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zoom RSS 伊藤櫟堂について

<<   作成日時 : 2012/05/19 19:26   >>

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 伊藤櫟堂(伊藤信行)は、伊藤晴雨の実弟であり西村定中の甥にあたる人物です。
家業である彫刻金工の業のかたわら民俗、考古、万葉の学もって野に遺賢在りと称されたといいます。

 西村定中の逸話の多くは、礫堂の随筆「向島にいた人々」(文藝春秋 昭和9年4、5月)によって残されました。二十歳の折、大阪に居を構え、飛鳥や河内の史跡を研究したといいます。特に飛鳥寺(鳥形山 安居院)の飛鳥大仏についての調査に参加したといいます。

 また、丹南藩についても、大阪西村氏と称し主家高木家と係わりを持ち続けておりました。特に西村氏の歴史の研究は、後の私たち子孫に大きな財産を残してくれております。大阪府南河内郡太子町にある磯長(しなが)山叡福寺に、西村家の墓所が残されていることを発見し、調査を致しました。ここには、西村家の四代定住、五代定發とその室(妻)の墓石が残されており、宝永2年(1705年)〜宝暦5年(1755年)の物と墓石に刻まれております。

 礫堂の交友関係を調べますと、渋沢敬三子爵、香取秀真、佐々木信綱、磯田長秋、宮本勢助など名流大家との交友が伺え、残された人名簿からは幸田露伴、鈴木古拙、尾上菊五郎、与謝野寛・晶子などの名が拾えます。
昭和20年8月9日、大阪府南河内郡西浦村東阪田の寓居で六十一歳の生涯を終えています。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
父の話しではお寺の法事などで順一郎と橋本さんはよく話していたらしいです。
凧の話は昔から父がしていました。ただ私は旗本の子孫と言うのを半信半疑で聞いていたのですが、一昨日、金庫から順一郎が父貞次郎への想いを書いた巻物(手紙?)のようなものを見つけて読んでみると凧の話が書いてありました。
また戸籍もあり見ると貞次郎の所に父橋本某って書いてありましたね。
順一郎が学校経営などで成功した後に新聞で書いた文を読むと、千住の広大な屋敷に彫金家の父が沢山弟子達を抱えていたって書いてあり、その後に当時は相続が長男がすべてするので、兄が相続したのだが没落して、傾いた家を建て直したくても、若い自分になにができるのかと途方くれていたことが書いてあったのですが、この兄って誰なんだろうか?晴雨のことなのかな?などと考えながら、まだまだ調べなければならないこともあるなと思っています。
かーくん
2015/04/25 02:27
本日、ご一緒に写真を見て、櫟道、順一郎、私の父が、貞次郎17回忌、昭和19年のお寺での集合写真に共に写っていたのを確認できたことを嬉しく思いました。
櫟道さんも亡くなる前年に父貞次郎のお墓参りができたということですね。


かーくん
2015/05/03 16:43
こんばんは
昨日は、お時間をいただきありがとうございます。
貴重な写真と戸籍資料を拝見させていただき、お礼申し上げます。また、橋本家と伊藤家の墓所にもご案内いただき、長年の謎がひとつ解けました。これをご縁に、今後ともよろしくお願い致します。
西村定継
2015/05/04 21:10

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