40歳になったのを記念に、「不惑」からはほど遠いが、自分語りする。
世の中は分からないことだらけだった。
あとから聞かされたのだが、幼稚園にはじめていった時まったくしゃべらなくなったらしかった。
毎晩UFOがうちに来ているとなぜか思い込んでいた。
恥ずかしさというものが何なのか分からなくなり、なぜかパンツをずり下ろして登下校していた。
身体の動かしかたが分からなかったため、ぎくしゃくとロボットのように身体を動かしていた。
特殊学級があるのを知り、そこに自分がいないのはなぜかといぶかしんだ。
いつも泣いている自分を見て、親はいつも明日にはいいことがあると言い聞かせていた。
あくる日になったらなったで明日にはいいことがあると繰り返す親の言葉に、混乱はさらに加速した。
自分のことを指さして笑う同級生や教師を見て、確信は深まるばかりだった。
そこで熱心に部活をした結果、性格が明るくなり、いじめられることはなくなった。
いっちょまえに、幼稚園のころ、小学生のころと恋する気持ちはもっていた。
自分を受け入れてくれるかもしれないという可能性を感じることが、すなわち恋だった。
女子としゃべれるようになったきっかけは、高校3年生になった時に女子がどうでもよくなったからだった。
そのかわり勉強に恋した。
あるがままの自分でいるためには勉強すればよいのだという発想の転換があった。
後日、気が狂ったかと思ったと親から聞かされるくらい勉強し、偏差値40台から70台まで成績をあげた。
大学生になり、本気で女の人を好きになった。
自分の追いかける人には従順で、自分を追いかける人には残酷な人だった。
その奔放さに、その人のありのままの姿を感じ、そのありのままさに恋していた。
あまりにこっぴどくふられ続けたために人間不信になり、大学を留年した。
この時、自分のこしらえた箱庭的宇宙へと逃げ込む才覚があれば、もっとすごい人間になれたのではないかと思う。
大学卒業後、そこそこの会社に入社し、企画の仕事にたずさわった。
特許をいくつか取るほどにはがんばった。
が、結局丸3年勤めたところで退職した。
あれからいろいろあったが、大学院に入り直して、修士課程・博士過程と6年間を大学院生として過ごした。
この間に、嫁さんができた。
結婚式をした翌年に母が死んだ。
間もなく、准教授になった。
振り返ると、ありのままでいようとすることを原動力に努力してきた。
それがいつも自分にとってはよい結果をもたらしてくれてきた。
特に嫁さんは、言葉のあやではなく、まさに運命共同体としての支えでいてくれている。
社会に出る前後は勉強することが、ありのままでいるための方法だった。
ありのままでいることはむずかしい。