おふくろが選んだバイオリン
広島県福山市。世良は海の近くに建つ県営アパートで、公務員の両親の下に生まれ育った。
積み木を撒きたいと思ったら、滑り台の上に登り、片付ける人のことを考えずにばら撒いた。世良は「どちらかと言えば、気持ちの赴くままに行動する自然児的な気質だった」と振り返る。
そんな息子を見て、母は『この子には、家族以外の第三者からしつけをしてもらう、情操教育が必要だ』と考え、バイオリンを習わせることにした。それが世良にとってのミュージシャンのスタートラインだ。
「両親は非常にまじめな地方公務員でした。特に、母の実家はお寺でしたからね。どちらかというと物静かな家庭だったからかもしれない。
俺は、どうやらその枠に収まらないタイプだったんだと思います。落ち着きのある子供にするために、おふくろが選んだのがバイオリンだったんです。
それで落ち着きのある子供になったかどうかはわかりませんが、おかげで音を耳で聴くだけで、楽器を弾ける耳コピーができるようになりました」
ロックミュージシャンの下地を情操教育としてのバイオリンでつくることになった世良は、中学に入ると漫画に夢中になった。特に読み込んだ漫画雑誌は、集英社発行の『少年ジャンプ』。気に入っていた作品は、少年ジャンプを人気少年誌に押し上げた、本宮ひろ志作の『男一匹ガキ大将』だった。
「創刊と同時に、ものすごくはまりました。『男一匹ガキ大将』のストーリーを通して、仲間をつくっていく素晴らしさに感銘を受けていました。少年ジャンプは2年間、1冊も欠かさずに買って、新品同様に大切に保管していたんです。もちろん『男一匹ガキ大将』も全巻、単行本でも持っていました。
何十年か経って、おふくろに『俺の少年ジャンプはどうした?』と聞いたらあっさり『あ、あの古本は捨てた』と言われました(笑)」
男一匹ガキ大将のことを熱く語る世良。世良に漂っている「男気」の正体は、本宮ひろ志が描く漫画が関係しているのではないか、とも感じる。
父親が野球中継を聴いていた真空管のラジオを、夜中にこっそり自分の部屋に持ち込んだ。当時人気の深夜放送を聴くためだ。当時の深夜放送は、歌手やお笑いタレントをディスクジョッキー(今ではパーソナリティと言われる役割)に起用していた。当時、深夜放送は、世良を含めた多くのティーン・エイジャーの心をとらえていた。
ヘッドフォンやイヤフォンを持っていなかった世良は、布団に入りながら、外に音が漏れないように聴き入っていた。
「流れていたのは、当時ヒットしていた『黒ネコのタンゴ』や、美空ひばりさんの曲などのいわゆる昭和歌謡が中心でした。
そんなある時、そのラジオの小さいスピーカーをバリ!バリ!と割りながら流れてきたのが、ザ・ローリング・ストーンズの『Paint It Black』だったんです。何だ、これは!? とびっくりしましたね。
こんな風にもっと音楽を求めて、毎晩、深夜放送を聴いていました」
ロックに夢中になり、同時に兄のギターに触れ始めた。「いつか自分もこんな曲を演奏するミュージシャンになるんだ」と想像しながら、毎夜、布団の中でラジオに耳を傾けて過ごした。そんな時間がとても楽しかったと世良は言う。