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信濃町の人びとさま、良い感度です!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月 3日(木)02時37分11秒
編集済
  この映画でジャン・バルジャンが歌を唄うシーンは二ヶ所。コゼットを救出して馬車に乗ってのところと、砦で寝込むマリウスを見ながら、神に祈念するところです。

孤独であったジャン・バルジャンが初めて愛情をもって接し、その愛情が受け入れられコゼットから信頼され愛される。護るべきものが出来た充足感と未来の不安を指し示しています。歌は『突然、君が現れ、突然、ともに始まる、孤独な私の心に君が~』と言った歌詞だったと思います。

また、砦に居るマリウスの無事を願い、『神よ、天上の神よ、我が願いを聞いてほしい、あなたは奪い去ることも、与えることも出来る、彼を家に帰して、もし死ぬようなことがあれば、かわりに私を死なせて!』と唄っていたと記憶しています。

このフレーズは、フォンテーヌを苦境の中から救い出す際に、『あの子は、病気なの!あの子が死ぬようなことがあれば、代わりに私を死なせて!』とジャン・バルジャンに訴えかけるシーンと同一です。

なかなか、この映画の脚本は小説をしっかりと読み込んでいないと出来ない展開です。何故なら心理描写が小説通りであり、場面設定から言葉、歌、表情が無駄な文章無しに表現されているからです。

素晴らしく良く出来上がっているミュージカル映画です。分厚い文庫本を凌駕する展開で読み直してもほとんど合致しています。

ナポレオン亡き後の共和制、王政復古、革命、民衆は極貧の生活、映画の出だしで海中に漂うフランス国旗が象徴しています。そしてトゥーロンの徒刑場(造船所)で大勢の囚人たちが帆船を引っ張りあげている。
素晴らしい表現に私は小説を読み直しました\(^o^)/


 

歓喜の中の大歓喜の太ちゃん様

 投稿者:世界の希望!  投稿日:2016年11月 3日(木)02時02分50秒
  全面的に賛同します

創価学会の活動家が激減したのは、秋谷会長のイラク派兵容認が大きいと思います

また、現在の活動家は地域によって違うと思いますが、平均したら、3割切っています

54年の宗門問題は
宗門の集金マシンだった1檀徒集団だった創価学会
自分達の言いなりになる団体だと思っていた

52.5.3
しかし、先生は、本部幹部学の席上
「宗門を外護し、世界的にした
これからは会員の幸福を第一にしたい」と宣言されました
そして、首を切られました
発迹顕本

会員の幸福を第一にされる先生の精神から照らした時
8割近い未活が全く放置されたまま、選挙、新聞の数字ばかりが話題となり、もてはやされている現状は違和感満載です

会員の幸福第一を宣言し、辞任に追い込まれた先生
辞任させられても、なお会員の幸福第一の精神を貫かれた先生

たくさんの未活会員を平気で放置してきた秋谷会長
たくさんの人を粛清した原田会長

会員の幸福第一の先生の精神とは乖離しています
そして、我々も「会員の幸福第一」の精神を忘れたならば、同じ穴の狢と化してしまう

会員の幸福第一
身近な人の幸福を祈り尽くせる人に
挑戦します





 

おーい、金銭使い込みしたチーム丹治のナカムラ(シン)くん、君の悪事が出版されるってヨ~~ww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年11月 3日(木)00時22分13秒
  元創価学会員3名の書籍刊行投稿者:ひかり(正義の師子同盟)

元同僚野口くん、本を出版するってさぁ
今月中だってww
 

ジョーカー様

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年11月 3日(木)00時15分25秒
  ありがとうございます
まさに
悪を滅し、善を生じる
両方頑張ってこそ、池田門下ですね

ありがとうございます
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年11月 3日(木)00時02分45秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

うらら様へ 補足!>>この掲示板での問題追及は畳む方向にあるのですか?<<

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年11月 2日(水)23時51分57秒
編集済
  畳む方向ではなく、今後はさらに発展展開する可能性があります。極悪の最高幹部に塩を送りたくないので具体的なことは・・・お察しください。

まだまだ、これからじゃないですか。
戸田先生の和歌にある通り、『仏の敵をひとりあますな』
です。
 

21世紀の御みやづかい~変容する日本社会と仏法者

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年11月 2日(水)23時51分27秒
     《第4回 昭和31年の山本伸一》


1.
 経済企画庁(当時)が毎年発表する『経済白書』の結語に{もはや「戦後」ではない}との有名なフレーズが記されたのが昭和31年7月。
 『人間革命』第十巻に描かれたごとく、山本伸一の指揮の下、ちょうど「まさかが実現」の大阪の戦いが大勝利を収めた頃である。

 「もはや戦後ではない」は、この年を代表する流行語として、そして本格的な高度経済成長時代の幕開けを告げる惹句として昭和の世相史に刻印されることになった。だが、その一方で――。
 現在のJR大阪城公園駅を中心とする大阪城東側に隣接する広大な区域は、第二次大戦の敗戦を迎えるまでアジア最大規模の軍事工場「大阪砲兵工廠」(別名;大阪陸軍造兵廠)が、その威容を誇っていた。
 終戦前日の昭和20年8月14日午後、約150機のB-29からなる米軍の集中爆撃により工廠はほぼ完全に壊滅させられ、その機能を失った。
 敗戦後、GHQの接収を経て日本が独立を回復した後も、昭和45年の大阪城公園完成を見るまでは、不発弾が至る所に転がる同地は危険との理由で長らく更地として放置状態にあった。
 そこへ禁を破って侵入し、鉄くずと化した兵器や砲弾などの残骸を資源ゴミとして回収し(不法行為)生計を立てる人々・・・後年「アパッチ族」と呼ばれるようになった一群がいつしか集まるようになり、バラック集落をも形成するまでに至った。
 アパッチ族とそれを取り締まる警察との攻防戦の模様は、昭和30年代初頭まで新聞・雑誌等のメディアで幾度も描写され、報道が沈静化した後も、開高健『日本三文オペラ』(1959)、小松左京『日本アパッチ族』(1964・・・ただしこちらは寓意性の強いSF作品)といった戦後文学史に残る名作小説の題材となり、歴史の一断片としてその存在は現在まで語り継がれている。

2.
 戦後十年を過ぎてなお戦争の残骸を手ずから拾い集めて暮らす人たちがいる――。
 『人間革命』第十巻には書かれざる史実の一端ではあるが、大阪の地で縦横無尽に法戦の指揮を執る山本伸一(池田大作参謀室長)の視界に間違いなく収まる光景のひとつであった。
 敗戦の“焦土”から復興し、戦前の“商都”の面目を取り戻すべく苦闘の最中にあった大阪の町。
 東京など他の大都市圏と同じくその発展を支えたのは多くが他県からの移住者、地方の農村部および近接する小都市圏の出身者である。
 村落共同体の基礎的人間関係から若くして切り離され、タコツボのごとき都会生活に馴染むまでしばしの猶予を要した人々の群れ。

 住居の立地によっては、三船敏郎似の会社重役が住んでいそうな「丘の上の豪邸」に、嫉妬と憎悪と羨望が入り混じった視線を向ける者もいたかも知れない。
 勤務先の業況によっては、朝鮮特需の夢よもう一度と、アパッチ族の跳梁を横目で眺めつつ、自分に害が及ばないどこか海の向こうで戦火が起きるのを望む、暗い情念に包まれていた人も少なくはなかったかも知れない。

 関西の地に限らず日本中のどこでもそうだったろうが、昭和31年の爆発的な弘教拡大の流れの中で入信した方々にもそのような心の機微を持つ人が多数いたに違いない。

3.
 そもそもが大阪支部長にして参院選候補者の春木征一郎(白木義一郎)が根っからの東京人。
 紙幅の関係で詳述は省くが、山本伸一との邂逅によって大阪を己が使命の天地と自覚して戦い切った草創の同志も上述の通り多くが遠く他県の出身で、生粋の浪速っ子以上の愛着を持って常勝関西の礎を築いた。

 佐賀県出身の「代田不二也」。戦後の経済的苦境下で進学を断念し、歯科材料商の仕事で福岡から大阪へと転住し27年8月入信。31年当時は部隊参謀として男子部の要的存在であったが、、、

   昼間の仕事の他に、夜は学会活動に専念し、青年たちといるあいだは意気軒昂で、
  青年の客気にすべてを忘れたが、ひとたび深夜の真っ暗なアパートに戻り、夜更けに
  溜まった洗濯をする侘しさは、彼を底知れぬ悲哀に陥れることもあった。
                       (人間革命・第十巻『嶮路』の章より)

 代田の「この胸深く抱いている悲哀の影を見逃すはずもな」かった山本伸一が、「君の押入には、靴下がダンボール箱にいっぱい溜まっているだろうなァ」と口火を切って全魂込めた激励に徹しぬく描写に、若き日の筆者は「激励とは、一個人を包容し育てるとは、かくのごとき姿を指すのか」と感銘を受け、この『嶮路』の章を幾度も読み返しながら家庭訪問と部員さんたちの激励に駆けずり回った。

 それを踏まえたうえで前後する章での伸一の「私は仕事をしない人は絶対に信用しません」から始まる厳しい叱咤の背景を読み取らねばなるまい。

   はげしい弘教活動の大波に足を浚われる幹部も、少数だがしばしば見受けられた。
  彼らは信心活動が激しくなればなるほど、意気消沈して生気を喪った顔になっていっ
  た。もともと仕事が不調であったせいもあるが、駄目な仕事に努力することを棄て、
  ただ信心活動にたよることによって苦境から脱しようと希い、生活の基盤をまったく
  軽視して虫のよいことを考えている人たちであった。
                            (同・『跳躍』の章より)

 まことに厳しい一文である。だが彼らを擁護する意図がないのを断わったうえで、さいぜんから書いてきた通り、壮婦男女おしなべてこの人たちの多くが、戦中戦後の激動で暮らしの在り様を根底から変えられるのを余儀なくされ、遠く故郷を離れて大阪・関西の地で寄る辺なき都会生活の孤独の只中にいたのだ。
 慣れない仕事に就いてまだ間もない、もしくはある程度の経験を積んでも果たしてその仕事でモノになるのかまだ計り難い、さらには天職として一生それで食べていけるのか潰しが利かなくなって路頭に迷う結果になるのか見極められない、、、一億総サラリーマン社会のとば口に立っていたと後になって認識される不安定な時代状況をよくよく考慮して、そのうえで皆の迷悟の念を絶つ伸一の厳愛の指導が出たのだと理会しなければ、叱咤された方々を一様に怠惰な人間であるかのように勝手な解釈をしてしまう。

   今は苦しくても歯をくいしばって、仕事にも信心にも頑張るときです。『法華経を
  信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』――大丈夫です。御本尊は、すべてを
  御存知です。今はいつまでも冬がつづくように思っているでしょうが、けっしてそんな
  ことはない。間もなく必ず春が来ます。今は頑張るときです。しっかりやりましょう」
                                   (同)

 入信まもない毎日が手探りの状態で暗中模索を続ける人々の心に、こうして一本一本「異体同心」の楔は打ち込まれ、常勝関西の原点が築き上げられたのである。

4.
 60年経った今、大阪そして関西の地にあの時代に厳然とあった師弟の魂と魂の触れ合い、燃え立つような感謝と感激の心は如何ほどにその原形を留めているだろう?
 名もなき民衆こそが尊極の存在と胸を張り、目を輝かせ、悪しき権威権力には昂然と立ち向かった関西魂は健在であろうか?
 イシンイシンと肩で風切るチンピラくずれどもに阿諛追従して、ヘリパッド建設強行に抗する沖縄の人たちへのヘイト発言をツイートする公明市議を見て、これもほんの一例に過ぎないだろうが筆者は暗澹たる気分に陥るのである。

 戦争の残骸を拾い集めたアパッチ族はとうの昔に消滅した。だがしかし、3.11後、同じ大阪の釜ヶ崎の日雇い労働者たちが根こそぎフクイチへと集団特攻させられ次々と被曝死していった事実は殆ど公にされていない。大阪の街のみならずこの国全体が紛うかたなく新たな戦時体制下にある。

5.
 話を戻すが、創価三代の会長指導も、また御書として残されている大聖人のご聖訓の数々も、それらの言葉を賜った一人ひとりがどのような人生行路を経てその場にいたのかを汲み取ることを常日頃心掛けるべきである。
 対合衆に発せられた一言一句が生まれてくるプロセスをしっかりと見て取ったうえでわが身に置き換えて読み込む。だから御書を拝読する時は一編ごとの背景をよくよく理解しないといけないし、『人間革命』などを通して先生の指導を拝する時も小説ならではの登場人物の心理描写をよくよく咀嚼する必要があるのだ。
 そのあたりの心得るべき事を疎かにして、表層的な言葉のやり取りだけを切り取って、片言隻句を現在の自分の境涯に押し当てて都合よく読み解き、現在の自分の価値観のモノサシで推し測って他人に滔々と語ってみせる。牽強付会とはこの事であり、何にもまして危険な事なのだ。

 60年前だから、あるいは700年前の言葉だから古いとか今では通用しないとか、そんなことを言っているのでは断じてない。
 60年の歳月の重み、700年の歳月の重みをもっとよく噛みしめて、時代を越えて導き出される言葉の普遍性を各人が見極めることが大事と言っているのだ。
 講義録や大白・聖教の解説を読み上げるだけのような御書講義は論外だが、自己省察に欠ける者がまるまる我見で仏法を語る姿ほど見苦しいものはない。別に特定の誰かを指して言っているわけではないが。

6.
 信心している者どうしが同じ職場の中で上司と部下の立場に分かれて、上記のような感じで不用意に御書や先生指導を振りかざすケースが横行していないか、筆者は特に憂うるのである。
 絶対的な上下関係のもとで絶対的な真理として述べ立てられる文言。こうして言葉は人を支配し服従せしむる道具と化す。
 仏法とは直接関連のない言動の中にも増上慢の生命の傾向性が段々と強く表れ、その人の日常的な振る舞いにも影響が出てくる。

 参加者の平均年齢が比較的高いと推測される当掲示板にて、日夜、正義の論陣を張る諸氏におかれても、企業経営に携わる方、もしくは幹部社員として多人数を束ねられる有能な人士も少なからずいらっしゃるものとお見受けする。
 批判対象とさして変わらないメンタリティを保持したまま一切世間の治生産業に従事し、周囲から日頃「パワハラ上司」「セクハラおやじ(ババアも)」などの誹りを受けていないことを筆者はただ願うばかりである。

(了)

////////////////////////
本シリーズ、今月中はあと2回ほど投稿の予定。当初の構想から若干追加で年をまたぎそうです。
『若き師子たちに贈る』とも内容的にシンクロしていきます。





 
 

鵜家 富子さんの体験談

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年11月 2日(水)23時41分30秒
  「髄膜炎脳膜ウイルス過喚起症候群」を克服!!
鵜家 富子さんの体験談


       十勝県・銀河圏・帯広本部・帯広支部


   私は生まれながらに、心臓に穴があいている心房中核欠損症という病気を持って生まれてきました。

生まれて5日目に肺炎にかかり、どんどん衰弱していき、医者からは、「もうだめです」と言われたそうです。しかし、母は私を抱いて体をさすりながら、ずーっとお題目をあげてくれ、私は命を取り留め蘇ったそうです。

そして、体力のつくのを待って6歳の時に手術をしました。最高の医師に恵まれて、手術は大成功でしたが、医師からは、「20歳迄しか生きられない」と言われたそうです。

その事を知ったのが、今から12年前で22歳の時でした。それも母が書いた体験発表の原稿を読んだ時で、とてもショックでした。しかし、それと同時に私には使命が有ったんだと思い、それから本当の意味での信心を始めたのです。

   「20歳迄しか生きられない」と言われた私が20歳を迎えた時、原因不明の病気になりました。

職場で急に足が吊り、いわゆるバレリーナのような格好になり、そのまま意識が無くなり泡を吹いて倒れました。すぐ隣が内科だったのでそこに運ばれました。しばらくすると意識も戻り別段、何事も無くいましたが、帰るときに又、倒れてしまいました。今度は救急車で運ばれて神経内科に運ばれました。その日はICUに入りました。次の日は退院できると思っていましたが、その日を境にどんどん悪くなっていきました。

その状態というのは記憶喪失、自律神経失調症になり、今、言った事をすぐ忘れるといった状態でした。夜になれば無遊病者のようになり、フラフラ部屋から出ていく始末、必ず誰かが付いていないと、だめでした。発作が日に3回も起こり、気が付けばいつも酸素マスクを付けていました。それからは、毎日、検査、検査の日々が続き、それでも原因は解りません。

完全に治らないまま、退院をして、1ヶ月仕事を休み、それから職場へ復帰したものの、思うように仕事もできなくて、ついには、その会社を辞めざるを得ませんでした。
それから半年が過ぎた頃、突然、訪問先のお宅で意識が無くなり、救急車で病院へ運ばれたのです。去年と同じ病院へ運ばれ、またICUへ入りました。

今度は発作もなかったので、すぐに帰れると思っていましたが、日に日に病状が悪化していき、そう、鬱が激しくなり、言語障害、記憶喪失、被害妄想と次々と病気が重なり、・・・・・・そして病状が悪くなるにつれ、自分の意に反することをするようになっていました。

ある時、その時につき合っていた人に、今から死ぬからと電話を掛けました。そして何食わぬ顔で部屋に戻って、聞かれてもそんな事言っていないと言う始末です。今思えば、よく精神科に行かなかったなぁーと不思議なぐらいです。

こんな事もありました。私のお友達が来る分には何でもないのですが、同志の方がくると発作が起きるのです。それはもう苦しくて、看護婦さんに言っても飲ませる薬がないと言うのです。そんな時、母は寝ないで3日間、題目をあげていてくれたそうです。

その時の3日間は、一人で題目をあげることが出来ずに、組織の方と一緒にあげて貰ったそうです。3日間やり通したときに、私が自分で題目をあげられるようになったそうです。完治ではありませんでしたが、50日目に退院をしました。

退院してからは少しは良くなったのですが、常に不安(原因は不明とのことでしたので)との戦いでした。働くことも出来ずに、親元へ帰りました。

半年ほど実家で過ごし、仕事を探すため再び札幌へ行きました。題目に挑戦しながら、やっとの思いで仕事が見つかり就職することが出来たのです。つとめ先は歯科医院で院長も私の病気の事を理解して下さいました。

ある日、院長に飲んでいる薬を持ってくるように言われました。「どうしてですか?」と聞いてみると、「どんな副作用があるか調べてあげる」と言うのです。そして数日後、製薬会社の人が資料を持ってきてくれ、それを見た瞬間、血の気が引きました。1枚の紙にぎっしりと副作用が書いてあったのです。院長も心配してくれて、「病院を変えた方が良い」と言い、知り合いの先生を紹介してくれました。

紹介先の病院の先生は、今飲んでいる薬を見て、「こんな薬を飲んでいたら本当におかしくなるよ」と言って、私に止めることを勧めました。
しかし、最初のうちは、薬が切れると、又、倒れるのでは無いかと不安で一杯になり、それから、お題目があがるようになりました。不思議な程、発作も起こらずに、2年ほどが過ぎました。

そして結婚前、主人を折伏しだした頃から、たびたび心臓が苦しくなるのを覚えました。結婚前、主人がご本尊様を頂いて一週間目に、私は家で急に心臓が苦しくなり、救急車で病院に運ばれたことがありました。その時、私はこれで死んでしまうのではないかと思いました。運ばれた時には、殆ど発作は止まっていて、お医者さんが「帰って良いよ」と言うのです。今思えばこれが過喚起症候群だったのです。

そして、翌年の平成3年に結婚、何事も無く過ごしていましたが、2年後、今度は今まで以上にもっときつい発作が起こるようになりました。しかも、一人でいるときに、発作が起きるのです。突然お腹が痛くなったかと思うと、脂汗が出てきて、次に体が硬直してきて動けなくなるのです。立つ事も出来ない私は、肘を使って布団まで行く有様でした。しかし、不思議と発作が起きているときは、必ず同志の方から電話がかかってきて、助けて戴きました。

こんな私でしたから、主人も段々と機嫌が悪くなり険悪なムードが漂っていました。

医者は病気では無いと言うので、ある日先輩に指導を受けに行きました。
その時、先輩に言われたことが、私の生命の中にストンと落ちました。それは、「あなたが何時までも青白い顔をして寝てばかりいたら、ご主人に不信を起こさせてしまう。信心で治しなさい」と厳しく言ってくれました。

その日から生まれ変わったように、朝から晩までご本尊様の前に座りました。容赦なくおそってくる発作と戦いながら・・・・・
約2ヶ月で100万遍をあげきりました。あげきったとき色んな事が解りました。そして、本当にご本尊様に感謝が出来ました。

その後、発作は全くなかったのですが、今年の1月に久々に軽い発作がありました。その日は、私のブロックに池田先生から押印を戴いた日でした。横になりながら題目をあげているとき、この発作は、私の宿業を断ち切るための御本尊様のお計らいだと思いました。そう思ったときにスッと発作が和らぎました。そしてそれ以来、全然発作は起こりません。

辛いとき、苦しいときには、
『南無妙法蓮華経は獅子吼の如し いかなる病さわりをなすべきや』との大聖人様の御金言を、何度も何度も自分に言い聞かせながら頑張って来ました。

そして池田先生が、北海道に来られた時(平成4年)のご指導に、「私は、遠の昔に死んでいるような病身を抱えて戦った。しかし、大聖人直結の正しき信心が負けるわけがない。御書の仰せの通りにならないわけがないとの、不動の一念で勝ち抜いてきた。この金剛(ダイヤモンド)の大確信が誉れある創価学会の信心なのである」この指導を戴き、おこがましいと思いましたが、私もご本尊様から命を頂いたんだから、広布の為にこの身を使わせていただこうと決めました。

また、池田先生が指導の中で、「戸田先生は、『世界中の人に聖教新聞を読ませたい』と言っておられた」と指導されたことがありました。私が出来る精一杯の戦いで先生にお応えしていきます。
今年40部の新聞啓蒙が出来ると、ここ帯広での啓蒙部数が200部になります。ちなみにあと6部で年間目標の40部になり、200部達成となります。

11・18を目指し、必ずや結果を出し、池田先生にご報告する決意です。

   ういえとみこ 1999.11.6
 

ツイッターからです。ダブスタは創価の常、表で学会を守ると言いながら裏では師匠を追放した最高幹部はダブスタばかり。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年11月 2日(水)23時32分4秒
  『「核兵器禁止条約」制定の交渉開始を定めた決議案が賛成多数で採択された。交渉が始まる明年は原水爆禁止宣言から60周年にあたる』と歓迎した記事になっている。決議には日本は反対したし公明党の浜地議員も当然の事と発言してますが...…ダブスタは創価の常でしたね。  

ここの掲示板最高ですヽ(^o^)丿

 投稿者:黄金柱  投稿日:2016年11月 2日(水)23時26分35秒
  信濃町の人びと様

ここの掲示板有ってこそ皆さんとも、知りえました。

本物の弟子のの集いでは在りませんか?

こんなに学べる掲示板は他には有りませんよ!

何処ぞや半端な掲示板などの投稿には、「生命」には響きません?

只、ここを恐れているだけだ!!


 

大B長だってさ

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年11月 2日(水)23時03分7秒
  古。

この呼称にピンときたら、昭和ですね~。

昭和54年前後、池田先生を悪しざまに言う人がザクザクいましたっけ。

私は、不思議でなりませんでした。

顔色変えて悪しざまに言う人の大半は、池田先生と直接話をしたことがないんですよ。

幹部からの伝聞で、勝手に鼻息荒く喧伝していました。

滑稽でしたね。

じゃあ、そういうあなたはどういう人なの?とよく見てみれば、

組織利用で売ったり買ったり、

議員に金をつんでコネ作りにいそしんでいたり、

まあ、あきれた幹部が多くてね~。

真面目な人は冷静でしたよ。



大B長だってさ。

今もまだ、あの当時のバカ幹部が広めたようなことに、拘泥している人がいるんだねえ。


どうとでも、言いなされ。

そうやって、死ぬまで言ってなされ。










 

通る人さま

 投稿者:愛読者  投稿日:2016年11月 2日(水)23時01分52秒
  全てを読み込めていないので、誤解があればお許し下さい。
通る人さまが、私に対して一番ご意見を投稿してくださったと判断し、通る人さまの下記のご意見を中心に、皆様からしたら我見で邪魔くさいかもしれませんが、私見を述べさせて頂きます。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/59115

通る人さまがおっしゃられた、「悪態ついて書きなぐり、トンズラこく」ことについては、ごもっともで反省しております。申し訳ございませんでした。
トンズラこくというよりも、私のような内容の投稿をしても意味ないと思ってバカらしくなり、愛読者でもなくなったので、投稿はやめようと思いました。
でも、トンズラは良くないですね。
仕事と活動と家庭が主戦場ですので、スピードは遅いと思いますが、自分なりに努力いたします。

あとは、説得にもなっていないし、納得もしませんでした。(大阪の地区ブチョ様、ありがとうございます)
コウマンチキで申し訳ございませんが、何回読んでも、理解できないモヤモヤ感が残っています。
その上で失礼いたします。

私が「学会員は、自分の幸せを願い、先生のため、広布のためにと折伏し、聖教啓蒙し、財務をします」と書いたことに対して、「当たり前の講釈」とおっしゃられましたが、その当たり前なことをわかっていない投稿が当板に散在しています。
聖教啓蒙や財務を「職員のため」という論調が多いですよね。そんな気持ちで真心を尽くし、勇気を奮い起こす学会員はいません。
こんな当たり前のことを書かないと、間違った論調がまかり通ってしまうのが当板の現状だと思います。だから当たり前のことを書いたまでです。

これが私の主張の一つです。これに対しての「組織バカ」だと思ったので、「地区の婦人部に言えるのか?」を問うたまでです。
違うのであれば失礼いたしました。あなたが私に授けた「組織バカ」の称号を、誉れとしてありがたく頂戴いたします。

ただ、組織の中で挑戦することから逃げ、しかもそれを人のせいにして自己正当化する某氏みたいな主張は、頂けないです。

次に、師敵対についてですが、私が述べたマイナスの4点は、執行部の受け売りで思ったことではありません。なんでも執行部のせいにするのも当板の特徴だと思います。

先生と自分。この一点で感じたことです。

そうやって決めつけること自体、あなたは先生と自分の間に、何かが介在している証左ではないでしょうか。

現に、聖教に先生の御心を感じないって、恥ずかしい話ですね。師匠への信が欠落しているんじゃないですか。
今日の聖教3面の御指導も、誰かが書いたんだとか思っていませんか?
先生の御心を感じないとは、そういうことだと理解してしまいます。
だとしたら、どなたから擦り込まれたかわかりませんが、先生の御闘争を矮小化し、妄想をたくましくする毒気に、完全に侵されています。

あと、佐藤優さんのことは、何が悪いのか、意図がわかりません。
私は、梵天帝釈だと捉えればいいと思っていますが。
クリスチャンの佐藤優さんが、創価哲学を評論することがダメなのですか?
学会の人事を悪意的に評論し、ご高齢の地区部長等の皆様がいらっしゃる実態を悪意的に評論するより、ずっとマシだと思います。

通る人さまのご意見に対しての返答としては以上です。言葉足らずで申し訳ございません。
私は今いる場所で、先生の学会を永遠ならしめるために、力の限り、もがいて参ります。

最後に、某住人が二日連続で拡散する、蘭夢様の谷川さん話。
悪徳週刊誌と一緒ですね。
仏敵と戦ってきた過去の残像が悪さしているのでしょうか。
私は、こんな内容に「気づき」を得られません。直感的に信用ならぬものと判断します。
この道で戦うなら、やり方を変えた方がいいと思います。嫌悪感の生み損です。
 

同盟題目23時開始します。よろしくお願いします。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年11月 2日(水)22時59分52秒
  池田先生のご健康を祈ります。

追伸
うらら様
>>この掲示板での問題追及は畳む方向にあるのですか?<<

何かを取り違えたのでは?もしかしたら、直前の虹さんのタイトルに惑わされたのでは?
”掲示板の終焉”でしたか、よく読むとタイトルと内容にズレが。”役目を終える掲示板、その特徴は?”
みたいに書くともっと伝わったかもですね。

また、主観と言いながらも秋晴れさんの
意味不明の投稿も影響したかもしれませんね。
夜中に何を思っていたのか?
もしかしたら、現場に於けるご自分の苦しい境涯と限界を感じておられるのかもしれません。

何れにしても、相手の言っている内容に注意を向けないとお互いが擦れ違うでしょう。掲示板とはそうしたものです。
真意を確かめる質問が少ないのも課題でしょうね。
 

元創価学会員3名の書籍刊行

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年11月 2日(水)22時49分21秒
編集済
  が今月中なんですってね。

いろいろ暴露されるそうですね。

楽しみですね。

意外なほどたくさんの人が注目しているような。



今年の5月のことです。

Yさんから私に連絡が。



「元創価学会員3名のブログって知ってる?」って言うんです。

「知ってるよ」というと、

「横浜で座談会があるんだって。6月4日に」と言うではありませんか。

「素晴らしい人達だよ。こんな青年達がいたなんて、ほんとに希望が持てるよね」とも。



「へえ。じゃあ、宿坊の掲示板は知ってる?」と聞きました。

Yさん「知らないなあ」

ひかり「なんとワタシも投稿してる」

Yさん「えー、えー、読む読む」

ひかり「読んで読んで」



てな感じで。

知っているのは、現時点で既にYさんだけじゃありません。


5月、Yさんは、こんなふうに、元創価学会員3名のブログを宣伝していたわけです。

それに宿坊の掲示板にはひかりが云々も加わり。


ね、けっこう広まっていると。








 

re :レ・ミゼラブルを読み直す(11)

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年11月 2日(水)22時45分19秒
  イケディアンの住人様

映画では、小説と異なりますが、コゼットと馬車に乗り、幸福感を味わうバルジャンが歌うシーンにあたるのではないでしょうか?ヒュージャックマンが歌うあの歌は、ミュージカル、映画ともに過去にはなく、2012年版のために制作されたと何かに掲載されていました。
 

斉天大聖!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年11月 2日(水)22時44分30秒
  >「なんだよ。俺様は今、世界の端まで行って来たんだ。しかも、そこにあった柱に、斉天大聖って書いてきたんだぜ。疑うなら、いっしょに見に行こう。」

「いくまでもありません。」
「何でだ。」
「私の手のひらを、よくご覧なさい。」
「・・・・・。これって、どういうこと?」

  悟空は目を凝らしてよく見てみると、釈迦の手に中指には「斉天大聖」と書いてあった・・ (投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール   投稿日:2016年11月 2日(水)20時06分17秒 )<

 生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)さん、これ、いいですね。私たちって、けっこう、こういうことをしているんですよね。

 

創価村貴族社会=公達(きんだち)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月 2日(水)22時05分13秒
  なかなか良い言葉をレ・ミゼラブルで発見しました。いい表現ですね。キンタチでもキンタマでもキンタツでも無い!キンの友達で「キンダチ」(-_-)

wikiでは、↓↓↓
公達(きんだち)とは、本来は諸王のことを指したが、後代には臣籍にある諸王の子弟や、摂家・清華家などの子弟・子女に対する呼称として用いられた[1]。公達家は清華家の異称。

平安時代中期以降、藤原氏忠平流や宇多天皇以降の賜姓源氏(宇多源氏・醍醐源氏・村上源氏など)などの近衛次将を経て公卿に昇進し得る上流貴族の家系出身者を「公達」と呼ぶようになり、これらの家は「公達」の家格とされた (当時の貴族社会では、「公達」・「諸大夫」・「侍」の家格に分類されていた)。

平安時代末期には特に平家の子弟・子女も公達と呼ばれた[2]。

公達(きんだち)に狐(きつね)化けたり宵(よひ)の春
なまめかしい春の宵。一人歩いていくと、ふと貴人らしい人に出会った。あれはキツネが化けたに違いない。〔季語〕宵の春

↑↑↑

とありました。今後、私は敬意を込めて『創価村貴族社会の面々』の皆さまを『公達』と呼ばせて頂きマス。
 

レ・ミゼラブルを読み直す(11)続き

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月 2日(水)21時49分1秒
  岩波文庫      レ・ミゼラブル   (三)
第三編    プリューメ街の家
一    秘密の家     (承前)

p265

否何事も起こりはしなかったのである。
読者の記憶する通り、ジャン・バルジャンは修道院の中で幸福だった。ついには本心の不安を感じ出したほど幸福だった。彼は毎日コゼットに会っていた。父たる感情が自分のうちに生じてますます高まってゆくのを感じた。心でその子供をはぐくんでいた。彼は自ら言った、この娘は自分のものである。何物も娘を自分から奪い去るものはないだろう、このままの状態が長く続くだろう、娘は毎日静かに教え込まれているので後は確かに修道女になるだろう、かくて修道院はこれから自分と彼女とにとっては全世界となるだろう、自分はここで老い娘はここで大きくなるだろう、娘はここで老い自分はここで死ぬだろう、そしてまた喜ばしいことには自分たち二人は決して別れることがないだろう。

そういうふうに考えながら、彼は終わりに困惑のうちに陥った。彼はいろいろ自ら考えてみた。彼は自ら尋ねた、それらの幸福は果たして自分のものであるか、それは他人の幸福ででき上がってるものではあるまいか、老いたる自分が没収し奪い取ったこの娘の幸福からでき上がってるものではあるまいか、それは窃盗ではあるまいか。

彼は自ら言った、この娘は人生を見捨てる前に人生を知る権利を持っているではないか、あらゆる辛苦から彼女を救うという口実の下に言わば彼女に相談もしないで前もってすべての快楽を奪い去ること、彼女の無知と孤独とを利用して人為的の信仰を植えつけること、それは一個の人間の天性を矯めることであり、神に嘘をつくことではないか。

そして、他日それらのことがわかり修道女になったのを遺憾に思って、コゼットはついに自分を恨むのようにはなりますまいか。この最後の考えは、ほとんど利己的なもので他の考えよりもずっと男らしくないものだったが、しかし彼には最も絶え難いことだった。彼は修道院を去ろうと決心した。

彼はそれを決心した。是非ともそうしなければならないと心を痛めながらも確信した。非とすべき点は一つもなかった。五年間その四壁のうちに潜み、姿を隠していた以上は、世間を恐れるべき理由はなくなり消散してるに違いなかった。彼は平然として世人の間に戻ることができるのだった。彼も年を取り、万事が変わっていた。今はだれが見現わすことができよう。それからまた最も悪くしたところで、危険は彼だけにしかなかった。そして彼は、自分が徒刑場に入れられたからといってコゼットを修道院のうちに閉じこめる権利を持っていなかった。その上、義務の前には危険なんか何であろう。また終わりに、用心をし適当な警戒をなすのに彼を妨ぐるものは何もなかった。

コゼットの教育の方は、もうほとんど終わって完成していた。

一度決心を定めると、彼はただ機会を待つばかりだった。しかるに機会はやがてやってきた。フォーシェルバン老人が死んだのである。

ジャン・バルジャンは修道院長に面謁を願って、こう申し立てた。兄が死んだについて多少の遺産が自分のものとなって、これからは働かないで暮らすことができるので、修道院から暇をもらって娘をつれていきたい。けれども、コゼットは誓願をしていないから、無料で教育されたことになっては不当である。それで、コゼットが修道院で過ごした五年間の謝礼として、五千フランの金をこの修道会に献ずることを、どうか許していただければ仕合わせである。

そのようにしてジャン・バルジャンは、常住礼拝の修道院から出て行った。修道院を去りながら彼は、例の小さな鞄を自らわきの下に抱えて、それをだれにも持たせず、鍵は常に身につけていた。その中からはいい香りが出てるので、非常にコゼットの心をひいた。
今ここに言っておくが、鞄はそれ以来彼の手もとを離れなかった。彼はそれをいつも自分の室の中に置いていた。移転の際に彼が持ってゆく品物は、それが第一のもので、時としては唯一のものだった。コゼットはそれをおかしがって、彼につき物だと呼び、「私、それがうらやましい」と言っていた。
ジャン・バルジャンもさすがに、自由の地に出ては深い心配をいだかざるを得なかった。彼はプリューメ街の家を見いだして、その中に潜んだ。以来彼はユニティーム・フォーシェルバンと名乗っていた。

同時に彼はパリーのうちに他に二カ所居室を借りた。そうすれば、同じ町にいつも住んでるより人の注意をひくことが少ないからであり、少しでも不安があれば必要に応じて家をあけることができるからであり、また、不思議にもジャベールの手をのがれたあの晩のように行き所に困ることがないからであった。その二つの居室は、ごく小さなみすぼらしい住居であって、互いにごく離れた街区にあった。すなわち一つはウエスト街に、一つはオンム・アルメ街に。

彼は時々、あるいはオンム・アルメ街に行き、あるいはウエスト街に行って、トゥーサンも連れずにコゼットと二人きりで、一ヶ月か六週間くらいを過ごした。その間彼は、門番に用をたしてもらい、自分は郊外に住む年金所有者で町に寄寓してる者であると言っていた。かくてこの高徳の人物も、警察の目をのがれるためパリーに三つの住所を持っていたのである。


一      終了
 

生死の姿と三諦論!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年11月 2日(水)21時29分0秒
編集済
   グリグリさんの「生死の姿と三諦論の関係」の論考で思うのは、「いついかなる時、処でも希望はある」ということです。ありがとうございます。

 池田先生の「希望から勇気、勇気から智慧が湧く。そして、希望の源泉が信仰にある」(趣旨)との指導を思い起します。その信仰とは「唱題行」です。「信」と言っても具体的には「唱題行」しかありません。

 それは、法性の「起滅」とまったく同じものです。「希望」を待った時に、すでに「法性」は起きているのです。

 「常住・無常倶に妙法蓮華経の全体なり、化城宝処は生死本有なり生死本有の体とは南無妙法蓮華経なり、釈に云く『起は是れ法性の起滅は是れ法性の滅』と」(御義口伝797㌻)

 さらに、妙法蓮華経とは「仏性」です。
 「夫れ妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり仏性とは法性なり法性とは菩提なり」(聖愚問答抄498㌻)

 ありがとうございました。
 

触れて欲しくない話題とは?

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年11月 2日(水)21時14分32秒
編集済
  今までの流れから、やはり三人の本かな~?  

お久しぶりです。

 投稿者:左門町の人々  投稿日:2016年11月 2日(水)20時55分22秒
  少々ロムしていない間に流れが変わっていますね。
その上変な方も来ているようで。
おそらく触れられたらまずいお話しでもどなたかされたのでしょう。
ご近所の信濃町あたりが少し騒々しくなっています。
宿坊の掲示板の皆様、お気をつけ下さい。
 

大B長て今言うか

 投稿者:白王獅子  投稿日:2016年11月 2日(水)20時46分34秒
  今時、大B長っていいますかね。    もう、地区部長、地区婦人部長と言うようになって、相当年月がたつよね。だいぶたつ。  

「大B長」の淡々表現

 投稿者:一言児  投稿日:2016年11月 2日(水)20時28分11秒
  先生の「偉大な凡夫江戸っ子気質、立ちのぼるオーラ、前に向かう指導性」、違う角度でみれば古風、一本調子(大半の学会歌の詩、歌うのがイヤです)も。愛すべきキャラで私も大好きです。確かに先生の振り返らずの姿勢を、そのまま権威化して視野狭く伝える幹部に辟易ものが多いですが。しばらくは「大B長」さんに、不快、反発の板投稿が続くでしょうね。あとは我に帰りながらも執行部の退陣に気合いでしょうか。「一会員」さまと共鳴感じるわ。  

先生の大きさが見えない人たち・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年11月 2日(水)20時06分17秒
編集済
  54年、第二次宗門時、そして今、盛んに飛び回る・・自分の方が優れていると

・・・・釈迦と孫悟空物語・・・・

「俺様は、72変化(へんげ)の術をすべて会得した。その他に筋斗雲もある。乗れば

 一瞬にして10万8000里飛べる。怖いものはない。恐れいったか。」

「ならば、悟空。ここでひとつ賭けをしないか?」

「何だ?」

「私の右の手のひらからあなたが飛び出すことができれば、私が玉帝に天界を譲り

 渡すよう、話をつけましょう。どうですか?」

「そんな、簡単なのか?俺をバカにするな!一尺足らずの手のひらなんて朝飯前よ。 それっ。」

 悟空は筋斗雲に飛び乗り、世界の端を目指した。しばらくすると、雲の間に5本の柱が立っていた。

 近くに寄ってみると...。

「ははぁ。これが世界の行き止まりだな。来た証拠に名前でも書いていくか。」

 悟空は、自分の毛を1本抜いて筆に変えると、真中の柱に「斉天大聖」と記して、

 ついでに「オシッコ」までもひっかけていった。

「これで、よし。」

「悟空よ、いい加減にしなさい。」

「なんだよ。俺様は今、世界の端まで行って来たんだ。しかも、そこにあった柱に、

 斉天大聖って書いてきたんだぜ。疑うなら、いっしょに見に行こう。」

「いくまでもありません。」

「何でだ。」

「私の手のひらを、よくご覧なさい。」

「・・・・・。これって、どういうこと?」

  悟空は目を凝らしてよく見てみると、釈迦の手に中指には「斉天大聖」と書いてあった・・

http://

 

大B長さん、情報精度がひっくーいのですww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年11月 2日(水)19時58分41秒
編集済
  それって原島あたりのリーク情報だよね~
一会員さんと似た書き振りとの指摘w
あの釈迦本仏論も独歩くんのパクリぽいしww
同一人なら、もしかして脱会者ですか?

ちなみに、その独歩くんに近づき
ご本尊つくって本部に売り込みしたのが
竹岡青年部長の父ちゃんと広野ね~

ともに山崎師団として謀略専門で働いたのね
そうそう、葬儀屋の北林もいたね。
三人は常に一体w
あれ?三位一体かな?笑

関係の深い八尋弁護士先生を含めると
4人組みだわなw

元祖悪の三位一体
元祖悪の4人組み ……………かw


【珠玉のリンク集】元創価班委員長だった竹岡青年部長の父ちゃんが御本尊って売り込み計画  投稿者:通行します
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58607
 

大B長さま

 投稿者:同志の歌(正義の師子同盟)  投稿日:2016年11月 2日(水)19時50分39秒
編集済
  あなたは誰ですか?

 

大B長様へヽ(^○^)ノ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2016年11月 2日(水)18時52分20秒
  大B長様(^w^)

ハハハハハハは~(^w^)

ハハハハハハはハハハハハハ(^w^)

ハハハハハハへハハハハハハハハハハ(^w^)

ば~かヽ(^○^)ノ(^○^)(^o^)(^w^)


何もわからんでゆ~なヽ(^○^)ノ

最高幹部のどなたかではないですか?

ほんとに低~~~~~レベルで笑いも出ないよ

お前みたいなのが最高幹部にいるから会員が大迷惑するんだよ(^w^)

自覚が無いのかな?

ゆっくりゆ~よ(言うよ)ば~~~・~~か(^w^)


 

大B長さん?

 投稿者:シナモンゴー  投稿日:2016年11月 2日(水)18時13分55秒
  怨嫉してますね?
女々しくて!
女々しくて!
女々しくて!
辛いのぉ~?
 

グリグリさま、ありがとうございます\(^o^)/

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月 2日(水)17時17分9秒
  三諦論における生・死の認識、大変にためになりました、と言うよりも信心を深く理解できました。何度もこのような展開を読み込まないと忘れている、または間違った認識論をそのままにしてしまうことになるところでした。

私の思考展開も、この論点に近づけたいと思います。
 

【生死の姿と三諦論の関係】9/9

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年11月 2日(水)16時53分20秒
  生滅するから〝苦〟なのではなく、生滅する存在であるにもかかわらず、それが永遠に続く
常住のものとして執着するから〝苦が生じる〟のだと雪山童子は悟ったのです。

おそらく彼は三世の生命を達観していたでしょう。

〝何のため〟に、命を使うのがいちばん尊い人生であるかも分かっていた
――だからこそ、雪山童子は〝法のため〟に命を投げ出せたのではないかと思います。

つまり、雪山童子は「今世に執着しなかった」ということです。

たとえば、今世で一生懸命に努力して、家を建て、会社を起こし、
発展させたとしても、来世まではそのまま持っていけません。

また、深い絆で結ばれた家族を築きあげても、そのまま一緒に持ってはいけない。

これが現実です。

しかし、それらに執着しすぎると今世の別れ(死)が怖くなる――。

だからといって、諸行は無常なのだから今世をいいかげんに〝生きてもよい〟というのではありません。

現在の「因果」が未来世の「果報」になるという三世の生命観からみれば、
今世で〝一家和楽〟を築けば、その因果は〝業因〟として生命の奥深くに刻まれ、

必ずまた未来世においても一家和楽の人生を送っていけるのです。

大聖人の弟子であった池上兄弟が、法華経の信仰ゆえに、鎌倉幕府の要職にあった父から
「勘当」されたるなどの迫害にあったとき、大聖人はこの雪山童子の寓話を通して、

困難に遭遇したときに、その人の求道心と信心が本物であるか否かが試されている時だと教えています。

そして、

その困難は乗り越えられない〝悲劇〟ととらえるのではなく、
乗り越えられる〝試練〟ととらえる姿勢こそが大事なのだと訴えました。

つまり、日蓮仏法とは「ただ今現在をどう生きるのか」――を問い続ける生命哲学でもあるのです。


― おわり ―
 

【生死の姿と三諦論の関係】8/9

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年11月 2日(水)16時52分46秒
  仏典(涅槃経)には「執着することから不幸(苦)が生じる」と説かれています。

釈尊の前世の姿である雪山童子は、羅刹(鬼)が口ずさんだ

「諸行無常(しょぎょうむじょう)是生滅法(ぜしょうめっぽう)」

という半偈を聞いて喜び、その続きを教えてもらうために、
自分の命を捧げる条件で、続きの半偈を説くよう羅刹に懇願します。

これは有名な涅槃経の寓話ですが、

雪山童子はなぜ、命を投げ出せたのでしょうか。怖くはなかったのでしょうか。

諸行無常・是生滅法とは

「すべての作られたものは永遠ではない。〝生じては滅びる〟ことがすべての真実の姿である」

という意味ですが、

雪山童子は人為的で形式化したバラモン教の儀式で、
本当の幸福が得られるはずはないと考えていました。

そして、真実の教えを求める旅の途中で羅刹に出会うのです。

羅刹は雪山童子の条件(命をもらう)を承諾し、残りの半偈を説きました。

その答えは

「生滅滅已(しょうめつめっち)・寂滅為楽(じゃくめついらく)」――。

つまり

「生じるものは滅びる。だから、はかないものを求める欲望も永遠に続くものではなく、
いつかは滅びる。その欲望が滅びた境地こそ、真実の幸福である」という意味です。

確かに〝若さ〟を誇ってみたところで、いつかは老人になります。
また、人間が努力して築きあげた財産や身分も永遠のものではありません。

そんなはかないものに執着し、それを追い求める人生に、真実の幸福はないのかも知れません。

また、その執着した心自体も永遠には続かない。なぜなら、人間もいつかは死を迎えるからです。

これこそ自分が求めていた〝答え〟だと雪山童子は感動し、自分が死んだあとも、
人々が知ることができるように、羅刹から聞いた法を、木や石に書きつけました。
 

【生死の姿と三諦論の関係】7/9

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年11月 2日(水)16時52分4秒
  そもそも全てのものを〝AかBか〟というように単純に色分けできるものでしょうか。

たとえば、数学の〝ゼロ〟はプラスでもマイナスでもありません。
また物理学の世界も「物質のない空間にも〝性質〟は備えている」というように、

有無の概念では割り切れないものがあることが常識になっています。

中道主義はこうした一方に偏った見方を極力避けて、真実の全体を〝ありのまま〟に見るのです。

生命の実体についても、唯物か唯心かに分けること自体が
間違った考えであるとし「色心不二・依正不二」の生命論を展開しています。

このような独自の高次元な立場から、既成の一切の思想を判別していく中道主義・思想を、
相変わらず既成の概念に当てはめていこうとする態度は、

それこそ「保守」というべきです。

なぜかといえば「革新」とは、常に既成の固定化した概念を打ち破り、
新しい時代の現実をとらえていこうとする態度であるからです。

この日蓮仏法を〝源〟とした中道思想を、人間性(人格)として、生き方として、
実際の行動で振舞い示したのが、創価三代にわたる師匠なのです。

言い方を変えれば、

日蓮大聖人の御書(思想)を自身の「人間性・生き方・実践行動」を通して教え、
手本を示し、中道主義の正義を証明したのが、

牧口先生・戸田先生・池田先生です。

そして池田先生は、牧口・戸田両先生が設立した「創価学会(和合僧団)」を

〝化儀〟と位置付け、化儀の広宣流布を目指して世界百九十二か国地域に流布しました。

大事なことは、

民衆が化儀(和合僧団)に温存されている化法(中道思想)を活用し、応用しつつ、
価値創造の人生を送り、一人ひとりが〝幸福〟になることではないでしょうか。
 

【生死の姿と三諦論の関係】6/9

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年11月 2日(水)16時51分25秒
  あたかも眠りが安息であると言い切れないと同じである。

眠っている間、安息している人もあれば、苦しい夢にうなされている人もあれば、
浅い眠りに悩んでいる人もあると同じである。
この死後の大生命に溶けこんだ姿は、経文に目をさらし、
仏法の極意を胸に蔵するならば、自然に会得するであろう。

この死後の生命が、何かの縁にふれて、我々の目に映る生活活動となってあらわれてくる。

ちょうど、目を覚ましたときに、きのうの心の活動の状態を今もまた、
そのあとを追って活動するように、新しい生命は、過去の生命の業因をそのまま受けて、

この世の果報として生き続けなければならない。

このように寝ては起き、起きては寝るがごとく、生きては死に、
死んでは生き、永久の生命を保持している。

その生と生の間の時間は、人おのおの異なっているのであるから、
この世で夫婦・親子というのも、永久の親子・夫婦ではありえない」

(戸田城聖全集三巻)と〝生命の連続性〟について明快に述べています。

師匠(牧口)を亡くした苦しみに耐え、厳しい環境の獄中で、
経文を前に思索に思索を重ねてつかんだ戸田先生の「生命論」を信じるならば、

決して人をいじめたり、生命を軽視することはできないはずです。

この三世の生命観に立てないところに、人間の不幸があるのだと思います。

三諦における中諦の考え方――つまり、中道主義を「右か左か」「保守か革新か」という
次元で理解しようとしても、それは的外れというしかなく、到底、理解できるものではありません。

生命の本質を解明した日蓮仏法を出発点とした池田先生の中道主義は、

生命を唯心的にとらえた唯心思想にも偏らず、
物質面からとらえた唯物思想にも偏らず、

しかもその両者を包含した「生命の尊厳」が最大の特徴となっています。
 

【生死の姿と三諦論の関係】5/9

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年11月 2日(水)16時50分42秒
  「寿量品の自我偈には『方便現涅槃』とあり、死は一つの方便であると説かれている。

たとえば、眠るということは、起きて活動するという
人間本来の目的からみれば、単なる方便である。

人間が活動するという面からみるならば、眠る必要はないのであるが、
眠らないと疲労は取れないし、はつらつたる働きもできないのである。

そのように、人も老人になったり、病気になって、局部が破壊したりした場合、
どうしても死という方便において〝若さ〟を取り返す以外にない。

我々の心の働きをみるに、喜んだとしても、その喜びは時間がたつと消えてなくなる。
その喜びは霊魂のようなものが、どこかへいってしまったわけではないが、

心のどこかへ溶けこんで、どこをさがしてもないのである。

しかし、何時間か何日間かのあと、また同じ喜びが起こるのである。

また、あることによって悲しんだとする。何時間か何日かすぎて、
そのことを思い出して、また同じ悲しみが生ずることがある。

人はよく悲しみを新たにしたというけれど、前の悲しみと、あとの悲しみと、
立派な連続があって、その中間はどこにもないのである。

同じような現象が、我々、日常の眠りの場合にある。

眠っている間は心はどこにもない。しかし、目を覚ますやいなや心は活動する。
眠った場合には心がなくて、起きている場合には心がある。

有るのが本当か、無いのが本当か。
有るといえば無いし、無いとすれば、あらわれてくる。

このように〝有無〟を論ずることができないとする考え方を『空観』とも『妙』ともいうのである。

この小宇宙である我々の肉体から、心とか、心の働きとかいうものを思索して、
これを仏法の哲学の教えを受けて、真実の生命の連続の有無を結論するのである。

宇宙は即生命であるゆえに、我々が死んだとする。

死んだ生命は、ちょうど悲しみと悲しみの間に何もなかったように、
喜びと喜びがどこにもなかったように、眠っている間、その心がどこにもないように、

死後の生命は宇宙の大生命に溶けこんで、どこを探してもないのである。

霊魂というものがあって、フワフワ飛んでいるものではない。
大自然のなかに溶けこんだとしても、決して安息しているとは限らないのである。
 

あらあら、ちょっとおもろいのでw

 投稿者:基本はロム専  投稿日:2016年11月 2日(水)16時36分15秒
  日蓮本仏論否定したい方と書き方がクリソツですけど。
頭隠して知り隠さず。撹乱したい方がたくさんおいで。
ここぞとばかりにね。あーおもろいわ。
 

大B長って?

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年11月 2日(水)16時33分10秒
  アホか?(笑)  

谷川佳樹創価学会主任副会長の若き日の日記(4)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月 2日(水)16時24分47秒
  そして、2016.10月には、

↓↓↓

RE: SGI副会長?  投稿者:陽光
投稿日:2016年10月21日(金)04時00分16秒  通報
満天の星様、本掲示板の「374919事件」で有名になった谷川氏がアメリカのSGI会合に参加したことが過去にあるかどうかは知りませんが、谷川氏が写真付きでこのように大きく報道された記事を見るのは初めてです。また、谷川氏の役職が「SGI副会長」および「創価学会主任副会長」とあります。私も疑問に思いますが、谷川氏はいつから「SGI副会長」になったのでしょうね?どなたかご存知の方はいらっしゃいますか?


ちなみに、谷川氏の紹介でWORLD TRUBINEの記事にはこうあります。
2016年10月2日 NEW YORK


「池田先生の代理としてSGI副会長および創価学会主任副会長の谷川佳樹氏と創価学会副会長のキョウイチ・リキタケ氏がこのミーティングに出席した。(略) 東部方面リーダーのタリク・ハサン氏は、SGI代表として参加している谷川氏を紹介した。青年時代に良書をたくさん読めという師匠の激励をもとに、谷川氏は中学生および高校生時代に500冊以上の本を読んだ。また、日蓮大聖人の正当な教えから外れた宗門がSGIに対して非道にも権利侵害を働いていた時も青年部のリーダーとして谷川氏は指導的な役割を果たし勇気ある闘争をした。


谷川氏はステージに立ち、ニューヨーク・メンバーから誠意ある歓迎を受けた。先生はすべての参加者に感謝され、宜しく伝えるようにとの池田先生のメッセージを谷川氏は伝えた。彼自身の信仰の個人体験を話した。決意したSGIメンバー(注:彼の事)が公園のベンチに座っている父親に、日蓮仏法をいかに紹介したかという話も伝えた。父親は同じ日に入信した。彼の母親は6年間反対したが、その後に信心をするようになった。


入信した当時の彼は、家族が住んでいる家を失う事態をも含む様々な問題があった。しかし、このような時に谷川氏は池田先生と会い、骨身を惜しまぬ信心(行)と求道心をもって池田先生の指導を受けて、彼の家族は変毒為薬でき、様々な問題を乗り越えることができた。両親は既に他界しているけど、谷川氏は今日このように(皆さんの前)で話す事に彼の父親が如何に彼を誇りに思っているかと語った。


約30年前、谷川氏はある大手の商社で成功を収めていた。しかし、その時、創価学会の本部で働くようにとオファーが来た。彼は池田先生から個人的な激励を受け、師弟不二と人生において真の幸福を掴む「ショートカット」の信心を取り、SGIと共に生き、広宣流布のために生きることを選択した。


谷川氏は、弟子にとって師匠の慈悲(愛)と懸念の奥深さを掴み取り理解することが如何に難しいかを説明した。彼が報恩感謝の念を表す唯一の方法は、地涌の菩薩の地位を拡大する事で彼の人生を捧げることだと思う、広宣流布とは実に永遠に続く闘争であり、この事を証明した人は池田先生の他いないことを話した。


谷川氏は最後に、勝利は祈りから始まり、リーダーの真摯な祈りがすべての原点となり、熱意のない決意では何事も叶わない事と締めくくった。また、創価精神とは初代牧口常三郎会長の時代から前進のためにイニシアチブを取る「一人立つ精神」であること。そして、谷川氏は、池田先生の弟子として題目を真剣に唱え、次の二年間にSGI-USA全員が一丸となって歴史的な勝利を共に勝ち取ることを約束した」


WORLD TRIBUNE 2016年10月14日号 Vol.No. 4076 より掲載


コメント:彼の体験談には矛盾があるように思うのですが・・・父親を折伏したのはいつかなのかはっきりと示されていませんが、彼は公園で父親を折伏したとのこと。また、中学生・高校生時代に先生の激励を基に500冊の良書を読んだとの事。このことから谷川氏は父親を公園で折伏したのは中学生時代になりますが、どなたか谷川氏の個人体験談をご存知のお方はいらっしゃいますか?



>谷川佳樹創価学会主任副会長は、いつからSGI副会長なのでしょうか?
https://www.worldtribune.org/2016/10/lion-kings-mentor-disciple/


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非常にシンプルではなく、複雑怪奇な話で何をおっしゃっているのか?

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その名は、タ・ニ・ガ・ワ!!  投稿者:蘭夢
投稿日:2016年10月29日(土)21時53分28秒  通報
学生部の話がでたので、昔の話。
ふと、嫌なことを思い出した。
今まで、黙っていたが、374919事件もあるし、本当かも知れない。

ゲスな話なので、心に余裕のない方は、スルーした方が良いかも・・・

その昔、僕が学生の頃。

所属するサークルの先輩から突然、僕は声をかけられた。
その先輩は、普段は、ほとんど顔を見せない、チャライ2人。

そして、突然その先輩は、こう切り出したのだ。
「お前、創価学会ていう宗教やっているんだってな」

少なくとも、その先輩に信心の話をしたことは無いし、どこから僕が学会員であることを知ったのか
ともかくも、何か学会に対する文句か、それとも・・・
緊張感を感じとったのか、先輩は微笑みながら
「いや、何、なんか、やつけてやろうとか、そんなんじゃないんだ。」
「そうじゃなくて、内緒の話。ちょっと本当のことを、さぁ、俺たちも混ぜて欲しいんだよ」
馴れ馴れしく、僕の肩に手をまわしながら、その先輩は語った。

そして、僕は、この先輩から耳を疑うことを聞かされる羽目になる。

ここから先は、過去の話でもあるし、記憶が不鮮明なところもあるため
極力、脚色なしに、箇条書きにします。

・先輩は、ある噂で、学会に入ると、非常においしい話にありつけるということを聞きつけた。
・その、おいしい話とは、女性と仲良くなれる。もっと具体的には、やりたい放題という話。
・なんとしても、そのおいしい話にありつきたいと、学会員をさがしたところ
 同じサークルにいる僕にたどり着いたということ
・そして、先輩は、僕が秘密を隠していると疑い、何とか秘密のおいしい話の情報を聞き出そうとした。
・僕は、知らない。そんなものはデマだ。嘘だと強情なため、
  先輩は、ここまで知っているんだと、僕にとっておきの話を語りだした。

噂の根拠となる話。

その時、彼ら3人はAという人物との約束があり、Aの住む家を訪ねた。
ところが、何度呼び鈴を押しても本人は、出てこない。
鍵は開いていたので、3人は、扉を開けて玄関内に、
そこへ、慌てて、パンツ1枚のAが出てきた。
なんだ、お前らは、何しに来たんだ。
3人は、約束の事を話すと、Aは、今は忙しいと、3人を強引に玄関の外に追い出した。
だが、3人は、奥の部屋、ベッドの布団の中から、はみ出している脚をしっかりと見ていた。
3人は、あれって、やっぱり女の足だよな、やりまくっている噂は、本当だったか・・・・・。

Aは、ある時、酒の勢いか、こんなことを豪語していたらしい。
「俺は、将来、会長になる男だ。その為の布石は全部、打ってあるんだ。」
「先生、先生って、言ってればいいんだ。周りはバカなやつばかりだ。簡単だ、すぐに上に上がれる。」
「信心している女は、だましやすいんだ、先生、先生、といっていれば、簡単に信用してくれる。」

ゲスの極みだ。

女とやれるから信心やらないか、俺の仲間にならないか、などと、どんな勧誘だ。そんなゲスな奴など、いてたまるか。

これは、学会に対する言われなき根拠なき中傷だ。

僕は、自分が知る男子部の先輩の姿など、学会は、そんな話とは無縁であると訴えた。

先輩は、流石に、やはり嘘だったのかと・・・。だが、どうしても諦めきれないようで、

そして、

「思い出した。そう、Aの名前だ。そうだ、タ、ニ、ガ、ワ、だ。」
「タニガワとかいう幹部おるやろ、そいつや。」

僕は、きっぱり。
「そんな、人間は知らない。そんなゲスな幹部がいるわけないだろう。」

先輩は、夢破れて去っていった。

ちなみに、後で、あれ、そういえば、谷川・・・・はははっ、間違い間違い人違い。

ただ、そんな噂が出てしまうような状態とは、いかなるものなのか
そのように誤解されるような話が本当に無いのか
当時は、そのことで、何か違和感を感じていた。

そして、その時、同席していた、友人(僕が学生の時、本流した友人)と話した。
もしかして、先輩の話がまったく嘘ではなく、何かあったとしても

ただ、言えることとして、そんな奴は絶対に途中で排除されるに違いない。
そして、万が一、そんな奴が会長になったら。
学会も終わりだが、世界が終わる時だろう。
友人と二人して、想像して寒気に鳥肌がたった。

その名はタニガワ。忘れられないゲスな男の名前。


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この事を打ち消すための海外での発言なのか?奇々怪界な『若き日の日記』です。

シン・人間革命を、シン・会長先生が書き顕すための序章でしょうかね(-_-)
 

池田名誉会長って

 投稿者:大B長  投稿日:2016年11月 2日(水)16時23分5秒
  実際のことを言うと、池田名誉会長の病状は、意識はハッキリしてるんです。だから意思の表明はできます。ただ執筆活動とかペンを持って何かを書くことは難しいんです。


ですから、現在の創価学会、そして公明党を池田名誉会長は実質容認しています。


現在の創価学会、そして公明党の安保政策に関しても名誉会長は基本容認です。



ですから、現在の創価学会、公明党の施策に異論があるとすれば、名誉会長を批判するべきなんですよ。
池田名誉会長に何らかの思想があるのかというと、別にとりわけ目立った思想があるわけではありません。
単なる「人間主義」とか「平和主義」とかそんな言葉があるだけです。
「人間革命」という言葉でさえも、南原繁氏の用語の盗用ですから。まあこの盗用は実際には戸田会長が使用したものなんですが。


池田先生も人間です。間違いもあれば、誤りも犯します。
いま学会に必要なことは、池田名誉会長への盲信を解くことでしょうね。



矢野さんと和解したことはよくわからないでしょ。要するに池田名誉会長が証人で呼ばれたらまずいわけですよ。それを避けたいわけです。ですから矢野さんとは和解したわけで。
社長会記録だってそうでしょ。勝手に学会側から取り下げでしょ。


学会としては、池田名誉会長の誤りを表面化するわけにはいかないんですよ。


で、この掲示板も、池田名誉会長という幻想に囚われているんですね。
池田名誉会長は聖人君子でもありませんよ。


池田名誉会長の凄さはその指導性だと思います。池田会長がなければ、ここまでの学会の拡大はなかったわけです。
しかしお題目を商標登録しようとしたり、実際には学会本部が表立って言えないこともたくさん彼はやってるわけです。


御義口伝講義なんて、原島嵩氏が書いたものを講義しただけのものです。人間革命は篠原善太郎氏が書いたものです。対談集の多くも著作の多くも、スピーチの原稿も池田名誉会長が自身で書いたものはほとんどありませんよ。



そんな池田名誉会長の真実の姿をみんな見ようとしないんですよ。
大切なことは、どこまでが池田名誉会長の思想でどこからが池田名誉会長の思想でないのかを、学会本部がそろそろ観念して公開することでしょう。いつまで騙すんでしょうね。


みなさんもそろそろ池田名誉会長の実像に気づいた方がいいと思いますよ。


公明党、そして現在の創価学会幹部を批判するならそれはそれで構わないことですけど、池田名誉会長自身を批判しないと根本的な批判にはならないでしょうね。


山崎正友という人は金に狂った人ですが、この山崎と戦うために池田会長が頼っていたのが原島嵩氏でした。
原島嵩氏はあまりの池田会長の問題ぶりに池田会長の目の前でその姿勢、言動を糺したんです。で、その結果、池田会長は彼を拒否しちゃったんです。
本門の弟子第1号に認定した原島氏を池田会長は斬ったわけです。



池田名誉会長は自身への批判を受け入れない狭量さがあります。
彼にあったのは、折伏戦で人を高揚させる指導力です。しかしそれ以上のものはなかったんです。
池田会長本人の意思なのか、それとも学会本部の意思なのかはわかりかねますが、その後、池田先生という幻想が作られてしまったんです。



池田名誉会長への批判をこの掲示板はすべきだと思いますね。それができなければ創価学会の未来はないでしょう。
学会幹部の離反が、池田名誉会長に責任がないとでも思ってるんでしょうか。
そんなわけないですよ。
池田名誉会長の人格、そして発言に問題があったからこそ54年の問題は顕在化したわけです。そこを山崎と宗門に突かれたんです。





 

この掲示板は原田会長も知っています

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年11月 2日(水)15時54分12秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

戸田先生「陰口は罰になるが、直接諫言は罰にならない」
との戸田先生の御指導を教えていただきました。

この掲示板の内容は原田会長、谷川主任副会長も知っています。

全国的に創価学会職員による会員さんへの査問・尋問の嵐が吹き荒れた時に、尋問した職員が本部は何でも承知していると発言しています。
査問を受けた方の話ではクローズのネット上の書き込み「ですら」創価学会の本部は内容を把握し「誰であるのか?」調べる能力があるのです。

皆様も原田会長へ届け!との思いで真実を書き込まれたらどうでしょうか?

また、過去には谷川主任副会長と会うアポイントを取れる方も書き込みをされた事例もあります。

どちらにしてもこの掲示板に書き込むことは、戸田先生の御指導通り、創価学会職員への直接諌言になります。

 

谷川佳樹創価学会主任副会長の若き日の日記(3)追加

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月 2日(水)15時47分0秒
  創価村の公達は、シンプル 射ず ベスト(-_-)
?
 

谷川佳樹創価学会主任副会長の若き日の日記(3)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月 2日(水)15時43分54秒
  非常にシンプルな話で、公達は先般
ご案内があった別冊宝島でインタビュー
を受けてお話されていらっしゃいます。

米国での話しとはかなり相違してマス
がね。
 

谷川佳樹創価学会主任副会長の若き日の日記(2)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月 2日(水)15時39分19秒
  あまり、若いわけではありませんが、
公達の公的発言をみてみましょう!

?
 

ご参考までに さま 一網打尽ですね(-_-)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年11月 2日(水)15時35分2秒
  11・18目前で一斉駆除!!非常にシンプルな
発想で、便1さまらしい思考です。

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戸田先生「陰口は罰になるが、直接諫言は罰にならない」   投稿者:御参考までに   投稿日:2016年11月 2日(水)13時19分6秒


   戸田先生:
「御尊師に、もし間違いがあるならば、陰口なんて利かずに、正々堂々と忠告すること。これは罰になりません。陰口は罰になります。だが、面と向かって堂々と話すことは決して罰になりません。」
(於:夕張・正妙山興隆寺落慶入仏法要1957年8月20日)

(私見: 心得違いの最高幹部への批判はネット上で公開する事も必要ですが、周囲にふれまわるだけで最高幹部本人に直言しなければ十四誹謗、破和合僧に通じる惧れがあると考えられます。
もちろん諫言しても受け入れられない可能性は大ですが、諫言した相手がどう反応しようと、少なくとも本人達に直言すれば、その行為によって与同罪は免れるはずです。)

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元職員三名にも、先に言っておけば良かったのにね?
 

今日も残念な柳原さん(笑)

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年11月 2日(水)15時01分35秒
編集済
  いや~今日の柳原滋雄コラム日記またまた残念賞。

本当に妙法のジャーナリストかな?信濃町界隈のジャーナリストでは?(笑)

今日のお題は「“執行部を倒せ”と扇動して自分が召し取られてしまった波田地」

除名、解任、解雇されておられるとはいえ、単なる一個人に対してよくもここまで連日書けます

ね?

以前も書いたが「三位一体」なる単語や「四人組」なる単語は少なくとも波田地氏作ではないで

すよ柳原さん(笑)三者を指して「三位一体」と表現したのは信濃町界隈のI弁護士。

だから、信濃町界隈の一方的な偏向情報を鵜呑みに精査もせず調査もやらず、取材も確認もせ

ず、憶測、推測、風聞、伝聞、思い込み、決め付けの類と言われてしまうんですよ。最近はスリ

カエもありますが。

私の取材によれば、波田地氏はそもそも「執行部を倒そう」などとは言っていませんし書いて

もいませんよ。時系列的に言えば貴方が言っている頃の執行部は原田会長、正木理事長体制の頃

で波田地氏は別段何とも思っていなかった。「悪い一部の職員幹部」を指して糾弾したことはあ

っても執行部の批判、ましてや「執行部を倒せ」などとアジテーションを行った事はありませ

ん。

これだけでも一方的に取材も確認もしていない事は明白ですよ柳原さん。

そんな事よりも重要な、仏敵・矢野純也糾弾シリーズは一体どうなっているのでしょうか?

不可解で有り得ない和解は、矢野と一教団幹部との和解であり、貴方とは何の関係もないはず。

誰からも指図を受けず、報酬ももらわず、ただただ正義の為に一人立ち、妙法のジャーナリスト

として宿坊の掲示板を叩き、現証として体調も良くなり、絶好調の柳原さん。

過去にコラム日記で連載されていた「矢野絢也の素顔」これは素晴らしいリポートです。是非再

開をお願い致します。そして是非一冊の本として上梓される事を望みます。

そして貴方もリポートで書かれていた54年問題で外せない学会本部内の情報漏洩問題。

残念な事に知ってか知らずかお一人重要人物のお名前がありませんが(笑)

元都議で退転反逆した藤原氏の証言によれば、〇〇〇〇〇→矢野純也→内藤国男が週刊誌での学

会批判、先生批判の情報漏洩ルート。

下記は貴方のコラム日記からの抜粋引用です。

2009/02/25(Wed)のお題は

「矢野絢也の素顔  15  内部情報を外に漏らし続けた“背信の徒”」

(2009/2/25 柳原滋雄コラム日記より)

「「週刊朝日」が同年8月5日号に掲載した「藤原行正都議の衝撃発言」と題する5ページの特集記事は、矢野絢也の“二重人格”ぶりをそのまま浮き彫りにするものだった。この記事で藤原行正は、矢野が以前から反学会ジャーナリストとして知られる「内藤国夫」に対し、教団中枢の情報を密かにリークし続けていたことを指摘し、矢野と内藤との関係について「とにかく親密ですよ、2人は」と証言していた。」

矢野と内藤しか書かれていませんが、矢野に流していた信濃町中枢の方が欠落していますよ

(笑)

さぁこの中枢幹部職員は一体誰なんでしょう?

ヒント:先生が近年の本幹で毎回厳しく叱られていた方(笑)

では柳原さん、明日の更新と仏敵・矢野純也糾弾シリーズ「矢野純也の素顔」の再会と出版を楽

しみにしております。

頑張れ!妙法のジャーナリスト。

 

小作人@地上の発心 様

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2016年11月 2日(水)14時34分53秒
  小作人様の現実のご様子、拝見させて頂きました。
時にはガス抜きしながらでも前に進むしかないですね~。
どうも、ありがとうございました。

>婦人部がいようがいまいが、、 ?投稿者:小作人@地上の発心
 

【生死の姿と三諦論の関係】4/9

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年11月 2日(水)13時51分47秒
  では、生死を〝三諦〟の関係でとらえていけば、
どうなるかというと上記の大聖人の文にもあるように、

生は仮諦、死は空諦、生死ともに貫く生命の本質は中諦(中道)になります。

つまり、

生はあくまでも生成・発展していく現実の姿(仮和合)が中心であり、
死は目に見えない性分(空諦)が大宇宙の生命に冥伏していますが、

生死のなかに一貫して流れる我(中諦)は不変の生命です。
しかも、この三諦は〝円融三諦〟といって決してバラバラのものではありません。

だから、生のときは仮諦(現実の姿)がおもてであっても、根底には宇宙自体と
冥合している自己の存在があり、宇宙の生命と切り離したものではないのです。

また、その変化の姿である生成・発展(仮諦)のなかにも、
不変の生命(中諦)は厳然と実在しています。

また、死後の生命が大宇宙のなかに冥伏しているといっても、
縁にふれれば具体的に有形のものとして現れてくる特性、特質、生命の本質をもっています。

決して永久の〝無〟に帰するものではないのです。

要するに、仮諦のなかに空諦も中諦もあるということであり、
空諦のなかにも仮諦、中諦が含まれているということです。

この生死にわたって連続していく生命それ自体が、善悪の業を感じているのです。

話は変わりますが、

かつて日本の神道が国家主義、全体主義に利用され、
無謀な太平洋戦争にまで発展した時代がありました。

その時、牧口・戸田両先生は当時の宗教政策で「日本国民に神社の礼拝を強制する」ことの
非論理的、非道徳的な説を訴え、それがために罪なくして囚われ、牧口先生は獄死――。

戸田先生は二年におよぶ獄中生活を送りました。

その獄中生活のなかで、生命の本質をつかんだ戸田先生の「生命論」を抜粋して紹介したいと思います。


・・・つづく。(夕方ぐらい)
 

【生死の姿と三諦論の関係】3/9

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年11月 2日(水)13時51分1秒
  大聖人は

「無も有も、生も死も、若退も若出も、在世も滅後も、ことごとく皆、本有常住の振舞なり。
・・・・(中略)されば、無死・退滅は空なり。有生・出在は仮なり。如来・如実は中道なり」

(七五四頁)と述べています。

仏法では、生も死も無始以来、常住する生命の変化の姿ととらえています。

生命は生によって初めて生じ、死によって永久に滅してしまうものではなく、

大宇宙とともに永遠に連続する実在であり、あるときは生を現じ、
あるときは死を現じているという考え方です。

つまり、

あるときは生命として顕在化し、あるときは死の生命として
大宇宙に冥伏(宇宙に溶け込む)しているということです。

この〝宇宙に冥伏する〟という発想がどうして出てくるのかというと、
仏法は宇宙自体が生命の存在であり、法則に貫かれたものであるとする考え方からきたものです。

有と無、生と死、出と退、在世と滅後、があるといっても
〝生の生命〟と〝死の生命〟は本来、初めから有るもので、

常住する生命の変化の姿を述べたものにすぎません。

ここでいう〝無〟とは、完全に無くなるということではなく〝空〟と同じ意味です。

生命は、あるときは有の状態、あるときは無(空)の状態で連続していく。

また、生の生命が〝出〟であれば、死の生命は〝退〟です。
つまり、生か死かは「出現するか、退いていくか」の違いなのです。

退いていくというのは、無くなってしまうのではなく、
大宇宙のなかに退いていくという意味です。

しかし、再び縁にふれて出現してくるのを生の生命というのです。
 

【生死の姿と三諦論の関係】2/9

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年11月 2日(水)13時50分22秒
  障害児として生まれた子供の背負う宿命の重さや両親の悩みは、
その原因を染色体の配列や薬品等に置いて解決される問題ではないのです。

もし「たまたま運が悪かっただけ」とするならば、
自然の無差別の驚異に、ただ恐れおののく野蛮人となんら変わらないと思います。

たとえ自然界の現象に因果関係を認めていても、こと人生の問題になると、
生まれながらの差別を〝偶然〟とし、どのように生きようとも、

死ねば一切が〝無に帰す〟として、因果律を否定することは、
まったく非科学的な態度といえます。

このように生命それ自体の因果律を考えていくならば、どうしても仏法で説く
「三世の生命観・永遠の生命観」に立たざるを得ないのです。

生命とは〝生死〟を繰り返しつつ、宇宙とともに存在し、宇宙より先でもなければ、
あとから偶発的に誰人かによって作られて生じたものでもない

――というのが、仏法の生命観です。

心地観経には「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」(御書二三一頁)

とありますが、

ここでいう過去とは〝過去世〟のことです。
現在とは〝現世〟のこと、未来とは〝未来世〟のことです。

つまり、

現在における差別は、過去世の因による結果であり、現在の生命を因として、
未来世における生命が決定されるというのが、三世の生命観です。

しかしよく考えてみると、生命の因果論から見れば、生命は三世にわたるとしても、

どのような姿で連続するのかという疑問が残ります。

この疑問について、ある宗教では、死後は生命活動の場所を
「西方極楽浄土」であるとか「天上界」であると、

架空の世界を作って〝そこで生きる〟と提示していますが、

はたして本当にそうでしょうか。

ましてや実体を離れた霊魂などという存在も仏法では認めていません。
 

是非、ご本人でやってみてください・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年11月 2日(水)13時50分3秒
     ↓  ↓

http://6027.teacup.com/situation/bbs/59131

いまの問題がそう簡単なことでないことが、お気づきになると思います。
 

【生死の姿と三諦論の関係】1/9

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年11月 2日(水)13時49分40秒
  ある日、妻から「人間の生死の姿を三諦論で認識するとどうなるの ?」と質問された。
面倒くさい質問だなと思いましたが、大事な問題であることは確かです。

仏法における生命哲学では「生死の問題」をどうとらえているのでしょうか。
また三諦論で生死を見れば、どういうふうになるのでしょうか。

それを考えていきたいと思います。

まず、

生命は永遠に続くものなのか、それとも死ねば、一切が終わってしまうのか――。

大多数の人は、感情的には永遠に続くような気もするし、
どうしてもこの世だけのようにも思えるというのが、正直なところではないかと思います。

しかし、なぜ人は感情的に「永遠の生命」を意識するのでしょうか。

それは死への恐怖からなのか、それとも何か漠然と意識しているものなのかは
分かりませんが、案外、感情的・心情的に意識するものの中に、

じつは偉大な真理が横たわっているものです。

しかもそれが「万人に共通する」ものであればあるほど、その底には何かがあるものです。

特に現代は科学の発達した時代ですから、昔みたいに神話や寓話、
また妄想の類の話では、人はなかなか納得できないものです。

そこで登場するのが、現実主義的な生命論です。

つまり「生によって生命は始まり、死によって一切が終わる」という思想です。

しかしこれでは、なぜ人が生まれて来たとき、
すでに形態、能力、特性、障害などの差別があるのかという疑問が残ります。

この素朴な疑問に対して、科学者ならば染色体の構成をもって説明するかもしれません。

でもこれは差別を生じた変化現象の過程をたどったにすぎず、
なぜ差別ができて生まれてくるのかという根本的な原因は明らかにされていません。
 

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