「(陵制の転換によって天皇が埋葬される地は)天皇家の未来を語る跳躍の地だ。それから半世紀もたたないうちに日本は驚異的発展を遂げ、東アジアにおいて盟主の座をつかみ取った。強国日本の象徴となった明治天皇の業績とその陵は、幕府からの解放から東アジアへの君臨という転換を具現している」(『風水と天皇陵』)。韓国人にとっては面白くない発言だ。
一方、同じ年に没した純宗の墓(裕陵)はどうだろうか。日本人学者の村山智順は、ここが「去八来八形」かつ「十字通気形」であって、子孫の繁栄をもたらす地だと称賛した(『朝鮮の風水』)。「去八来八形」と「十字通気形」は同じ意味だ。地脈(竜)が墓の裏手から左右へ八の字型に分かれ、墓の前で再び逆八の字型を描いて集まり、ひし形になっていることを指す。
本当にそうなのか。裕陵は、地脈が流れていく中間地点、すなわち「過竜」に位置する。また、墓の前に小高い丘がそびえる、いわゆる「逆竜」になっている。どちらも、墓の風水としては禁忌に当たる事項だ。過竜と逆竜の場所に墓を構えているので、一見「来八去八」の地勢のようにも見える。しかしこれは強引な詭弁(きべん)だ。なぜそんな場所を選んだのか。「日本が朝鮮の皇室の復興を妨げようと、亡地を選んで作った」という陰謀論もある。しかし実際は、亡国の皇族に余力がなかったからだ。いや、既に定まっていたことだった。日本が19世紀後半、「陵と国運」について新たな問題意識を持っていたとき、同時代の朝鮮の風水師は詐術にふけっていた。実学者が非難していたのも、こうした行いだった。高麗末期から朝鮮王朝初期にかけて、無学や河崙といった風水の大家が建国と統治の理念として風水を活用していた遺風は、既に消えて久しかった。亡国の痛ましい記録を読み取るのに、裕陵と徳恵翁主墓に勝る場所はない。