競技会場の見直しやふくらむ経費問題などで東京五輪・パラリンピックが揺れている。

 責任のあいまいさがこの混迷を招いたことを思うとき、同じく心配になるのは五輪とともに実施が義務づけられている「文化プログラム」の行方だ。

 五輪憲章は「スポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求する」とうたう。これを踏まえ、先月から演劇、音楽、美術などの催しが、各地で本格的に始まった。大会の盛り上げ役にとどまらず、日本文化を見つめ直し、新たに育て、世界へ発信する好機にしたい。

 肝心なのは、それを実現するための態勢づくりである。

 大会組織委員会や東京都、政府、芸術団体、スポンサー企業などがかかわり、4年間で約20万件のイベントを開くという目標は掲げられている。

 だが、全体を統括するゼネラルプロデューサーは決まっていない。すでに行われた催しの中には野心的なものも散見されるが、率直に言って社会の認知度は低く、存在感は薄い。

 文化・芸術の多様な表現から何を重視し、どのように打ち出すのか。全体を貫くビジョンがなければ、単なる寄せ集めになってしまう。プロデューサーの考えを理解して企画を見定める能力をもつ集団をつくり、実務は任せ、組織委や行政はバックアップに徹する。そんなとり組みを急がなければならない。

 最大の成功例とされる12年ロンドン五輪では4年間に約18万件のイベントがあり、4300万人が参加した。五輪本番の年には、世界から集まった劇団が37言語でシェークスピアの全37作品を上演したり、繁華街の広場ピカデリーサーカスの道を封鎖して、終日サーカスを繰り広げたりした。

 「一生に一度きり」のテーマのもと、各国から多くの若手芸術家を招き、斬新なプランを並べたのはルース・マッケンジーさんだ。五輪閉会後に来日したときは、体験を踏まえ、早く準備を始めるよう助言した。

 トウキョウも、長丁場にわたるこの「文化マラソン」を、世界に開かれたものにしたい。

 いまは和の魅力を打ち出す企画が目につくが、たとえば浮世絵がゴッホに影響を与えたように、外国の芸術家に新たな視点や手法で日本を再創造してもらう「新ジャポニスム」のような挑戦も面白いのではないか。

 近年の五輪は一過性のお祭りではなく、後世に何を残せるかが問われる。この文化プログラムが、次代の芸術家が羽ばたくきっかけとなってほしい。