回にわたり「戦うブリタニア帝国の戦士たち」という題目で、ブリタニア戦士たちの信念・精神を創作ストーリーで表現してきました。読んでくださり有難うございました。
とてもマイナーな内容にもかかわらず、毎回読んでくださる方、コメントをくださる方が多いことに驚いていますし、とてもうれしく思います。有難うございます。
書いた記事が分散しており流れもつかみにくいと思いますので、読みやすいようにコメントを入れながら纏めました。
※このストーリーは歴史上の人物、歴史上の出来事が出ておりますがフィクションです。
- ①立ち上がったブリタニア戦士:ブリタニア戦士とローマ帝国の戦い(前編)
- ②ローマ帝国とブリタニアの新たな関係:ブリタニア戦士とローマ帝国の戦い(後編)
- ③ローマに牙をむいた戦士の心
- ④ローマ皇帝をうならせたブリタニア戦士たちの祖先(番外編)
- ⑤信念を持ち秘宝を手にした戦士
- ⑥ブリタニアの独立に成功した大器晩成の男
- ⑦ブリタニアに勇者現る
- 最後に
①立ち上がったブリタニア戦士:ブリタニア戦士とローマ帝国の戦い(前編)
それは4世紀の初めのブリタニア南部のことでした(現在のウェールズに位置します)。一人のブリタニアの小国を統治する戦士が立ち上がりました。
※ブリタニアとは現在のイギリス、グレートブリテン島のスコットランド北部を除く地域
当時は数世紀にも及んでローマ帝国がブリタニアを支配しており、ローマ高級官僚がブリタニア司令官を務めていました。
しかし、当時のブリタニア司令官がローマ皇帝になり、代わりに任命された司令官は下級の人物でした。
「ブリタニアは軽く扱われている!」と腹を立てたブリタニアの首長エウダヴが、「それならブリタニアを取り戻し自分たちで治めよう」と立ち上がったのです。
②ローマ帝国とブリタニアの新たな関係:ブリタニア戦士とローマ帝国の戦い(後編)
もう一歩というところで敗れてしまったエウダヴは国外に脱出します。そこでチャンスをうかがい時期を待ちます。そして、ついに再びローマ軍との戦いがやってきました
ローマ帝国との関係修復を狙うためにエウダヴは親友のカラドクスに相談します。そこでとった行動はその後のブリタニアの運命を大きく左右するものでした。
ブリタニアとローマ帝国の戦いの前後編に主人公として登場するエウダヴ・ヘンは実在の人物で、セゴンティウム(現在のウェールズ北部の都市、カナーヴォン)に住む実力者でした。
また、クライマックスのところに登場するマグヌスは、のちに西ローマ皇帝となったり伝説として物語化されたり(ロマンスものです)、ブリタニアに多くの影響を残しました。
<参考記事>
※カナーヴォン城
※マグヌスに関する記事(これもちょっと創作的に書いてます)
③ローマに牙をむいた戦士の心
時代は流れ再びブリタニアとローマ帝国の威厳を大きく揺るがす大事件が起きました。
367年~368年ごろにブリタニア北部(現在のスコットランド)で起きた反乱です。
この反乱は大反逆(Great conspiracy)と呼ばれ、ローマ帝国の待遇に不満を持ったローマ兵士がブリタニアで反乱を起こし、それに乗じた国々がローマ帝国に対抗したという、大事件でした。
その反乱に加わろとしたブリタニアの戦士と、引き続きローマ側につこうとしたブリタニア戦士がいて、双方の思いがぶつかり合います。
しかし、彼らの思いは「自分たちのブリタニアを守っていきたい」という共通の思いから生じるものでした。
この物語での主人公はシンロウプと呼ばれる小国の首長で(Cynlop)、彼については殆んど何も分かっていません。シンロウプか父が反乱に加わったのではないだろうか?と時代背景から仮定できます。
彼はこんなブリタニアに対する愛国心から出た行動だったのではないか?と推定して物語にしました。
④ローマ皇帝をうならせたブリタニア戦士たちの祖先(番外編)
順番は入れ替わりますが、戦うブリタニア帝国の戦士たちに登場するキャラの多くは、カラクタスと呼ばれるブリタニア王の子孫です。
カラクタスがブリタニアで一大勢力を張っていた時に、ローマ帝国がブリタニアを侵略して支配がはじまりました。
このカラクタスという人物は、ブリタニアを守るという愛国心だけでなく、敵国に対して復讐の燃えるのではなく敬意を表しています。
つまり、自国の誇りを強く持ちつつ、それを認めてくれる国であれば仲良くやっていこう、という心があったのではと思います。
その心が、ブリタニアの人々にも受け継がれていたのではと思い、僕は戦うブリタニア帝国の戦士たちでストーリー化してみました。これがそもそものストーリーの背景となります。
⑤信念を持ち秘宝を手にした戦士
先ほどの反乱軍に加わったシンロウプに対して、ローマ帝国についたと思われるのがパダンと呼ばれる戦士です。
パダン(Padarn Beisrudd)は地道にローマ帝国に従い辺境警備をして、やがてローマに認められたのではないかと思います。パダンは伝説のレッドローブと呼ばれるマントをローマからもらい、ローマ高官の称号も得ていたと考えられます。
しかし、パダンもブリタニアの誇りは持ち続けていたと僕は思っており、ストーリーに書きました。
⑥ブリタニアの独立に成功した大器晩成の男
同じように反乱に加わらずローマ帝国に従い、徐々に力を増していった人物がいました。コエル・ヘン(Coel Hen)と呼ばれるブリタニア北部の首長です。
コエルはメキメキと勢力を伸ばし、ローマ帝国がブリタニアから撤退し支配が終了してからは、ブリタニア司令官となった当時の最重要人物です。
コエルの根底にもブリタニアを守って行こうという信念を持ち続けた結果、ローマからも信頼されて、司令官に任命されたのではないかと思っています。
※みちくさ話
イギリスの童謡にマザーグースがあり、その中にコオル老王の歌があります。マザーグースのコールは、このストーリーのコエルではないか?という説があります。
しかし、当時コエルやコールと呼ばれる人物はもう一人おり(コルチェスターのコエル)、時代背景的にはコルチェスターのコエルがマザーグースのコオルと僕は考えています。いろいろ伝説があって面白いです。
⑦ブリタニアに勇者現る
コエル・ヘンが倒れた後※、コエルの後を継ぐように立ち上がったのが娘婿のキネダでした。キネダは先に登場したパダンの孫で、戦略的にも武力的にも類まれな才能を持てていたのではないかと考えられます。
キネダの名前をウェールズ的に表現すると、Cunedda ap Edern ap Padarn Beisruddとなります。
キネダは北部ブリタニアからウェールズに移り住み、現在のウェールズの原形となる国グウィネズを建国したとされています。
そして、その血縁はウェールズの王室を経てイングランド王室のテューダー朝(ヘンリー8世はエリザベス1世)に流れています。
僕はこのキネダの斬新な考え方や行動力にとても興味を持ち、歴史として記されていない部分まで突っ込んで調べています。
このキネダに焦点を当てた記事も、さらに書いていくつもりです。
(現在、プロジェクト進行中です)
参考)キネダに関する歴史上の情報はこんな程度です
BBC Wales - History - Themes - Cunedda ap Edern
最後に
マイナーで誰も理解しにくいけれど、特に歴史ファンにとって興味深いと思われる歴史が多くあります。わかりやすくストーリー化してお伝えできればと思い、歴史上の出来事をベースにしてブログに書きました。
いつもコメントなど下さりお世話になっている妙香さんのブログです。三国志の記事や銀河英雄伝説について書かれておりとても興味深いです。僕が書くイギリス関連の歴史とも共通点があり、歴史はどこでも似たところがあるなあと思っています。
最後まで読んでくださり有難うございました。
<おススメ記事>
<追伸>
イギリスの歴史やウェールズの歴史でご質問などありましたらドシドシお願いします!(特にウェールズの~中世までの時代が得意です)