いきものがかり・水野良樹が語る「J-POPの変化」
10年代は、さまざまな意味で「ヒットの方程式」が成立し得ない時代となった。ヒット曲は、もはやお茶の間のものではなくなった。
しかし、「みんなが知っているヒット曲」がなくとも、ファンを増やし、動員を稼ぎ、ライブを主軸に活動を続けていくことができるようになった。
その変化を、J-POPのシーンのど真ん中で活躍してきたアーティスト自身はどのように感じているのだろうか。そのことを尋ねるべく、いきものがかり・水野良樹にインタビューを行った。
MTV Student Voice Awards 2008(PHOTO: Getty Images)
「やっぱり、かつてはヒット曲に関するルールがもう少しシンプルだったんですね。それが、00年代の後半から10年代に入って『何をヒット曲とするのか』というルールがだんだんわかりづらくなっていった。ランキングだけではわからなくなった。だからこそ、ヒット曲というものをみんなが認識しづらくなってきたんだと思います」
彼も小室哲哉と同じく、このように指摘する。
いきものがかりは2006年にメジャーデビューしたグループだ。メンバーは、ボーカルの吉岡聖恵、リーダーでギターの水野、ギター・ハーモニカの山下穂尊という3人。
「ありがとう」「YELL」「じょいふる」など数々のヒット曲を送り出し、2016年にはデビュー10周年を迎えている。
まさに彼らは00年代後半から10年代のJ-POPのシーンを代表するアーティストであるわけだが、そこに至るまでは決して順風満帆な道程ではなかったと水野は振り返る。
「僕たちにとっては、環境がどんどん厳しくなっていくことを感じる10年間でした」
デビューした当時、スタッフやサポート・ミュージシャンやエンジニアなど周囲の大人たちは、みな90年代のCDバブルを体験していた。その頃の華やかな思い出話を聞かされることも多かった。彼らが知名度を拡大していく00年代後半は、CDセールスが目に見えて落ち込んでいく期間でもあった。
もし90年代にデビューできていたらもっと華々しい成功を手に入れていたはずだと周囲の大人たちから聞かされることもあったという。それでも、彼は自分たちを「運が良かった」と語る。
「2006年はまだCDも売れていたし、それを中心としたシステムがまだ維持されていた。そこでスタートすることができたのは幸せだったと思います。僕らはCDを売ることが難しくなってしまう少し前にデビューすることができた。そこでリスナーを獲得することができて、次の作品を作るための資本を得ることができた。
なので、ちゃんとしたレコーディング環境を維持することができたし、僕らが演奏していただきたいと思うミュージシャンの方にオファーをすることができた。レコード会社も、ちゃんと自分たちの作品を尊重しながらプロモーションしてくれた。僕らは運良くそういう環境で活動を続けることができた。
そういう意味ではすごくギリギリの、CDバブルの本当に最後の残り火があるときにデビューできたのは運が良かったことだと思うんです」
音楽は社会に影響を与えているか
90年代のCDバブルはすでに終焉を迎えた。しかし、ここまで書いてきたように、10年代のJ-POPを巡る状況は「CDは売れなくともミュージシャンは生き残る時代」となっている。パッケージ市場が縮小しても、ライブを軸に活動を続けていくことができるようになっている。
いきものがかりもライブ人気は高い。2016年の夏にはメンバー3人の地元、神奈川県海老名市と厚木市でメジャーデビュー10周年を記念した単独野外ライブを開催、4公演で10万人を動員した。そういう意味では、彼らもまたマーケットの変化に対応したグループであるとも言える。
では、水野自身はそこについてどんな風に考えているのだろうか。
この先、ミュージシャンはライブ主体に活動するようになっていき、音楽シーンに「みんなが知っているヒット曲」は必要なくなっていくのか。
そう尋ねると、彼は力強く否定した。
「ヒット曲が少ないことが意味するのは、つまり、音楽という存在が社会に対して与える影響が弱くなったということだと思うんです」
「CDが売れない」とか「ライブの収益は拡大している」とか、そういう変化はあくまで音楽業界の中のトピックだ。ビジネスモデルの話と言ってもいい。
しかしその外側、ポップ・ミュージックと社会との関わりに目を向けると、見えるものは変わってくる。
「僕らが青春時代を過ごしたCDバブルの時代というのは、別に音楽が好きじゃない普通の高校生の子もテレビで『HEY!HEY!HEY!』や『ミュージックステーション』を観ていた。それを観てないとみんなの話題についていけなかったんです。
テレビが今より影響力が強い時代だったから、ドラマやCMで流れている曲がそのまま社会にインパクトを与えていた。しかもビジネスとしても成功していた。そういう時代を僕は見てきたんです。ヒット曲っていうのはそういうものだと思ってたんですよ」
90年代、音楽はポップ・カルチャーの主役だった。少なくとも、テレビから流れるヒット曲の数々は若者たちの話題の中心になっていた。世代の共通体験となっていた。
歌は世につれ、世は歌につれ──。ヒット曲はその時代の流行の映し鏡となる。だから、時を経ても「あの頃」を思い出すためのキーになる。そうやってポップ・ミュージックは時代の象徴となってきた。
そういうヒット曲の持つ力が失われてしまうことは、音楽それ自体の価値が損なわれることにもつながる。そこに大きな危機感がある、と水野は言う。
「たとえビジネスとして成立していたとしても、みんなが共有できるヒット曲がないということは、音楽が社会に影響を与えていると言い切れないということになってくると思うんです。そうすると、逆に社会全体から見たら、音楽はいくつかあるコンテンツのうちの一つでしかなくなってしまう。極端に言えば、どうでもいいものになってしまうんじゃないかという危惧があるんです」
次回「10年代のヒットのカギ」は来週月曜日に更新!