記事が出ることが止められない状況であるならば、せめて事実確認をと思い、悩んだ末、歌舞伎町のバーガーキングで記者と合流し、自分的になんとなく差し支えない程度まで話した。うまいな、巧みだな、と思うのは、おそらくすでにそれなりの事実は十分掴んでいたのにも関わらず(記者クラブ仲間や友人のところへの取材で)、あえて事実と違うことをぶつけてきて、それは間違っている、という風にこちらが話を返してしまう環境をつくっていることだった。

画像はイメージです こちらは、あきらかに嘘が記事になったらなんとなく困る気がして、必死に否定してしまう。「AVがバレて会社をクビになったんですか?」「いえいえ、とんでもないですよ」「そもそも整理部移動も過去がバレたせい?」「めちゃめちゃ自分の希望ですがな」「風俗でも働いたことあるんですか?」「それはさすがにないっす」と。それに、周辺取材の抜け目なさも見事だった。「都庁記者クラブでキャバ嬢ってアダ名でしたか?」「記者会見向うときにとく『ご出勤?』て言われてたんですか?」「電卓やICレコーダーをラインストーンでデコってましたか?」「そもそも◯◯テレビの◯◯記者と付き合ってましたか?」など。
でもまぁ、取材テクニックなどというものはそれこそ「週刊誌記者としての訓練」を経て身につけられるものであろうし、それこそ先輩編集や記者から受け継がれる技術もあるであろう。私は私なりに、新聞記者としての訓練は受けていたし、それがある程度は感覚で、ある程度はマニュアル的な伝統で習得できるものだという実感はあった。そんなことより驚いたのはその後の世間的な反応だった。
同記事は見出しこそちょっと古びたセンセーショナルめいていたが、中身は極めて抑制的で、綿密な取材に基づいた事実がほとんどだった。当然、一応の誠意をもって取材に応えた私や私の家族の懸命さも一役買ってはいたし、社長の不倫と情実人事報道の裁判以降、なんとなしにいがみ合っていたと思われる日経と文春の関係を思えばその記者の取材の執念もわからないではないが、株価を左右するほどでも、歴史に残るほどでもない記事でも綿密に取材する姿勢は基本的には記者としてはわりと共感できるものであった。
でもまぁ、取材テクニックなどというものはそれこそ「週刊誌記者としての訓練」を経て身につけられるものであろうし、それこそ先輩編集や記者から受け継がれる技術もあるであろう。私は私なりに、新聞記者としての訓練は受けていたし、それがある程度は感覚で、ある程度はマニュアル的な伝統で習得できるものだという実感はあった。そんなことより驚いたのはその後の世間的な反応だった。
同記事は見出しこそちょっと古びたセンセーショナルめいていたが、中身は極めて抑制的で、綿密な取材に基づいた事実がほとんどだった。当然、一応の誠意をもって取材に応えた私や私の家族の懸命さも一役買ってはいたし、社長の不倫と情実人事報道の裁判以降、なんとなしにいがみ合っていたと思われる日経と文春の関係を思えばその記者の取材の執念もわからないではないが、株価を左右するほどでも、歴史に残るほどでもない記事でも綿密に取材する姿勢は基本的には記者としてはわりと共感できるものであった。