先日かれこれ10年は会っていない女友だちとこんな会話をしました。
I'm sorry.
謝罪によく使われる表現ですが、実は『それは残念だったね』という意図を伝えるのにもよく使われます。
『残念』を認めたくない気持ち
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きゃとらにとコーヒーさんは結婚して4年目です。子どもは縁があれば授かりたいと考えていますが、未だ授かっていないことで特に気落ちはしていません。しかし子どもがいないことで「残念だ」と同情される事は今回に限らずこれまでもありました。また、「残念だ」との明言は避ける代わりに『なんて可哀想なんだ』と顔が言っている事もあります。この場合ご本人は無自覚なのですが。
幸い、きゃとらに自身子どもがいないという現状に対して悲観的でもなくましてや『残念』だとも感じていないため「残念だ」と言われたところで傷つきはしません。先の友人にしても、「I'm sorry」はきゃとらにを傷つけるよりもむしろ気遣う気持ちから出てきた言葉であることは理解しています。それでもなお『残念』や『可哀想』を素直に受け取ろうという気にはなれません。どうしてだろうと考えていた時この作品に出会いました。
※『かわいそう』は著作権所有者である魅唖様より許可をいただいて掲載しています。
上記作品でもそうですが、『残念』にしろ『可哀想』にしろこの感情を持つヒトやそのヒトの価値観が基準になります。残念な状態とは、そのヒトが期待した通りの状態ではないということ。足りないこと。欠けているということ。だからきゃとらには友人の「I'm sorry」を受け取りたくなかったのかもしれません。彼女の価値観で不当に自分の幸福の優劣を決められたような気持ちになったのかもしれません。
他者の形容には要注意
ここまで書いてはきましたが、きゃとらに自身もこれまでの人生で何度となく自分の価値観で他者を気軽に形容してきました。しかし自分の価値観はいつも他者を正しく知覚・形容できるとは限らないし、それで他者を傷つけるのはあまりにも不当です。完璧にとはいかないまでも今より少しでも間違いを減らせるといいな、と思います。
きゃとらに🐈
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