投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. アルベア論(864)
  2. ひらがなプロジェクト(195)
  3. 正義のあかし(45)
  4. 掲示板の注意事項(1)
  5. 虚構の大石寺疑惑(0)
  6. 2015年安保法制(977)
  7. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


9割どころか3割にすらなっていない

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年11月 6日(日)01時57分58秒
  9割どころか、実際についていってるのは3割もいないようであるけどね。
その3割だって、騙されていない人を除けば確実に2割に届いてないだろうけど。

9割がついてこれる、ではなくて全く逆。
9割がついてけなくなるよ。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

Cさんと対話

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年11月 6日(日)01時37分55秒
  ひかり「聖教一面、読みました?」

Cさん「まだ読んでねえ(照笑)」

ひかり「創価学会仏だって」

Cさん「なんだそりゃ」

ひかり「それと、三代会長先生を、先生って尊称で呼ぶようにと、お達しが」

Cさん「なんだそりゃ(笑)今も普通に呼んでるでしょ」

ひかり「読んでみて。聖教新聞の一面」

Cさん「もういいや。たくさんだ。読みたくねえ」

ひかり「読みたくねーか(笑)」

Cさん「読みたくねー(笑)」










 

組織体制の引締め

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年11月 6日(日)01時36分0秒
  信濃町の官僚組織上層部は、去る者は去って良し!と腹を括ったやうだ。例の9割ついて来られれば良しとする論理。矢継ぎ早の会則変更は組織体制の引締めが第一義。次は南無公明党仏ラシイ。  

Kさんと対話

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年11月 6日(日)01時22分32秒
編集済
  ひかり「聖教一面、読みました?」

Kさん「あははっ、まだ読んでない」


新聞を見せるひかり。


ひかり「創価学会仏って、ホラ」

Kさん「え、ほんとだ。え?何これ?」

ひかり「会則前文にですって」

Kさん「へー。。あれ?会則なんてあったんだ」

ひかり「うーん。あったんですねえ」

Kさん「はー。。。」

ひかり「それと、ここ、この記事」

Kさん「先生?って、あたりまえじゃない。なんなのこれ。なんか変」

ひかり「・・・・・・」

Kさん「ねえ、なんで、いつも説明がなく、決めてから絶対的な打ち出しで出てくるのかな」

ひかり「確かに」

Kさん「黙って受けとめなきゃなんないのかな、こういうのってさ」

ひかり「黙って? うーん」

Kさん「ひょっとしたら、拒否できないと、思い込んでいるだけかな」

ひかり「そうかもですね」

Kさん「初めて今思った。これは受け付けられないって」

ひかり「違和感、あります?」

Kさん「なんだか、得体が知れないわ。大変なことが起きているんじゃないの?」










 

失礼しました

 投稿者:涙ひまなし  投稿日:2016年11月 6日(日)01時22分5秒
  5・3記念行事は先に掲載されている旨をご指摘頂きました。
ご迷惑をおかけしました。
 

矢野問題、和解したのはなぜ?

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年11月 6日(日)01時07分15秒
  大石小石はん証拠まってるでwほなさいならーw

-------

あえなく遁走かw

証拠なんか、「法務室」のドンY主事にお伺いすればいくらでもあるよ。懲戒覚悟で聞いてみなさい。
梯子外された弓はんの抜擢の理由もね!
 

私の知人ですが...

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年11月 6日(日)00時49分6秒
  精神障害者2級で、障害者福祉施設で働いていますが、障害年金と手取りと僅かな貯金を全額財務するやうに"指導"されています。蔵の財を捨てることが成仏の直道なのでつね。彼は新聞も3部購読して所謂"自爆"啓蒙をしています。  

11.5男子部の日に。

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年11月 6日(日)00時31分1秒
  バカ板の「通行します」風で記述するとこうなります。
-------
めでたい男子部の日やねんwところでこの間まで"拡大の魂"の中心だった棚のはん、橋元はんの人事発表はよw
弓センセーとそのなかまたちは青年部出身の先輩に対してグチいっとるやんw後輩たちにもイヂワルしてねw

それにしても竹岡はん、ネクタイ曲がってるでw
 

5・3行事は??

 投稿者:涙ひまなし  投稿日:2016年11月 6日(日)00時22分11秒
  初投稿致します。何とぞ浅薄な質問をお許しください。

聖教新聞第5面
年間主要行事内にある ◆記念行事の蘭には 5・19「創価学会常住御本尊記念日」と
ありますが、5・3記念の行事は何処へいったのでしょうか。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年11月 5日(土)23時52分15秒
  今晩は 皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

Yさんは、こんな事にも関与してました!

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年11月 5日(土)23時46分55秒
  矢野問題除名処分出来なかった理由②

――そもそも税務調査のメスが入ったきっかけは何だったのでしょうか。

矢野 直接のきっかけは1989年に起きた「捨て金庫事件」でしょうか。聖教新聞社の本社倉庫にあった古金庫がごみ処分場に誤って捨てられ、金庫の中から1億7,000万円が見つかったという事件で、学会の金満体質が注目されるきっかけとなりました。

――その後もいわゆる「ルノワール事件」が発覚するなど、「学会と金」にまつわる事件が続きました。

矢野 当時は学会の不動産関連の多くを三菱商事のディベロッパー事業部が担当していまして、ルノワール事件はその絡みで起きたのでしょう。89年に三菱商事がルノワールの絵を36億円で購入し、それを学会系の東京富士美術館に運びこみ、翌年の秋に同美術館が三菱商事から41億円で購入した。金と絵画の不自然な流れの中で、結局3億円が消えたとされています。これを国税が調べ上げ、全国紙が報じて話題となったわけです。要するに、学会の裏金作りに三菱商事が加担したのではないかと注目された事件ですね。
 

こりゃ相当ビビるわな。当時の学会首脳のYさん(笑)

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年11月 5日(土)23時33分26秒
  矢野問題、除名処分に出来なかった理由①
墓苑で一儲けしようなんてのはかつての友さんと一緒ではないか?
バカ板の反論、お待ちしてます(^_-)

以下、乱脈経理より。

――厳格な調査対象のひとつに学会の墓苑事業がありました。墓石の売り上げ金は学会の会計ではどういう扱いになっていたのですか?

矢野 私も当時、学会首脳のY氏(著書では実名)にそれを尋ねたところ、「他の宗教団体では墓石の売り上げは収益事業として扱っているが、学会では(非課税の)公益会計になっている。問題になる」と非常に動揺していました。当時の学会は全国に6カ所の巨大墓苑を開発していて、墓の数は実に約24万。主な造成費用は学会員の寄付金でまかない、墓が完成すると永代使用料と墓石代などをセットで一基40万円から90万円で学会員に販売するわけです。
 

西京区虎

 投稿者:ロム専  投稿日:2016年11月 5日(土)23時25分45秒
  西京区虎がまた来たよ。
バカ満開だな。
二度と投稿しないで下さい。
 

同盟題目23時!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年11月 5日(土)22時56分47秒
  開始します。よろしくお願い致します。

それにしても今日の聖教一面はひどい。怒り心頭。
題目しっかりあげましょう。
 

54年メンタリティ

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年11月 5日(土)22時42分59秒
  それにしても今日の聖教新聞の一面
「宗教的独自性を一段と明らかに」って、原田会長始め老害の執行部の面々の心が、いまだに54年メンタリティに毒されている証拠じゃないですかね。
青年部のメンバーは大石寺で御開扉を受けたこともないメンバーが沢山いて、宗門のことを何も気にしていないのに、執行部の方々は宗門が一番だと思っているんじゃないですか?
阿部日顕が京都・奈良の華やかな寺院に憧れを抱いて、奉安堂を建てたように、執行部の方々は宗門に郷愁を感じてみえるんじゃないかと、今日の聖教新聞の一面「宗教的独自性を一段と明らかに」という記事を見て感じました。
 

先日はありがとうございました。

 投稿者:京都西京区乃虎  投稿日:2016年11月 5日(土)22時36分49秒
編集済
  遠いところから京都まで来て頂きありがとうございました。
総勢8名での会合楽しかったです。
驚きの連続のお話ありがとうございました。
歴史に残すための書籍作り宜しくお願い致します。
まさか54年から今まで続いていたとは驚きです。
〇〇さんが、会合でそんな話をされていたなんて知りませんでした。
今後も意図なし、思惑なし、俺が俺がではなく、1人も残らず、ぐっと我慢と忍耐の連続ですが、
やはりお会いして目を見て話し合うのが一番だと確認できました。
如何に今後の青年を育て上げるかの重要性を感じました。
嫌いな人もいましょう、合わない人もいましょう、その辺りは自分の心の中にしまっておいて、
池田先生とともに善の連帯を築いて行かなければならないと強く感じました。
〇野さん又いつかセルビア行きますので待ってて下さい。
板の皆さん、お忙しかったらこちらか出向きますので、お会いできる方居られますか?
ご連絡お待ちしております。

PS
〇〇の〇〇の合同会合楽しみにしております。

 

四代以降も仏に入るの?入れないよ!

 投稿者:八風  投稿日:2016年11月 5日(土)22時21分29秒
  三代までは先生、ならば、四代以降には記別を与えましょう。
四代、早世会長、五代、腹黒嫉妬会長、六代、愛人囲み会長、
はて七代、予想では、リンカン会長か?
なんだか勝手にへんてこな学会仏にしたもんだ。本気で考えたことかな。
会員を馬鹿にしてないですか?それとも、会員は何もかんがえずに、
会合でうなずくのでしょうか。納得って。狂ってる。
後世の賢人たちが学会仏として賞賛するのでは。現執行部を誰が仏と見るのです。
お笑い劇場です。情けない、情けない!
 

54年

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年11月 5日(土)22時17分11秒
  ずっと掲示板をみてきて感じるのだけど。

結局のところ、顕益を求めることしか自分でやってこなかった姿が4人組とそれに追従してる方々に感じるね。
それじゃ~何年やったって即身成仏なんて無理なことやん。
東京大学を出てるぐらいの知能でそんなことも理解できないはずもないのだけどね。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

厚顔無恥王さま、まさにその通り!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月 5日(土)22時11分56秒
  凄い展開になって来ましたね、自らも『センセ~』と呼ばれたいために、名称認定しちゃう(-_-)それも会則で(-_-)

学会精神を空文化するコンサル会社の営為です!ニヤニヤしながら、糞タレ刺繍入り勝負パンツ穿いた便1も高笑いしている琴でしょうね。

 

着眼点

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年11月 5日(土)21時56分30秒
  おおぐろ様

文証ありがとうございます。戸田先生が理事長を辞任されるという混迷の中、池田先生だけが戸田先生を視ていた。広宣流布の要は一体何かを、命でわかっていたのでしょう。これは、いまの時代も変わらず、これからも変わらない。即ち、池田門下において、視るべきは池田先生である。そこを外したら何もない。

54年は、池田先生をみるのではなく、組織をみてしまった。そこからズレがはじまり、結果的に池田先生を辞任に追い込んだ。それはもはや、門下とは言えない。どこを着眼点とするかで、すべては変わってしまう。我々は、誰が会長となろうとも、「池田先生を視よ」である。なぜなら永遠に、池田門下であるからだ。

創価学会は、会員第一であり、そして、創価三代(就中池田先生)を中心とした組織である。池田門下は、永遠に不滅であり、ほかの門下に入ることはない。ほかの幹部が介在する余地などなく、池田先生との絆を断ち切ることは絶対に出来ないのである。そして魔王は、勇者(真の池田門下)に倒されると、相場は決まっているのです。魔王を打ち破る罠(伏線)を張り巡らせて、悪事が働けないように詰んでしまいましょう。


 

魂の炎様

 投稿者:アメリカ帰り  投稿日:2016年11月 5日(土)21時55分38秒
  同感です

先生の御指導通りすること
これが一番
先生が教えてくださった通りやることが一番大切
それが創価の独自性です

先生の御指導から離れ、自分達で勝手三昧することは独自性でもなんでもない

今の執行部は宗門からの独自性ではなく、池田先生の御指導からの独自性を目指しているように見える
何やってんだ!
 

世界宗教への飛躍のはずが、暗黒時代に逆戻り

 投稿者:おおぐろ  投稿日:2016年11月 5日(土)21時23分34秒
  もう一つ、ジョーカーさんの見解に賛意を。

>創価学会仏という大義名分があれば、人間主義(仏)であることを前面に打ち出せる。雑な打ち出し
>などもってのほかとなり、説明も誠実で丁寧が当たり前。それが創価学会仏なのだ。当然、最高幹部も、
>創価学会仏にふさわしい言動でなければならなくなる。間違っても、反対意見や懸念を表明する人を
>「排除」することはできないはずだ。それは、仏の振る舞いではないからだ。

「反対意見や懸念を表明する人を『排除』することは、仏の振る舞いではない」――同じ主旨のことを、
池田先生は、日顕が創価学会を「破門」した直後の「創価ルネサンス大勝利記念幹部会
(1991年11月30日)」で述べています。

先生は、未来の経典に「創価学会」の名が厳然と記し残されるとの戸田先生の言葉と、日亨上人の
「学会を排除する宗門は、忌むべきである」との言葉を紹介し、宗門が学会を″破門″したということは、
それ自体、大聖人の御精神のすべてを排除したのと同じであると指弾。

さらに、先生は「『世界宗教』の条件を考える」として、「現代の世界宗教であるキリスト教が、いかな
るシステムで運営されているかを知っていくことの重要性は論をまたない」と述べ、著名な宗教学者が、
キリスト教と比較して宗門問題について述べた所感を縷々、紹介しています。

まず、「破門」については、驚くべき時代錯誤であるとして、

「カトリックにおいても、中世には、カトリックの正統に対し、信仰上で異端説を唱えた場合には、破門
に処すことがあった。しかし、今では破門など聞いたこともない。『破門』などという言葉や考え方自体、
まったく前時代的で、時代錯誤といえる。現在では、なじまないし、考えられない」
「カトリックでは、 教皇庁の中に、 検邪聖省 や、賞罰に関する裁判所のシステムがあり、異端問題でも
何が異端なのか、全員で評議し、判断することになる」
「教皇庁裁判所のシステムは、弁護士、検事、裁判官もいるという民主的な構成になっている。また、よ
ほどのことがない限り、破門するなどということはありえない。最近でも、バチカン(教皇庁)のことを
″悪魔の巣″と公然と批判した大司教がいたり、異説を唱えた神学部教授がいたりしたが、これらを破門
に処することはなかった。また、この教授に対しては、バチカンの決定は『世界各国における神学校の教
授にはなれない』との判決のみで、聖職の解任等もなかったのである」

──との所感を紹介。異端尋問、魔女狩りの本家本元がいまではこんなにも寛容に。バッサバッサ査問、
解任、除名を連発しているどこぞの教団とは大違いですね(笑)

さらに、先生は、「民主的な教団運営」がいかに重要かとして、
「カトリックには、信徒評議会や信徒団というシステムがあり、教団運営にも参画している。そしてまた、
これが聖職者の逸脱を防ぐ働きにもなっているとする見方もある。評議会の構成は、二十年前ごろなどは
世界中の信徒から選ばれた代表十五人と、 枢機卿を含めた聖職者十五人の合計三十人であった。評議会内
では、聖職者は、議決権を持たない″顧問″のような立場であり、最終的には信徒の発言と議決によって
物事が決定される。評議会の信徒代表のメンバーは、教皇庁に対して、全世界の教会の在り方について
自由に意見を言うことができる」

との所感も紹介。創価学会にも、一般会員の代表15人と本部職員の代表15人からなる「評議会」
が欲しいですよね。しかも、本部職員は議決権を持たず、最終的には一般会員の発言と議決によって
物事が決定され、一般会員の代表が学会本部に対して、自由に意見を言うことができるなんて最高ですね!

先生は最後に、「世界宗教の条件」として、(1)民主的な″開かれた教団運営″(2)「信仰の基本」
には厳格、「言論の自由」を保障(3)「信徒参画」「信徒尊敬」の平等主義(4)「儀式」中心ではなく、
「信仰」中心(5)血統主義ではなく、オープンな人材主義、(6)教義の「普遍性」と布教面の「時代即
応性」の6点を挙げていますが、果たして、現在の原田執行部は、この「世界宗教の条件」を満たしていると
いえるでしょうか。

先生が「創価学会はこれらの要件を満たしている」と述べる一方で、「すべては御仏意、飛躍への『好機』」
と述べているように、先生は宗門を反面教師として、宗門との戦いの中で、創価学会がこの6点の要件をさらに
満たすように改革されようとしたと言えると思います。しかし、道半ばで“倒れ”てしまい、今の執行部が
主導するようになってからは、すべては元の木阿弥。宗門のような封建体質、まるで中世カトリック教会かと
見まがうばかりの時代錯誤に逆戻りしてしまったというのが、いまの学会が置かれている状況ですかね。

この状況すら、「すべては御仏意、飛躍への『好機』」と捉えて、創価ルネサンスの総仕上げの大逆転劇を
成し遂げられるかどうか――この宿板と、ここに集う本当の創価学会仏の皆さんの使命は限りなく大きい
と思います。

少々長くなりますが、重要なスピーチですので、全文をアップさせていただきます。

……………………………
創価ルネサンス大勝利記念幹部会 (1991年11月30日)――池田大作全集スピーチ(79)

●未来の経典には「創価学会」の名が厳然と

本日は、緊急に″祝賀の集い″があるというので、私も出席させていただいた。全国の皆さま、ご多忙の
ところ、またお寒いところ、お集まりいただき、申しわけありません。また、本当にご苦労さまです。
最近は、人間の心が小さくなってしまったのか、何ごとも「話し合い」ができない人が増えたようで、
残念なことである。ある人は「幼児性」と言っていたが、子供のすることに、私としては本気になって怒る
こともできない。私どもは、ゆったりと、また堂々と、大人の対応、振る舞いをしていきたいものである。

十一月二十八日(宗門からの「破門通告書」の日付)は、歴史の日となった。「十一月」は学会創立の月で
あり、「二十八日」は、ご承知の通り、法華経二十八品の「二十八」に通じる。期せずして、魂の″独立記
念日″にふさわしい日付になったといえようか。

十一月二十八日(文永七年。同六年説も)付の日蓮大聖人の御書には、次のように仰せである。
「いたづらに曠野にすてん身を同じくは一乗法華の かた方 になげて雪山童子・薬王菩薩の跡をおひ仙予・
有徳の名を後代に留めて法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところな」
──無意味に、荒野に捨てるこの身を、同じことなら、法華経のために捧げ、雪山童子が法を求めて身を投げ、
薬王菩薩がひじを焼いて、法華経に供養したあとに続き、また護法のために壮絶に戦い抜いた(在家の)仙予
国王や、有徳王のように、我が名を後世にとどめよう。そして次に法華経、涅槃経が説かれる時には、我が名が、
その経典に説かれることを願っている──。

創価学会は、こうした大聖人の仰せ通り、不惜身命で妙法広宣流布を実現してきた。これ以上、折伏・弘教
をし、これ以上、世界に正法を宣揚した団体はない。また、いよいよ、これからが本舞台である。

戸田先生も言われていたが、未来の経典に、「創価学会」の名が厳然と記し残されることは間違いないと
確信する。(戸田第二代会長は、将来は「創価学会仏」と言われるだろうと語っており、そのことについて、
昭和三十七年十月十八日付「聖教新聞」の座談会「学会伝統の″実践の教学″」には、次のようにある。

「会長(池田会長=当時) 戸田先生がひとことお話しになりましたよ。たとえば、こういう大勢の学会人が
いても、将来、将来といっても、これはいつのことになるかわかりませんけれども、経文が、また仏が出て
説かれるときには「創価学会仏」という仏の名前で出ると。威音王仏とかいろいろあるでしょう。そういう
立場で「創価学会仏」という仏になるという、そういう意味の、先生のおおせらしいのですよ。これは不思議
ですね。釈迦の当時だって何人信者がいたかわからないけれども、今度は威音王仏の時だって何人信者がいた
かわかりませんよ。実際問題。だけれども、生命論から考えれば、なにも不思議はない。
 秋谷(副理事長=当時) 威音王仏の威音王という名前も、今で考えれば、創価学会というような名前で、
当時、あったと考えてよいわけですね。
 会長 そういう代表の仏の人物がいたともいえるし、ひとつは教団があったともいえる。
(威音王仏とは、法華経の常不軽菩薩品に説かれる仏で、同号の仏が二万億、次々に出現したとされる。最初
の威音王仏の像法の末に不軽菩薩が出現した)」

 「宗教」があって「人間」があるのではない。「人間」があって「宗教」があるのである。「人間」が幸福
になるための「宗教」である。だが宗門は、この道理を、あべこべにとらえてしまった。その錯覚に、重大な
「狂い」が生じた。
きょうも、ある婦人部の方が言われていた。
「私たちが、どれほど御供養し、宗門を守ってきたか。その一方で、僧侶は一体、何をしてくれたというのか。
病気になっても、見舞いに来てくれるわけでもない。ハガキの一枚もない。火事があったからといって、駆け
付けて励ますわけでもない。勤行を教えてくれたわけでもない。的確な信心指導もできない。葬儀に来ても、
心から 悼いた むわけでもない。口を開けば、『いい車で迎えにこい』『御供養が足りない』などと言う。
『一事が万事』の 傲慢ごうまん な態度──あまりにもひどすぎる」と。
そして「これでは日蓮正宗ではなく、″日蓮邪教″である。その点、学会は、いつも親身になって面倒をみて
くれた。すぐに駆け付けてきてくれた。この事実ひとつ見るだけで、正邪はあまりにも明らかです」と言われ
ていた。まさに、学会員の率直な気持ちであろう。

●日亨上人「学会を排除する宗門は忌むべきだ」

さて、日亨上人は、戸田先生と 縁えにし 深きお方であられた。私も、よく存じ上げている。本日は特に、
学会にある上人の御遺品を、ご紹介させていただく。(上人 遺愛いあい の質素な「杖」と、「 雑嚢(肩に
かける布製のカバン)」が紹介された)
「杖」は、上人が亡くなられるまで所持されていた品である。また、「雑嚢」──上人は、この中に書物を
入れられ、また、お弁当などを持たれて、日本中を回られたのである。猊座に登られた方である。近代の宗門
の大学匠であられた方である。その方にして、なんと質素な、お振る舞いであられることか──今は、まった
く変わってしまった。
その日亨上人は、かつて、ある僧侶に、こう厳しく言われた。
「現在の宗門で、学会以外に、取るものがあるかね。学会を排除する宗門は、 忌むべきである」(昭和二十
六年六月)と。
″宗門から学会を取ったら、他に取りえはないではないか″″学会を排除するなど、間違っている。こんな
ことでは、宗門自体が危ない″″学会をどこまでも大事にせよ″──学会を深く理解され、期待を寄せてくだ
さった日亨上人は、同時に、宗門や僧侶の実情について、当時から厳しく見ておられたのである。残念ながら、
上人の御指摘は、今や、そのまま的中してしまった。
ある大先輩の幹部が、厳しく、こう語っていた。
「大聖人の仰せ通りの『広宣流布』の精神は、今や、学会にしかない。宗門が学会を″破門″したということ
は、それ自体、大聖人の御精神のすべてを、取り去り、排除したのと同じである。あとに残った悪僧と寺院に
は、正しき信心のかけらもない。廃虚も同然となった。『広宣流布』の精神も『信心』もない宗門など、存在
する意義すらない。かえって、人々に害毒を流す完全な邪宗と化した」と。
ともあれ、この日亨上人のお言葉からも、学会こそが、日蓮大聖人、また宗門の御正師の御心にかなった、正
統の信心、正統の実践を貫いている団体であることを、重ねて断言しておきたい。

●「世界宗教」の条件を考える

日蓮大聖人の仏法は、「太陽の仏法」。全人類を照らす「世界宗教」であられる。その大仏法を奉ずる私ども
の前進も、あらゆる観点から見て「世界的」「普遍的」であるべきであろう。決して、小さな閉鎖的・封建的
な枠に閉じ込めるようなことがあってはならない。
先日、ある著名な宗教学者が、キリスト教と比較して、今回の宗門問題について個人的な所感を述べておられ
たようだ。
キリスト教にはキリスト教の独自の立場がある。仏教には仏教の行き方がある。それぞれの団体が、それぞれ
の使命感に基づいていくのは当然のことである。それはそれとして、現代の世界宗教であるキリスト教が、例
えば、いかなるシステムで運営されているかを知っていくことの重要性は論をまたない。これは「 外道礼讃」
等ではなく、「世界」を視野に収めた仏法者として、当然の見識であろう。新たな″世界宗教の条件″を考え
ていく一つの道理、参考として、少々紹介させていただきたい。

●「破門」──驚くべき時代錯誤

その方は、宗門が学会に対して「解散勧告」を出した後、マスコミ等が「次の処分は『破門』になるのでは
ないか」と騒いでいるのを見聞きされ、次のように語っておられたという。
「カトリックにおいても、中世には、カトリックの正統に対し、信仰上で異端説を唱えた場合には、破門に
処すことがあった。しかし、今では破門など聞いたこともない。『破門』などという言葉や考え方自体、まっ
たく前時代的で、時代錯誤といえる。現在では、なじまないし、考えられない」
「カトリックでは、 教皇庁の中に、 検邪聖省 や、賞罰に関する裁判所のシステムがあり、異端問題でも何が
異端なのか、全員で評議し、判断することになる」
「教皇庁裁判所のシステムは、弁護士、検事、裁判官もいるという民主的な構成になっている。また、よほど
のことがない限り、破門するなどということはありえない。最近でも、バチカン(教皇庁)のことを″悪魔の
巣″と公然と批判した大司教がいたり、異説を唱えた神学部教授がいたりしたが、これらを破門に処すること
はなかった。また、この教授に対しては、バチカンの決定は『世界各国における神学校の教授にはなれない』
との判決のみで、聖職の解任等もなかったのである」──と。
「民主的な教団運営」がいかに重要かということである。

●宗門は「非宗教的」「反民主的」

「どんな宗教においても、信仰の根本である教義の基本というものは、そんなに複雑なものではない。例えば、
カトリックの教義についていえば、その本質は(1)神を信じる(2)イエス・キリストを信じる(3)聖霊
を信じる、というものである。
 一方、外からの見方ではあるが、日蓮正宗の場合は(1)御本尊を信じる(2)日蓮大聖人を信じる(3)御
書を信じる、ということに核心があるのではないかと思う」
「もしも、こうした″信仰の根本″を否定し批判するのであれば、教皇庁でも、それが異端か否か、破門に処
すべきか否かを検邪聖省で審議するであろう。しかし、カトリックでは、そうした″信仰の根本″に対する批
判は別として、つまり教義の解釈や本質問題以外の主張や議論、批判については、『思想の自由』として保障
しているのである」
「その意味で、日顕法主らが創価学会の『解散』や『破門』などを、学会からの話を聞こうともせず、一方的
に処分することは、あまりにも『非宗教的』『反民主的』であって、常識では考えられない。そして『言論の
自由』『良心の自由』にも反するといって過言ではなく、まったく人権無視のやり方である」

●“信仰の根本”の歪曲こそ大問題

さらに次のようにも語られている。
「カトリックでは、ローマ教皇を含めて、信徒は皆、『神の民』であると、神の前の平等を説いている。日蓮
正宗の場合でいえば、日顕法主も一学会員も仏の前に平等であるということだ」
「僧侶(聖職者)と信徒は、役割が違うだけであり、だから僧侶が偉いということにはならない。ただ単に役
割分担の問題であって、その役割に互いに敬意が払われているということである」
「教皇は聖職者と信徒の代表であって、絶対に『神』ではない。もちろん歴代の教皇の中にも、時には私生活
の乱れた″悪教皇″もいた。しかし、信仰の根本となる教義の基本を変えたりした教皇はいなかった」
「仮にも、宗祖たる日蓮大聖人よりも現在の日顕法主のほうが偉いというような、信仰の根本にかかわる教義
の 歪曲を宗門が行ったとしたら、それこそ″異端″である。普通ならば即刻、追放されてもおかしくない重大
問題である。退座要求が起こるのは当然だ」

●教皇は信徒奉仕のしもべ

「カトリックでは、教皇は信徒に奉仕する″しもべの中のしもべ″と位置づけられてきた。したがって信徒
蔑視の考え方は、まったくない」「その点からいえば、日顕法主も信徒の″しもべ″であって当然であろう。
だから私は『しもべよ、いばるな!』と言いたいほどである」
「カトリックでも、(信徒が)教皇や司教(高位聖職者)に 跪ひざまず いたりすることは、第二バチカン公
会議(一九六二年から六五年)前後からなくなっている。現教皇もそのようなことを要求してはいない」
「現在の宗門が、″法主本仏論″のような主張を唱えること自体、信徒に奉仕する″しもべ″の自覚がない証
拠といえる」
また「葬儀などの儀式においても、信徒を金もうけの手段にする現状は、宗教の堕落そのものといえる。宗門
では、信仰の根本よりも、儀式が中心となってしまっているのではないか。その堕落を助長させた僧侶の養成
自体に問題があったとしか思えない。こうした日顕法主ら宗門の現状には、怒るというより、悲しくなってし
まう」と。
「日蓮正宗の僧侶は、これほど学会員に支えられて裕福になっているのである。にもかかわらず、彼らは信徒
一人一人のことを、政治家が数える″一票″のようにしか考えていないのではないか」
「日顕管長は、在家出身ではなく、親子二代にわたる″エリート管長″だそうだが、血統を 云々すること自

体、日本的発想の、おかしなところである。日本人は、なぜそんなに″ 血筋ちすじ ″が好きなのか、理解に
苦しむ。仮に親が立派だとしても、子供も立派とは限らない。カトリックでは逆に、特別な血統がないところ
から、いろいろな人材が出ている。
現在、ローマ教皇も、伝統を超えて、イタリア人だけでなく他の国からも出ている。いずれにせよ、教団に
限らず、団体は常に″新しい血″を入れないと、社会から 隔絶かくぜつ した組織になってしまう。
現在の日蓮正宗の宗門は、一部の僧侶による 閨閥けいばつ づくりが進み、一種の閉鎖社会になっているようだ。
このような宗門は″新しい血″を入れて、構造の変化と体質の改善をせねばならないと考えているのは、私一人
ではない」

●信徒が聖職者の逸脱の歯止めに

「カトリックには、信徒評議会や信徒団というシステムがあり、教団運営にも参画している。そしてまた、
これが聖職者の逸脱を防ぐ働きにもなっているとする見方もある。
評議会の構成は、二十年前ごろなどは世界中の信徒から選ばれた代表十五人と、 枢機卿を含めた聖職者十五人
の合計三十人であった。評議会内では、聖職者は、議決権を持たない″顧問″のような立場であり、最終的に
は信徒の発言と議決によって物事が決定される。評議会の信徒代表のメンバーは、教皇庁に対して、全世界の
教会の在り方について自由に意見を言うことができる」
すなわち、カトリックでは、このように、信徒の意見を教団に反映する″信徒尊重のシステム″が確立されて
いる、というのである。
(″少数の聖職者″の独断ではなく、″大多数の信徒″の総意と利益を尊重する──それが世界の大勢である。
また在家中心という大乗仏教の精神にも合致しているといえよう。
ところが宗門においては、こうしたシステムがないばかりか、この十数年間、かえって信徒を抑圧し、法主に
権限を集中させる体制を着々とつくり上げてきた。
また宗門の「C作戦(創価学会分離作戦)」においては「創価学会の法人責任役員の過半数を、日蓮正宗管長
の指名する僧侶が占めることを命じます」等の″信徒団体乗っ取り″の謀案が明記されており、仏法的にも、
良識的にも、人権上も、まったく″逆行″の体質が、社会の人々の眼前に浮き彫りになった)
「教皇の出費は、バチカンの国務庁によって決められ、それ以外の金銭は、教皇には渡らない。
信徒が信仰心からバチカンに出したお金は、すべて教皇庁財務局に入り、教皇が勝手に手をつけることはない。
教皇には、財務局から質素な生活費、および公務執行費程度しか支給されていないのが実情である。教皇個人が、
日蓮正宗のように、信徒からの供養を勝手に使えるなど、絶対に考えられないし、許されない。
正宗の宗門は、昔、小さな教団だったので、金銭に関しては、いわゆる″どんぶり勘定″だったのではないだろ
うか。創価学会による発展とともに、宗門はそうした体質・構造を変えるべきであった」

●宗風改善の要求は当然の権利

「(宗門による一方的な登山方式変さらによる)売店の大打撃や、バス会社の副社長が自殺にまで追い込まれた
ことなど、大石寺の目の前にいる人々の生活を、宗門では、どう考えているのか。これらの人々は本来、大石寺
の門前にあって、宗門にとっても、ありがたい存在の人達であったはずである」
「宗教とは、信仰をもとにしたものであって、企業ではない。創価学会員は、日蓮大聖人への信仰を奉ずる信
徒であって、″株式会社日蓮正宗″の平社員などではないはずである」
「信徒の代表たる総講頭の発言は、大変に重みのあるものである。たとえ法主であろうと、信徒の総意による
ものには、耳を傾けるのが当然であろう」
「また、僧侶の金銭感覚の堕落、信徒蔑視の体質があれば、信徒がそれに対して意見を言い、宗風を正すよう
要求するのは当たり前のことである」
「宗教においては、『変わらざるもの』は何か、『変化すべきもの』は何かを 見極みきわ めることが大事だ。
すなわち、普遍性と特殊性をわきまえることが、宗教発展につながるのである。カトリックにおいても、社会の
多様化に伴って、現代という時代への対応・適応が必要になってきた。現代では、独善的・閉鎖的ないき方は
通用しないのである。
その意味で創価学会は、信仰の根本の部分は堅持し、普遍化しながら、布教の姿勢については、現代に適応させ
ようと努力してきたから、今日までの発展を築くことができたのだと思う。
創価学会員が各地の旧(ふる)い社会の因習を打破してきたように、宗門の僧侶たちが、自ら″広宣流布″に
尽力し、血のにじむような努力をしていれば、この点も当然、理解できるはずである。
″日顕宗と化した″といわれる宗門の実態を見聞きするにつけ、驚くばかりである。仏法でいう『増上慢』その
ものの姿を現出しているとしか言いようがない」
──良識の声、正義への励ましの声として、紹介させていただいた。

 こうした識者の意見をふまえて「世界宗教の条件」をまとめてみると、次のようにいえるのではないか。
(1)民主的な″開かれた教団運営″(2)「信仰の基本」には厳格、「言論の自由」を保障(3)「信徒参画」
「信徒尊敬」の平等主義(4)「儀式」中心ではなく、「信仰」中心(5)血統主義ではなく、オープンな人材
主義、(6)教義の「普遍性」と布教面の「時代即応性」。創価学会はこれらの要件を満たしている。

●すべては御仏意、飛躍への「好機」

罷免 、解散勧告、破門と、他のところなら悲しくてつらくて夜も眠れないだろう出来事が続いているが、学会は、
全国的・世界的に、どこへ行っても歓声と笑い声ばかり。頭は大丈夫かと心配する人もいるくらいである。
仏法は一切を変化と説く。また信心ある限り、根本的にはすべて 御仏意ごぶっち と拝される。現在の変化も、
二十年、三十年という長い目で見ていくことが大事である。
学会の僧俗和合への努力が、今、報われていないことは、まことに残念なことである。しかし多くの識者からも
指摘されているように、宗門が今のままであれば、時とともに荒廃し、宗門内で収拾のつかない状態になること
は目に見えている。僧侶のなかからも、危惧の声は多くあがっている。
本当にそうなれば、大変なことだ。向こうの内紛を、こちらに転嫁されて、大切な同志が、今まで以上に利用され、
苦しめられ、傷つけられかねない。それだけは絶対に避けねばならない。
そうなる前に、宗門のほうから、学会に「無関係の団体」と通告してきたことは、深い意味のあることであろう。
後になって、危ないところだったと、はっきり分かるにちがいない。
私どもには、信心がある。団結がある。すべてが御本仏・日蓮大聖人の御仏意であると確信し、″大安心″で進
んでいただきたい。大聖人が私どもを守ってくださっているのである。

●信仰・原典・平等──新教の3特徴

学会は今、「宗教改革」を進めているが、ヨーロッパの十六世紀に始まる宗教改革──それは、中世の暗黒の闇
を大きく破り、宗教のみならず、社会、時代を大きく動かしていった大事件であった。その理想は何であったの
か。当時の堕落した旧教(カトリック)から分離独立した新教(プロテスタント)は、いかなる特徴をもってい
たのか。
それは、次の三点などである。
(1)人間の救済は、儀式などの形式にあるのではなく、個人の内面の信仰による。
旧教では、教会が行うミサ(パンとぶどう酒をキリストの肉と血であると信じて食べる聖体拝領を中心とする
儀式)などに参加することを重視する。それらの儀式は、功徳を生む善行であり、救済への力となると考える。
これに対して、新教は、内面の信仰を重視する。儀式をただちに功徳を生み出すものとはせず、各人の信仰に
よって救済されるとする。
(2)キリスト教の原典・聖書が信仰の基づくべき唯一の根拠である。
旧教は、その時々の教皇や教会の考え方に権威を置き、伝承や哲学的解釈を交えながら、しばしば聖書から逸脱
した都合のよい教えを説いた。
新教では、あくまで聖書のみが根本であるとし、それに反する教えを認めない。改革者ルターは、当時、ラテン
語(当時の″学問語″)であった聖書を、ヘブライ語・ギリシャ語の原典から直接、自国語のドイツ語に翻訳し、
民衆が分かるものにした。
(3)信者は、一人一人が信仰によって″直接、神に″つながっており、聖職者の介在は特に必要ない。
当時、旧教では、聖職者と平信徒の間には、身分の上下があるとした。その階級序列は神によって定められたも
のであると。
(キリストの母・マリアや「 余剰よじょう の善行」をもつとされる聖人を崇拝し、その功徳にすがっての罪の
あがないを説く。この考え方が、宗教改革の一因となった悪名高い「 免罪符めんざいふ 」の販売の背景になった)
新教は、信仰者すべてが、聖人や聖職者などのとりなしがなくとも、神と直結できるとし、万人が 祭司である

とする。神の 下もと の平等を強調する。

●戸田第二代会長「学会は御書を通して大聖人と直結」

かつて戸田先生は言われた。
「旧教は僧を通じて、神と通じさせた。これは、いわば 化儀(宗教の儀式的側面)に流されて 化法(法理的
側面)を忘れた姿である。逆に新教は、バイブル(聖書)を通じて神と通ずるというように、化法を重んじた」と。
形式主義におちいって法を軽んじた旧教を厳しく見つめておられた。このことを踏まえて、もとより次元は異な
るが、学会のいき方についてこう述べられている。
「われわれ学会は、御書を通して、日蓮大聖人と直結していくのである」と。
戸田先生は、鋭く本質を見抜かれておられた。偉大なる先覚者であられる。
私どもは大聖人を信じているのである。途中の介在者を根本として信じているのではない。この点を間違っては
ならない。そして大聖人の 仏意仏勅ぶついぶっちょく のままに「大法 弘通ぐづう  慈折じしゃく 広宣流布」
の大願を掲かげて、行動し続けている。だれびとも、大聖人と私どもの間に介在させる必要はない。また、介在
させてもならない。
あえて指導者の使命をいえば、大聖人と信徒を直結させるための手助け──それ以外にないはずである。僧侶が、
間に立ちふさがって、自分を尊敬せよというのは本末転倒である。

大聖人は「報恩抄」にこう仰せである。
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までも なが流布 るべし」──日蓮の慈悲が広大であ
るならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来の果てまでも流布するであろう──と。
根本は、大聖人の「大慈悲」によって、広宣流布は進められていく。その聖業を担う私どもの誉れは無上である。
また、大聖人は「御義口伝」に次のように仰せになっている。
「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり{」──今、日蓮が唱える南無
妙法蓮華経は、末法一万年の衆生まで成仏させるのである──と。
大聖人の仰せのままに進む人は、だれでも成仏できるのである。「成仏できない」と主張する人は、大聖人に弓
を引く者である。
大聖人は「末法一万年」「万年の外」と仰せである。七百年など、まだまだ始まりにしかすぎない。いよいよ万
年の未来へ、広宣流布への新しき、そして、壮大なる希望の出発をしたい。

五老僧は御書を軽視した。「本師根本」ではなく、いわば「自分根本」であった。現在の宗門は五老僧のように
なってしまった。
日興上人はどこまでも「御書根本」であられた。私どもこそ、日興上人の正統の門下なのである。
日興上人の仰せに「本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し」──(かつてインドの釈尊の言葉
が中国語や日本語に翻訳されたように)大聖人が使われた日本の尊い言葉についても、広宣流布の時には、かな
を用いて書かれた御書を訳して、インドへも、中国へも流布していくべきである──と。
この仰せ通り、御書を正しく翻訳し、世界中に流布しているのは、我が学会だけである。
学会は、この日興上人の御精神のままに御書根本に進む。宗祖・大聖人も日興上人も必ずやお喜びくださり、御
称賛くださっているにちがいない。
日興上人の 御遺誡ごゆいかい には次のようにある。
「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」──その時の貫首(法主)であると
いっても、仏法に相違して、自分勝手な教義を唱えれば、これを用いてはならない事──と。
私どもは、日興上人の 厳誡げんかい のままに毅然と行動していきたい。

●「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」

大聖人はまた、次のように仰せである。
「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」──この御本尊もただ「信心」の二字におさまっている──
信心がなければ、御本尊の 体たい はあられるけれども 力用りきゆう は現れない。
こちらの強い 信力 ・ 行力が、御本尊の 仏力 ・ 法力と相まって、功徳が厳然と現れるのである。
「信心」と「実践」のないところに、もはや仏法の生命はない。
また、このようにも仰せである。
「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を
以て源とす」──南無妙法蓮華経とだけ唱えて、仏になることが最も大切である。ひとえに信心の厚薄による
のである。仏法の根本は信を源とするのである──と。
成仏は、信心の厚薄によるのであり、あくまでも強き信が根本である。他の特別な権威等によるのではない。
また「切る」「切る」といっても「心」は切れない。私どもの大聖人との「信心の血脈」は、だれびとも切る
ことなどできない。切る資格や力のある者など、絶対に存在しない。
戸田先生は御本尊のない、″地獄″のごとき牢獄で二年間を過ごされた。そして、あの偉大なる境涯を開かれた。
そのころ、本山はどうであったか。一番、大御本尊の側にいながら、大謗法によって厳しい罰を受けたのである。
一切は、信心の厚薄による。信心のある人が必ず勝つのである。

どうか、皆さまは、「世界一の朗らかさ」と「世界一の勇気」をもって、「世界一の創価学会」の建設へ進ん
でいただきたい。そして、大勝利の七十周年をともどもに迎えたい。
最も大功徳を受けられる、今この時に、悪縁に紛動されて、悔いを三世に残してはならない。学会によって
知った、この幸福の人生の軌道を踏みはずしてはならない。どこまでも学会とともに、だれよりも幸福な、だれ
よりも楽しき人生を切り開いていっていただきたい。

きょうは本当にご苦労さまでした。風邪などひかれませんように。重ねて御礼申し上げます。
 

怪鳥が快調で、厚顔無恥大賞レースが混沌としてきました。

 投稿者:厚顔無恥王  投稿日:2016年11月 5日(土)21時12分48秒
編集済
 
久しぶりの厚顔無恥王です。いゃ~、
楽しみが増えました。厚顔無恥大賞どうなるでしょう?
原田怪鳥が快調にレースの先頭に立ちました。

審査委員長のイケディアンの住人様
発表は年末がよろしいかと。楽しみは先延ばしでお願いします。
 

学会変になっちゃったの

 投稿者:壮年部員  投稿日:2016年11月 5日(土)21時07分3秒
  今日の聖教新聞の一面をみて意味はわからんが奇妙と感じた  

たまげた!

 投稿者:不軽菩薩が理想  投稿日:2016年11月 5日(土)20時48分46秒
  本日の新聞を読んでびっくり仰天である。池田名誉会長が築きあげた組織に乗っかっているだけの原田さんが、なぜこんなにも自由に、やりたい放題に、組織を私物化できるのか?執行部には、勇気ある本物は、皆無なのか?
絶対に阻止していかなければならないよ!それこそ、強情な祈りで諸天を動かし、軌道修正していかなければ!みんなで勇気ある声をあげて行こうよ!遠吠えではなく、現場で声を大にして叫んで行こうよ!
 

聖スポ 一面大賞!

 投稿者:だだ一言  投稿日:2016年11月 5日(土)20時36分34秒
  聖教一面に衝撃の文字!

聖スポ   一面大賞決定か??

第三代までの会長を「先生」と!笑

先生を慕う会員なら当たり前です。
ある壮年の方が怒り言っていた。
「先生を過去の人にする準備か」と。
どなたかもふれていましたが、名誉会長だと何故?名誉会長になったの?と疑問も 昭和54年問題が浮き彫りになる。
SGI会長だと世界の創価学会の会長。学会のトップ。それだと困る人もいるのでは‥

もう1つのスクープ。
新人間革命もいよいよ30巻に突入!

全学会員お待ちかね~昭和54年4月24日の会長辞任をどう取り上げるのか?章の名称もどうなるのか?

戒めを込めて「時流」の章なんてどうだろう。

随筆 新人間革命 嵐の「4.24」にこうある。
池田先生を追い落とそうとする宗門。結託した学会の顧問弁護士。不用意な発言をしたある副会長‥  先生は辞任に追いやられる。

ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。
「私が会長を辞めれば、事態は収まるだな」。
沈痛な空気が流れた。
やがて誰かが口を開いた。
「時の流れは逆らえません」
沈黙が凍りついた。我が胸に痛みが走った。

学会の会長として、誰より戦われ、誰より会員を守り、大事にし慕われていた先生。その人を側近が守れない、守らない。どんなに悔しかっただろうと思う。
この場面、その場にいたのは十数名の最高幹部だった。仮名でも書き残すのか?「時流」と発言したのは誰なのか?

もし先生が執筆されていて、しかもお元気だったら、奥様、まわりが反対されても必ず書き残すことだろう。

それとも「世界広布の指揮を執る為に、後進に会長を託した」なんてならないか心配である。

実はまだ知られていない衝撃の真実もあるだろう。後世の戒めの為にも‥真実の歴史を残して頂きたい。

問題なのは、先生を辞任に追いやったその場にいた方々が今でも学会の最高幹部である事。そのまま新人間革命に載れば「何故、先生を守らなかったのか!」と厳しい声が上がる。
昭和54年の会長辞任は、昔は宗門と顧問弁護士が仕組んだとされていた。
しかし、宗門の脅しに負けた者、先生の側近にも関わらず嫉妬し、先生がいつまでも会長だと自分が偉くなれない、自分たちで上手くやれる、何よりも先生は幹部にうるさすぎるし厳しいと魔に負け虜になった者もいただろう。宗門、弁護士と最高幹部が先生を辞任に追い込んだ。

もし54年のその時。
「先生を私たちで守ります。先生辞めないでください」と言えていたら創価学会はどうなっていただろう。先生の広宣流布の御構想はどれだけ広がっていたか‥

しかし、先生は宗門に乗っ取られた学会を守る為、いや健気な会員を守り悲しむ同志を守る為広宣流布の指揮を再び執られ反転攻勢を開始する。そして、今の192ヶ国、地域にまで大聖人の仏法を広める。この偉業は先生だからできた事であり、先生以上の指導者は現れないだろう。

永遠性の確立の為に‥
先生の創られた真心溢れる学会に。

今の組織に叱咤はあっても激励はない。
励ましは万の力。
先生の広宣流布の総仕上げの時。
手遅れになる前に。

 

華氏451

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年11月 5日(土)20時24分33秒
  トリフォー監督のSF映画。思想哲学を弾圧し本を読ませない、という珍妙狂気な近未来。オーウェルの1984の映画版。マイケル ムーア監督はトリフォー監督に敬意を表して華氏911を撮りました。  

少しずつ、少しずつ

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年11月 5日(土)20時20分15秒
  今回の会則変更
「『三代会長』の敬称は、『先生』とする」これも気になりますねー。
なんだか校則で「前髪は眉毛にかからないこと」って規制されたような感覚・・・。
尾崎豊シンドロームじゃないけど、規制されると反抗したくなるような・・・。
心の中に権力が入ってきたような感覚。
『先生』と呼ばせていただくのは、師匠のことを心から慕って、自然と呼ばせていただいているもので、会則で縛るようなことではないと思いますが・・・。
それを敢えて、今回の会則変更で明記した執行部の真の狙いは、イケディアンの住人様が仰るように、4代5代6代会長のことも『先生』と会員に呼ばせるようにする為だと感じました。

執行部は少しずつ、少しずつ会員支配を強化してきていますね。
 

先生の神格化も

 投稿者:フロム関西  投稿日:2016年11月 5日(土)20時12分33秒
  危険だと思いますよ…(・_・;)
「創価学会仏」も「民衆救済」が要ですよ!
権威付けに意味なんかないです!
 

宗門コンプレックス

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年11月 5日(土)19時45分50秒
編集済
  今日の聖教新聞の一面
「宗教的独自性一段と明らか」とありましたが、創価学会執行部の方々、余程自信がないのかな~?
宗門コンプレックスがひどくないですか?
宗教的独自性を云々する前に、池田先生のご指導の通りに進めばいいじゃないですか!そうすることが、唯一無二の創価学会の使命を証明することになるんじゃないですか。
原田会長を始め、執行部の人々は師匠の池田先生を軽く見ているんじゃないですか。
 

組織の中心で師匠を叫ぶ

 投稿者:碇山  投稿日:2016年11月 5日(土)19時41分5秒
  saysaysayさんのヤンタン金曜、ドラゴン作戦…すごく分かりやすい比喩でツボに入りました(笑)  同世代を感じます。ピックは投げませんが。

普段は地下に潜っておりますがここは自分の信心を振り返る貴重な場所です。先生を求める心の声をしっかり受け止めて、地域に先生という花を溢れさせる戦いです。
明日も明後日も組織の中心で「先生!」と叫ぶ戦いを。
 

「先生」を規定した意味

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月 5日(土)19時22分58秒
編集済
  執行部にとって、厄介な池田原理主義者(無冠さまの投稿した削除されたスピーチを読む輩)の思考を手始めに叩くために、

①  2016.11で「先生」定義を三代会長の尊称とする。

②  2017.11で「先生」定義を歴代会長にも当てはめる。

③  2018.11で「先生」定義を現会長及び各方面で陣頭指揮されている学会患部全員にあてはめ、これを尊敬すること(-_-)

なんて感じですね。コンサル会社が考え出しそうな話です(-_-)
 

会長就任50周年特別寄稿より

 投稿者:アメリカ帰り  投稿日:2016年11月 5日(土)19時21分49秒
  「地湧の菩薩の集い来た仏勅の創価学会は、永遠に民衆を幸福にするために存在する
広宣流布するためにあるのだ
その一点が崩れない限り、あらゆる障魔が競い起こっても、学会は永久に発展する」
とある

逆に言うならば、「その一点が崩れたならば」
学会は終わるということ

安倍会派の公明
粛清し続ける原田会長
「民衆の幸福」忘れていませんか?

組織は偉大な勇者を作るか?
幼稚な愚者を作るか?
どちらか

原田会長は偉大な勇者ですか?
幼稚な愚者ですか?

自分にはだんだんと世間知らずの創価貴族のナルシストに見えて来ました
本当にこの人にあと3年も舵取り任せる職員って大丈夫?
会員は見切りつけていけばいいけどー
 

菩薩が智慧を失う四つの原因

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月 5日(土)19時20分10秒
  男子部時代に先輩から教えてもらったことがあります。
菩薩が智慧を失う場合があり、その原因に四つあるというのです。

1、師匠とその教えを尊敬しないこと。
2、覚えたことを独り占めにすること。
3、法を求める人の邪魔をしたり、求道心をそぐこと。
4、優越感にひたり、言葉や概念にとらわれたとき。

日犬氏から、老醜しか感じられないのはこの四点全てがあてはまっているからなんですね。

それはともかく、私たちの自戒としても大切なことじゃないかと思います。

1、師匠の話をふんふんと聞き流している人、無視して平気な人、ただ酒を飲む人、その生き方にはまったく緊張感が無くって何の魅力も感じられない。

2、職場なんかにもよくいるよ。さわりだけ教えて、ポイントやコツを絶対教えない人。また、「これは支部幹部以上には教えてもよい」「めったなことでは教えられない」などとのたまうダラ幹。

3、これは、後輩に対して先輩風を吹かせる情けない人。

4、「えっ、そんなことも知らないの」「君たちは知らんだろうが…」「まあ、君たちには難しいから、知らなくってもいいよ」などという言葉を平気で口に出来る人。

こんな人に出会ったら、おもいっきり笑い飛ばそう!!
 

華氏451

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年11月 5日(土)18時48分12秒
  本を読む人間は成仏できない。二乗不作佛だからだ(笑)。  

学会仏?

 投稿者:アメリカ帰り  投稿日:2016年11月 5日(土)18時29分1秒
編集済
  原田会長は
「本年7月26日の全国最高協議会へのメッセージの中で、池田先生は御本仏の広大なる慈悲を体し、荒れ狂う娑婆世界で大法を弘通しているのは、学会しかない
戸田先生が創価学会仏と言い切られたゆえんである」

大法弘通するから創価学会仏
ならば、支援活動、新聞拡張しかない今の創価学会は創価学会仏とは言えないのではないか?

そもそも、先生の最高協議会でのメッセージは切り文でしか聖教に掲載されていない
先生のメッセージがいかなる思いから発信されたものなのか?
全く不明である
全文を掲載するべきではないか?
全文を読んだならば、支援活動、新聞啓蒙主体の活動に「物申し」
大法弘通こそ、創価の使命であるという内容なのではないか?
今の公明安倍会派と揶揄される支援活動
新聞拡張員としか思えない新聞啓蒙活動

外道に堕した活動ばかり指示する執行部の姿勢を先生が本当に納得されているとは思えない

元職員の本では、先生は意思決定されていないとの事
これは自分も友人から言われた
今の学会の動きは池田先生のこれまでの発言と違いすぎる
池田さんは意思決定出来ないのではないか?と

メッセージの全文掲載を求める
また、なぜ宗教的独自性ばかり追い求めるのか?
そこも疑問である
そんなに宗教的独自性求めるならば「脱講」運動は辞めるべき
自分達が独自を求めるならば、他の宗教の独自性も認めるべきではないか?
それぞれ違う宗教として進んでいけばいい

そんな独自性よりも会員の幸福を目指す団体に戻って欲しい
会員の幸福を第一にする
これほど、独自性のある宗教団体は他に例がないハズである
池田先生が会長就任50年かけて作ってくださった独自性を放棄し、なんだか訳の分からないおかしな独自性を追求し始めている
おかしな団体になったとしか思えない

新人間革命も歩調を合わせるように「創価学会仏」の記載
「愚王を誡責」した歴代会長
公明安倍会派と呼ばれる公明
権力に擦り寄る原田会長の舵取りが「愚王を誡責」とは言い難い




 

三代会長から離れた学会は「創価学会仏」たりえない

 投稿者:おおぐろ  投稿日:2016年11月 5日(土)18時04分11秒
  ジョーカー様へ

いつも、鋭い見解に目を開かせていただいています。

>創価学会仏も悪しく機能すれば、「学会(仏)の判断には間違いはない」という無謬に陥り、独善となる。
>会員一人ひとりが、短絡的思考に陥らないように注意しなければならない。大聖人に直結する創価三代の
>指導から離れることなく、会は運営されていかなければならない。

諸手を挙げて賛同します。

小説『新・人間革命』 第22巻「新世紀」の章に、こんな一節がありました。

「創価学会の確信の精髄は、戸田城聖の『獄中の悟達』にある。 法華経に説かれた『在在諸仏土 常与師
倶生』(在在の諸仏の土に常に師と倶に生ず) の文を生命で読んだ戸田の、『われ地涌の菩薩なり』 との
悟達こそが、学会の魂である。その戸田という師に連なる時、 学会は広宣流布を使命とする『創価学会仏』
たりえるのである。」

三代会長の精神から離れてしまった学会は「創価学会仏」たりえないと明言されています。

この一節は、矢島新理事長の人事発表直後の場面です。魂の炎さんが指摘されているように、
「創価学会仏=執行部=組織=幹部」ということではありません。そうであるならば、この場面では、
矢島新理事長に従うことが創価学会仏を敬うことになるはずです。ところが、山本伸一青年は、理事長を
降りた戸田先生に「仏」を見て、戸田先生を守るなかにこそ、弟子の道がある
と思ったとあります。

「創価学会仏を利用し、組織の方針を絶対という人間がでてきたら、それは魔王の使いである」――
この判断基準で、魔を魔と見破っていきたいと思います。


……………………………
小説『新・人間革命』 第22巻 「新世紀」の章

新世紀(9)
 山本伸一は、戸田城聖の経営していた事業が行き詰まり、 戸田が同志に迷惑をかけまいと、 学会の
理事長辞任を発表した日のことが、 思い起こされてならなかった。
 それは、伸一の入会三周年の記念日にあたる一九五〇年( 昭和二十五年)の八月二十四日、東京・
西神田の学会本部で行われた法華経講義の終了後のことであった。
 戸田は、理事長の辞任を語ったあと、 自ら新理事長の人事を発表した。
 当時は、会長不在の時代であり、 理事長が学会の一切の責任を担っていたのである。
 戸田の悲壮な決意を聞いた、伸一の衝撃は大きかった。 動揺を隠せなかった。
 ″創価学会は、そして、広宣流布は、どうなってしまうのか……″
 伸一は戸田のいる部屋を訪れ、これから自分の師匠は、 新理事長になるのかを尋ねた。
 即座に、戸田の答えが返ってきた。
 「いや、それは違う! 苦労ばかりかけてしまう師匠だが、君の師匠はぼくだよ」
 伸一の全身に、言いしれぬ喜悦がほとばしった。彼の迷いは、 ことごとく吹っ切れた。
 心は決まった。
 創価学会の確信の精髄は、戸田城聖の「獄中の悟達」にある。 法華経に説かれた「在在諸仏土 常与
師倶生」(在在の諸仏の土に常に師と倶に生ず) の文を生命で読んだ戸田の、「われ地涌の菩薩なり」
との悟達こそが、学会の魂である。その戸田という師に連なる時、 学会は広宣流布を使命とする「創価
学会仏」たりえるのである。
 この時、伸一は決意した。
 ″戸田先生は広宣流布の大指導者である。 先生に自在に指揮を執っていただかなければ、広宣流布はない。
人びとの幸福も、世界の平和もない。よし、私が働いて、働いて、 働き抜いて、先生の借金も返済しよう。
そして、戸田先生に、 会長になっていただこう。それが、弟子である私の戦いだ!″
 伸一は、戸田に「仏」を見ていた。戸田を守るなかに、 弟子の道があると思った。
 

南無公明党仏!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年11月 5日(土)17時07分11秒
  創価学会が仏ならば公明党も仏だ。南無公明党仏の信心で選挙を戦いましょう。(笑)  

ありがとうございます。

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月 5日(土)16時53分12秒
  >螺髪さま

>一人のSGI 様

お役にたてて何よりです^^
 

4代からは単なる会長。

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年11月 5日(土)16時45分29秒
  4代、5代、現、6代は単なる会の長であるだけです。

間違ってはならないと思います。

今も、将来も、初代、2代、3代は誰に言われなくとも、決められなくとも、永遠に師匠であ

り、3代会長池田先生は、永遠に名誉会長であり、SGI会長です。

 

御書の1700頁

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月 5日(土)16時44分19秒
  私は男子部の時、よく幹部にワザとイヤミを言っていました。
僕の御書には「役職成仏抄」なんて御書はありません!でも尊い尊い
幹部様達の御書の1700頁には「役職成仏抄」が載ってるんでしょう。

というと苦笑いをする人もいればブス~とした顔で反応しない人も
いたけれど、まあこれじゃ幹部に良く思われるわけがありません。
だいたい初めての人に会うときにまずはじめに名前よりさきに役職を
名乗るというのがバカじゃないの?と思ってました。

でも一番危機感を持ったのがこの御書の1700頁というギャグが一度も
受けなかったことです。みんな御書持ってないの?御書は1700頁無いんだよ。
と何度言ってきたことか・・・まずここからじゃないのかな~
 

創価学会仏

 投稿者:フラフラ  投稿日:2016年11月 5日(土)16時34分0秒
  創価学会仏=学会員(職員は除く)これでいいのだ!  

魂の炎様、ひかり様

 投稿者:宝剣  投稿日:2016年11月 5日(土)16時07分5秒
  全文掲載ありがとうございます

なぜ
創価学会仏と言われるか?
それは民衆救済をしたから

戸田先生、池田先生の時代は本当に民衆救済していた
「貧乏人と病人の集まり」と馬鹿にされながら、社会の荒波で溺れている人に救いの手を差し伸ばしてきた
まさに「創価学会仏」の名に相応しい聖業をしてきた

秋谷会長、原田会長時代の創価学会はどうだろうか?
支援活動と新聞啓蒙ばかり
会員数も増えず、身活ばかり増えている
聖職者たる職員は一部上場企業並みの給料、待遇
これで「創価学会仏」とは驚くばかり
羊頭狗肉である

会則に「創価学会仏」と記載して喜ぶ人はいるのだろうか?
外部から鼻で笑われるだけだろう
池田先生の意思で「創価学会仏」と会則を追加したということになるのではないか?
先生に恥をかかせる行為だと思う

今の学会がそれほど民衆救済に貢献しているとは誰も思っていない

創価学会が確かに民衆救済に貢献している
と内外から認められる歴史を作った時に
「創価学会仏」と言われるだろうという話ではないのか?

池田先生が陣頭指揮を取られている時代は確かにそんな時代だった

しかし、秋谷会長のイラク容認
原田会長の安保賛成、公明安倍会派と言われる権力寄りの運営
たくさんの粛清
とても「創価学会仏」と言える状況ではない

元職員の本を読んで一連の出来事が池田先生の御意志でないことを多くの人に知ってもらいたい
そうでなければ先生が誤解される怖れの大きい
危険な会則だと思う

 

近い将来

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年11月 5日(土)15時43分19秒
  戸田先生のご指導
「法華経には、威音王仏という仏が登場する。2万億もの仏が、みな同じ威音王仏という名前で、長遠の歳月、衆生を救済してきたと説かれている。この威音王という名も、優れた仏の名であったかもしれないし、またそういう教団があったとも考えることができる。同じように、創価学会という教団は、必ず未来の経典に金文字で記される。一閻浮提広宣流布という未来記を実現した創価学会仏として、永劫に仰がれゆく」

本来は学会員一人ひとりが、かけがえのない素晴らしい存在ですよということだと思うのですが、今回の会則変更に関しては、組織として、創価学会仏=執行部=組織=幹部ということを訴える為の会則変更のような気がしてなりません。
つまり、執行部の無謬性を押し付ける為の会則変更。
何処かの元青年部長みたいに、「会長は偉いんです!」みたいな感じで近い将来には、皆んなが「原田会長先生は仏様なんです!」みたいになったら、こわ~~い!
 

創価学会仏を会則前文にナゼ

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年11月 5日(土)15時25分58秒
  「創価学会仏」という言葉が出てくる戸田先生の御指導の全文の通読なしに、

言葉が一人歩きし、都合のいい組織主義の補完利用になっては危険ですね。



「創価学会仏」とは、遙かな未来の人々がこのように呼ぶであろうと言われていると見るのが、

自然じゃないんですか?

私、間違ってますか?

まだ遙かなる未来でもないこの時期に、わざわざ会則に書き加えるべきことでしょうか。

どうも唐突ですし、こんなことを言い出した人達の頭は大丈夫なのかなと、心配ですよ私。

私、間違ってますか?

執行部には、何か別な意図(例:権威づけ)が?




 

カンピース様、太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編

 投稿者:世界の希望!  投稿日:2016年11月 5日(土)15時17分10秒
  全面的に賛成します!!

役職は人で決まります

創価学会仏の会長として、原田さんが相応しいと思いますか?


池田先生は昔、信濃町を歩いておられました
先生に会いたいと信濃町に行った会員が先生にバッタリお会い出来、相談し、激励して頂いた
その日が原点ですという話は学会の中ではよく聞く話だった

かの有名なバッチオもその一人

原田さんが会長になられ、一体何人の人を励ましたのだろうか?
原田さんを信濃町で見かけて指導を受けようと思うだろうか?

そもそも如是相の悪い仏はいない
「創価学会仏」と会則に盛り込むにはあまりに仏らしき役者が少ないのではないか?

もうすぐ本幹
原田会長始め、壇上幹部の皆さん
創価学会仏という名前に相応しい相の人が果たし何人いるのか?
見ものである

所で創価学会とは何を指すのだろう?
創価学会という組織だろうか?
本部と職員?
この人達が仏?

創価学会員を指すのか?
ならば、会員に仏の仕事をさせるべきである
集票マシン、集金マシン、新聞拡張員にしてはいけない

仏の仕事は
題目と折伏これのハズである





 

何を今更…( ̄△ ̄)ハァ?

 投稿者:フロム関西  投稿日:2016年11月 5日(土)15時13分43秒
  「創価学会仏」はルネサンス期に指導を聞きました。
んで、何?三代会長の敬称を先生と明記…って、
それで「宗教的独自性」が一段と明らかに??って、
何言ってるんだ??(◎-◎;)
組織改革や支援活動の見直し等、本当に急がないと
ヤバい問題があるやろに…(・д・)
師弟利用の道具がまた増えたような…



 

【定期案内】教学部レポートのおすすめ!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年11月 5日(土)15時04分50秒
編集済
  ■注目!    独自性と独善性を勘違いしている執行部の狂い。その元を知る為におすすめしています。

★☆詳しくはこちらから☆★
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56053

【参考】「教学部レポートとは」(英訳あり)
(こちらもお読みください。)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/53571

なお、送付までは1~2週間程度かかる場合があります。
 

会則変更

 投稿者:大福運  投稿日:2016年11月 5日(土)14時46分30秒
  創価学会仏って何?
先生が言われている創価学会仏は創価学会という組織ではなく、健気に無給で活動する会員のことを「創価学会仏」と総称してくださったのではないか?

高給貰って粛清している会長達のことではないと思う

池田先生を先生とする
こんな事会則で決めること?

会則で決めるべき事は
池田名誉会長は永遠にSGI会長である
ではないか?

何処かのネットには、原田さん精力的に海外に行っている
SGI会長に就任するのではないか?と書かれていた

SGI会長は永遠に池田先生
永久欠番でいい

本来、日本の会長も永遠に池田先生
他は「会長代理」でいい

池田先生はそういう思いもあり、戸田先生亡き後2年会長に就任しなかったのではないか?

創価学会は会社ではない
信仰の団体
池田先生は永遠の会長であり、永遠のSGI会長

自分は組織で役職頂き、部員さんに接する時、いつも「先生の大事な友に会いに行ってまいります」
と御本尊に報告
帰宅してからは
「先生の大事な友に会ってまいりました」と御本尊に報告し、友の健康、幸福を祈る

学会がおかしくなっているのは
創価学会は池田先生が作ってくださった団体
学会員は池田先生の大切な友
この一点を見失っている所から来ているのではないか?
原田執行部達は自分達の物と思っているのではないか?

創価学会、創価学会員は御本尊様、池田先生からの預かりもの
自分は代理に過ぎないという謙虚な姿勢を持ったならば、道を誤またない
残念な執行部達である

ここまで、酷いとは!
またまた、宿坊の指摘が慧眼であった事を実感する出来事である
 

イケディさま

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年11月 5日(土)14時31分23秒
  「華氏911」

マイケル・ムーア監督の真骨頂ドキュメンタリーですね。

マイケル・ムーア、私も好きですね。


「華氏911」の要旨は、

『ブッシュが、9・11テロに乗じて、国民の意識を誘導。関係ないイラク戦争をおっ始めた。

フセインが大量破壊兵器を持つ疑いが消せない、などと、世紀の大ウソで人民をダマして。

この映像を見てみ。テレビでは見せない映像だ。罪のない子供達まで無残に殺された。

現地に行かされた若い兵士が、遺書でブッシュを叩いているぞ。

正義の戦争と信じて息子を送り出した母は、ホワイトハウスに行って冷淡にはねつけられた。

これって何だ? 合衆国の貧乏人がイラクの貧乏人を殺しているだけじゃん。

ビンラディンはブッシュ家とオトモダチなので逃がされ、テロを撲滅なんかしてないじゃん。

血税で買った武器をイラクで消費しているうちに、テロリストを野放しにしたんでしょ?

違いまっか? さあて、そのツケはどうよ。」


こんな感じですか。



これは、他山の石でもあります。

我々も、執行部幹部に、うまいこと大ウソで誘導されないように致しましょう。









 

/1094