とうとう電気代とガス代とネット代を払うことになった。この半年ほどネットのあちこちで記事を書くようになり、収入が増えたからである。三十六歳女性に「払え」と言われた。それはもうシンプルに言われた。三十六歳女性の要求はいつもシンプルだ。
「払えるでしょ、払ってよ、払えるんだから」
払えないなら我慢する、しかし払えるのに払わないのは我慢できない。それが女性の主張だった。正論だった。なので今月から払うことになった。となるとこれはもうただの同居である。ヒモ状のものを見るだけで冷や汗の流れる生活が終わろうとしている(実際はまだ汗は出るが)。
しかしどうも居候気分は抜けない。これは自分の生活空間が二畳の小部屋だからかもしれない。生活空間の異常な狭さが居候という自覚を生んでいるのではないか。ちなみにこの日記では二畳と書いてきたが、女性には「あれ二畳もないでしょ」と言われている。だから実際は二畳もない。
我が家という雰囲気がないことについてもう少し書く。
旅館の布団でめざめた時に、一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなること。「見当識の喪失」というんだろうか。みなさんも一度は経験したことがあると思う。私はあれがひんぱんに起きる。「自分はなぜこの家にいるのか?」と混乱するのである。これが「自分の家に住んでいるという実感がない」の内実だ。
似た例として、外から帰ったとき、カギで扉を開けながら、自分がこの家の扉を開けられることに何の根拠もないように感じることもある。ちなみに今は帰省したときも実家の布団で見当識の喪失が起こる。どこで目覚めても、自分がその家にいる根拠のないように感じるのだ。
もはや私に故郷はない。故郷喪失者である。
かっこよく言ってみたが、夏になるたび私は二畳の小部屋でパンツ一枚だ。今年の夏もそうだった。パンツ一枚で猛暑をやり過ごしていた。服を限界まで脱ぐという原始的な解決法で暑さに対処していた。そうしているうちに夏が終わった。
故郷どころか衣服も喪失している。