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【芸能・社会】

波乃久里子に旭日小綬章受章 劇団「新派」55年 伝統・芸を継承

2016年11月3日 紙面から

旭日小綬章を受章した女優の波乃久里子=東京・築地で

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 政府は3日付で2016年秋の叙勲受章者4055人を発表した。今回最高位の桐花大綬章に江田五月元参院議長(75)が選ばれた。タレントで元参院議員の西川きよし(本名・西川潔、70)らには旭日重光章が贈られた。芸術文化分野からは俳優の波乃久里子(本名・波野久里子、70)、元プロボクサーのファイティング原田(本名・原田政彦)さん(73)、作家の宮城谷昌光(本名・宮城谷誠一)さん(71)が旭日小綬章に決定した。

     ◇

 劇団「新派」の女優波乃久里子が旭日小綬章を受章した。「言葉に言えないくらいうれしい。父(歌舞伎俳優の17世中村勘三郎)が一番喜んでくれていると思う。涙が出ちゃう」と喜びをかみしめた。

 4歳の時に父の勘三郎襲名興行で初舞台、初代水谷八重子に魅せられ16歳で新派に入団。以来、55年にわたり、新派の伝統・芸を継承し「婦系図」「遊女夕霧」「女の一生」など多数の代表作がある。

 「芝居が好きで好きで章を頂けて。私ほど幸せな女優はいない。八重子先生は私の中では神。先生の演じた作品は全部やりたい」。演じた役の多くは薄幸だが「私は全く不幸を知らない」と語る波乃。それでも弟(18世中村勘三郎)との死別は衝撃だった。「早過ぎたから。死を認めたくなくって…」と振り返る。

 「ずっと役の中で自分をつくって生きてきたから、趣味も執着もなく結婚へのあこがれもなかった。情熱家の家系なのにね」との告白も。「エネルギーがないと人を感動させることはできないもの。目標は壊れるまで仕事をして、見る人を元気にする芝居をしたい」と目を輝かせた。

◆西川きよし 旭日重光章

 西川きよしがタレントから参院議員になったのは1986年。3期18年をかけて福祉問題に取り組んだ一本気な活動が、旭日重光章の栄誉につながった。「小さなことからコツコツと福祉に精進してまいります」と意気込みを語るコメントを発表した。

 人気を博した漫才コンビ「横山やすし・西川きよし」の結成は66年。翌年から、老人ホームなどへの慰問を続けてきた。政界入りも「応援してくれた大阪の人たちに何か恩返しがしたい」という理由だった。「タレント議員」という世間からの目も、持ち前の実直さではね返した。「(国会の)開会式に臨んだ時は感無量で、ここからがスタートなんだ、死ぬ気で頑張るんだと自分に言い聞かせて身震いしたことを鮮明に覚えています」と振り返る。

 「希望があって、家族のだんらんがあって、心の豊かさがあって、今の時代を生き抜くためのエネルギーを皆さまと一緒に見いだしていきたい」

◆ファイティング原田さん 旭日小綬章

 日本人初の世界2階級制覇を達成したファイティング原田さん。高度経済成長期と重なり、日本ボクシング黄金期のヒーローになった。「苦しさに耐え、苦しさがあったから頑張れた。ボクシングのためにやってきて素晴らしい勲章を頂けた」と旭日小綬章を喜んだ。

 リングネームが示すように闘志、ラッシュを武器にした。19歳だった1962年に世界フライ級王座を奪取。階級が細分化されていなかった時代、65年にはバンタム級で「黄金のバンタム」と呼ばれた王者エデル・ジョフレ(ブラジル)を破り、偉業を成し遂げた。約20キロの過酷な減量をこなしたこともあるそうで「トイレの水さえ飲みたいと思った。我慢は根性だった」と述懐した。

 95年に日本人初の国際ボクシング殿堂入り。日本プロ協会会長は21年務めた。現在は横浜市内でジムの会長として後進を指導する。「それが楽しい。自分ができなかった3階級制覇の王者を育てたいね」と意気盛んだ。

 

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