは、ビデオ隠しなどが発覚して、「核燃料サイクル開発機構」と名称変更したが、JCOでは国民を欺くことに成功した。これでは、大事故の温床は拡大したと思う。心ある人々に警鐘を届けたいと思う。
うそつききつつき
きはつつかない
うそをつきつき
つきつつく 谷川俊太郎
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