「本当にね、これ以上だれかの指図を受けて、言われるがままの人生なんて嫌なんだよ。」
「だから俺は将来的に自分の会社を作りたいと思う」
ぼちぼちよく目にするフレーズかなって思います。実際に起業した友人も、数年前にはこのようなことを言っていたから。
たしかに「誰かの指図を受けるような社畜なんてまっぴらごめんだ」って発言なんで、一見すると自分の会社さえ持ってしまえば解決しそうな悩みに思うんです。けど、根本的な解決策には結びつかないのが現実です。なぜなら「指図」してくる人が、上司からクライアント、または顧客に移り変わるだけなんですから。
いえいえ、僕自身は起業した経験なんてないですし、だれかと一緒に経営者の一人として会社を立てたことなんてありません。しかし、僕個人としてお仕事を受けたことはあります。そのときに感じたことが今日のテーマです。
たしかに僕の上長もめちゃくちゃ理不尽なことを言ってきたり、めちゃくちゃ詰めてくることもあります。そのたびに僕も「ほんとうぜえな、おい」「ほんと指図されたくないわー」なんて自分の不出来も棚に上げながら思うんです。ええ、それはそれは醜い感情でしょう。
そんな感じだったので、僕個人として(昼間の会社とは別という意味)お仕事をもらったときは飛び上がりましたね。
おおおおっしゃあ
ちょっとだけフリーランスだあああ
この収入が増えれば、社畜卒業だあああ
なんて浮かれたのも束の間。その人の要求は昼間の仕事よりも正直厳しかったです。そうして約束というか納期というか、期限より前に成果物を出すようにしても、さらに品質の向上や修正を要求してきます。個人的な仕事だったので、大変申し訳ないけど昼の仕事より格段に気合を入れて取り組みました。そしてなんとか先方の要求する水準に達して満足してもらえたのでした。
僕は思いました。
ああ、指図する人と内容が変わっただけだわ。って。
そんなこんなを経験したのは初秋頃でした。実は僕も、うすうすは気づいていたんですよ、ブログをやっている以上は。そうです。ソーシャルにしろ検索流入にしろ、僕みたいな没個性の人間は、ユーザーにウケるネタじゃないとまるでアクセスなんて伸びないんですね。
なんでそれに気づいたかっていうと、このブログでめっちゃ好き勝手書いたり、日記みたいな記事を更新してもですね、誰も読んでくれないんですよ。だって読者の彼らにとってまったく刺さらない内容だから。書いてる僕しか楽しくないんですから。
そんな感じなんで、どんなネタがどのタイミング、どんな風にウケるのかってのを意識しないといけないってことに気づきました。僕の好きな事とユーザーの求める事の多くは一致しなかったのです。
言葉や行動でこそ示されてはいませんが、ユーザーの求めるものを言葉なしに汲み取って提供しなければブログがもっと廃れる一方でしょう。その反対にウケる記事を提供できれば僕のブログも少しは弾みがつくってものです。つまり没個性の僕は、今度は「ユーザーの指図」を忠実に守らないと、まるで存在価値など見出されずに消えていくのでしょう。
そんなことにやっと気づいたのが10月も半ば。僕個人に別のひとから、また別の内容の仕事の依頼がやってきました。そのときに潜在意識の域を脱しそうな「おぼろげ指図されてる感」はついに顕在化しました。僕の成果物が4度も修正される現実。
冒頭に戻ります。
起業した友人なんですが、結局彼はどうなったかってところです。
結果はご想像の通り。上司や先輩のいいなりにならなくて良くなった代わりに、彼を待ち受けていたのはよりクライアントの過酷な要求と、金額交渉の難しさ、従業員たちの明文化されない「指図」など、挙げたらきりがありません。
でも、僕も彼もその解決策らしきはうっすら意識しているのかと思います。誰からも指図を受けたくなくば、まずは仕事を選べるステージに立つ事でしょうか。そんでもってその実績を裏付ける実力も身につけることなのかなあ。
いやいや、言うは易し、行うは難しですね。それでも久しぶりのブログは筆が進みますし、対価に見合わぬ労力だとしても、大きな裁量を握る喜びは、しばらく僕を前向きにさせてくれそうです。