何度か書いてるような気がしますが
ボクは、人にものを教えるのがとても苦手です。
講義だとか「若いスタッフに教えて欲しい」だとかお誘いをいただくのは光栄なことなんですが、やはり苦手意識が強くてほとんどお受けしたことがありません。
アニメはスポーツみたいなもので、実際に体(絵)を動かして繰り返し実践してひとつひとつ基本を習得しながら自分なりのやり方を見つけるのが良いと思ってます。
よく言われることですが、模写をしたり有名なアニメーターのコピーをすることも大いに結構だと思います。
ボクは個性的なアニメーターではないし、自分の個性を出したいと思ったことはあまりありません。
対象の個性を引き出してアニメ的に解釈・強調して描きたいと思うほうです。
なので、どちらかというと写実(リアル)寄りですが、写実ありきではありません
ボクはアニメの理論的なことを教わったことがなくて教科書の端っこにパラパラ漫画を描いてたところから始めています。
棒人間に鉄棒や床運動をさせる簡単なものから好きなアニメのワンカット、イチ場面を再現していました。
大作は「カリ城」の屋根走りから北の塔に貼り付くまでと「ヤマト」の反射衛星砲の発射プロセス〜ヤマトのドテッパラに命中して冥王星の海に沈むまで…をダイジェストでパラパラ漫画にしたもので、すべて授業中の仕事。(…勉強しろよ)
この頃のはタイミングのなんたるか、なんて眼中になくて、ただ絵が動くのが楽しかった。
趣味を仕事にしてからも、そういう努力とも言えないような、ただただ描きまくる時代を経て理論のようなものを意識し始めるまでに(動画時代含めて)7〜8年かかってます。
ちゃんと教わっていたらもっと早かったかもしれませんね。
かと言って独学とは言えません。原画をやり始めた頃の先輩から教わったことはとても大きいと思います。
それも、講義のような形ではなく、同じ作品をやるなかで、先輩の仕事を観察したり、先輩に見てもらって注意されたりすることから学んだんだろうと思います。
教わっている、という意識はあまりなく、一緒に作っている中での実践(実戦)だったんですね。
理論的なことは、アニメからより、実写映画からが大きいです。
主にヒッチコックの映画で学んでいます。
彼の演出技法はとてもアニメ的で、画面構成や、役者の演技付け、カット割りなどなどが細かくコントロールされています。悪く言えば人工的。
舞台劇、あるいは実際に繰り広げられる情景をそのまま撮影するのではなく、画面上でどう見えるかを中心に構築している。そこらへんの考え方がアニメの作り方と似てくるんでしょう。
カット内の役者の芝居はとても端的で余計なものがありません。
しかし、カット割りの妙で、観客にはあたかも複雑な芝居をしているかのように伝わるわけです。
ヒッチコックの演出法を理解した役者は、カットをつなぐことによって生まれる効果を理解できていたのだと思います。
だからこそ、ひとつひとつの動きが的確になっていた。
特にロバート・ドーナットやジェームス・スチュアートは目の芝居がとても印象的で、アニメ作画でも目は重要なので参考にしていました。
そのカットに必要な要素、要らない要素は何だろうか?
目線の向きや表情はどうすれば良いか?
などなど、ヒッチコック映画をよく観るようになって意識するようになったと思います。
そこから日常的なしぐさを観察して、アニメ作画に移し替える時に必要な要素と要らない要素を選ぶことへとつながっていきます。
選ぶためには見るだけでなく、自分で動いてみることも重要。
歩く・走る・立ち止まる・歩き出す・立ちあがる・座る・物をつかむ・置く・様々な感情表現・・・
自分でできることはすべてやってみて映像を想像し、必要な原画とタイムシートを頭のなかで(ほぼ)完成させます。
そこから先は必要な絵を描くだけです。
なので、絵を描く前にどれだけ想像できているかが重要で、画力は後から付いてきます。
想像した絵や動きが陳腐なら、陳腐な絵や動きしか描けません。
絵や動きを生み出すのに必要なのは想像力ですが、想像力を豊かにするのは(思考を含む)経験だと思います。
たくさんモノを見て、自分で動いて経験して、検証・分析する(考える)ことが、絵を描く前に必要なこと…。
と、アニメを30年やってきた今思うわけで、いきなりはできませんよ。
たまにいきなりできる天才がいますけどね。
ボクなんかは、ものすご〜〜く時間がかかっている凡人なので、ここに書いたことは自分が天才だと思う人以外は考えてみたほうが良いと思います。
自分の経験上、言葉であれこれ言うより一緒に仕事をしながら体感してもらうほうがアニメは楽しいんじゃないかなぁ、なんて思います。