Real Story of 球団経営BACK NUMBER
<ベイスターズ元社長の独り言>
「スポーツビジネスの真髄」
posted2016/11/04 07:00
text by
池田純Jun Ikeda
photograph by
Hideki Sugiyama
越えた壁の先には情念と情念の戦いがあった。
そして敗退の翌日、社長退任が発表された――。
10月15日、ベイスターズはCSファイナルステージでの敗退が決まった。翌16日朝、僕は株式会社横浜DeNAベイスターズの代表取締役社長を退任することを発表した。なぜそういう決断にいたったのかは、短いものだが文章をすでに公表しているので、そちらにも目を通していただければと思う。
今季すべての公式戦が終了しだい退任することは、1月31日の時点で決まっていた。横浜スタジアムの買収が実現したことが一つの区切りだった。春季キャンプインの直前、選手やチームスタッフ全員の前で話をした時、もちろん退任するとは言えなかったが、「みんな覚悟をもって戦ってほしい。僕も覚悟はしている」と思いを込めた。
選手やコーチたちはみごとに期待に応えてくれた。アレックス・ラミレス監督は、初めての監督業で慣れないことも多く最初は苦しんだが、5月には持ち直し、選手層の薄さが露呈して失速するのが常だったシーズン最終盤まで粘り強く戦ってくれた。そして結果として3位に入り、初めてのCSに進出することができた。
1つの壁を乗り越え、うれしさと同時に苦しみが。
現経営体制の5年目にしてチームが一つの壁を乗り越えたことは、素直にうれしく感じると同時に、僕を苦しませた。球団社長としての僕が、いつ、どんなふうに終わるのかがまったく読めなくなったからだ。今日で終わるかもしれないという張りつめた気持ちが、勝つことで生きながらえて、また終わりかもしれない今日を迎える。チームの勝利を願う一方で、辞めることをまだ自分の心の中にしまい続けなくてはならない息苦しさに苛まれた。もう、運命に身をまかせるしかないと思った。
ジャイアンツとのファーストステージ。1勝1敗となり、後がなくなって迎えた第3戦は延長までもつれた。9回、田中健二朗投手が牽制で鈴木尚広選手を刺し、ピンチの芽を摘んだ。11回、今季は控えに甘んじた嶺井博希捕手が見たこともないような痛烈な打球のタイムリーを打った。それはもちろん彼らの努力の賜物だが、個人の能力を超えた奇跡だったとも思う。