真野啓太・26歳
2016年10月31日16時29分
■古賀力(つとむ)さん(1930年生まれ)
8月中旬。長崎市の長崎原爆資料館で夏休み中の小学生の姉妹2人とその家族が、ガラスケースに並んだ品々を指さしながら話していた。
「ぜんぶ、おじいちゃんの?」。妹(9)が尋ねた。近くにいた祖父、古賀力さん(85)=長崎県諫早市=が答える。「そうだよ」。姉(11)は「溶解物」と書かれた灰色のかたまりを見ながら、「おじいちゃんの家にあったときに触った。黒いところはざらざらしてた。陶器だよね?」。古賀さんは「熱でガラスなんかと溶けて、ひとかたまりになっちゃったんだ」と語りかけた。
古賀さんは旧制長崎中に通っていた14歳のとき、現在の長崎市中町で被爆した。自身に大きなけがはなかったが、祖母と2人で暮らしていた爆心地近くの同市城山町は壊滅状態になった。原爆投下の翌日から城山町の一帯で親戚らを捜し回った。だが見つかった祖母は無残な姿で亡くなっており、近くに住んでいたおじの消息は、ついにわからなかった。
こうした体験はこれまで、同級生らと語り合うことはあっても、外向きに話すことはなかった。だが数年前から孫娘を相手に被爆体験を語り始めたことがきっかけで、継承することの大切さに気づいた。自らの体験を小中学校の講話などでも話すようになった。
さらに昨年、祖母らを捜していたときに焼け跡から拾った家財道具など十数点を長崎原爆資料館に寄贈した。原爆を伝える人やものが少なくなる中、「自らの体験を3代、4代と伝えたい」と思い立ったためだ。いずれもこの70年余り、「一族が被爆に遭った証し」と大切にしてきたものだった。
今年の8月9日も諫早市の小野中学校で被爆前後の体験を語り、原爆について孫とも語り合うようになった古賀さん。これまでの人生と被爆体験の継承、そして孫への思いを聞いた。
古賀さんは大阪市生まれ。現在…
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朝日新聞社会部