JR九州が東京証券取引所への上場を果たした。1987年の国鉄分割民営化により誕生した後も、同社の株は国が保有し、事業計画から社長人事まで政府の認可が必要だった。今回、株式が市場に売却されたことにより、JR九州は純粋な民間会社として新たにスタートする。
JR旅客6社のうち、すでに東日本、西日本、東海の3社が上場しており、九州は4例目だ。しかし今回の上場には特別な意味が伴う。
本州以外の「島」に本社があることから「3島会社」と呼ばれる北海道、四国、九州のJR3社は、民営化当初から大幅な赤字が予想されていた。山手線や東海道新幹線のような稼ぎ頭が不在だからだ。
立地のハンディキャップを負った3社は、国から「経営安定基金」を受け、その運用益で鉄道事業の赤字を穴埋めしてきた。3島会社の株式上場は予想されていなかった。
ハンディを克服すべくJR九州が取り組んだのが事業の多角化とブランドの強化だ。不動産からホテル事業、農業まで、攻めの参入を重ねた。失敗もあったが、分譲マンションの販売戸数では九州のトップクラスに位置するまでになった。
国外にも活路を求めた。博多と韓国・釜山を結ぶ高速船を就航させたほか、九州の産品を使った飲食店を中国にも開業した。発足当時、2割弱だった鉄道以外からの売り上げは、今では5割を超える。
一方、豪華寝台列車「ななつ星in九州」は、JR九州のブランドを高めた。国鉄時代は本州で使い古された車両が回されていたため「車両の墓場」などと言われた九州だった。デザイン性の高い車両の導入は、社員の士気も高めたはずだ。
株式上場は終点ではなく、本格的な試練は、むしろこれからである。
経営安定基金は今春、全て取り崩しており、今後は自力で業績を改善しなければならない。新分野を切り開いたり、稼ぐ事業を育てたりする一方で、地域の足としての役目をどのように担い続けるか。
すでに管内の駅の半数以上を無人化したが、不採算路線を廃止すれば解決するというものではない。地元にも、株主にも長期的利益をもたらすような発案に期待したい。
「誰もやっていないことに挑戦し続ければ、20年後、30年後も立派な企業でいられる」--。ななつ星などJR九州の個性的な車両をデザインしてきた工業デザイナーの水戸岡鋭治氏の言葉だ。
試行錯誤を重ねつつ、チャレンジを続ける姿は、JR北海道、四国だけでなく、高齢化や人口減少で先行きを悲観しがちな日本の企業に可能性を示しているようだ。