前回、『本郷に「三吉園」という商家があった』をブログに掲載致しました。 ブログには、「三吉園」の当主が杉浦善助と云う人物であり、明治から昭和初期まで茶商として店舗を本郷一丁目三番地に構えていたことなど亡父から伝え聞いたことを書きこみました。 「三吉園」についての情報が何かないかと、国会図書館のアーカイブで明治期の東京の商家について情報を集め、間違いなく本郷の地に「三吉園」が存在していたことが判明致しました。 その時点では、杉浦家についての父の兄弟以外の親類の情報はなく、杉浦の家系についても不明でした。また、曽祖父杉浦善助や祖父母の墓の所在も不明となっていました。 ブログに『本郷に「三吉園」という商家があった』を掲載して、暫く立った今年の2月上旬、一件のメールを頂戴いたしました。メールを下さった方は、杉浦善助の長男のご子孫であり、杉浦本家の方でした。(ちなみに我が家は、善助の次男忠兵衛の子孫になります。) その方は、ブログに掲載した父の話の内容とその方のおじいさんからお聞きになった話が合致していたことで、ご連絡をいただきました。 何度かメールのやり取りをさせていただき、私の知らなかった情報を頂戴いたしました。 その中に杉浦家本家の墓所についてもご教授いただき、お彼岸の3月20日に本家の墓所である深川の本誓寺にて杉浦本家のご子孫とお会いすることが出来ました。(写真が本誓寺の本郷杉浦家の墓)初めてお会いした杉浦本家の方々は、我が家で失われていた「杉浦家の歴史」について多くの資料をお持ちであり、杉浦家について熱心に調査・研究されている方がいらっしゃり、興味深くお話をお聞きすることが出来ました。 この出会いにより、これからも「我が家の歴史」をさらに掘り下げることが出来そうです。 |
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