国会内で一般質疑が行われた衆院TPP特別委員会=2016年11月1日、川田雅浩撮影
環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の承認案・関連法案を巡る衆院の審議が大詰めを迎えたが、論戦は平行線をたどるケースも多い。TPPの疑問を掘り下げて農家や家庭の不安をぬぐい、日本経済の活力を高める道筋を示すという点では課題も残った。【秋本裕子、寺田剛】
攻めの農業、見えぬ輪郭
安倍晋三首相は衆院TPP特別委員会で「世界の食品市場の規模は増えているのに、(国内は)就農者も農家収入も減った。TPPはチャンスだ」と述べ、攻めの農業への転換を訴えた。ただ、その輪郭は定まっていない。
議論の焦点は、コメや牛・豚肉など「重要5項目」の関税を維持するという国会決議が守られたかどうかだった。
コメの関税は維持するが、新たな無関税枠を設定する。牛肉や豚肉の関税は段階的に引き下げられるものの、輸入量が一定水準を超えれば関税を一時的に引き上げる「緊急輸入制限(セーフガード)」を発動する。首相は「国会決議は守った」と胸を張り、野党は、何らかの制度変更があったとして「決議違反」を強調するなど平行線をたどった。
政府は、一定の対策を施すことで国内農産物の生産額減少が最大約3%にとどまると試算するが、野党からは「楽観的」との批判が相次いだ。共産党の畠山和也氏は、牛肉のセーフガードの発動条件が段階的に厳しくなり、16年後には国内産の市場占有率が現行の4割程度から1割程度まで下がらないと発動しないと計算し、「(農家の)支えになっていない」と指摘。山本有二農相は「我が国以外の需要も伸びている。(米国や豪州は中国向けなどの輸出も増やすため)日本の輸入が極端に増えるとは考えられない」と理解を求めた。
「攻めの農業」についての議論は具体性を欠いた。政府は、農協改革や農地集約などの対策を打ち出す方針だが、具体策は示されていない。野党側も、山本農相が強行採決を示唆した問題や協定文の翻訳ミスなどTPPの中身以外を追及する場面が目立ち、農業対策の踏み込んだ議論には至らなかった。
首相は「人口が減少する日本は、アジアの食市場を取り込むことが重要」として農産品の輸出増に期待をかける。政府は農産品の輸出額1兆円の目標を掲げるが、大半は水産物や農産加工品で、加工品の原料の多くは輸入品だ。加工業者などの収益は増えても、生産農家の所得向上にはつながらない可能性がある。民進党の佐々木隆博氏は「(1兆円を達成しても)バラ色ではない」と述べて、過度な期待をただす。
政府は、農家が加工や流通も手がける「6次産業化」に活路を見いだすものの、中小、零細農家の懸念は強い。TPPに賛成の立場をとる日本維新の会の小沢鋭仁氏からも「家族経営的な農業を維持するための政策も必要」との声が上がる。収益力が高い担い手に重点を置いた支援の必要性が指摘されるが、体質強化の議論は焦点を絞りきれないままだ。
食の安全、残る不安
「食の安全」を巡る議論はかみあわない。野党は、日本では認められていない薬剤や遺伝子組み換え食品を使った農産品の規制を強化するよう要請、安倍首相は「TPPにはわが国の食品の安全を脅かすようなルールは一切ない」と強調し、平行線をたどった。
野党は、遺伝子組み換え食品を使った加工品や、日本では禁止されている薬剤を使った輸入牛肉について、表示義務を課すべきだと主張。民進党の玉木雄一郎氏は「欧州連合(EU)では、米農務省が薬剤を使用していないと認定した牛肉を輸入している。相手国の生産過程を認証すべきだ」などと指摘した。
現在は港や空港の検疫所で添加物や残留農薬などをチェックしているが、時間とともに消える薬剤もあり、水際での検査には限界もありそう。政府は、最新の分析技術を活用して薬剤を検出する体制を整えるなどして食の安全を守る姿勢を強調したが、不安をぬぐい去れたかは疑問も残る。
ルール分野、前向き感欠く
知的財産権などルールに関する議論も、賛否両論が出て改めて論点は明確になったが、TPPを使ってどう日本経済を底上げするかの前向きなやり取りは少なかった。
論戦になったテーマの一つは、投資分野で企業など投資家が政府を訴えることができる紛争解決(ISDS)条項。海外企業が進出先の国の制度変更で不当な扱いを受けた場合に国際仲裁機関に提訴できる仕組みで、海外企業による訴訟乱発への懸念は根強い。
参考人質疑では、野党が推薦した岩月浩二弁護士が「訴訟社会の米国に対して日本企業が互角に戦えるのかも考えるべきだ」と指摘した。これに対し、与党推薦の鈴木五十三弁護士は「手続きの透明性や敗訴した場合の費用負担を定めるなど、投資仲裁の発展に向け模範となり得る規定だ」と意義を強調。石原伸晃TPP担当相は「むしろ日本企業の海外展開には重要な制度だ」と理解を求めた。
知的財産分野では、音楽や書籍など著作権の保護期間延長が取り上げられた。与党推薦の土肥一史・一橋大学名誉教授は「保護期間がそろうのは国際的な調和の観点からも望ましく、文化産業の創出に向けた活用が期待される」とメリットを主張。野党が推薦した福井健策・日本大学客員教授は「コンテンツの輸出大国である米国には合理性があるが、輸入超過国の日本にとっては悪影響が大きい。対外的な権利使用料の支払いが大幅に増え、権利処理のコストも増大する」と反対するなど、専門家の意見は分かれた。
医療制度も議題に上がった。TPPに対してはかねて、保険が適用される診療と適用されない診療を組み合わせる「混合診療」などを米国に押しつけられるとの懸念があり、審議では「米国から国民皆保険の見直しを迫られる」(民進党の阿部知子氏)との批判が出た。
政府は「皆保険には影響しない」との立場だが、日米両国が2月、医療制度に関する協議を約束する文書を交換したこともあり、疑念がくすぶっている。塩崎恭久厚生労働相は「交換文書に法的拘束力はなく、新たな義務を負うものではない」と強調した。