わたしは去年まで22年間お世話になった主治医・荒谷雅子先生に頼んで、
自分から「この薬効かない」「眠れないから…」「人と目を合わせるのが怖い」
「いじめられても堪えられるように」という安易な気持ちで薬を増やしてもらっていました。
はじめに効き目の強い薬を出されたのを体験したのは中学時代でした。
当時、父っちゃの用事で、家族が全員出かけていて、
家にはわたし一人で留守番をし、
「いつ帰ってくるんだ?!」と思い、寝られませんでした。
そのことを3日後の水曜日、
当時荒谷雅子先生が勤めていたつくしが丘病院で受診して、
「眠れなかった」と言っただけで、青い楕円の眠剤、
いわゆる「ハルシオン」を出されました。
それを飲むと、次の朝起きれず、学校でも眠気が起き、
高校時代は保健室で寝ていたりしていました。
そのころ、わたしの頭の中では、
「薬で苦しみが忘れられる、苦しみから逃れられる」と感じてしまい、
いじめられていた苦しみも、
上級生から「養護!(特別支援学校を出ていると思われていたから、こう呼ばれた)」と
バカにされた苦しみも、
ひとりで寝るときに来る電話の恐怖にも、
何から何まで薬が助けてくれるという、間違った考えを持っていました。
1994年2月、事件は起きました。
わたしは夢にうなされ、高校時代の生徒指導部長・佐々木康公(やすまさ)に苦しめられる夢を見て、起き上がり、下に降りて、
寝ている父っちゃ・母ちゃに包丁を向けました。
じつはこの当時、父っちゃと母ちゃがわたしの就職が決まらず、
母ちゃが年金を申請したいというと、父っちゃが「年金をもらうと、カズシゲが仕事を探さなくなる。」と言い張ってケンカをしたり、
わたしもこの前の日、テフロンのフライパンを洗うのに金タワシで洗って、
母ちゃに咎められて、気持ちがいらついていました。
次の週、受診で「暴れてしまった。」と荒谷雅子先生に言うと、
荒谷雅子先生は「ああ、やっぱり出たか…。」と言っていて、
今その言葉を解釈すると、薬で暴れてしまう作用が出たな、と言っていたのだと思いますが、
当時、年に一回は夜中に目覚め、
そのたびに薬を替えていましたが、
どれも、わたしの望んだ薬ばかり調合した多剤投与でした。
1995年11月、母ちゃとそのころ荒谷雅子先生が勤めていた青森市民病院に受診した時、
母ちゃも「薬を勝手に替えられて、カズシゲに合った薬を出して欲しい。」と言ったのか、気分が楽になる薬に替えてもらいました。
そのあと、わたしはNTT青森の食堂に勤めますが、
OD(オーバードーズ、処方薬の過剰摂取)もしていました。
ODは、2003~2005年にかけても、当時通った芙蓉会病院の薬でもやっていました。
自分で「飲むと落ち着かなくなる」とわかっていながらコーヒーを"眠気覚ましだから"という屁理屈で飲み、気分を不安定にさせた後にODしていました。
そういうことをしたり、自分で勝手に薬を増やしたために
2008年8月、わたしは悪性症候群という重病になり、
水中毒の治療を施され、
今は3,000cc(3L)までの水(ジュースも含む)ならOKと言われ、守っています。
初めに入院したクリニックの先生が薬の成分を調べたら、
幻覚幻聴止め、ムードスタビライザー代わりの抗てんかん薬、
安定剤、抗不安薬など、
どれも"お望み通り"に処方された薬ばかりだったそうです。
その結果、退院後初めの半年間は芙蓉会病院の荒谷雅子先生のままだったのが
今はダンナの荒谷信夫先生の勤めていた生協さくら病院に移りました。
どうしても荒谷雅子先生だと、また薬のモルモットにされかねなかったから移りました。
信夫先生も、雅子先生同様やさしい人でした。
アドバイスもしてくれるし、薬もガクッと減らしてくれた。
同じ夫婦なのに、薬の量がこんなに歴然と差が出るのも知らされました。
精神科医がタイトルを見て、何人読むか知りませんが、
精神科医に言いたいのは、
「多剤投与で治すのがすべてじゃない、
多剤投与は昔ながらの医者の考えで、死に至らしめる悪いやり方だ。
多剤投与で儲かるのは病院と医者で、国の医療費も圧迫される。
患者が悪性症候群に陥る前に、全国の精神科医は、薬の出し方について考えた方がいいのではないか?」
ということを言いたいです!!
全国の精神科医のみなさん、
わたしを例にして読んで下さい!!