1970年代まで、映画、演劇、音楽なども「楽しけりゃそれでいいというわけじゃない」との雰囲気が漂う時代があった。そんな頃、こだわりの強い若者たちに愛読された情報誌が「シティロード」。対抗誌「ぴあ」があらゆるエンタメ情報を一切価値判断を下さず並列に載せていたのに対して、同誌はいちいちこうるさかった。
再見しても、シンプルな映画演劇情報のみでなく、批評やインタビューなどがボリューム感たっぷりで、しかもはっきりと好みを語り、辛口である。例えば歌謡曲評であの平岡正明(評論家)が連載していたり、新作映画批評では黒澤明監督の「影武者」を「頽廃した二流時代劇」(1980年6月号)などと言い切っている。
お勧めものには同誌なりの傾向があり、映画で言えば、当時注目され始めていた長谷川和彦監督(「太陽を盗んだ男」「青春の殺人者」)や、原田眞人監督(「さらば映画の友よ インディアンサマー」)などに対しては、明らかにテンション高い取り上げ方をしている。
そんな同誌は、貴重な、今に伝わる時代の証言も残している。1980年1月号インタビュー欄では山下達郎が登場し「やっぱり、本当の意味で商業音楽にならないとね。でも本当にこういう音楽が定着するには、僕の世代じゃ無理でしょうね」と語っている。
まだ「RIDE ON TIME」や「クリスマス・イブ」のヒット曲が出る前の時代。「僕の場合、当時の日本の歌謡曲より、アメリカン・ポップスのほうが、はるかに説得力があった。所詮むこうの借り物で(中略)僕はそれを、自分の中で肉体化させるまでやってやろうと思ってる。(中略)借り物じゃなく日本人の肉体に同調させるまでやらなくちゃね」との言葉から35年もが経ち、偉大な才能と努力によりなしえたことを今、彼の活動から僕らは感じることができる。
「ぴあ」と「シティロード」の2誌は、70年代にはわかりやすい対立構造で、情報誌の2大勢力だったが、しだいに時代のエンタメ志向に押され、「ぴあ」の独り勝ちとなった。
しかし、2誌ともにない今、「楽しいだけでよい」といえる日々はいつのまにか過ぎ去ってしまったようだ。次の時代の傾向を指し示すメディアが雑誌からも現れてくるのを強く希望している。 =敬称略 (矢吹博志)