引退・黒田へ広島市民の夢「ぜひ、市長になって」2014年土砂災害の被災者が語る
今度は私たちのリーダーに―。5日、広島市内で開催されたプロ野球・広島カープのリーグ優勝パレードで最後のユニホーム姿を披露した黒田博樹投手(41)の今後に、ある希望を抱く人がいる。2014年8月の広島土砂災害で被災した後、黒田から偶然の訪問を受けた広島市安佐南区の野間茂さん(70)は「ぜひ市長になって、選手の時と同じように後ろ姿で僕らを引っ張ってほしいんです」と語る。
平和大通りを埋め尽くした31万人もの市民の視線は黒田へと向かった。別れを惜しむ声も感謝の言葉も、背中に刻まれた永久欠番「15」に注がれた。テレビ中継を見守りながら、野間さんは願っていた。「私には夢があるんです。黒田さんが市長になってくれること。理由は『男気』ではないです。人情と誠実さ、口ではなく後ろ姿で引っ張ってくれる人だから」
あの日のことが今も心の支えになっている。2014年10月25日、メジャーでのラストシーズンを終えた黒田は帰国の翌日、誰にも告げずに土砂災害の現場に赴いた。そして、住民66人が亡くなった安佐南区緑井地区で偶然にも足を運んだのが野間さんの自宅だった。
泥をかき出していたボランティアたちは大騒ぎに。そして「黒田さん、今年も頑張られましたね!」と声を掛けられた15番は「いや、本当に頑張っているのはあなたたちですよ」と笑顔を返した。絶望の中にいた野間さんにとって、生涯忘れられない時間だった。「でもね、あの時より今の方が思うんですよ。すごい人が来てくれたんだなあって。それからの彼の言葉や人柄を見てきたから」
あれから2年。半壊した自宅の再建を諦め、別の場所で仮住まいしていた野間さんだが、ちょうどカープが優勝へと加速していた今年8月下旬、もとの住所に家を建てることができた。「ようやく一歩を踏み出せて、今は安らいだ気持ちです。もちろん元の場所に戻りたい、という気持ちでしたけど、黒田さんが『あの時の家、どうなったのかな、見てこようかな』って思って来てくれたとしたら、喜んでもらえるじゃろうからって」
黒田は家族の待つ米国に戻ると伝えられている。その後、カープの指導者になると考えるのが自然だが、野間さんが将来的に夢見るのは「黒田市長」だ。「すぐ現場に足を運んでくれた行動力、誠実な言葉、準備の姿勢。どれも政治家に適した資質です」。世界初の被爆都市で、今年は米オバマ大統領の来訪も話題になった広島市。市民や街に深い愛情を抱き、世界を知る男こそ適任と断言する。
大阪市に生まれ、大学時代を東京で過ごし、米国でも7年のキャリアを積んだ黒田は13年間を広島で過ごした。広島市長は戦後8人誕生し、6人は県内(うち2人が市内)生まれだが、前市長の秋葉忠利氏(74)の出生地は東京都で、前々市長の平岡敬氏(88)は黒田と同じ大阪市生まれ。野間さんは言った。「15番を『みなさんの背番号』と言ってくれた黒田さんこそ、ふさわしいと思うんです」。絵空事ではない。本気の願いだった。(北野 新太)
◆広島土砂災害 2014年8月20日未明、広島市安佐南区、安佐北区で局地的豪雨による土砂崩れや土石流が発生。住宅街を襲い、計74人が犠牲になった。特に野間さん宅のある緑井地区と八木地区の被害は甚大で死者は計66人に上った。黒田は発生直後に義援金を金額非公表で送っている。