二上達也九段の御訃報に接し心より哀悼の意を表します。名棋士としてまた会長として昭和の将棋界に偉大な足跡を遺されました。二上九段と99局もの激闘を繰り広げ、名勝負をともに紡ぎだせたことは私の大切な財産です。どうぞ天国でその魂が安らかに憩われますようお祈り申し上げます。加藤一二三
— ひふみん11/7竜王戦第3局ニコ生解説 (@hifumikato) 2016年11月4日
二上達也九段とは個人的な想い出があまりに多く、Twitterで十分に語ることは到底できませんので、11/7(月)竜王戦のニコニコ生放送出演時にでも、折りをみて随時語らせて戴ければと思っております。
— ひふみん11/7竜王戦第3局ニコ生解説 (@hifumikato) 2016年11月4日
将棋の二上達也九段の訃報について、谷川浩司九段が「私も十局程度教えていただきました」とコメント。調べてみたところ、対戦成績は谷川九段の5勝4敗とほぼ五分。引退の2年前には、竜王戦の出場者決定戦で相掛かりの激しい戦いを二上九段が制しています。30歳下のトップ棋士を相手に見事な勝利。
— 村瀬信也 (@murase_yodan) 2016年11月4日
「二上詰将棋」を再読。詰将棋と、創作した時期の出来事が綴られた一冊。棋聖を防衛した1981年、「秋、知人の紹介で、一人の少年が自宅を訪れた」「その手合(飛車落ち)で、きれいに負かされた」「文句なしに入門を許可した」「少年は奨励会に入ってからも快進撃を続けた」「羽生善治である」 pic.twitter.com/sgd17v2js6
— 村瀬信也 (@murase_yodan) 2016年11月5日
私は平成元年の羽生「五段」対二上達也九段の勝ち抜き戦の記録でした。最初で最後の師弟戦で、羽生五段は大駒3枚全部捨てて20手以上の即詰みで仕上げて(全部ノータイム)恩返したことを思い出します。
— 勝又清和 (@katsumata) 2016年11月4日
心より哀悼の意を評します。
公式戦で弟子と将棋を指す場合がある。これなんかは嫌なものです。棋士ですから負けたくないのですね。見込みのある弟子は師匠よりも強いに決まっていますから。私が引退したのは羽生と順位戦を戦いたくなかったから(笑)
— itumon (@itumon) 2016年11月4日
翌年、羽生が同じクラスに上がってくる、その前に辞めました(二上達也九段)
「羽生は入門したときから強かったし、周囲の評価も高かった。だから私からあえて彼に声をかけたりはしなかった。
— itumon (@itumon) 2016年11月4日
将棋の勝負は、基本的に自分で頑張るしかない。そんなことは弟子もわかっているし、師匠も自分の型にはめたりはしません。」(二上達也九段)続 1/2
「才能もやる気もあるエリートしか集まらない厳しい世界で、勝ち続けなければならない。そんな彼らに無理やり自分のやり方を習わせるよりは、静かに見守り、困ったときにだけ声をかけたほうがよいと思います。」(二上達也九段)2/2
— itumon (@itumon) 2016年11月4日
「僕は升田さんに憧れて強くなった。だから升田さんには割と勝っているし升田さんの考えている事はわかる。所が大山さんの考えている事は解りにくいし解ると癪に障る。要するにこっちが出てくるのを待っているんだ。こっちはそれが解っていても攻めなくっちゃ気が済まなかったんだね」(二上達也九段)
— itumon (@itumon) 2016年11月4日
「二上達也先生の記録係をした時のこと」(神崎健二八段公式ブログ)→https://t.co/mlizc7bFe9
— itumon (@itumon) 2016年11月4日
訃報 二上達也九段 https://t.co/EnsmLToTGl
— 森 信雄 (@morinobu52) 2016年11月4日
私が理事のときの会長で、たいていのことはおおらかに見守っていただいた気がします。とってもお世話になりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
初めてタイトル戦の記録をとったのが、昭和56年7月15日、二上達也棋聖ー中原誠名人の棋聖戦第3局だった。対局場所は関西将棋会館4階水無瀬の間。覚えているのは、二上先生が2四飛と歩を取った時の衝撃。そして、夕食休憩後に寝てしまったこと。目が覚めた時の恥ずかしさは言葉にできない。
— 詰将棋指し (@nenehimapapa) 2016年11月4日
二上先生の詰将棋で真っ先に思い浮かぶのは、あの一手がある『将棋魔法陣』珠玉篇65番です。
— 詰将棋指し (@nenehimapapa) 2016年11月4日
小学6年生の頃、自信作を将棋世界の詰将棋サロンに投稿した。二上先生が選者だった。送った作品は内容乏しい上に余詰まであったが、当時は入選間違いなしと思い込んでいる。発売日が来ると書店に走り、ガッカリして帰るということを繰り返した。「おかしい。なぜ採用されないのか」
— 詰将棋指し (@nenehimapapa) 2016年11月4日
「にかみって人は見る目がないんだな」詰将棋の良し悪しも名前の読み方もわかっていなかった少年は、大きな勘違いをして発売日の書店通いをやめた。棋士になってからは、いつかその話をする機会があればと思っていた。もし実現していたら、先生に「ふっふっふ」と笑っていただけただろうか。
— 詰将棋指し (@nenehimapapa) 2016年11月4日
二上先生は地元北海道の大先輩であり、私が棋士になった時の会長でした。
— 野月 浩貴 (@nozuki221) 2016年11月5日
また師匠の兄弟子にあたり、渡辺東一名誉九段の一門という大きなくくりで可愛がっていただきました。
ご冥福をお祈り申しあげます。
二上先生の思い出。カラオケが大好きな「マイク二上」のエピソード。
— 野月 浩貴 (@nozuki221) 2016年11月5日
若手の頃、先生の地元函館での将棋祭りにご一緒した際に先生行きつけのスナックで歌を何曲か聴いていたら「一曲歌ってみなさい」と。先生の知っている歌をと演歌を歌ったら「やるじゃないか」と褒めていただいたのが懐かしいです。
棋士行きつけの新宿にあったお寿司屋さんにて。こちらは木村達と居たら二上先生が入ってきた事が何度も。先生はいつも我々から離れたカウンター席に。こちらのくだらない会話に冗談を言ったり。
— 野月 浩貴 (@nozuki221) 2016年11月5日
先生が先に帰る時にはこちらの会計まで済ませて「楽しんでいきなさい」と粋で優しくきさくな棋士でした。
大山康晴さえいなければ、二上達也は名人になっていただろう、とよく言われた。そこで誰かが二上に、大山と同じ時代に生きる不運について尋ねた。二上は「むしろ大山さんと同じ時に生まれて、全盛期に当たりたかった」と言ったという。東公平さんが好きな話で、東さんから、何度も繰り返し聞いた話。
— mtmt (@mtmtlife) 2016年11月4日
お仕事で札幌にきています。
— 渡部 愛(わたなべ まな) (@nanu_ke) 2016年11月4日
残念ながら二上先生にお目にかかる機会はなかったのですが、北海道の大先輩の先生ですし、詰将棋もよく解きました。ご冥福をお祈り申し上げます。
ここ最近は私の中で悲しいニュースが多いです…😢
こういう時こそ将棋を頑張らないとな。。
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すごいなあ。
どの位の値段になるのかな(本の厚さが辞典並みになりそう)
って、ここは二上先生のスレだった。。。
7日に思い出をいっぱい語ってもらいたい
そうだぞ、竹俣お前のことだぞ。
今局の初日はひふみんが二上先生を偲ぶ特番として見る
今回の竜王戦そのものには全く関心も興味も無い
仮に指してるとしても練習でしょ
木村義雄 1952年8月14日引退
加藤一二三 1954年8月1日四段
結局「旧時代」の代表の大山を倒したのは棋界の太陽だったけど、加藤二上が築いた土台がなければ中原も出られなかった
今に続く知的競技としての将棋はこの人たちから始まったんだよ
ttp://www.shogi.or.jp/game/record/same.html
香川愛生のゲーム番長も記事になってないのに将棋と関係ないニュースが記事になるわけ無い
同じおごるでもなんか粋だね。
記念対局
https://shogidb2.com/games/fab3bc19ba05a11acbbe9ad767d0aaddbb13028c
まぁ、練習と言えば練習
まあ、事情が事情だからそういう人もいて当然だと思うけど、お前の興味関心なんてみんなどうでもいいからわざわざ表明しなくてもいいよ
こんな年のとり方したいもんだ、
つまんね