音喜多駿都議が気になるエントリーを上げていたのでメモがわりに。
批判されるのは仕事なれど…「朝まで生テレビ」初出演の感想【雑談】 (東京都議会議員 おときた駿 公式サイト)
なんでも、Twitterの「#朝生」タグが攻撃的なツイートが多くて「読んでると病みそうなので序盤で見るのやめました」とのこと。
「まぁ、そうなるな」と日向さんばりに言いたくなるのは、Twitterが140文字という制限(しかもタグで3文字使ったり画像を投稿しようとするとさらに減る)があるから、短い言葉で感情が先鋭的になりやすいという構造的な理由がある。2005年前後の第一次ブログブームの頃には自分も含めて政治をネタにエントリーを書いているひとは幾人もいたけれど、論理的に「それはおかしい」というものはあったかもしれないけれど暴言の投げ合いといったことになることは稀だったように思う。
その頃に比べて、ネットに発信している母数は増えているから、より「ふつう」のひとが参加するようになって、「偉いひとには何を言っても許される」といった意識のひとが顕在化してくるのも当然といえば当然なんだろう。この「偉いひと」には例えば私のような木っ端ブロガー/ライターもそう見えることがあるみたいで、BLOGOSに転載されたり、Yahoo!ニュース個人の記事がトピックスに選ばれようなものなら、あちこちから罵倒リプが飛んでくる。
この手のひとたちは、基本的にコミュニケーションが双方向でなく一方向だと「思い込んでいる」から、こちらの反応があるかどうか関係がなく、「言った」ことで大抵の場合満足しているように見える。だから、そもそも「議論」を望んでいるわけでないし、言われた側も返信しようがないようなケースが圧倒的多数になってしまう。
もうひとつ。政治の話題がこの手の「罵詈雑言」にまみれる理由として、結局のところ個々が政策あるいは政治課題を我が事として考えていないのだろう、という思うことがある。豊洲の問題にしても、どんな選択肢にもリスクはあるわけで、それをどれだけ許容するかというところに焦点が当たるはずで、誰に責任があるのかは本来副次的な産物であるべきだろう。それがそうならない、というのは多くのひとにとって「他人事」として「政治」に口出しをしている、と捉えるしかないのでは、と思っている。
これはある意味で「ガス抜き」であって、個人的には為政者とか情報発信側とかにとってはくみやすい相手と捉えることもできる。そういった面も含めて、「むなしさ」がマシマシになるわけなのだけど、まぁネットで書き込みするくらいで憂さを晴らすことができるならばそれで、といった感じなのが正直なところだったりしますね。
そんなこんなで。今日も作業が詰まっているのでこの辺で。
記事
- 2016年11月05日 12:05
政治の話題が「罵詈雑言」になる理由
- ふじい りょう(Parsley)
- 乙女男子。ブロガー/ライター/Webディレクターなど
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