『台海使槎録』は版図に入れない島を明示
黄叔璥著『台海使槎録』は「紅頭嶼」について「不入版圖」 (注1) として版図に入れないを明示している。しかし、「釣魚台」については、そのような記述は無い (注2) 。これは「釣魚台」が清朝中国の領土であるとの認識を示すものである。
尚、当時は清朝中国が実効支配せず「封山令」によって漢人の入植を禁じた (注3) (注4)台湾本島東部の「薛坡蘭」(秀姑巒渓)について版図に入れない旨の記述は無い。これは、巻八の「番界」 (注5) の項目で康熙61年(1722年)以降には台湾本島の中央山岳地帯や東岸へ漢人の立ち入りを禁じた区域について述べており、一々個々の川について重複記述を避けたからだと考えられる。
また、台湾本島の中央山岳地帯や東岸の番界 (封山令の入植禁止区域) 全般について、単に立ち入り禁止のみの言及に留め、「不入版圖」(版図に入れない)と明記していないのは、東岸の原住民のプユマ族(卑南族) (注6) の大酋長を朱一貴の乱の残党掃討での清朝に協力した功績に対して「卑南大王」として台湾本島の中央山岳地帯や東岸の番界全体を冊封した事 (注7) により、たとえ狭義の中国領でないとしても台湾本島の中央山岳地帯や東岸の番界も広義の中華帝国領と考えた可能性と、番界(漢人の入植禁止区域)の将来の変更や解除も視野に入れていた可能性が考えられる。
資料の出典: 黄叔璥著『台海使槎録』(早稲田大学図書館)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru04/ru04_03977/ru04_03977_0001/ru04_03977_0001_p0013.jpg
2016年11月4日
御意見・御批判は対応ブログ記事・[ 『台海使槎録』は版図に入れない島を明示 浅見真規のLivedoor-blog ] でコメントしてください。(注1) wikisource・『台海使槎録』(巻一)の下記記述参照。
https://zh.wikisource.org/wiki/臺海使槎錄/卷1
>沙馬磯頭之南,行四更至紅頭嶼,皆生番聚處,不入版圖;地產銅,所用什物俱銅器。
(注2) 『台海使槎録』には「釣魚台」に関する記述は巻二・「武備」に一箇所あるだけだが、「不入版圖」という記述は無い。
wikisource・『台海使槎録』(巻二)の下記記述参照。
https://zh.wikisource.org/wiki/臺海使槎錄/卷2
>山後大洋,北有山名釣魚臺,可泊大船十餘;崇爻之薛坡蘭,可進杉板。
(注3) 伊藤清 著・中公新書『台湾』(中央公論社)中の第三章「清国の台湾領有」の「開発の制限」参照。
尚、インターネット上の [ 台灣歷史 ] に転載されている。
http://members.shaw.ca/wchen88/mainp4j.htm
>清国政府の渡航制限は、中国東南沿海住民を対象とした措置であったが、台湾の移住民には「封山令」で臨んだ。
>封山令とは、すでに台湾に定住する移住民に対し、先住民の居住地域への入植を禁じたものである。
>台湾全島はもともと先住民の土地であり、封山令は一見して先住民を保護し、移住民と先住民の衝突を防ぐ措置のようであるが、
>実際は反乱を起こした移住氏が、先住民の居住地域に逃げ込むこと、および先住民と結託して反乱を起こすことを防ぐためのものであった。
>封山令のもとで、清国政府は先住民と移住民の居住地域を隔離して境界線を設け、先住民を封じ込めると同時に、
>移住民に対しては越境と先住民との交流や通婚を禁じた。
>これを犯した者には厳罰で臨み、許可なく先住民の居住地域に越境した場合は杖打ち一〇〇回、
>先住民居住地域の近辺での籐の採取、鹿狩り、樹木の伐採などは、枝打ち一〇〇回に加えて三年の徒刑を科した。
>また、移住民が越境して品物を運ぶのを察知できなかった所轄の官吏は、降格して異動させ、
>その直属の上司には一年間の俸給に相当する罰金を科した。
https://zh.wikipedia.org/wiki/土牛界線
(注5) wikisource・ 『台海使槎録』・巻八・「番界」の項目参照。
https://zh.wikisource.org/wiki/臺海使槎錄/卷8#.E7.95.AA.E7.95.8C
https://ja.wikipedia.org/wiki/プユマ族
(注7) 幣原坦 著(1931)・『卑南大王』(南方土俗学会誌「南方土俗」・第一巻第一号・p.1-p.10)参照。