西村定中の遺物の「短冊」より、「細川春流」という人物が特定できました。 裏書きには、会津藩の人物で号が【春流】歌人として著名とあり、これを手掛かりとして調べてみました。 細川春流は、通称:忠八、佐兵衛 名:長世 文政2年(1819)〜明治14年(1881) 沢田名垂、野矢常方に歌道学び、歌人として著名な人物とあります。 小山代官見習いから家老付御用所詰となり、文久3年(1863)蝦夷地在勤として北海道に赴いています。 蝦夷地在勤の時に、足利三代木像梟首事件の首謀者の一人である大庭恭平と交友があったようです。 定中の交友からは、足利三代木像梟首事件に関与したと伝えられている松尾多勢子や野城廣助がおり、 この線から細川春流との交友が想像されます。まだ、具体的な資料はありませんが、志士としての定中の 活動を調べる一つになればよいと考えます。(足利三代木像梟首事件の関係者と裏書きのある宇佐美比古雄の 短冊が残っています。宇佐美なる人物については、調べきれておりません) 細川春流は、戊辰戦後、脱藩して京都に行っおります。 墓所:会津若松下門田大窪山 著書として「奇題百詠」明治12年7月 |
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