AKB48とBIGBANGに見る「動員の時代」の成功法則

00年代後半から10年代初頭にかけて、音楽ソフト市場の縮小が大きく取り沙汰されるようになりました。この音楽ビジネスの激変について、小室哲哉さんはどのように分析しているのでしょうか?
音楽ジャーナリスト・柴那典さんがその実情と未来への指針を解き明かす新刊『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)。11月15日の発売に先駆け、その内容を特別先行掲載します(平日毎日更新)。

AKB48とSNSの原理

 00年代前半にはまだCDバブルの余熱が残っていたが、00年代後半から10年代初頭にかけては、いよいよ音楽ソフト市場の縮小が大きく取り沙汰されるようになっていく。 
 その変化を牽引したのがインターネットの普及だった。小室哲哉はこう分析する。

 「YouTubeが一番大きかったでしょうね。『映像が見れてMP3と同じ音で聴けるんだったら、別にこれでいいじゃん?』と思うようになった。その時点で、音楽にお金を払うことに疑問を感じる風潮が生まれてきた。『これが21世紀なんだな』って思いました。音楽はどこでも聴けて、当たり前のように身近にあるものになった」

 ネットワークの帯域が広がり、いつでもストリーミング配信の形で音楽を聴いたり動画を視聴したりすることができるようになったことで、「コンテンツを所有することへの欲求」自体が減退していった。

 ツイッターやフェイスブックなどのSNSが普及し、メディア環境、そして社会のあり方が大きく変わってきたのもこの頃だ。自ら発信することのハードルが下がり、身近な友人から著名人まで様々な人とネットを介してやり取りすることが容易になった。

 コンテンツからコミュニケーションへの欲求の変化。それが00年代後半から10年代初頭にかけてのわずか数年間に起こったことだった。

 そして、その変化に最も早くかつ効果的に対応していたのがAKB48だった。

(PHOTO: Getty Images)

 秋元康は2005年に秋葉原に専用劇場を立ち上げ、「会いに行けるアイドル」というキャッチコピーでAKB48のプロジェクトを始動している。当時の観客は10名程度。スタートから1〜2年は、まだ無名のグループだった。

 2007年に刊行された『48現象』(ワニブックス)という本には、グループの初期の模様やその戦略が詳細に明かされている。大きな特徴はメンバーだけでなく、ファンの発信にも大きなウェイトが置かれていること。「ヲタ」と呼ばれるコアファンのブログ紹介やインタビューにかなりの紙幅を割いている。

このような作りになっているのは、AKBの魅力が単にメンバーの女の子だけでなく、ファンやスタッフも含めたムーブメント全体にあるからだ。ファンにとってメンバーは、立場は違えど同じ場所に集まって公演を盛り上げる、近くて一体感を感じる存在だ。だからこそ同書はファンについても十分な紙幅を割いて、書名にも「現象」と付けている。AKBのキャッチフレーズは「会いに行けるアイドル」だが、それもこのような距離の近さを意味していると言っていいだろう。ファンにとってそういう楽しみ方のできるアイドルは昔からいたが、『AKB現象』のような形で公式にそれを喧伝していったのがAKBの新しさと言っていい。 (さやわか『AKB商法とは何だったのか』大洋図書)

 AKB48がマスメディアに進出し全国区の知名度を得たのは、こうした参加型のシステムで濃密なファンコミュニティを築き上げた後のことだ。
 次の章で後述する「選抜総選挙」についても、秋元康はテレビやラジオなどでたびたび「自分でメンバーを選んだらファンから『わかってない』と言われたので、年に一度、選挙をすることにした」と始めた理由を語っている。

 ブレイク後も、AKB48は「Google+」や「755」など数々のSNSを用い、メンバーそれぞれの発信、ファンとの交流に力を入れている。しかし、それ以前に、立ち上げ当初からAKB48はきわめて「ソーシャルメディア的なアイドルグループ」だったと言える。
 そして、ファンの発信を大きな推進力にするという意味では、その後の女性アイドルグループも基本的には同じ原理を用いているとも言える。

 こうして秋元康がAKB48を成功させた方法論について、同世代で、対談でお互いのことを〝戦友〟と語ったこともある小室哲哉は、その背景をこう語る。

 「テレビの地上波というのは、いわば巨大な〝分母〟なんです。何千万人の人がそれを一斉に見ている。でも、21世紀に入って、その分母がバラバラになった。ソーシャルメディア以降の時代は〝パーソン・トゥ・パーソン〟ですからね。アーティストもファンも対等な立場だから、一人ひとりフォロワーを増やしていくしかない。そういう意味では、秋元康さんはさすがだったと思います」

みんなが知っているヒット曲はもういらない?

 10年代は、ソーシャルメディアの時代となった。マスメディアの影響力に頼らずとも、アーティスト自らがファンに向けて情報を発信し、その濃密なコミュニティの中で盛り上がりを生むことができるようになってきた。CDが売れずとも、YouTubeやストリーミングを介して楽曲を届けることができるようになった。

 そして前述したように、ライブやコンサートの市場が拡大してきた。そのおかげで、アーティストにとっては長く活動していく土壌ができた。ブームに踊らされることなく、着実にキャリアを重ねられるようになった。

 しかしその一方、ヒット曲のあり方は大きく変わった。かつてに比べて「誰もが知っているヒット曲」は生まれにくくなった。あえて極論すれば、必要なくなった、とも言える。正確に言うと、そういう「誰もが知っているヒット曲」がなくとも動員を稼ぐことができるようになってきたのである。小室哲哉はこう指摘する。

 「K-POPのアーティストがわかりやすいですよね。BIGBANGは東京ドームに5万人を何日も集めることができる。もちろんファンにとっては知っている曲は多い。でも一般の日本人がみんな知っているBIGBANGの曲って、そんなにないと思うんですよ」

(PHOTO: Getty Images)

 韓国の人気グループ、BIGBANGが2015年11月から2016年2月にかけて行った全国ドームツアーは、東京ドーム4日間も含めた全4都市18公演に海外アーティスト史上最多となる91万人を動員した。
 4月から5月にかけては全4都市27公演のファンクラブ対象のアリーナツアーを行い、こちらは28万人を動員。単純計算であわせて119万人。ミリオンセラーならぬ「ミリオン動員」を実現した形である。
 1万円近いチケット代を考えに入れると、これも単純計算で3000円のCDが400万枚以上売れたのと同じだけの収益が上がったことになる。

 しかし、これだけの動員規模であるにもかかわらず、80年代や90年代を彩った洋楽やJ-POPの大ヒット曲の数々に比べると、「FANTASTIC BABY」「Haru Haru」「ガラガラGO」など彼らの代表曲の知名度は決して高いとは言えない。
 音源よりもライブで稼ぐ時代になったことで、「みんなが知っているヒット曲」がなくても収益を上げることができるようになったわけである。

 そういった状況を迎えているのはK-POPの世界だけではない。J-POPのシーンにおいても、ヒット曲の射程範囲はより狭いものになっている。YouTubeの再生回数を稼ぎ、アリーナやスタジアムで何万人を熱狂させる一方、その熱が外側に伝わらないような楽曲は多い。

 ヒット曲の持つ役割や機能自体も、大きく変わってきたのである。

次回「いきものがかり・水野良樹が語るJ-POPの変化」は明日更新!

激変する音楽業界、「国民的ヒット曲」はもう生まれないのか?

この連載について

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ヒットの崩壊

柴那典

「心のベストテン」でもおなじみ音楽ジャーナリスト・柴那典さん。新刊『ヒットの崩壊』では、アーティスト、プロデューサー、ヒットチャート、レーベル、プロダクション、テレビ、カラオケ……あらゆる角度から「激変する音楽業界」と「新しいヒットの...もっと読む

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コメント

k_sato_oo 「ヒット曲がなくても収益を上げることができる」「アーティストもファンも対等な立場だから、一人ひとりフォロワーを増やしていくしかない」 約1時間前 replyretweetfavorite

consaba 「YouTubeが一番大きかったでしょうね。」(小室哲哉)  約1時間前 replyretweetfavorite