厳選日本酒3蔵元巡り 料理と土地を味わう 芝浦工業大学特任教授 古川修
■「放し飼いの酒造り」で武骨なフルボディー――「竹鶴」(竹鶴酒造・広島県竹原市)
竹原市は江戸時代には製塩と酒造で発展した町であり、江戸・明治・大正・昭和の歴史的建造物が至る所に保存されている。その歴史的な街並みの中心に、竹鶴酒造はある。NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなったニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝氏の本家といえば、分かりやすいだろう。ドラマでは酒造りのシーンに竹鶴酒造会長の竹鶴寿夫さんや杜氏の石川達也さんも出演した。竹鶴酒造では、埼玉県蓮田市の神亀酒造で修業した石川さんが1996年から杜氏を務め、骨太で熟成してうまくなる日本酒を醸している。
石川さんの酒造りのモットーは「放し飼いの酒造り」。日本酒は原料のコメのでんぷんをこうじが分解して糖分をつくり、その糖分を酵母が食べてアルコール発酵する過程をとる。このこうじと酵母の仕事は同時に行われているので、日本酒は複式併発酵と呼ばれる、世界でも珍しい発酵プロセスとなっている。「放し飼い」とは、こうじと酵母に十分な発酵の仕事をさせるために人為的な管理を極力行わずに、なるべく自然にまかせて健全な発酵過程を得ようという考えである。
もろみで発酵させる前に、優しい乳酸の環境にして酒母という酵母を育てるのだが、最初に酵母を投入してから1日休ませる「打た瀬」と呼ばれる工程がある。打た瀬では、温度を低くすると酵母の繁殖が邪魔されて、酵母は増えない。たいていの酒蔵では打た瀬の温度をある程度上げて、多量の酵母を得ようとするのだが、石川さんは打た瀬の温度をわざと下げて、低い温度でしか生き残れない酵母だけにしてしまう。残った酵母はたくましさを身につけているので、もろみの発酵過程では酵母は元気よく健全に仕事をするわけである。
石川さんはまた、昔の酒母の造り方である生(き)もと造りに挑戦している。酒母は乳酸を好むので、環境を乳酸にしなければならない。その手法には、生もと、山廃もと、速醸もとの3種類がある。速醸もとは明治時代に開発された手法で、大量の乳酸菌を酒母に投入するので、手間がかからない。一方、生もとは、古くからある手法で、蒸したコメとこうじを半切りと呼ばれる平たい桶(おけ)に投入し、それを櫂(かい)でかき混ぜることで乳酸環境にする。手間がかかり、失敗する確率も高いが、石川さんはその歴史的な生もと造りで、日本酒を追究し続けているのだ。
こうじ造りにも、石川さんの酒造りの哲学が垣間見える。こうじ造りは蒸したコメにこうじ菌をふって、こうじを繁殖させる作業のことだが、最後の過程でこうじ蓋と呼ばれる小さい箱にこうじ菌が繁殖した蒸し米を入れて、それを積んだり積み替えたりして温度管理をする。石川さんは、こうじ蓋の横板が突出している昔の形状のものをわざわざ特注して使っている。その方がこうじ蓋を並べたときに隙間ができて温度管理がより適切にできるという。
「竹鶴」の酒質は、一言でいえば武骨でフルボディー。冷酒で飲むのは「犯罪行為」であり、もったいない。燗(かん)をして初めて味が出てくる。新酒もうまいが、まだ味わいが全体に出てきていないという、かわいげのなさが感じられる。それが1年、2年と熟成を重ねていくと、深い味わいがしみだしてくる。ワインで例えるなら、フランス・ボルドーの格付け第1級のシャトーラトゥールの頑固さを持っていると言えようか。「竹鶴」は購入して10年は寝かしておきたいところだが、そこは酒飲みのさが。我慢できずに栓を開けてしまい、また補充のための注文を重ねてしまうのだった。
◆ ◆ ◆
近年、日本酒ブームの再来とも言われ、メディアが日本酒を盛んに取り上げるようになった。日本酒ファンも確実に増えている。ただ、ブーム先行のきらいもあり、日本酒の品質が向上しているかといえば、そうとも言い切れない。むしろ、日本酒業界側がメディアを利用したり、流行を追ったりして、日本酒の歴史的な伝統に基づいた酒造りをしている酒蔵は少ないのではないか。例えば、大半の酒販店や居酒屋は、香りがフルーティーでフレッシュな酒を冷やして飲むことを勧めている。このような飲み方自体は間違ってはいないが、日本酒本来のおいしさを引き出す方向とは違っている。
昔から日本酒は、料理とともに飲まれてきた。その際、日本酒を温めてかん酒として飲むことが通常であり、冷やして飲む習慣は吟醸酒が一般消費者に広まってからのことである。さらに、江戸時代には、日本酒はできたての新酒よりも年月のたった熟成酒の方が高値で取引されていた。すなわち、日本酒の伝統的なおいしさを味わうには、料理と合わせて燗をして飲む、それも熟成させた酒を用いることが条件となる。
しかも、銘柄にも条件がある。熟成してうまくなり、燗をしてうまくなるつくり、すなわちこうじと酵母が健全な仕事を行う発酵プロセスが必要で、それによってしっかりとボディーのあるうまみが豊かな酒となる。このように、しっかりとしたつくりを実践している酒蔵は少ない。千数百あるといわれている蔵元のうち、数十蔵程度ではないかと感じられる。今回紹介した酒蔵は、いずれもしっかりとしたつくりを実践している。
いずれの蔵も製造現場の見学は受け付けていないが、宗玄酒造と竹鶴酒造はショップを併設しているので、そちらは予約なしでも訪問可能だ。旅先で気に入った日本酒に出合ったなら、そのつくりにまで思いをはせれば、新たな世界が開けるだろう。
古川修(ふるかわ・よしみ) 1948年東京生まれ。東京大学工学部卒。1977年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得退学。1977年本田技術研究所入社。自動運転システム、2足歩行ロボットなどのプロジェクトリーダーを経て、2002年芝浦工業大学教授。ITS(高度交通システム)における運転支援システム技術の国際標準化に取り組む。趣味は、ブルーグラス、カントリー、ジャズなどのバンド演奏、そば打ち、日本酒蔵巡りなど。主な著書は「クルマでわかる物理学」(オーム社)、「蕎麦屋酒」(光文社知恵の森文庫)、「世界一旨い日本酒」(光文社知恵の森文庫)。
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