前の防災ビルが建つ前の教室。
私と茶名のお祝いで年配の方のお祝いをした。
本格的な懐石。
教理は妻と母。
正客のお子さんは生まれて三か月から小学六年までお母さんと通う。
このころがお子さんがたくさん来ていた時代。
四畳半がよかった。
人と人の心の繋がりが密で、
距離的にも教えやすく、人間関係も良かった。
八畳の広間は声も大きくなり。
隅で携帯をしている方も怒れない。
怒れば怒鳴るようになる。
年のせいか起こるというより若い方を怒鳴りつけて起こる。
まあ二度と来ないか、それでもう口もきいてもらえない。
お怒られなれてないという。
手は出さないが間違ったことをしたら、
怒るのが当然と思うが。
どうもカルチャーブームでお客様扱いしないといけないらしい。
肩でも禅のように叩けば、警察に言いつけられる時代。
この教育は心ですると思ってきたが、それがこの頃通じない。
昨日もベテランの方に相談。
結局躾のない世代で、親に怒られたこともない世代。
失敗したらどうすればよいか。
お点前ではない。
社中のこの5年のトラブルは男女の問題。
五年待ったが、
毎週十年教えた方などとうとうプッツンだ。
心が壊れた。
これはなんだろうと五年通求。
全てわかったが手の打ちようがないと結論を昨日相談。
社中が分解しても解決と思うが、
この問題は人間の領域を超えている。
まさに夢、幻の如くなり。
50年かけた一生も一瞬で崩れることもある。
なら、最後の力を振絞って、
フェニックス、不死鳥と生死を越えて飛び立とう。
十徳の最後は臨終不乱。
それができなければ、茶道をここま修業したとは言えない。
天国の師に合うときには堂々と会いたいのだ。
子供たちにはこの先の人生の希望と夢にもならないといけない。
私は幻、煩悩に悩むが、これをシャジョウするのが修行。
まだまだ60では赤ん坊である。
だが煩悩即菩提。
仮教室までに40年であるがあっという間であった。
教室が新しくなり五年。
新オーポンとホームページのおかげで大勢の方が見学、入門なされたが、
50人以上の方を教え、まとめるのは難しい。
いつものよう自然にまた減って穏やかな前の教室に戻った。
これでよいと新たな出発。
茶道は心をネルもの。
礼で始まり、師や仲間を信頼できなくてはお稽古は始まらない。
最初の教室で生まれた家猫ミミは23年目に私にやっとうちとけてくれた。
なかなかである。
人間はもっと難しいのだろう。
仲間は私が甘すぎるという。
まあ、
甘くできるうちは甘く、
お稽古は強く、やる。
もう11月初釜までお正月まで二月、愚痴っている暇もない。