山中伸弥教授が「あのプレゼンがなければ、おそらくiPS細胞はできていなった」と振り返る人生「最大」のプレゼンがある。山中教授はこのプレゼンによって、研究者として1000万円プレーヤーから1億円プレーヤーになった。
人生最高の緊張感のなか、自分のやりたいことをどう伝えたのか?
山中教授がMITメディアラボの伊藤穣一教授とともにプレゼンの極意を語った話題書『「プレゼン」力』より、研究者人生の岐路となったプレゼンの模様を特別公開!
あれは、2003年のことです。
このプレゼンテーションがなかったら、おそらくiPS細胞はできていないと思います。
このときも書類選考に残り、面接に呼んでいただきました。私もいろいろな面接を受けてきましたが、このときは、本当に緊張しました。おそらく、今までの人生で一番緊張したんじゃないかと思います。
それというのも、面接官が岸本忠三(きしもとただみつ)先生という大御所、雲の上の方だったからです。
そもそも、申請したときには、自分の研究が選ばれるなどとは全く考えていませんでした。なぜなら、クレストにはいろいろな研究課題がありましたが、私が申請できそうな分野がなかったからなのです。「発生」とか「再生医療」とか、自分が専門とする分野が全くありませんでした。
ただ、岸本先生の専門である「免疫」「免疫難病」というタイトルの中のキーワードにひとつだけ「ES細胞」という文字が入っていたのです。私は、これに賭けてみることにしました。
面接は、岸本先生や審良静男(あきらしずお)先生といった免疫学の大御所の前での発表です。
畑違いの先生たちの前で、体細胞からES細胞をつくるということを説明するわけですから、どうやったら伝わるか、自分がやろうとしていることを理解してもらえるか。そればかり考えていました。
再生医療の切り札として、ES細胞は素晴らしい細胞です。でもES細胞には大きな問題点がある。それは受精卵を使うことです。そしてまた、増えすぎてしまうという問題。ES細胞にはいろいろな問題がある。
そのことをわかりやすく示すため、スライドに「ES細胞が泣いている」という絵を描いて、プレゼンテーションすることにしました。
今考えたら、よくあんなスライドでプレゼンテーションをしたなと思います。でも結果的に通していただいたわけですから、インパクトはあったのかもしれません。
面接官は研究領域が違うわけですから、難しいことを言っても伝わらない。伝わらなかったら、絶対採用してもらえないなと思っていました。
プレゼンでは、こちらのメッセージが伝わらなければ、意味がありません。伝わらないと絶対だめですから。
スライドだけではなく、相手に応じた発表にするということは、そのときも考えましたし、今でも、「今日はどんなオーディエンスかな?」と、いつも気にしていることです。