▼インタビュー
再帰性と再帰性が反射する--三村京子について
再帰性と再帰性が反射する--三村京子について
【解題】
早稲田二文での僕の教え子・三村京子さんが、とうとう船戸博史さん(ふちがみとふなと、ウッドベースの名プレイヤー、長谷川健一のプロデュースでもお馴染み)のプロデュースを得て、待望の新譜『東京では少女歌手なんて』をリリースした。現在、タワーレコードなどのメガCDショップなみならず、彼女が運営する「三村京子オフィシャルサイト」でもこの新譜の注文ができる。ファンも待っていたとみえて出足は快調だ。
僕の書いたものをチェックしているひとにはご存知だろうが、僕はアルバム収録曲中14曲で、作詞、もしくは作曲を手伝っている。三村さんはすごく身体的にリアルな声をもつ歌手で、作曲にみられるコード進行にもものすごく才能を感じる。「歌」がこれほど可能性をもつものとして聴き手に迫ってくるのは、歌が衰退している昨今では、非常に稀有なことと映るのではないだろうか。
むろん僕の詞は、彼女の歌の流れのなかで、刺戟的な「綺羅」をちりばめることに貢献したとおもう。文化論的な仕掛も数多くある。ニール・ヤングなど、70年代初期までの最良のロック歌曲・歌唱をも髣髴とさせる彼女の音楽は、しかしJポップを身体的に経由している「新しさ」がある。CDオビの惹句では、そのジャンルは「フォーキィなアヴァンポップ」と規定された。やさしい。不安定。笑い、ときに悲哀が胸に迫ってくる。ロー・トウェンティーズの多元的な精神地図が浮上してくる。
以下は、同じく早稲田二文の大中真慶くんによる僕のインタビュー。アルバムが完パケ間近の時期におこなわれた。ご当人・三村京子さんも同席し、途中、いくつかの発言をしている。
(阿部)
再帰性と再帰性が反射する
――三村京子について
●阿部嘉昭インタビュー
(聴き手・大中真慶)
***(1)***
――三村さんとの出会いのきっかけはどのようなものだったのですか?
阿部嘉昭(以下、阿部)
05年の早稲田二文の後期授業で、Jポップをアーティスト別に検証する授業をやっていたんだけど、その受講者のなかに三村さんがいて、あるとき授業後、彼女に「アルバムを作ったんですけど」といわれて『三毛猫』を渡されたのが最初の出会いでした。授業中には「こういう子がいる」という意識は全然なかったので、いきなり暗い子がもぞもぞっとCDを渡しにやってきて、嵐のように去っていったという(笑)、すごく唐突な印象でしたね。
そのCDにメアドが書いてあったので、感想をメールで送ったんですよ。歯に衣着せぬ文面だったと記憶しています。最後に、「来週、説教するから、授業後の飲み会に来るように」と綴りました。
――『三毛猫』を最初に聴いた感想は、あまり芳しいものではなかったんですね?
阿部
はい。ついこないだ、2年ぶりくらい聴き返してたんだけど、そのときの反応がどうだったか、ふと思い出しました。まあ1つは音的に非常に粗いというか。それと歌詞が幼い。それから歌唱も幼い。なんだけども、ガーリーな、しかもフォーキーな音楽という枠組は確かにあって、「ああ、こういうことをやりたいんだな」ってことは分かった。ただし、曲の粒もバラバラだし、何もかもが不安定だし、やはり評価ができない。同時に、そういう不安定さを当時の僕は少女性の発露として、面白いと捉えてたんだなあと思った。
メロディラインが優しい曲がいくつかあって、作曲能力はあるのかなという気がした。ギターは結構本気で弾いていて、三輪二郎さんの好サポートもあるんだけど、彼女自身のギターを聴いてみてもスリーフィンガー・ピッキングが力強くて、女の子にしてはきちんと弾いているなという感覚を持った。
ただ繰り返すけど歌詞が、まだ子供の歌詞っていうか。三村さんと同じ年齢の学生たちと僕はやりとりをしているものだから、そういう判断からしても「幼いかな」と。でもそういう所で逆にアナーキーなざわめきも出ていて、それが面白かったから、彼女にさっきのメールを送ったのです。
――飲み屋ではどうなりました?
阿部
その飲み屋にちょうどギターがあって、それで僕が「ギター弾いてみ」と言ったら、三村さん、覚悟したように一所懸命弾くんだよね(笑)。指使いの面倒くさいラグタイムとか、オープンDチューニングでアドリブを弾いてみるとか。スティーヴ・グッドマンとジョニ・ミッチェルとバート・ヤンシュが手を携えたような(笑)。それで「やっぱギターフリークだ。思った通りだった」と一種の感銘を受けた。フレットのうえを忙しく動く指をエロいものとしてみていた(笑)。その時の、フレッドの高い所で弾くラグタイムとかは『三毛猫』に入ってなかったから、アルバム制作後もギターの鍛錬をしているんだなと思った。友部正人の「一本道」をそこで一緒に歌った記憶もある。年齢差があるのに、音楽的記憶に共通部分が多いのも嬉しかった。
実はその前の週、アルバムを渡された段階のことだけど、三村さん抜きの飲み屋で、まだ聴いてない段階で歌詞カードだけをみて、他のみんなと大笑いしたっていう後ろめたさもあって(笑)。CDの外見だけを対象にした欠席裁判。「ああ、不思議ちゃんだよ」と。残酷なことをしたと思っています。歌詞カードを一瞥しただけで、収録されているどの曲も焦点がぼやけているとわかる。歌詞の一行で聴き手を「もって行かせる」曲がなくって、「ああ効率の悪い音楽してるな」と思ったんですね。
翌週のその飲み屋ではその辺の説教をした気がする。メールでもそのようなことを書いたし。それで当人が「自分のことが正確に言い当てられているので、びっくりした」と言っていた記憶がある。
――それでいつから三村さんの曲の歌詞を書くということになったのですか?
阿部
記憶がはっきりしない(笑)。すでに彼女がライヴで歌っていた曲の歌詞を直したというのもあるのだけど、ある段階から彼女がギターをコードストロークで鳴らしながら歌メロを「ラララ」と歌っているデモ音源を、やりとりするようになった。「曲を作りました!」って彼女がいうから、「イッセイのセッで、歌詞を作ろう」と。一種のコンペ状態。そのとき実は不思議なことが起こりました。まず三村さんが当時ライヴで歌っていたような3コードの中心のコード進行を変え始めた。『三毛猫』の印象とはちがい、実はコードをたくさん知っている。あとで彼女にそのことを訊くと、Jポップの黄金期、GLAYを中心にした、バンド音楽をよく聴いていて、コード的な解析もしていたことが分かった。
僕はよく言うんだけども、歌メロに対して、Jポップは第一観でそれに則するコードとは違ったコード、代用コードをよく使っていて、聴いている時にコード進行がふっと陰ったりする。そういうことが、僕がポップを聴いていて面白いと思った理由のひとつなんだけど、三村さんにもそういう代用コードが多くて、「ああ、作曲能力あるわ」と思い直した。
そのことを最初は知らなかった。この人はフォークのままやっていて、歌詞の力がつけば少しは良い方向に進むんじゃないかと思っただけだった。友部正人の初期とかを僕はモデルとして考えていたんですね。だから「どうしたらいいですか」と彼女がいうと、「やっぱり現代詩とか読んだ方がいいんじゃない」ってことになって、彼女と授業前に早稲田の古本屋街を回って、「この本買いなさい、この本買いなさい」ってなことを言ってたりしたんだけどさ。
でも作曲能力に気付いてしまった。同時に僕の方にも異変が起こった。その「ラララ」のデモ音源を聴くと、ふと歌詞発想が湧いてくる。僕の歌詞の作り方っていうのは、その音源を繰り返し何度も聴く、という単純なところからはじまる。10分ほどすると、パッと一行目が出てきちゃう。「ラララ」がそのような言葉に「聞こえる」んだよね。その一行目を書くと、二行目三行目もスルスルスルっと出てきて、連がかわったらこういう展開をしようというのも出てきて、一番が出来たらその対称形とか物語進展で二番も出来てきて、大体30分くらいで全体を作っちゃう(笑)。あまりの即製に自分でもちょっと不安になった(笑)。まあ、作った歌詞は一応、もう一度「ラララ」音源を聴きながら、歌いにくいと思われるようなところを直してもゆくんだけど。
一曲が出来たら彼女にメールを送る、「作っちゃった」と。で、彼女のほうに、歌詞を作る余地がなくなっちゃって。僕はそういう作業が好きだから作るんだけど、彼女のほうはお母さんに「先生、私の曲の歌詞をすべて作っちゃう。私の作業より異常に速い」って言って泣いてたらしい(笑)。ただ、僕は楽しかった。僕はそういう瞬間的発想を強いられるものが好きなんだよね。レスポンスが速いとかそういうのが好きで。だからそんなに変わんないね、ミクシィなんかの書き込みと。そんな感じで作っていった。
――じゃあ、歌詞はメロディから発想しているんですね。
阿部
はい。音数を合せるのはそれは基本だけど、メロディラインが歌詞の質や文法やジャンルを規定しますね。ただし単純な照応関係としては捉えない。たとえばメロディラインがポップものだとか悲しい感じの歌詞を求めているとか第一印象でそう考えても、どちらかというと僕はメロディラインの持っている感情に対して、それをはずすとかズラすような歌詞をつけることが割と多いんじゃないかと思う。
――そうですね。
阿部
そういう風にすべきだと確信犯的に思っていたと思う。というのも、『三毛猫』の歌詞が「一色」すぎてつまらないという批判意識があった。言い回しの幼さを抜きにしても、『三毛猫』の歌詞はワンラインの独立の仕方も悪い。同じような語彙が並んで、全体がぼやあっとした世界を作っている。僕が作るのは一行一行異質なものを置いていくとか、あるいは単純加算するにしても、その加算がはっきりするものだけにしようと考えていた。その加算が反転したりするとシニカルな歌詞になったりとか。
ただし、そういうシニカルなのだけを表だって出すと三村さんのキャラに会わないから、よくよく聴くと「実はシニカルだ」みたいな意地悪な構造を考えていったよね。それは僕の好きな音楽の質とも関わっていた。日本のフォーク音楽は基本的に好きじゃないんだけど、例えば高田渡のようなシニカルさならすごく尊敬していた。彼の場合はどっかから歌詞を持ってくる。ラングストン・ヒューズを訳したりとか、金子光晴とか山之口獏とか、既存の日本の詩を持ってくるとか。そのように歌い手が自分の歌詞に対して、一種他者の関係になっている。もともと高田渡という存在の同一性には亀裂が入っているんだね。そこが彼のシニカルさと関連していると思う。だから三村さんの個性と半分乖離するような歌詞を挑発的に作っちゃえという所もあった。
ただ、なによりも大きいのは「ラララ」と歌われると、歌詞が出てきてしまうということなんだよね。これは一体なんなんだろう、と。コラボレーションする相手として三村さんが相性が良いんじゃないかと思って、僕も嬉しくなった。実は、他にも「先生に歌詞を作ってもらいたい」という人がいたんだけども、その人には結局歌詞が作れなかった。三村さんに感じていた相性みたいなものが成立しなかったんですね。
ってことは、歌メロやコード進行があらかじめ持っている感情の大きさってのが、三村さんの場合あったのかなあ。ただそれは段階的に発見していったんだけども。
感情を盛り込めるのならばと、今回のアルバムでは僕自身が作詞作曲した曲もあります。例えば「自殺のシャンソン」は僕が20歳すぎのとき芝居の劇中歌用に作った曲で、「これ歌ってみる?」って曲を渡した。ただ僕が曲を作ると、声域の問題が生じてしまう。僕のほうが声域が広いんですよ、下手したら3オクターブくらい出る(笑)。三村さんはもしかすると1オクターブくらいだから(笑)。だから僕が作ると三村さんが歌えないってことが多いんだよね。それでだんだん曲を作らなくなってしまったけど。
まあ僕が歌ってもさまにならないから。でも、僕も「女の子になって」女の子の曲を作りたいっていう倒錯的な欲望があって(笑)、その場合に三村さんの不安定さが積極的な価値をもった。言葉を換えると、なんでも彼女には許容されるんじゃないかっていうことが、創作意欲を湧かせたよね。
***(2)***
――今回のアルバムの中で三村さんが作曲、阿部先生が作詞という配分の曲で、一番古いのはどの曲なんでしょうか。
阿部
う~ん。クレジット上で「作詞=三村+阿部」となっているのは三村さんが作った歌詞を僕が直したもので、それだと「平行四辺形」が最初に作ったものかな。この曲の場合はコード還元出来ないような複雑なアルペジオを三村さんが弾いていて、主調和音が何処かも途中不安定になる。綺麗かつ脆い曲で、三村さんの作った「字を書く 宙に」や「シロツメ草」という歌詞に対して、「あなたは」と呼びかけがあった方が良いんじゃないかとか、そんな提案をして僕の作詞がはじまった記憶があります。それから「蛇イチゴ」とかの不可思議なイメージや、聖書的なものを持ってきたりとかして世界を膨らませた。「屋上」っていうのは一種、引用のつもりだった。これは宮台真司の屋上論があったり、ブランキー・ジェット・シティーが屋上を歌っている歌があったりしたことを意識してます。松本大洋-豊田利晃『青い春』の感じとかね。「十月」っていう歌詞があるけど、これは直したのがもろに十月だったんだと思うけど、遠い時代のフォークの記憶がそこに作用してたんだと思う。「十月の国」? ちがうかなあ(笑)。
そのような(歌詞共作の)タイプの曲には「孤りの炎」もあります。これはロック調の曲を作っていた時期(その時に出来たのが「昔みたいに」など)の後、またフォーク調のものを三村さんが作りだした時に、三村さんの作ったものを生かして、僕が直した。
瞬間的にワンラインで歌詞が聴き手に刺さるということと一緒に、歌詞っていうのは時間の流れのなかで「刻々」聴かれるわけじゃない? そうすると、その刻々の判別性を眼目にする、という手法もあるんだよね。で、「孤りの炎」の場合は、異質なものを加算していった。一、ニ連の三村さんの歌詞を部分的に残しながら、普通では連想出来ないイメージを入れたりしていて。例えばカフカから「オドラデク」を持ってきたりとか。イメージをジャンプさせた。ふと「北の幻」という言葉が出てきて、ならばエイやっと「八戸」も出てきてしまう(笑)。出鱈目もいいとこ。だから歌詞上のジャンルがはっきりしない。「演歌っぽいのかな」と思うと「いや、これはシュールな歌だ」と反転するでしょう? 一つを導いたら、それをステップボードにして次に飛べる。僕の発想がそのように飛んじゃうんだよね。ただし、この歌の場合は、三村さんが最初に作った、歌い手としての気概を歌いながら、そこに日常生活を絡めるという枠組はちゃんと残した。「なんで八戸なんですか?」って三村さんに訊かれけど、僕は「分からない」って答えた。「いいやん」って(笑)。まあ綺麗な曲ですよ、これは(笑)。バロックだし、冒険的ユニゾンだし、転調だし。
――阿部先生は歌詞を作る時と詩を作る時に意識の違いはありますか?
阿部
基本的には同じです。たとえば発想でポンポン書いていく、速書きするという点では同じなんだけど、歌詞の場合は先にメロディをもらっているというのが多いから、そのメロディの感情に対してどう出るかというのがある。詩の場合は、自分の体内にあるリズムを土台に言葉を出してくるから、ちょっと発想が違うかもしれない。もう一個は語彙の問題で、実際に耳で聴いた時に通じるか、通じないかということ。歌詞には当然、そんな要請がある。だから漢語とかも減らしているし。
ライヴで三村さんが歌いきらないと重たい歌詞に聴こえてしまう惧れがある。解釈力や体力がついてきて歌いきった時に、「いい歌詞だ」と感想をもたれることも実際に多いし。
歌詞そのものは僕のために作っているわけじゃないんですよ。それは三村さんが歌うってことを前提にしている歌詞だから、その歌詞が三村さんの身体や声にどう乗っかってくるかってことが主眼です。これは要するに「可能態としての三村京子」が作っている歌詞だ、と。僕が詩を書いている時も、僕が書いてるんじゃないって感覚はあります。非人称的に飛ぶというか。ただ三村さんへの場合は女の子に変装するというか、ネカマになったような後ろめたさ・犯罪感覚が少しありますね(笑)。「嬉し恥かし」。だから自己解説でも照れる(もちろん、自己解説というのは、いつもそんなものだけど)。それで「オドラデク」って書いた時に、彼女が「何ですか?」って訊いてきて、「カフカの短編に出てくる糸巻の怪物だよ」「それって啼くんですか?」「いや啼かない(笑)」ってなアホみたいなやりとりになってしまう。まあ当人はその短編をいずれ読むかだろうから勉強になっていいや、とそこで割り切る。つまりポーンとほうりだして、彼女がそこに到達すると、彼女に何か大きなものが増えているような、そんな作り方をしているんだと思います。
彼女の一歩か一歩半先をリードする歌詞。逆に言うと、「身の丈」の歌詞を作らない。身の丈だけにしていると、一致感がつよくて聴く人が逼塞して疲れる。そうすると好き放題をいわれることにもなりかねない。「もっと単純な感情を切々と歌うような歌詞はないのか」とかね。それで事前にそういう(単純な)歌詞も作っておいて、リスクを分散するということもありうる。
「百億回の愛」なんかは、大分あとの方、むしろ最近出来た曲で、これも歌詞を直した。「ズレ続けて はぐれ続け」は「自信のある所だから、残して下さい」と言われて残した所。で、「銀河」や「死海」をもってきたのは僕だね。ものすごい綺麗なメロディなんだけど、最後に余韻で気持ち悪いものを付けたかった。結果、終わりが「死んでる」だからね。しかもこの曲はアルバム最後の曲になってしまった。アルバム全体も「死んでる」で終わるっていう。不吉って言えば不吉なのだけど。「そばにいて 光になりたいから 眠るとこ さあ見ていて」とか、「からだが一つにならないから 共に眠る場所を探そう」というのは「岸辺のうた」にあるイメージを入れた。しかも一行だけでぐっと泣かせる愛の言葉が入ったと、気持ちがよかった。
最初に「百億回の愛をくれたのは あなた一人だけ」って三村さんはテスト音源で歌ってた。「なんじゃ、この歌」と思ったんだ、実際(笑)。でも、まあこういう気持ちなのねと。宇宙大に広いなら、こっちの心も一種ジョン・レノン、オノ・ヨーコ的になって、誇大妄想的なデカい歌詞を作ろうと(笑)。
――やはりそういう意図はあったんですね(笑)。
阿部
そうね。それと「百億回」っていうのは良い言葉だと思ったよ。でも「百億回」も愛をもらったら大変だよ。もう体壊れちゃう(笑)。
――でもこれって一人が一人に対して百億回の愛を持っているわけではないですよね?
阿部
そう?「百億回の愛をくれたのは あなた一人だけ」って女の子が歌ったら、普通ちょっとやばいんじゃないか。愛が回数で数えられているってことは、アレでしかないんだから、「百億回もしたのか」ってことになる(笑)。でも人間には無理だからね、それは。「一万回の愛をくれた」だったら、「ちょっと待てよ」って話になるけど(笑)。だから「百億回」って抽象性として良いな、と。あと「百億回」っていうと、これは漢音で堅いんだけど、通じる言葉だから、僕は生かした。響きが締まっていて、僕はそこに「銀色」を感じた。
そのように誇大妄想的にデカい歌詞を引き延ばそうと「銀河」や「死海」を持ってきた。「死海」が出てきた時は自分でもびっくりしたけど。一番が出来て二番という時に、一番の反転をしたかったんだと思う。「銀河」という上に見上げるものに対して、下に水平に広がるもの。海だな、しかもやっぱり「死海」だと。死海には波があるんだよ、でも「死海」だから魚がいない、塩分が多すぎて。だから波があっても、それは魚を潤す波じゃないから、「波が死んでる」。地図上で見ると小さく見えるけど、琵琶湖より断然大きいわけだから、その場で見たらぱあっと海が広がって見えるだろう。だから歌詞に矛盾もないだろうって。
こういうとき「死海」が出るっていうのは、発想力の問題でもあるけど、それを呼び込むようなメロディがあらかじめあるんだよね。この曲は子守唄メロディだと思った。あと宮川泰が作ったような60年代ポップスの甘さもあって、その甘さにノスタルジックにもたれかかっていながらも、クッとそこに棘を入れたいって気持ちだった。ノスタルジックなメロディでもコード進行に綾がある。それと歌詞として予定される言葉の分布はどうも小節で区切る普通のやり方じゃない。音符が五線譜上の時間に配置された時にすごく不規則な構成だと感じて。その不規則さが歌詞に出ればというのもあったかな。言葉数が少ないなかで、それらを実現してやろうと。まあ名曲ですよ。愛を歌ってるからジワーときつつ、ちょっと鳥肌がたつ。
三村京子(以下、三村)
なんでそのような歌詞にしたんですか?
阿部
こうしたのは自分のその時の感情だけど、さっきから言っているように僕の感情ではなくて、「可能態としての三村京子」が持っている感情に僕が行き着こうとしたためだと思う。
三村
あたしが破壊的な感情持っていたということですか?
阿部
破壊的な感情ってのでもないな。あんたの感情は綺麗だと思うよ。というか実作レベルでは、縁語でふっふっと来るのよ。「百億回の愛」があって、その「百億」の星が「銀河」にあって、その星それぞれが涙を流して、それが海の裏側で光っている。それでその海はなんだというと、「死海」だって発想の飛躍になる。
三村
死海って別に不吉なものなんじゃないじゃないですか?
阿部
死海はやっぱり不吉だよ、魚が住めなんだから。聖書でもそんな扱いになってる。まあ捉え方は色々あって、塩分が多いから比重からいって人がやたらプカプカ浮くんだよね。ただ泳げないでしょ? 塩分きつすぎて。エライしょっぱい。だから周辺の住民には何ももたらさない。だから死海って名が付いたんだよ。でも「人が浮きやすい」から一種の両義性を帯びてて、人間が浮遊する場所ってことも言える。だからそうだ、不吉なイメージっていうよりも、複合的なイメージを足したいから、海が「死海」になったんだね。こじつけかも(笑)。
三村
じゃあ、不吉さにはこだわっていないんですね。
阿部
こだわってはいないなあ、考えてみたら。でもそこで「琵琶湖」って言っちゃったらダメでしょうってこと。
三村
私の可能態から受け取ったものが破壊的なものだったということ?
――そんなに破壊的なものじゃないと思うよ。
阿部
破壊的じゃないね。でも暗さはある。何故こういう収束のかたちになるかというと、そのほうが余韻が出て、しかも三村さんの個性にあっていると思ったってことだね。
――そうですね。それにこの曲は愛と波が「百億」という数字で繋がる。
阿部
そう。狙いだと「アクロス・ザ・ユニヴァース」くらいの宇宙大の歌詞を作ろうとしたけど、言葉数が少ないから、ああいうかたちへ収束した。
***(3)***
――じゃあ作詞家として作っているというよりも、可能態としての三村さんとして作っているというのが大きいんですね。
阿部
うん。でも三村さん以外には歌詞作ってないからさ。例えば僕が阿久悠みたいに戦略的になって、「これこれこう売ろう」と歌詞を作ることもありうるかもしれないけど、三村さんはそういう個性じゃないから。そんな形での作詞もしてみたいと思うけど、実際はね。阿久悠は代理店出身だっていうことで、企画書に書けるような歌詞でしょ。僕の三村さんに作っている歌詞っていうのは、こういう歌詞ですってスポーンと言えない。阿久悠ならこうなる――これこれの時代の要請があります、王貞治のホームラン数がハンク・アーロンを超えるカウントダウン状態に入っている今だからこそ、今度の歌の対象は王貞治にして、その王貞治に対して恋の球を女の子が投げよう、そのときのユニフォームはピンクだ、投球はサウスポーだ、と。そういう発想でしょ?
――あの、意味が分かりません。
阿部
あっ分からない?(笑)ピンクレディの「サウスポー」のこと言っているんだけどさ。まあいいや(笑)、そのように代理店的な発想なんだ。それで振付の土居甫がいてさ、それでピンクレディー二人にはホットパンツ型の、ピンクの野球ユニフォーム着せよう、その時に球を投げるアクションを入れようってなっていくわけ。そうやって作られている。これは全く商業的。
僕はフォークよりも歌謡曲の方をよく聴いてきた、もっというと70年代よりも60年代歌謡曲が好きなんだよね。60年代の歌謡曲は演歌があって、それとの対比性によって歌謡曲は自分をふっとずらす身振りを選択している。例えば演歌だと「港」を歌う所を「街」と歌う。あるいはなかにし礼の黛ジュンの作詞だと、メルヘンチックな、実際にはないような場所を恋の舞台にするというのがある。当時はまだ日本人の耳が「演歌」を土台にしてたから歌詞の音数が少なかった。だから60年代ポップス歌謡っていうのは言葉の凝縮が高くて好きだった。でもフォークが出てきて、例えば吉田拓郎になると音数が多い、しかも字余りになってメロディに乗っからなくなる。そうすると所謂トーキング・ブルース調にダダダダっと言葉を捲し立てるようになってくる。それも嫌いじゃないし、拓郎の歌詞の作り方っていうのも発想が面白いんだけど、言葉の流れとしてはルーズな所がある。そのルーズさを受けていると思った70年代、特に後半は、日本の歌謡曲の歌詞がフォーク化してくる。
――それは字余りしてくるってことですか?
阿部
字余りそのものというよりも、字余り的な歌詞を乗せていた。野口五郎の「私鉄沿線」にしてもそう。内容的にはミーイズムになってくるとか、かぐや姫的にチマくなってくるとか。それがきつかった。僕が中学・高校の頃か。それで80年代になるとユーミンでも陽水でもたとえばepoでも、グーッとポップな発想になって、ちょっと気分が楽になったかな。さらに90年代に入ってJポップが出てくる中でリズムが強くなって、言葉数が完全に多くなって、しかも音楽性も高くなったから、複雑かつ完全に歌詞をちゃんとメロディに乗せられている楽曲が目白押しとなる。それは職業作曲家じゃなしに、バンドのメンバーが作ってる。特徴は圧力の強さです。代表例がミスチルだと思う。彼らが最初流行った時に歌詞カード見て聴いていたら、目眩が起こったもんね。独特の歌い回しで、よく歌っているし、韻を踏むとか技法的にもそれまでにないものもあった。電圧が高かったんだ。
三村さんの歌は、そういう高電圧な音楽から先祖帰りしている。つまり、歌詞のうえではそんなにJポップ的な感覚を持たないで、もっと純粋に、ポエトリックな衝動で歌詞が作れるから、そういう所で相性良かったんだろうね。ところが、途中から三村さんが、今度のアルバムでいうと「昔みたいに」のようなポップでロック指向が強い曲を「ラララ」で作り始めて、それがもう「どうすんだ」って感じだった(笑)。この曲は四音連鎖なの。これ、だれでも四音をはめてみれば分かるけど、普通、日本語では歌詞がはまらない。この冒頭の「雨かな? 夢かな?」ってのは、えっと映画の引用で・・
――『シェルブールの雨傘』?
阿部
違う違う。フランソワ・トリフォーの『突然炎のごとく』。
三村
ごめん、間違えて伝えてた(笑)。
阿部
『突然炎のごとく』の字幕で、実際に出てくんだよ、「雨かな? 夢かな?」って。ジュールとジム、それに男の子の恰好をしたカトリーナ(ジャンヌ・モロー)が歩道橋を走りだす場面で。それをふと思い出して。そこからはそれの連鎖でやっていった。それでもネタが足らないから、寸言みたいなのをタジャレでやろうとした。それが、「蘭でもランデブー 犀(さい)でもSigh Magic」なんかだね。こういう時に音楽的素養が出る。「magic of your sigh」っていうのがキャロル・キングの「Will you love me tomorrow?」に出てくるとかさ。「Gay Science」なんてニーチェだし。「So many cry」ってのは『ホワイト・アルバム』に入ってるジョージ・ハリスンの「Long, Long, Long」に出てくるとか(注:歌詞中の「so many tears」と同アルバムのジョン作「so baby cry」が混ざっている)。「may you long run」はニール・ヤングとスティーブン・スティルスがやったアルバムだし(注:『Long may you run』、邦題『太陽への旅路』)。
まあこれはしょうがなかった、出来れば英語の歌詞は使いたくないんだけど、音数に対してより情報がのせられるのは英語歌詞だから。この頃に作った曲は割と英語を使ってんだよね。繰り返すけど、このラララ音源が来たときは「曲出来ると思ってんのか」(笑)って感じの四音連鎖だった。もうこの辺になると、三村さんも僕にもう歌詞作りを丸投げしてた(笑)。それで僕も燃えるからさ。まあこれも「雨かな?」って出てきちゃったから。
***(4)***
――曲から歌詞を発想していることがよく分かりました。それで阿部先生は『椎名林檎vsJポップ』でも曲の中で歌われるときに歌詞がどう聴こえるか、ということを重要視してますよね。
阿部
そうだね。で、椎名林檎の名前が出たからいうけども、椎名林檎さんの登場というのは「ええ、ここまで来たか」という衝撃だった。それと僕が大学で教えていて、「詩が好きだ」って子はみんな椎名林檎好きなんだよね。椎名林檎から詩に入っちゃってる。歌詞がこんなに難しくなっていいんだってことを思ったのも椎名林檎で。それで最初は三村さんが僕の歌詞をライヴで歌った時にどの程度(聴き手に)通じるか、よく分からなかった。とくに、歌いきっていないと通じないのね、でも歌いきれると通じる。
例えば、よく三村さんと対バンするようなフォーク系の人たちの歌詞は、耳で聴いてはっきりと分かりやすい。繰り返しもあって、ちゃんと歌詞を聞き逃さないでくださいってこともやっている。しかも歌詞世界への同調も起きやすい、聴き手のそれぞれと地続きのような歌詞を作っているから。僕はそういうものが割と苦手なんだけども、そのように歌詞を伝わりやすくするという見識もあるでしょう。でも、僕は歌われている世界がすぐに聴き手に分からなくてもいいと思った。ただ瞬間、瞬間で「ざわめいた」っていう体感だけ残ればいい。その体感をもとに「じゃあ曲全体の歌詞はどうだったんだ?」って、CDを買ってもらう。曲を10回くらい聴いた後に、歌詞カードをみて「ああ、全体はこんなんだったんだ、こんなストーリー・ラインだったんだ」というほうが面白いと思う。そういうことが、アルバムを買ってもらう原動力になるんではないか。椎名林檎は明らかにそうしてる。
――そのような歌で聴こえる歌詞と歌詞カードの関係が理想ですか?
阿部
どのように歌が聴き手の体の中で完成するかっていうと、たぶんこういう順序だと思う――その歌を何度も聴いて、歌詞カード見てもいいのだけど、何となく記憶する。それでふっとある時に思わず口ずさんでいる。その時にその歌のメロディ・リズム・歌詞がその人の体を通して生き返ったみたいな感じがあるでしょう。歌の運命はそうして完成する、成就する。
難しい言葉を使うと歌には「再帰性」があるんです。例えば三村さんが歌を歌う、その歌が三村さんの体に反映する。それでその反映した体によって歌がさらに歌われるという。グルグル回るような、自転車を漕ぐような感じの「再帰性」。そういうのは聴き手にもあるんだよね。歌を聴く、憶える、歌う、また聴くというように回っていく。そうした再帰性が歌い手にも聴き手にもあって、この再帰性同士が対応する。反応する、照り合うというか。という時に、そういう表れをする表現っていうのが他には実際ないでしょう? 受け手が完全にそれを肉化するような。例えば絵画を観る、でもその絵画を肉化することが出来るかといえば、出来ない。あるいは映画を観る、それを完璧に記憶のなかによみがえらすことが出来るかといえば、ほとんどの人が出来ない。ごく一部、出来る人がいるかもしれないけど。
歌っていうのは、通常一曲3分の世界だったりする。その3分の枠だから、それ(肉化)が可能になるんだよね。短歌とか俳句もそうだね。僕は記憶力が悪いけども、短歌や俳句なら憶える。憶えるのだけど、その歌が結局どうやって自分の中に生かされるかといったら、それはやっぱりボソボソっと口ずさんだ時、記憶しきった時だね。短歌なら短歌、和歌なら和歌の独特の声の質があるんだよね。それを自分の中でよみがえらせたことによって、自分が他人になる。だから僕は割とおんな歌が好きで、その理由は自分の性別がその歌を口ずさんだ時に変わるからだよね。一種、歌は身体を変容させるような一つのきっかけ、契機なのではないかというのがあって。
あらゆる表現のなかで、歌はものすごく古いものだし、同時にずっと先まで生き残るものだという気がしている。それでいうとJポップのような歌の作られ方は違うと思った。電圧が高い、カラオケで歌う時に一所懸命練習しないといけない、歌詞数が多くて息継ぎも出来ない、高音が多すぎてキツい、要するに苦しい。ではなしに、もっと自然体で、という。だから三村さんには、例えば広瀬香美のように「3オクターブ出ます」みたいな曲が作れないかもしれない。でも1オクターブの人だったから逆に自然体がはっきりしていて面白いと思ったんだよね。限界が魅力になるということはあるんだ。
それとJポップの場合は歌詞作りの鍛錬がなされてないから、実はよくよく聴くと歌詞に一杯矛盾があるとか、名前出さないけど表現がかなりヤバいとか、日本語としておかしいとかいろいろ症例がある(笑)。そういう歌詞もまかり通ってて。僕は教育者でもあるし、歌詞カードとしてみた場合きちんとしたものを出したい、ということは考えてる。ただトータリティーを読まれることは予定しているけど、僕はやはり一行一行の瞬発力の方を大事にしている。
ライヴで三村さんが歌う。お客はいい曲だと思う、そうしたら歌っている三村さん「すごい」ってなる。そういう循環があるとすると、その「すごい」っていうのは、全体性を見通してではなしに、ロック的な考え方かもしれないけど、瞬間瞬間で聴き手の体を打つ、刺激の体感から生じていると思う。その刺激ををJポップのようにリズムや楽音で作るのではなしに、歌詞の力で導きだすってことを考えてたね。
――その体感で理想になるっていうのは? やはりディランとかですか?
阿部
いやディランじゃない。やはり英語と日本語の構造の問題があって、それは違うと思う。僕が割とイメージしたのは、ニール・ヤング。ニール・ヤングはディランに比べると言葉数が少ない。それと歌詞が曖昧。一行一行の立脚点が変にずれてる場合すらある。映画のカッティングみたいにずれるっていう。昔、本にも書いたけど、「ハーヴェスト」なんかそうなんだよね。歌の視点がふっとずれているんじゃないか。代名詞が出てくるのだけど、「dream up dream up, let me fill your cup」って時の「me」と「you」がその前の私とあなたとは違うんじゃないか、みたいなのがあってさ。ずれていいのよ、その代名詞のずれが面白いというのがあって。あれは歌詞をちゃんと憶えて歌ってみるといいんだけど、そうして歌うとすごく良い感じになる。
あの感じは日本語の曲だとほとんどない。UAがちょっと似てると思ったことがあった、「ミルクティー」とか。だから歌詞を同じ軸で展開させるような律儀なことをしないで、ワンライン・ワンラインが即興的な閃きのように聴き手に舞い込んで来るようなことをしていいんだと思う。
そういうことをしてもいいんだって思うような素養っていうのは、僕が現代詩から恩恵をこうむったからでもあります。例えばの話、西脇順三郎の詩篇だったら、音数をそろえて適当に詩行を拾ったら、すぐ歌詞になると思う。あれも散歩している西脇順三郎の体があって、しかも想像力で見聞するものがポンポン飛ぶんだけどね。ひどい場合は東京の三多摩地方からポーンとイタリアへ飛んだりとか。それでも構わないっていうのは、すべての言葉に一種、隣りあっている力、隣接性があって、その隣接性が保証されているから、言葉が安穏に飛べるってことだよね。
ひとつのイメージ系列の中で言葉を使おうとすると、似た語彙が一杯出てくる。たとえば松本隆はそうやって「今度の松田聖子のコンセプトはこうだから」という要請に従い、まずそのコンセプトに合う言葉を採集してくる。で、それをモザイクのように組み合わせる。確かにその中で柔らかなストーリーラインを作るようなこともするのだけど、それって商業性、マーケティング・リサーチの手つきでしょう? そうじゃないんだ、と。衝動がやはりほしい。その衝動の中で、言葉が言葉、歌メロなら歌メロが自立してポーンと響く。そのように響かせるために、むしろ歌詞のワンラインずつを飛ばすのだけど、飛ばしつつも、例えば三村さんが歌っていることによって身体的な同一性が保証されている。それから今言った言葉の隣接性によって、言葉が飛んでもラインが隣りあっているということだけで、そこに親密なスパークも起きるんだよね。むしろそのスパークこそがそれぞれのラインを繋げていく。
――じゃあ、三村さんがよく歌えると聴き手によく伝わるというのは、そういう所(言葉の隣接性と身体的保証性、それと歌の再帰性)から来ているんですね。
阿部
そうね。三村さんは歌唱が基本的に不安定だし、歌詞を自分の体に叩き込んで歌えるようになるまでに時間もかかる。最初、ライヴの出来が悪い時なんかは、「え~、作った歌詞違ってたかなあ、彼女に重圧を与えたかなあ」って思っていたけど、ここの所、ライヴの出来がよくなって。というのは、今度のアルバムを作るに際して、デモ音源を一杯作ってた。それに対して僕はけっこうダメ出しをしてて、歌うツボを二人で考えてた時に、急に去年の秋くらいかな、表現力がばっと増したなという感じがあった。その辺りにやったライヴで「歌詞が良い」って、みんなが言い出した。それまでは、中年のオヤジが三村京子という商品を好き勝手に操って、自分が印税で儲けようとしてるんじゃないか、と疑惑が囁かれた。だから儲かんないって、印税なんか(笑)。いろいろあらぬ噂も立ったけども、そうなった時(ライヴで歌詞の評判が良くなった時)に、可能態に向けて歌詞を作って良かったとつくづく思った。身の丈で作ると実は危険なんだよね。三村さんは若い女の子だけど、一年一年、齢くうし。たとえば22歳の三村さんに対して、ぴったりの歌詞を作っていったら、もう25歳の時には歌えなくなってる、そんなことがあり得る。僕は最初訊いたんだよね、「どうしたいんだ」って、そうすると「一生歌を歌いたいんです」って三村さん言うから、「じゃあそうしよう」ってことで、そのときから可能態路線でやりました。
三村
そう言いましたっけ。
阿部
言いました(笑)。それでコラボレーションを始めた。で、そのうち僕の作る歌詞の割合が減ってくればいい。僕の歌詞によって彼女の身体が変われば、その身体によって自身のオリジナルの歌詞も出てくるだろうって気がしたんだ。
***(5)***
――身の丈にあった歌詞を作っていると、あとになって歌えなくなるっていうのは面白いですね。
阿部
現状、『三毛猫』の曲を三村さんはほとんど歌えないでしょ? 曲が幼すぎて、三村さんの見た目とも違っちゃってる。ただし、挑発的なことはするよね。言ってみると、今の若手の女の子のなかでは三村さんはセックス・ソング的なものを多く歌っているじゃない? その代表曲が「岸辺のうた」なんだけども。ラブホテルに入り浸ってる、セックスばっかりしている女の子の歌だよね、表面的にみたら。そういうイメージがついても、そういう歌詞を歌っても平気だっていうのは、三村さん自身が一種清楚なイメージを持っているからです。その清楚なイメージがあるからこそ、そういう歌詞を歌った時に、聴き手がドキッとする。そういうショック醸成は狙ってるんだ。「岸辺のうた」は、セックスをするとえらく発汗する女の子の話。それで「ベットが川になった」っていってる。種明かしすると、発想源は、安永知澄の『やさしいからだ』っていうマンガ連作のなかの一篇だった。そこに汗っかきのセックス好きの女の子が出てくるんだよね。それを頂いちゃったっていう(笑)。
わざと危ない橋を渡るというのは、女子高生に敵対するような歌詞を意図的に作るというのもそうだね。「女子高生ブルース」なんかはすごく女子高生を蔑視的に扱ってたりする。でもあれを彼女たちが聴くと、「私たちのお姉さんの世代が私たちのことをいっている、しかも真実をついてる」ってなるんじゃないか。「何だこのオバン」って怒るやつもいるかもしれないけど、「こいつ私たちのこと分かってんじゃん」って言われるんじゃないかってことだよね。資本特有のごまかしが歌詞にない。そういうイメージ形成上の挑発を狙ってたりする。
そのようなキャラクターが三村さんに合うと思ったのは、いつだったか江ノ島で三村さん以外が全部パンクバンドっていうオールナイトライヴがあって、下手すると耳にジャラジャラ安全ピン付けているような、夏なのに革ジャン着てたり剃りが入ってるような人たちが一杯いて、その中にも眼光するどい女の子がたくさん紛れてて。それで夜中の2時か3時頃、三村さんの出番になって、みんなの耳にキーンと残響があったときに、いきなりアコギで歌い始めた。その時はもう「パンクだから」ってセックス・ソングのオンパレードだった。
いま歌ってない曲も演奏していて、オール・セックス、オール・ヤバいみたいな歌詞の曲を、三村さんはフォーキーにシレっと歌ったんだよ。そうしたら、客席の女の子、パンク傾性の高い女の子たちが、みんなシーンとしてる。(演奏中は)分からなかった、ただじっとおとなしく聴いてるなとだけ思ってた。で、終わってから、三村さんがピョコンとお辞儀したら、万雷の拍手。よく見たらみんな涙ぐんでるみたいな感じ。ほんとかなあ(笑)
――嘘だと思いますよ(笑)
阿部
でもウケはすごいよかった。フォークなのにパンキッシュっていう認知を持たれたと思う。それで、これは面白いなって思ったんだよね。だから危ない歌詞というか、そのような細部をその後も僕は意図して入れたよね。僕が作詞作曲した「Crazy Tune」なんかにしても。
――その女の子がセックス・ソングを歌うっていうのは所謂キャンディーズとかの、商業的に男を狙った手法ではなくてってことですよね。
阿部
うん。椎名林檎の「本能」とかを見ると、モロのメッセージだけど、それでもみんなが付いて来る時代になったという感慨があった。キャンディーズがセックスに関わるようなことを歌っていたとしても、「年下の男の子」は(男女の)カプリングの取り合わせが斬新だったんだけども、ソフトフォーカスにして、砂糖菓子まぶして、社会的になんにも問題ない所に着地させるようにしてた。今はタブーがなくなったと表面的にはいえる。真摯に歌えば、受け止めてもらえる時代になったんだよね。「みんながしてることでしょう」という共通理解が先に来て、ヴィクトリア朝的な欺瞞が消えた。それも椎名林檎が大きかったと思うよ。ああいう「本能」みたいな歌詞はこれから無限にありうると思った。
ただし向こう(海外)だとその手の歌詞はすでにいくらでもあるでしょう。とくにブルースがそう。メタファーまで使われている。「俺の連結器、おまえのワイヤーに絡ませたい」とか平気で言うわけ。ロバート・ジョンソンだったら、そういう詩的な表現になるけど、もっと露骨だと「俺の黒蛇がうめいてる、どうしてくれるんだ」っていう「ブラック・スネイク・モーン」みたいにもなるし。
――ブラインド・レモン・ジェファーソンですね。
阿部
昔ね、そういうブルースの隠語使いを、初期シーナ&ロケッツで柴山俊之が歌詞作っていた時に引用していたけど。ただ今ならもっと出来る。びっくりしたよ、「本能」で「奥」って言葉が出てきて。つまり「本気度」の問題でしょう? 歌謡曲の分業体制で作詞家がいて、作曲家がいて、そのように共同で何かをやろうとするときは「低きに流れる」というか、「最大公約数」になる。そういう了解を阿久悠なんかは攻撃的に攻めるわけ。ゴツッとした言葉、キーになる言葉を散りばめていくんだけどもあれは例外ですね。シブがき隊の「スシ食いねえ」なんかの例外もあるけど。一般には、分業体制のなかで全体のレベルが下がって、より安全な方に、より「みんな」が好きになるように流れてゆく。
こういう悪弊をヒットチャートJポップが結構なぞってたでしょ? 僕はよくいうけど、「頑張ろう」とか「私はさびしいけど、みんなも同じよね」とかになるっていうのは、「低きに流れた」ってことなんだ。共通感情だけを考えれば、歌詞もそういう所に落ち着くのが無難だろう。例えば浜崎あゆみでも倉木麻衣でも、自分で歌詞作ってるっていうシンガーでさえ共通感情の方へ向かってしまって、その共通性ってのはみんな持っているものだから、取り立てて個人個人に当たらないんだよね。でも今の子たちはベタだから、「これは私のこと歌ってる」ってなるわけ。
99年に立教で教え始めてサブカルの授業やった時に、期末レポートでは椎名林檎論と浜崎あゆみ論がものすごい多かった。で、椎名林檎論の場合は一所懸命、歌詞の世界と格闘している、音すら表現しようとしているというのがあらわだった。でも浜崎あゆみ論の場合は自己同一化するんだよね。「これは私のことを歌ってる」「びっくりした」とかみんな書いてるわけ。体感的なことを書いていて、「それは私が高校何年の時でした」から始まったりする。「知らないよ、お前の物語なんか」って思うんだけどさ(笑)。それでみんな似てるんだ、誰にも似てないような抽象的な手触りしかないようなものを、「これは私のこと歌ってる」ってやる。その時の椎名林檎と浜崎あゆみの偏差は僕のなかにすごく残ってる。だとすると、三村さんの歌の歌詞っていうのは、振れるんだったら絶対林檎の方に振れなきゃいけないって考えた。それが歌い手として立つことだと。浜崎あゆみはよく分からない、本当に肉体があるのかさえ。単に商品なんじゃないか、抽象なんじゃないかって気もする。具体性のある体を持っている歌手っていうのは、多分歌詞のメッセージが違うんじゃないかと思った。
――具体的な言葉や光景が出てくるのが良いということですね。
阿部
そう。それで商品か作品かでいったら作品の方に絶対シフトするんだっていうことを考えた。ただ売れるものは今はもう商品だから、そうするとより狭い、隘路の方へ自ら進むことになるんだけど、そういう苦労も要るだろうって。それは歌の世界を変えてほしいからだよね。今は聴かれているあり方、例えばi-Podで曲が聴かれるとかで、どんどんアルバムの中での文脈が断ち切られ、耳に心地よいもの、メッセージ性の弱いものの方に聴き手の指向が動き出している。それは間違いないんだよね。でもそれらは歌手の肉体が必要じゃない音楽だから。そうじゃなくて、例えば三村さんの場合は、ライヴを基盤に手売りを志す。そういう、「hand to hand」でやってゆくとすると、その三村さんには肉体がなくちゃいけない。だから肉体がある歌詞も必要になる。
***(6)***
――メジャーに流通している曲が、浜崎あゆみに代表されるように、(歌い手と聴き手が)曖昧な共感によって成り立つようになったのはいつ頃からだと思いますか? それは昔からそうだったですか?
阿部
いや、昔は僕も子供だったけど(笑)、60年代歌謡でもけっこう響いたよ。花や蝶を歌ってても響いた。僕の考えでは、90年代に入ってガクッと日本のポップシーンが力を落とす。80年代でもその時々でけっこう好きな曲はあって、シングル盤を借りてきて、編集テープ作ったりしてた。いつも元凶扱いされるのはおニャン子クラブでしょう。秋元康が全部作詞して曲もすべて全部マーケティングの産物だった。マーケティング自体は秋元さん天才的にうまいから、それでTBSの「ザ・ベストテン」がおニャン子ばっかりになっちゃったこともある。あれは公平な番組だから、アルバム・セールスとかリクエストを足していくと全部ベストテンがおニャン子になっちゃったんだよね。それであの番組が潰れた。そうやって瞬間的に、ばっと売れるのはいいよ。でも売れなくなった時に、そこに草木も生えてないようなことをしちゃいけないってことはある。小室哲哉もその意味で似てた。小室の場合は、おニャン子ほどパフォーマーに共通性がなかったから、偏差を味わいたいという聴き手の欲求に乗り、もっとうまく環境化したんだけど。コンビニに行ってもどこに行っても小室の曲しか流れてなくて、国民全体が小室漬けだった。
Jポップのポテンシャルが80年代からどんどん下がっていって、90年代前半になると「がんばろうソング」が売れ始めた。その反動で出てくるんだよね、Jポップの一番良かった時っていうのが。95、6、7、8年はびっくりするくらいに良くなって。でも99年になってまたがくっと落ちちゃう。やっぱり、ヒット法則を狙ってマーケティングが飽和するというのがあって、みんな同じ穴の狢、百匹目の泥鰌を狙い始めたりするわけ。そうすると個々の楽曲から個性差がなくなっていく。ちょうどその時、90年代終わりには歌姫ブームがあって、そののちラップが出てくる。それで日本のチャートは壊滅状態になった、と思った。
その時に僕なんかはヒット・チャートから日本のインディーの方に興味が移っていった。それで三村さんを知って、「ああ、インディー・タイプだ」って思った。よく分かんなかったのは、いつフォーク的なものが復権したのかってこと。三村さんに訊いたら90年代前半からそういう動きがあったって言ってたけど、その辺のアーティストはビッグネームのパラガ以外全然聞いてなかったし。二階堂和美には注目したけど、だいぶあとでしょう。テニスコーツのようなネオフォーク的なアプローチがあると知ったのも、00年以降だった。
ただ三村さんが受けた僕のJポップ授業でテーマにしたのが「縮減」だった。ゆら帝の歌詞の精神性を考えたんだけど。その意味では演奏形態も縮減すればもう一回アコースティック・ギターに戻って来るだろう、とは思ったよね。ただ三村さんはアコギ・オンリーの人じゃないから。昔聴いたJポップ体験とかがあって、実は血の中にはロック魂が沸き立ってる感じがある。ホントかな(笑)。だから何でも歌えばいいとも思うんだけど。ただギター一本で歌えるということは、体一つで何処にも行けるってこと。それは土地を流浪するということでもある。
だから、ああそうだ、三村さんは僕の授業での期末レポートで、Jポップアーティストを論じて、という課題のときに、「私自身のこと書いてもいいですか?」なんてとんでもないこと言い出して、、
三村
言ってませんよ(笑)。
阿部
そうだ、僕が「書け」と言った(笑)。というのも、何を書こうか迷っていたから、僕が「自分自身のこと書いたらいい」って言って、彼女が「彼女自身による三村京子」っていう、ロラン・バルトの著作タイトルをもじったものを書いた。そこに「放浪」って文字を見た時に「すげえ」って思った。具体的には、「放浪。その奥底に敷きつめられている忘我。」というフレーズ。当人はラングリング・ジャック・エリオットとかが念頭にあったかもしれないけど、「いやこれは違う、歌の肉体は空間や時間をこのようにエクスタシーとして流れていくんだ」と感心してさ(笑)。こりゃ大したタマの女だって。そう、それがあったんだよね、それで1.5歩先くらいの歌詞を作るようになったのかな。
それともう一個三村さんは、雰囲気からしても、「文化系女子の星!」みたいなポジションに行ってもらいたい所があるから、歌詞にサブカル的な情報を組み込むんだよね。「ダラスについて」なんかが、そう。「何でいきなりダラスについて歌わなきゃいけないのか」って言ったら、意味が分からなくて、みんな笑う。ただ一番と二番の歌詞は時間的対照を見せていて、一番のほうはケネディ暗殺の時期、つまり右傾化した、保守化が激しかった年だったってことだよ。(2番では)そこでフォーク・ヒーローのディランがライヴすることになる。アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドがビビって、その時にバック・バンドやります、手を挙げたのが当時のホークス、のちのザ・バンドだった。その様子は(マーティン・)スコセッシの『ノー・ディレクション・ホーム』にきちんと描かれている。ディランは殺されるって噂もあったのに、結局死なずに済んだ。(1番と2番で)その二つの時代の落差を描くことによって、「ネオ」の付かないリベラリズムが市民運動としてあったアメリカの力を見せつけている、ってことで言うと、一つは政治的な歌なんだよね。もう一つはスコセッシの映画に触発されたものだと。
もう一つ、ある時間のある土地を断面で切って歌うっていうのは、ランディ・ニューマン的手法だ。「ルイジアナ1927」とか「デイトン、オハイオ、1903」とか。しかも「ダラスについて」の歌詞の中には「ジママン」って出てくる。ボブ・ディランの本名がロバート・ジママンだって知っているのは、ディラン通でなかったら、ジョン・レノンの「God」を聴いた人だけでしょう?「I don't believe in ジママン」って連呼のなかにある。それに(歌詞中の)「ジャクリーン」はケネディの奥さんだし、「マリリン」はケネディと浮き名を流したってこともある。そういう雑多な知識があって初めて「読める」んだけど、なおかつ「なんでこの曲、三村さんが歌ってんの?」ってのがよく分からない(笑)。そこが面白いんだと思う。しかも曲調はキンクスっぽい。
実際こうして色んなものが入ってるんだよね、サブカルの渦になってる。その渦を解くことによって、「これはこういうことなんだ」って聴き手が分かったとすると、それで三村さんが文科系女子のヒロインになれる、ということは考えてたよね。だから割と歌詞に謎を盛るってことはしてる。それも椎名林檎にならったみたいなところがある。「シド」って誰よって時に、シド・ヴィシャスが正しいんだろうけど、「ちょっとシド・バレット入ってるかな」とかさ。そこで引っ掛けるってことだよね。
そうすると、三村さんの歌が「オッサン」世代に受けるかもしれない。好きだから、オッサンは謎解きが(笑)。そうそう、ハルカリがそうだった。彼女たちのクリエーターもみんなそうやっていて、僕はえらい面白かった。ハルカリ当人たちが歌っている意味が分かんないって構造が不可思議でポップなんだ。
でもこういう風に、ディラン、ザ・バンドみたいにミュージシャンの名前を歌詞に出してくるってことは、三村京子という個体が思っているヒーローは誰かって問題にもなる。三村さん自身がザ・バンドが好きなのか知らないにしてもさ。それは自分の音楽を聴くのをきっかけにして別の音楽のほうにも動いて下さいよ、私一人を聴いて閉じて終わってはいけませんよっていう倫理的なメッセージだよね。「私はこういうものと隣接してる、受け継いでる、そのルーツも聴いてくれ」って。大事なことなのよ、固有名とか地名を織り込むのとかは。だから「八戸」だしさ。「この世の中にこの歌がありますよ」、「歴史の中にこの歌がありますよ」のようなのは大切。そういうものを全部取っ払って、つるんっとさせると、先に言った浜崎あゆみ型のメッセージになる。固有名詞ってのはゴツッとしてる、そのことによって聴き手に引っかかって来るんだよね。今度のアルバムには入ってないけど、「風の京子」なんかはそんな意図で横浜の地名やら「デニーズ」やらを盛った。
――その具体的な固有名詞があることによって、歴史の中を流浪することもありますよね。
阿部
うん、ザ・バンドがそうでしょう。アメリカを空間的にも時間的にも旅してる。特に2ndなんかは。それでいいんだと思う。
ああ、今思い出したけど、「別の肉になるまで」はすごい古い段階で三村さんが作った曲なんだよ、『三毛猫』と同じ頃。歌詞がうまくはまらなくて残ってた。これも「ラララ」でもらったら、えらい不規則で。「ラララ」特有の歌い回しがあるんだよ、装飾音的に色んなものがくっついてる。その音数を僕が懸命に数えて、測って、(歌詞を)付けたんだよ。そしたら「歌詞が重たくて歌えない」って本人が勝手に歌詞削ったの。これは作詞が僕になっているけど、削ったのは三村さん、初めはもっと言葉数が多かったはず。僕が気付いたら歌っていて、「あれ、僕の作ったのと違うな」って聞いたら、「歌詞削りました」って。そういう工夫はある人だよね。この曲についていうと、「ものすごいダウナーな曲を作ってやろう」って気はあった。三村さんには失恋ソングがなかったから、失恋ソングで女の子を泣かせなきゃって。オノ・ヨーコとかの超ダウナーな失恋ソングがいいな、と思って作った。この曲をライヴで聴いた時に僕もすごいダウナーになって、「こんな曲歌っていいのか、何が『膿んで饐えた』だよ」って思ったよね(笑)。で、この曲のゴツゴツした固有性は「履いていた靴 踵が高すぎて」の「ハイヒール」だと思う。
――今って失恋ソングないですよね。
阿部
自己チュー的な「得恋」ソングが趨勢だよね、今は。リスナーをダウナーにしてはいけないっていう商業的な不文律があるんだと思う。でも僕好きよ、演歌とかもそうだし。失恋した後に面影を追ってどの街に行ったとかさ。フォークでも山本コウタローの「岬めぐり」なんか好きだよ。ふっとたまに歌ったりしてる(笑)。
ということでいうと、今は歌詞に盛られる感情が制限されている。その制限を解かないと。それで解いてるうちに今の子ならではの新しい感情が出てくるんじゃないか。例えば宇多田ヒカルの「Automatic」は基本的には「彼氏の電話があっただけで、うれしくなっちゃう私」っていう、得恋ソングの分かりやすい形に見えながら、その感情が電話が鳴っただけで「オートマティック」に出てくるって時に、「こいつロボットなんだ」と気づかされる。そこでロボット的身体が立ち上がってきて、喜びを歌った曲なのに悲哀感が生じる。あれが実は「新しい感じ」なんだよね。そういう新しい感情を盛ることを三村さんでもしたい。でもその「嬉しいのに冷ややかな体」っていうのは、いまの三村さんのアコースティックなサウンドだとまだ難しい所があるよね。でも打ち込みで彼女が歌うかっていったら、まだ先だろうとも思うし。割と器用に打ち込みでデモテープ作ったりしてるから、やれるのかもしれないけど。
三村
どうなんでしょうね。
阿部
わかんないね。でも僕は当人の弾いてる姿が音盤を聴いただけでも浮かんできて、なおかつ加工されていない肉声があるように歌が戻らないと、歌の力が復権しないと思っている。歌の力が弱まってるんだよ。三村さんには「歌の力」って曲もあって。
――「恋の力」です。
阿部
そうだったか。自分で歌詞つくってて曲名を憶えちがえてる(笑)。でも「歌の力」って歌詞には出てくる。あれは歌の力を復権させるマニュフェストとして作った。歌というのは確かにすごいことですよ。なにしろ体を直撃する。しかも体の中に醸成されて、再帰性によって聴いた当人が歌いだす。それによって歌い伝わるってことも起こる。元々歌はディスクだけの話じゃなかったし、いまみたいにダウンロードで入ってくる時代になっても、どこかで、一番原初的な所、たとえばライヴの場所とかに聴き手は戻りたいって思ってると思うよ。その時に、ギター一本でそういう場所に立てる三村さんは良いポジションにいる。
ただ、それだけじゃなしに絶えず違う自分をみせるって言ったら、ロック・バンドを運営するのもありだなって思ったりするし。なかなか難しいよ、三村さんの曲を演奏するっていうのは。コードも難しいし、ピッチでも不規則性がある。だから今度の船戸(博史)さんはすごかった。瞬間的な反射神経で不規則性を不規則性にしなかった。しかも解釈してたから。単に下支えするんじゃなしに、解釈して、演奏が歌に切り込んで来てた。
――歌の感情を汲んで演奏してますよね。
阿部
そうだね。ただ今回三村さんは、僕が49、船戸さんは46くらい、音響やった石崎さんにいたっては50代の終わりくらいっていう、みんな初老だか、中年の終わりだかのやつらにサポートされてアルバムを作ったから、これからは、より若い子と切磋琢磨するようなポジションにもう一回行ったらいいと思う。前からのフォークの仲間も大事かもしれないし、新しい人と出会って何かするかもしれないしっていう。どう演奏されるか、どう歌うかっていう見込みがたたないと、僕が歌詞作るにしても難しい面がある。今度のアルバムにはあんまり入ってないけど、明らかにロック調の曲も数々共作していて、そうすると見えちゃうんだよね、「これはジミヘン的なギターが絶対いるんだ」とかさ。それが実際に実現出来るかどうか。
まあずれてもいいんだよ、僕は齢も齢で、やっぱり自分の音楽的なアイテムが古いから。例えばすごく機能的で無駄な音のない、ギターにチョーキングもトレモロもないような、キーンと冷たく、隙のないロックバンドを作ってもいいかと思うし。
***(7)***
――もうちょっと歌詞と詩のことを話したいんですが、僕も阿部先生の詩集(『昨日知った、あらゆる声で』)を読ませていただいて、言葉の息づかいやリズムを大事にしているな、と思いました。もう少し阿部先生にとっての歌詞と詩の違いを聞きたいのですが。
阿部
基本的には違ってないよ。ただ詩は黙読されるってことを狙っている。三村さんはライヴで僕の詩を朗読しながら、オープンDの即興演奏をやるってパターンがあるけど、あれは耳で聞き取れる詩を選んでやってる。ストーリー性が高いものも選んでいて。二つの詩篇がよく読まれるけど、両方ともセックスのにおいプンプンでしょ?
それで、こないだ明治学院で三村さんのサポートも受けて、自分の詩を朗読した時は、全然音読に向かないと思った。結局、耳で聞き取れるか、聞き取れないかっていう問題に直面した。文字の処理でいったら、耳で聞くよりも目で読んだ方が断然、処理能力が高い。それと、それがどういう字か、例えば漢字が当てられてるかいないかとか用字のバリエーションもある。
一行一行の瞬間発想でいながら、連を作って幾何学的な形にまとめる。即興性があるようにみえて、音によって詩が進んでいく感じで作っていったのが『昨日知った、あらゆる声で』なんだけども。その後に作っていったのは平仮名を多くして全然形を変えてみるとか、連を揃えないとか別の詩型だった。詩集空間全体を考えた時に個々の詩篇に飛躍と連続性が同時に生まれるようなもの。最近はもっとアナーキーになってきて、ミクシィなんかで他人の書いたものに対して詩や短歌、俳句の書き込みをしてるんだけども、それは三村さんの「ラララ」を聴いて歌詞を発想するのと同じで、人の日記を発想源に、それに対するような詩なり短詩型なりを瞬間発想で作っています。
これからどうしようかと思うけど。今やりたいのは長編詩。こないだ朗読した時に「自分の詩は朗読に向かない」って思ったから、今度は朗読に向く詩を作ってみようかなって所もあるけどね。
――阿部先生が三村さんとコラボレーションを始めたのと、詩作が本格化したのは時期的に重なるかと思うんですが。
阿部
いや、詩のほうが微妙に先だよ。自分の演習授業で詩の課題を出した時に、自分でも作ったりして、そういうことから始まったのかな。確かに歌詞作りと詩作に連関はある。僕はよく言ってるけど、歌詞を作ることと詩を作ることの違いはほとんどないと思ってる。たださっき言ったみたいに耳で聞き取れる、聞き取れないってことがあるから、漢語の数を減らすとか。それと歌詞の場合は音数が決まってるから、その音数に揃える、それとメロディの感情に対して、どういう(歌詞の)感情を対応させるかってことがあって、基本的な操作が違う。だけど、瞬間的な発想で出てくる、それが最終的に肉体化されるってことでは割と同じだよね。だから三村さんをそそのかしてるんだけど、僕も三村さんも詩人の知り合いができたから、「色んな人に歌詞作ってもらったら」ってことは言ってる。むろん当人も作る。それから自分で作った詩を出来上がった曲に対して刈り込むとかね。
――現状において詩人と歌手のコラボレーションって珍しいと思うんですが。
阿部
まあ僕は詩人として認知されてるわけじゃないと思うけど。昔、高橋睦郎さんが沢田研二のアルバム一枚の歌詞全部を作ったことがある。僕は高橋睦郎さんにインタビューしたことあるんだけど、そのとき睦郎さんは、その当時の日本のヒット曲の傾向分析をしながら作ったってことを言ってた。あの人は当時コピーライターの仕事もしてて、そういう能力もあるんだよね。僕はもっと睦郎さんらしい歌詞にした方が良かったなと思って、それをインタビューで訊いたんだけど、その時に睦郎さんが言ってた、「耳で通じなければならない歌詞は詩と大分違う」と。そこを考えて、なおかつジュリーのイメージを使って歌詞が作られた。ジュリーと光源氏を合わせて、いろんな女のあいだを流浪するみたいなコンセプトがあったんじゃなかったっけ。忘れてしまいました。あと谷川俊太郎はすごいよ、「鉄腕アトム」とか作ってるからさ。あの人はカメレオンみたいな人だから詩も変えられるけど、それで「歌詞」にまで行けるんだよね、要請があれば、どんなものでも作れる。でも例えば阿久悠は詩集を出せない、歌詞集はあると思うけど、それは詩集ではない。
という時に、友部正人は詩集を出してるけど、僕が思うに浅井健一とか坂本慎太郎とかも詩集を出せると思う。アナログフィッシュとかさ。むろん椎名林檎も。そういう風に変わって来てるんだよね。手作りのものをやってるうちに、歌謡曲的なもののしがらみからまったく自由になったものが溢れだした感じがある。ただ歌詞作りは音数に合わせるだけ不自由にはなるけど。
あと色んなラッパーたちも、詩集を書けると思う。だから大きな流れでは、詩人的な素質を持ったやつが歌詞を作るようになっていると思うんだけど、現代詩の人たちはそこに対して疎い。といいながら、椎名林檎はすごいとか言ってる人もいるんだけどさ。
あとね、稲川方人さんが相米慎二の映画の主題歌の歌詞作ったことがある。稲川調っていうのはそこでは抑えられてたんだけど。僕は聞いた限りでは不器用な歌詞だな、と思った。その不器用さが稲川さんらしいと言えば、らしいんだけど。
でも今、若手詩人の安川奈緒、松本秀文、橘上とか、歌詞作れるなっていう詩人も増えてきてる。橘上に至っては自分でパンク・バンドやってるからね。久谷雉だって部分的には「これJポップじゃん」っていう詩篇を作ったりしてる。だから、だんだん詩壇と音楽やる人の垣根が取り払われて、そうすると通り一遍の歌詞じゃないものが一杯出てきて、歌詞それぞれに個性差もはっきりしだすんじゃないか。げんに三村さんも、杉本真維子さんに歌詞を依頼して、つい最近歌詞が出来た(曲名「くつをとばせ」)。だから詩人たちは朗読会ばっかりやってるけども、それと歌唱ライヴを組み合わせるなんていくらでも出来るはずなんだよね。
僕の中では絶対に歌詞と詩は違う。でも朗読を目した詩であれば、相当歌詞には近づく。音数を揃えていったら、それに曲付けるっていう人もいるかもしれない。そういうことでいうと、現代詩のばりばりの人が書いた詩っていうのを、昔はクラシック音楽家がよく曲を付けてた。オペラとかの形で。そうすると一番も二番もない、ずっと音を追っていって、メロディを付けてくとか。そうじゃなくて、聴き手に歌われる歌詞を作ることを考えるべきだと思う。それには反復性も要るし、あまりにも歌メロと歌詞(の感情)がかけ離れてたら歌えないでしょう。つまり肉化されるような範囲の歌詞って何なんだってことだよね。要はその中でどれだけ冒険が出来るかっていうようなことではないかと思う。
(収録時間100分、08年2月28日、立教大学・阿部嘉昭研究室にて)