それでも少しずつ身辺は落ち着きを取り戻しつつある。仙台市内の友人の家に身を寄せ、インターネットカフェでアルバイトをしながら、大学に復帰して講義に出ている。ただ、以前のように仮想世界のフィギュアなどを作ることに熱中できるほどまでにはなっていない。
■震災があってもゲームは役に立っている
3月11日の大震災は、ゲームというエンターテインメント産業に関わっている人々が無力さを痛感する大きな契機となった。ゲームを作る人間にとって「自分たちは本当に社会の役に立っているのだろうか」というアイデンティティーを問われたからだ。
首都圏在住の多くのゲーム開発者は、自分たちが日々手掛けている仕事が、震災の復旧・復興に対して直接的に何の役に立てるのかわからず悩んだ。
それではゲームは社会の役に立っていないのだろうか。有坂さんは「決してそんなことはない」と言う。
「震災直後こそ、生きていくために最低限の物資をいかに手に入れるのかが大切でした。だけど、それが満たされると、だんだんと精神と時間の余裕が生まれてきます」
そうすると次は娯楽が欲しくなるという心理の変化を経験したという。「人間は食べることだけで生きているわけではありません。ゲームのようなものが今の状況を乗り越えるために役に立っている面はあると思います」
被災地域で停電中に、連絡手段を確保する目的で、携帯電話に誰もが充電できるように、電源車が出ていた。それを「ニンテンドーDS」や「PSP」などゲーム機の充電のために使っていたケースは少なくなかったようだ。混乱した状況下で、多くの親にとって子供に静かに時間をつぶしてもらう手段としてゲーム機の存在は貴重だったからだ。
ゲームは決してライフラインにはなり得ないが、人間が震災後の苦しい状況を乗り切るための逃げ場所になっているのだとしたら、それは一つの役割を果たしているのかもしれないと感じている。
■学生が直面する就職活動の困難
有坂さんと鈴木さんはもう一つの困難に直面している。就職活動の時期を迎えているのだが、震災後の混乱が続くなか、地元の仙台市周辺でクリエーティブな産業で仕事を見つけることが難しいのだ。ゲームや映像などコンテンツ企業が集中する東京に何度も足を運んで就職活動をすることも今は難しい。
彼らは自分の将来がどうなるのか明確に描けない不安のなかにいる。「仕事は何でもいいから定職を得たいというのが、偽らざる本音」と、2人とも話していた。もうコンテンツ産業にはこだわっていない。学生たちにとって震災の影響は後を引いており、将来を振り回される状態は当分続いてしまうのだろうと感じられた。
彼らが落ち着いた生活を取り戻せるようにと心から願った。人々がゲームで遊ぶ世界は、平和な日常の象徴でもあるのだと感じている。
新清士(しん・きよし)
1970年生まれ。慶應義塾大学商学部及び環境情報学部卒。ゲーム会社で営業、企画職を経験後、ゲーム産業を中心としたジャーナリストに。国際ゲーム開発者協会日本(igda日本)代表、立命館大学映像学部非常勤講師、日本デジタルゲーム学会(digrajapan)理事なども務める。