西村定中の実母壽目の妹で西村菊という女性がいました。定中の備忘録を調べたところ明治18年3月20日に発病、翌19年1月6日に病没とあり、浅草の念佛院に埋葬したとの記述がありました。先日、念佛院を訪ね西村菊についてお尋ねしましたが、すでに墓石はありませんでした。しかし、ご住職がわざわざ過去帳を調べていただき西村定中の名と菊の戒名を見つけてくださり、そこには、西光院芳貞菊壽大姉(橋本禎次郎引き受け)と記されていました。念佛院は、旗本橋本大炊頭家の菩提寺で、橋本禎次郎は幕末期の当主橋本六之助の次男です。禎次郎に西村定中の妹乕(とら)が嫁いで、義弟の関係となっています。後に禎次郎は、彫金の道に入り、伊藤一延となっています。乕との間に二子を設けており、長男一(定中が名付け親)は、絵師伊藤晴雨。次男信行は、民俗学者伊藤櫟堂となっています。 |
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かーくん 2015/04/29 20:21 |
大叔母の菊の戒名が墓石に刻まれているとのこと、念仏院から谷中に改葬されたときから、ずっと伊藤家でお守りしていただいていたようですね。定中の書き記した「備忘録」には、菊は、姪にあたる乕と一時期一緒に暮らしていたとあります。 |
西村定継 2015/04/29 21:28 |
本日夕方気になり墓石の文字をすべて下記写して来ました。菊さんの戒名は一字一句同じなんですが、没年が若干ちがいます。書き間違えなのでしょう。 |
かーくん 2015/04/29 22:50 |
おはようございます。 |
西村定継 2015/04/30 11:33 |
伊藤家のほうで回葬の際に書き間違えたのかと思っていました。 |
かーくん 2015/04/30 23:24 |
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