昨日はこの記事を書ききれず、下書きにしていたのですが、今朝A1理論さんが書いた記事を読んで、分かりやすさに感銘を受けました。
坂爪圭吾さんがどんな方かというのはこちらをご覧下さい。(手抜き。笑。だってめっちゃ分かりやすいんだもの↓)
今回の熱海旅行は、元々皆さんの予定が決まっていたところに、私も休みがたまたま重なったので参加させていただくことにしました。
そのグループの中で、「坂爪さんの家に行く件~」という会話が流れてきまして
・・・・え、坂爪さんてあの坂爪さん??!!坂爪圭吾さん???
あの、私大好きですけど!!!!!
坂爪圭吾さんは、私の中では、もう現代の哲学者!神!
坂爪さんのブログを読み始めたのは一年半くらい前だろうか。
初めてその文章を読んだ瞬間に、「ああ!こんな人がほんとうにいるんだなあ」と思いました。
かつての自分が抱えていた気持ち
人に良く思われたい・人に好かれたい・嫌と言えない・違うと言えない
そういった、格好悪くて無駄で哀しい気持ちとは無縁の、そのままの自分で、淡々と、誰に媚びることなく何を無理することもなく、そこにあるものだけで生きていく、比喩じゃなくて、実際に最小限の荷物で歩いていく(これも比喩じゃなくて、実際に「歩いて」いる。笑)、心理的にも物理的にも荷物を持たず、ただシンプルに歩く
こんな生き方に憧れずして何を好きというのかと思いました。
救われた数々の言葉。そのひとつ。
好意的な感情の原点は、常に「あなたが生きているだけでうれしい」のだと思う場所に留めていたい。何かをしてくれるから好きだと感じる愛情は、簡単に「何かをしてくれないから嫌いだ」の愛憎に転じてしまう。真実は、お互いを固く束縛し合うものではなく「人間を自由にする」ものだと思う。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月23日
この日この瞬間に聞けて良かったと思った言葉。「あなたが生きているだけでうれしい」と思えることの大事さ。
そう思えなくなったとき、今ちょっと何かを間違えているかもしれないと思うことにした。
坂爪圭吾さんのブログは、今の社会に生きながらいつも携帯していたい哲学書のような、そんな存在です。
・・・・という方のおうちに行く!
坂爪さんが熱海の話を書くたび気になっていたあのおうちへ!!
た、楽しみすぎる。。。
途中、坂爪さんは当日いらっしゃらないことが判明しましたが、自由に入って過ごして下さって構わないとのこと。。。さすが!思っていたとおり。
坂爪さんと連絡をとって、この企画を実行してくださったのはミキコさん。私もぼんやり「いつか行ってみたいな~」という気持ちはあったのだけれど、自分一人ではきっと実現しなかったでしょう。ほんとうに感謝!!
さて、カフェでまったりしたあと、とりあえず熱海駅へもどり、坂爪さんの家を調べる。
結構歩くようだ。。。
(タクシーにのりたいな。。。)
・・・だっっから私はダメなんだよ!と思う。笑
これだけ坂爪さん好きだーとか言いながら!
坂爪さんがいつも歩いている道を歩きたいよね。うんうん。暑いけど。結構山道っぽいけど。うん。大丈夫!!!
そしてiPhoneを手に「よし、俺が先導する!」と先頭きって歩き出したA1さん、頼りになるなーと思ったのでした。(下諏訪に詳しいだけじゃなく、基本、地図や案内が得意なんだなー。)
A1さん・ミキコさん・とれいCさんと私の4人で出発~。
(この夜泊まるゲストハウスも、A1さんが泊まるわけじゃないのに全部先導していただき、ありがたくもちょっと反省。今度から自分も進んで調べていこう。)
そして歩き始めたら、・・・・・まあまあきついわ!!!何より急に天気がよすぎる!!暑い!!
坂爪さんはいつもここを歩いているのかな?きっとそうだよな。すごいな。。。
でも、やっぱり歩いてよかったです。2/3くらいまで登ったところで見えたこの景色。
朝、砂浜で見た海とは、繋がっているのだけれど違う、秘密の場所のような海の切り取り方。何だか時が止まっているかのようでした。
この辺でひとやすみして、ちょっと先の集落へ。
A1さん「このへんなんだけどな~」と、細い道を行くと・・・・
あ、こ、ここだーーーーー!!!!
坂爪さんの名前を発見!!
A1さん、完っ璧な先導でした。
戸を開けて、おじゃましま~す。(すべての写真掲載の許可、いただいております。)
天気良かったから家の中は結構暑い。
窓を開けさせていただきました。間取りは2K。
窓の鍵が、私が昔住んでいた家と同じで懐かしい。棒を穴に差し込むタイプ。
あっ、坂爪さんのブログで見たことがあるお財布!(ここを訪れた人が中身を、入れてくれても使ってくれてもいいという、あの。)
うん、本当にここ坂爪さんちなんだ~。
古いけれどとても清潔で、モノは本当に最小限。でも殺風景ではぜんぜんなく、小さな瓶に小さな花が生けてある。何箇所も。
縁側の小さなテーブルと本。
わかりづらいけれど、ここからも海が見えるのだ。
そう、この家に一歩踏み入れた瞬間から4人全員が、ただただ静かに心が安らぐような空気を感じていたのでした。
例えていうなら神社のような、でももっとダイレクトに一人一人の心に語りかけるような清々しさ。
ああ、モノが無いって素晴らしいなあと思いました。自分は、普段いらないものから発せられている負のエネルギーをかなり受けているんだと思いました。
そして、モノが無いことだけじゃなく、古くても端から端まで清潔に整えられ、ところどころに生けられた花とセンスの良いシンプルな家具が、家の古さに絶妙にマッチして、この空気を生み出しているのか?と思いました。
でも、この縁側みたいな雰囲気の古民家カフェってけっこうあるよな~と思って、何が違うんだろうって考えたら
当たり前だけど、ここが家だからなんです。
しかも、家主がいないのに、会ったこともない人にも勝手に入ってくれて構わないと言ってもらえる家。物理的に鍵はあるが、実際、鍵の無いような家。誰も拒絶しない家。何かが無くなってもおかしくない家。そして、なのに、きっと何もなくならない家。それどころか、むしろお金や本や食料なんかが勝手に増えてく家。笑
全ては人次第だ、と思いました。
なくしたくないと、鍵をかけて頑なに守れば、盗まれないかわりに、誰にも心の内を明かせない。何も失うものなど無いと、ただありのままに開いていれば、訪れる人が身構えることは何もない。
この家は、坂爪圭吾さんの生き方そのものだと思いました。
憧れて憧れて、辿り着けない境地。
成長したと思ったのに、また同じことで何度も何度も悩んでいる自分。
今この瞬間にも捨てきれない見栄や惰性。
私が捨てたくて捨てられないものは、服や家具や本だけじゃなく、自分のしょうもない心なんだよな。
行く途中に、最寄りのバス停が分かったので、帰りはバスで熱海駅まで戻りました。本数も結構ありました。行きの道のりを思い返したら、駅まではもう一瞬でした。190円。
全てがまぼろしのようでした。
あの空間で過ごした時間が、忘れられません。
私は、ただありのままに生きることを目指して、道はまだまだ続く。
旅もまだ続く。(一向に終わりません。笑)